人生に一度だけ富士登山をしたことがあった。それは、平成12年頃だったと思う。たまたま転勤した職場に、ハイキング部というのがあって、名目上、私が「部長」に指名された。まあ、ハイキングだったら、できそうだという安易な考えと、「部長」ということで、全く参加しないのも変だという考えから、その部に参加するようになったのだが、ハイキングなどとは名ばかりで、実際には十分登山と呼べるような代物だった。最初は、どこだったのだろうか?確か、群馬県にある山だったと思う。最初は気楽に構えていたが、いつの間にか沢登りになり、途中、雨にも遭ったりしてそれはもう大変だったことを覚えている。しかし、登山を終えて、帰宅途中に、温泉に遣ったので筋肉の凝りは解消し、翌日、翌々日に疲れを持ち越すことはなかった。
それ以後、3,2ヶ月に一回の割で、関東近辺の山を登り続けた。その中には、2000メートル級の山も入っていた。まあ、車で行けるところまで行き、それから登山になるので、距離にしては大したものではなかったように記憶している。そんな中に、富士山もあった。
当日は、4時か、5時に出発し、富士吉田口に8時頃に到着、登山を始めた。当日はかんかん照りで、疲労も激しく、みんなに後れそうになることもしばしば。そのうち、若いメンバーが荷物を持ってくれると言い出す。「大丈夫だよ!」と一回は断ったものの、「迷惑なんだよ!荷物持つからしっかり歩いて!」と言われ、荷物を託して、ひたすら登ることに集中。山頂近くになると、急に天候が急変し、雨が降り出すという有様だった。気温も急に下がって、寒さを感じるほどになった。しかし、雨はそれ程長い時間ではなく、また、晴れが戻ってきた。そして、山頂に立って、しばしの休息後、帰路に就いた。
砂走りとは良く言ったもの。一歩歩くごとにずるずるずると滑っていく。最初は、至極快適だったが、そのうち、膝に違和感を感じるようになり、滑った後に石に当たるショックが激しくなる。そのうち、速度が出ないように慎重に、下山した。
例によって、途中、温泉に浸かって、疲れを癒し、帰宅したのが7時半ごろだったと思う。解散するときに、地元山岳部に所属する看護婦さんは、これからまた別の山に行ってくると言い出したことには驚いた。何という怪物なのだろう!
なぜ、幻の富士登山なのか?家族の誰もが私が富士山に登ったことを知らなかったし、何度本当に登ったと言っても信用しようとしない。いつの間にか杖があった、何でこんなものがあるのだろう?と、思ったという。富士山頂での集合写真も持っていたのだが、単身赴任中、引越しを重ねる中、どこかに消えてなくなってしまった。だから、富士登山を証明するものもなくなってしまった。ついには、我が家では「幻」となってしまったというわけだ。