世の中には、感覚が鋭い人と、感覚が鈍い人がいる。得てして、感覚が鋭い人が周りから賞賛を集めるが、感覚が鋭いということは、非常に不便なことも多い。そして、感覚が鋭いがゆえに、色々と余計なことまでわかってしまい、その結果として、人一倍気を遣い、そして疲れてしまう。一方、感覚が鈍い人は、細かい変化が分からないのだから、周りを気にすることもなく、我が道を行く。周りからの雑音にも気づかないし、余計なことは考えなくても済む。どちらかというと、感覚が鈍い人の方が得なような気がする。
私は感覚が鈍い人、妻は感覚が鋭い人。私は臭いにも鈍感で、多少の香りの違いは分からないし、味についても、まあまあ大雑把だ。一方、妻は、感覚が鋭すぎるので、私は、かなりの迷惑を被っている。例えば、洗剤を変えたりすると、洗濯の洗剤に香りが付いていると言って、他の元の洗剤に戻すように言われる。また、トイレの消臭剤も、無臭のものにしてという。洗濯用の柔軟剤などは、どれもこれも香りが付いているものが多く、無臭というのは余程探さないとならない。私にとっては大したことではないが、妻にとっては大問題らしいのだ。
また、妻は散らかっているのが我慢できないタイプ。私は、多少散らかっている方が落ち着くタイプ。これじゃ、うまくいくはずがない。妻「そこに、ごみが落ちているよ!」、私「ああ、落ちているよ!それがどうしたの?」、妻「分かっているなら、捨てればいいじゃない!」、私「そのうち、捨てるよ!今、そんなこと大した問題じゃないだろう?」と、話がかみ合わないのだ。
単身赴任中。妻は訪ねてくる前に、「来週、行くから、掃除しておいて!」とメールを送って来る。ざっと、目立ったところだけ片付けておくのだが、妻は、棚の上などの誇りを見つけて、「汚れているじゃない?」と言ってくる。いつしか、妻の来訪を「監査官の来訪」と思うようになった。まあ、監査は面倒だが、監査があるから、多少、片付いているのかも知れないと思い、しぶしぶではあるが、片付けることにしていた。
それが、今は、毎日監査があるようなもんだ。面倒くさいことこの上ない。そして、それが日常化し、最近では、居直って、掃除もあまりしなくなってしまった。そして、私から見ても、散らかっているなあと思うことがしばしばだ。多少は掃除しないと、私としても住みにくくなる。そろそろ掃除をしようと思う。