食欲は、人の欲求の中でも、かなり大きな部分を占めているが、単に必要な栄養を得るというだけではなく、その外に複雑な要素があり、人によってその満足の得方は様々あるようだ。
私の場合、腹一杯食べ、もう食べられないといった状態になったとき、えもいわれぬ幸せを感じることができる。いくら美味しいものでも、少量では、とても満たされたとは感じることはできない。これは、少年時代から飛び切り美味しいものを食べたという経験がないというか、美味しいとはどういうことなのか良く分からないというのが正直のところなのだ。味覚が少年時代に開発されずに来たということなのかもしれない。それよりも、腹一杯食べ、お腹が膨れた状態に快感を覚え、それを求め続けているということなのかも知れない。だから、それ程美味しいものを食べたいという欲求もあまり感じないし、食べ物にあまりこだわりがない。味わうことなく、ただ、ひたすら食べ、お腹が膨れて、それで満足してきたのだ。
一方、妻はどうか?ご飯は一箸かせいぜい二箸程度しか食べず、おかずだってそれ程量を食べるわけでもない。それでいて、色々な食べ物がテーブルに並んでいないと満足できない。今日の献立は、おでんをセブンイレブンから買って来て、それに、漬物と味噌汁にした。それを聞いて、妻は、「おでんだけ?昨日の豆腐は残っていないの?」と言って来る。私は、「豆腐は味噌汁に入れるから、豆腐はない。」と答えた。妻は、さらに「こういうとき、焼き魚があると良いんだよ!」と言う。私は、内心で、「そんなこと言ったって、大根とロールキャベツを一個ずつ食べたら、もう食べられなくなるのに、何言っているの!」と思う。実際に、プラス牛蒡巻き半分で、それ以上は食べられないと言って箸を置いてしまった。要するに、目が食べたいのだと思う。色々な味を食べ、それで満足したいのだろうと思う。まあ、人それぞれ嗜好は違うのだから、仕方ないけど、「手間の掛かる、面倒くさい人」だと思う。
一般的に、満腹感は、血液中の血糖値の変化を脳が感知し、満腹と感じるようだ。だから、良く噛んで時間を掛けて食事すると、少量でも、時間の経過と共に食べ物から糖分が吸収されるため、少量でも、満腹になるのだという。早食いの人に、大食漢がいるのはそのためらしい。しかし、私的には、胃に食物が入り、膨らんだ状態の感覚も、満腹感に影響しているのではないかと思っている。また、食卓に色々並べて、少しずつ箸を付けて満足するという満足の仕方もあるのかも知れないが、私的にはあまり理解できない。
そう言えば、妻は、食べ物の番組を良く好んで見ているし、元気な頃には料理の雑誌を良く眺めていた。食へのこだわりはかなりのもので、通販で、色々の食べ物を取り寄せて食べていたらしい。私の単身赴任中に、いつの間にか、グルメ通に変身し、舌を肥やしてしまったらしい。一方、私は、食事代を削って、欲しいものを買って、身の周りにおいて満足していた。この嗜好の違いはとても大きく、越えられない壁となってしまっているような気がする。