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自動車を所有していない時代、古河駅から北関東の猛烈な北風と闘いトボドボとこの撮影地まで歩くことが出来たのは情熱の一言だったと言えます。帰路はたまたま通りかかったタクシーに乗せてもらって帰った記憶があります。 78,01,04 古河 124レ EF58108102号機 TRI-X スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED
40年前の01月は今冬同様にとても寒い日が続きました。東北は豪雪で毎日ダイヤが乱れ続けていました。いつ止むかわからず降り続く雪を東北の人は恨めしく空を見上げていた事でしょう。そして01月03日から東北地方は本格的な雪が降り出し仙台地区では複数の個所で架線切断が発生しました。昼間の優等列車は通過後でしたが夜行列車はそのとばっちりを受け早朝に上野駅に到着する列車が10時頃になって立て続けに上って来ました。そのため午前中の上り列車も大幅な遅れをもって運転されていましたが午後になって若干の遅れはあったもののほとんど平復していました。私はこの日、午後から栗橋―古河間で撮影をしていました。とても寒かった事だけは40年経過した今でもはっきり覚えています。今みたいに防寒服などほとんどなく気合で線路際に立っていたのだと思います。この写真はその時の1枚です。西陽を浴びて原型窓の108号機が飾帯を輝かしながら通過していきました。この列車を撮影してから帰宅したので記憶にはありませんが自宅に着いたのは相当遅かったと思われます。
ところでこの写真の124レは晩年は荷48レと名乗って多客期以外は客扱いをやめてしまいました。それはこの列車はたった1両のみ連結されている郵便輸送メインの列車だったからです。客扱いをするといろいろ弊害があったのかもしれません。ただ荷物列車になったからと言っても郵便車1両になる訳でもなく翌日の運用の関係で客車は今まで通り連結されていたので撮影には何ら支障はありませんでした。この列車ももう40年も前のこと。どうして124レから荷48レになったかは調べる術もありません。