DT200Aの庫 (goo-blg)

30年前の07月 新製回送される201系


 この場所は保線資材置場があり今は柵が出来て立入禁止ですが当時は自由に立ち入れるエリアで何度かここで撮影しています。当時の資料を紐解くとこの列車は新宿16:27-30となっています。     81,07,10     原宿     試9495M

 40年前の07月に中央線でデビューする201系が東急車両(現:総合車両製作所)で新製された201系が配置区の豊田電車区へ回送される姿を撮影しています。この201系は逗子から品川まで2往復後に配置区の豊田電車区へ回送されています。
 この当時、国鉄(通常は配置区職員)と新製会社との立会で新製公式試運転が運転され、後に何も無ければ配置区の助役が借りて持ってきた総裁印を引渡書に押印して晴れて国鉄車輛となる手続きがとられていました。写真の新製回送は、引き渡し手続き後初めて国鉄車輛となって運転される列車でした。
 今はJR東日本社内の新製回送も新津→大船など新製配置区は機関車等で牽引されて回送されますが、国鉄時代は新製された電車は一部例外を除いて(北海道用の485系1000番台は回送途中にに非電化区間が存在するので例外的に甲種回送したと聞いています)基本的に新製公式試運転後に配置区へ自力回送されていました。
 事実、仙台運転区配置の417系が笠戸の日立製作所で新製された際には山陽線。東海道線・東北線を自力で仙台まで回送されました。そのため新製回送運転の担当となる乗務員区では選抜された職員が笠戸まで出張で派遣され現車訓練をする事になっていました。今思えば下手をすれば、たった一度だけの運転になる可能性の形式の新製回送のために遠くから、何人もの職員が現車訓練をしたのですから、当時は不思議には思いもしませんでしたが、かなり非効率な事をしていたと思います。当時は国鉄でしたので甲種貨物列車として新製車輛を回送して、配置区で公式新製試運転を施行した方が効率的だったのでは思う次第です。

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コメント一覧

DT200A(@CF-F9)
美抑解様
 わざわざご指摘ありがとうございました。本文も訂正させていただきました。
美抑解
日立笠戸から遠路自力回送したのは 417系ですね。直流区間を走ったのもこの時だけでは? 仙石線にも、黒磯にも入線したことが無いはず。
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