今は東海道線のホーム拡大のためにその跡すらありませんが、40年前は辻堂駅の貨物線には中線が存在しました、既に貨物扱いは終了していたので中線がとけだけの使用頻度があったかは不明です。今は辻堂駅の山側はトレッサモール湘南と言う大型商業施設が出来て明るくなりましたが、当時の山側は工場で夜は薄暗く既に貨物扱いは無かったものの側線の奥にC11がいてコンプレッサーの排気音が聞こえてきそうな良い雰囲気の駅でした。 75,05,22 辻堂 回9106M
30年前の5月は東海道線で189系新製回送を辻堂駅でバルブで撮影しています。
当時、信越線の特急は181系と489系で運転されていました。489系はEF63と協調運転が出来、12両運転が可能たのに対して181系ではEF63とは非協調(横軽区間では力行はせずEF63に力行は任せっきりで客車的存在)のために編成は9両の制約があり編成本数はすくないは両数はすくないはでひっばくする需要に対応出来ませんでした。また181系は151系からの改造車で老朽化も激しくそのため当時、直流特急電車の標準形式になっていた183系に横軽協調対策を施した新形式の189系が信越線に投入される事になりました。その第1陣が川崎重工(または日車)で新製され東海道線を上ってきました。そして何らかの時刻調整で辻堂駅の中線で30分程度停車する時刻設定になっていたのでそれを撮影しに出撃しました。
現在はこの様な新製回送は他社絡みの場合は貨物扱いとして甲種輸送となるのが一般的ですが国鉄時代ではよほどの事がない限り自力回送が原則でした(゛つばさ゛のEC化に伴うキハ181系転配回送は東海道線で気動車のハンドル免許を持っている運転士がほとんどいなかった事、検修体制が構築出来ない、また沿線に給油設備がない等の理由で機関車牽引になったケースもあります)。このため乗務員(とくに運転士)は普段運転操縦しない形式を運転するために極端な事を言えば1回限りの運転でも机上講習と新製車輌なら工場まで出向いて現車訓練を受けて運転をしていました。また面白い事に自力回送を担当する乗務員区は東海道線東京口なら田町電車区、東北線上野口なら下十条電車区といつも同じ区で担当していました。そのため当時、静岡局や高崎局の管理局報を閲覧するために良くお邪魔していた田町電車区の指導担務の運転士の方々は普段は直流電車しか運転しないのに妙に交直流電車の形式別相違点を知っていて感心した事を覚えています。
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