長男の結婚前の両家の顔合わせが終わり、結婚式の日取りも決まった。これでようやく子育てが完了する見通しが立った。後は、結婚式の費用を援助すれば、親の責任は果たしたことになるだろう。まあ、細かく言えば、出産祝いや節句の祝い等々、親としてすることはきりがないのだが、やはり子が自分の家庭を持ち、独立するまでは、親の責任の範囲内と自分で決めていたので、まあ、目標達成の見通しが立ったと言えよう。
私が結婚するときに、その費用のことなど、微塵も考えていなかった。それは親がしてくれるものと、はなから決め付けていたし、そういうものだと思っていた。だから、貯金なし、奨学金等の借金を抱えて、新生活をスタートした私。妻に言わせると、「借金しかなくて、良くも結婚すると言えたもんだ!、それに比べると、子どもたちは良くやっていると思うよ!」となる。確かに、当時は何も考えていなかったことは確かだ。第一、金を稼ぐなんて私の仕事じゃないと思っていたし、貯金なんて全く念頭になく、借金もまた財産のうちと高を括っていた。当時は、自分の可能性を広げることだけだったような気がする。結婚して変わったかというと、どうもそうでもなかったような気がする。仕事をしているのだから、それで十分!公務員は余計頑張ったからといって給料が上がるわけではない、給料が安いのは、私のせいではなく、それは仕方のないことだとずっと思い続け、定年した。妻が、「多少、貯金が残ったのは全て私のおかげでしょ!」と言うが、それには全く異論がない。確かに、私一人だったら、おそらく何も残っていないと思う。まあ、そんなこんなでも、子ども二人を大学まで出せて、何とか、結婚させることまでできそうだ。たまたま、高度成長期にあって、順調に給料が上がってくれ、生活できるようになったという幸運に感謝したい。息子たちの生活は、どうなるのか?それはそれは道のりは険しいと思うが、私がどうこう考えることでもなさそうだ。これで子育て終了ということにしよう!自分に、「お疲れさん!良かったね!」と言いたい。