茶飲み友達というと、真っ先に思い出すのは、父の日常の振る舞いだ。仕事をしていたかと思うと、いつの間にか姿が見えなくなり、どこかに雲隠れしてしまう。仕事が忙しくない時は、別に構わないのだが、仕事が忙しい時でも、しばしあ雲隠れし、母の表情が険しくなっていた。どこに行ったのだろうと、近所を探すと、近所の家の縁側に座り込み、お茶のみ話に耽っている。それが度重なるものだから、母の顔もさらに険しくなり、子どもながらに、ハラハラしたもを覚えている。父は、生まれた土地で育ち、幼友達と共にずっと一緒に生きてきた。まあ、こうしたことは、田舎だったから、一般的なことだったのだろうが、それにしても、父の雲隠れは少し度が過ぎていたように思う。
そんな父の生活、今思うと、とてもうらやましいと思う。そんな交友関係が築けたらどんなに良いだろう。しかし、今は都会も田舎も同じ、家はどこも閉じられた閉鎖空間になってきている。敷地自体もフェンスが作られ、庭の方から勝手に入り込むなんてできない構造になってきている。都会に至っては、安全上の問題で、エントランスに入ること自体、自動ロックになった扉を開けてもらい、入るという仕組みになり、気楽にエレベータや階段を上り、ドアをノックするということ自体ができないようになってきている。
1階以外の部屋は、外から部屋の中の様子を見るなどということはできないし、1階だって、カーテンが閉められ、部屋の中の様子を窺うなどということはできない。エレベータに乗り合わせた時、玄関でばったり顔を合わせた時、ちょっと挨拶を交わす程度、近所付き合いなどというものもないのが現実だ。まあ、御婦人の場合は、まだ、子どもを通じて、ママ友付き合いというものもあるようだが、男性に至っては近所付き合いなどというものはほとんどないのが現状のようだ。
子供は独立して所帯を持ち、遠方での生活を始め、妻に先立たれた私は、全くの独り暮らし、人との交流は非常に少ない。辛うじて、卓球教室に行ったり、テニスに行ったりし、その時に、おしゃべりする程度、全く寂しい限りだ。こんな現状と昔の父の交遊を比べると、父の交遊が如何に恵まれていたものだったか、改めて思う次第だ。