DonkeyMの部屋

Donkeyはロバ。格好良くなく、足も遅い。「のろま」とか「馬鹿」といった意味。日々の感動、怒り、愚痴等を記事にしたい。

ようやく明日から9月だ!

2018-08-31 16:27:59 | 雑感

 8月もやっと終わりを告げ、明日から9月だ。少しは涼しい9月になって欲しいものだが、その前に、台風21号がやって来るらしい。猛烈に強力な台風のようで、しかも、本土直撃になりそうな気配だ。秋雨前線が下がって来る時期も重なり、またまた未曾有の災害が起きる危険性も秘めている。もはやどこでゲリラ豪雨や竜巻、猛烈な雷が起きてもおかしくない。嫌な時代になってしまったもんだし、災害から逃れられても、他人事と傍観しているのもどうかと思う。

 西日本を襲った豪雨による水害が、人々の生活に及ぼした影響はすさまじいものがある。家を流されたり、浸水して家の中がめちゃくちゃになったりして住めなくなってしまった人たちが再起するには相当の時間を要すると思うが、こう次から次へと台風がやって来るのでは、被災者の数が増えるばかりだ。特に、高齢になって来ると、立ち直りも容易ではないように思う。それだけに、支援策を早急に検討してもらいたいと思う

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これって詐欺じゃないの?

2018-08-29 11:42:39 | 雑感

 夜中にパソコンを操作していたら、突然、画面が変わって、「あなたのパソコンは、『トロイの木馬』に感染しました。駆除しますか?」というメッセージが現れた。「これはやばい!真っ先に削除しなければ」と思い、「削除する」をクリックした。すると、ダウンロードの案内画面が現れた。良く見ると、私が入っているトレンドマイクロの「ウイルスバスター」の画面と違うようだ。「これは何か、おかしい。」と思い、その画面を消して、「ウィルスバスター」を開き、ウィルススキャンを行ったが、ウィルスに感染しているという報告はなかった。もし、あのまま続けていたら、他のメーカーのウィルス駆除ソフトが組み込まれてしまっていたかもしれないし、ウィルスを植え付けられていたかもしれないと思うと、そら恐ろしくなった。

 それにしても、「ウィルスに感染した!」という画面は、私を動揺させ、かつ、冷静さを失わせるには十分な刺激だったようだ。私も、そろそろ?老人の域に達してしまったということなのか?悲しい限りだ。これからは、もっと気を付けなければと改めて思う次第です。

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台風21号南の海で成長中!

2018-08-29 06:21:30 | 雑感

 台風20号が大きな災害をもたらしたのもつい先日の話、もう台風21号が発生し、南の海で成長を続けているようだ。まだ、進路は明らかになっていないが、このまま成長を続けていくと相当大きな台風になるようで、進路が心配になる。

 年々台風は大きく強力になっているような気がしてならない。まあ、もともと日本は台風の通り道、日本に向かうのは当たり前のことだが、それならそうと、被害を最小限に抑えるよう対策をもっとしっかりと立てておくべきではないだろうか?

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何事も程々が大事だ!(2)

2018-08-27 14:09:22 | 雑感

 世の中には、感覚が鋭い人と、感覚が鈍い人がいる。得てして、感覚が鋭い人が周りから賞賛を集めるが、感覚が鋭いということは、非常に不便なことも多い。そして、感覚が鋭いがゆえに、色々と余計なことまでわかってしまい、その結果として、人一倍気を遣い、そして疲れてしまう。一方、感覚が鈍い人は、細かい変化が分からないのだから、周りを気にすることもなく、我が道を行く。周りからの雑音にも気づかないし、余計なことは考えなくても済む。どちらかというと、感覚が鈍い人の方が得なような気がする。

 私は感覚が鈍い人、妻は感覚が鋭い人。私は臭いにも鈍感で、多少の香りの違いは分からないし、味についても、まあまあ大雑把だ。一方、妻は、感覚が鋭すぎるので、私は、かなりの迷惑を被っている。例えば、洗剤を変えたりすると、洗濯の洗剤に香りが付いていると言って、他の元の洗剤に戻すように言われる。また、トイレの消臭剤も、無臭のものにしてという。洗濯用の柔軟剤などは、どれもこれも香りが付いているものが多く、無臭というのは余程探さないとならない。私にとっては大したことではないが、妻にとっては大問題らしいのだ。

 また、妻は散らかっているのが我慢できないタイプ。私は、多少散らかっている方が落ち着くタイプ。これじゃ、うまくいくはずがない。妻「そこに、ごみが落ちているよ!」、私「ああ、落ちているよ!それがどうしたの?」、妻「分かっているなら、捨てればいいじゃない!」、私「そのうち、捨てるよ!今、そんなこと大した問題じゃないだろう?」と、話がかみ合わないのだ。

 単身赴任中。妻は訪ねてくる前に、「来週、行くから、掃除しておいて!」とメールを送って来る。ざっと、目立ったところだけ片付けておくのだが、妻は、棚の上などの誇りを見つけて、「汚れているじゃない?」と言ってくる。いつしか、妻の来訪を「監査官の来訪」と思うようになった。まあ、監査は面倒だが、監査があるから、多少、片付いているのかも知れないと思い、しぶしぶではあるが、片付けることにしていた。

 それが、今は、毎日監査があるようなもんだ。面倒くさいことこの上ない。そして、それが日常化し、最近では、居直って、掃除もあまりしなくなってしまった。そして、私から見ても、散らかっているなあと思うことがしばしばだ。多少は掃除しないと、私としても住みにくくなる。そろそろ掃除をしようと思う。

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何事も程々が大事だ!(1)

2018-08-26 11:12:17 | 雑感

 少し前だったか、テレビで「ビフォーアフター」という番組があった。狭くて、あるいは古くて使い勝手の悪い家を、専門家がリフォームして家を生まれ変わらせるといったもの。雑然と散らかった家の中に、収納を設けたり、間取りを変えたりして、住みやすく変えていく。ビフォーとアフターの差は歴然としていて、住んでいた人は、生まれ変わった家を見て、感動し、これならば快適に過ごせるという感想を述べる。確かに、そうなのだろう。しかし、その快適空間をいつまで維持できるのかと、疑問を感じながら、私は見ていた。

 片付けられる人だったら、ビフォーの状態には絶対にならなかったし、多少の工夫が働いて、もっと快適に過ごせていたのではないだろうか?他人の手によって、確かに、整理され、一見快適に見えるが、だいたい整理整頓の下手な人(私を含む)は、片付け過ぎると、居心地の悪さを感じてしまうものだ。少し散らかっているくらいが、気持ちも落ち着いてくるそんな人も多いのではないか?ただ、難しいのは、散らかっているという基準は、人によって微妙に違うことだ。自分ではこれくらいならまだ片付けるまでのことはないと思っても、傍から見ると、かなり散らかっていると見えることもあろう。ただ、あまりに散らかり過ぎてしまうと、今度は、片付けが非常に大変に思えてしまい、手の付けられない状態に陥ってしまい、いわゆるごみ屋敷状態に至ってしまう。

 人が訪ねて来ると思えば、だれでも、部屋の片づけを始めるものだ。それは、人から見ると、部屋が散らかっていると思うだろうという予測に基づいて行動だ。ただ、あまりに散らかり方がひどすぎると、もはや片付けるという行動に繋がらず、後は居直るしかなくなってきてしまうのだ。ごみ屋敷の最大の特徴は、人が訪れることがないということだろう。人が訪れないから片付けない、片付けないから人が訪れなくなる。まさに、悪循環だ。人は、他人の目を気にするから、片付けもし、掃除もする。それがなくなったら、散らかり放題、汚れ放題になるのは必然と言える。

 

コメント (1)
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