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今だったら激パになるだろうこの撮影地も平和そのものでした。この当時、架線柱ポールは京浜東北線の南側にあったのでこのアングルで撮影が出来ました。今は京浜東北線の南北行の間にポールがあるのでアングルに制約があります。 88,01,20 新子安 9021M TMY スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED
国鉄時代にはあり得なかったのですがこの当時、マニア相手に臨時列車を運転して行先地で一般の人が立ち入れない構内エリアでの撮影会やの部品の即売会等謳い文句に臨時列車がチラホラ運転され始めた時期でした。ただ今みたいに凝に凝った趣向とは程遠く沿線で撮影していた今一つと言う企画が多かったと記憶しています。
この列車は田町電車区主催のイベント列車で現地(伊東駅構内)で田町電車区の庫に秘蔵されている東海道線を駆け抜けたいろいろなヘッドマークを装着して撮影会を開催する趣向だったと記憶しています。そのため往復の列車は味気ない”臨時”マークでした。この味気なさはかなりショックで会った様で次回、この手の列車が運転された際にはヘッドマークが目立たぬように根府川の白糸橋梁をかなり高い位置から撮影した記憶があります。
この当時、田町電車では485系のハンドルを握れる運転士はおらずこの手のイベントは不可能でした。しかしこの頃、シュプール号運転のために583系や485系のハンドルも握れるように訓練がありその副産物でこのようなイベント列車運転が可能になった訳です。