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”国鉄時代 Voil 20”はC62特集 2号ぶち抜き



 いつもお世話になっているネコパブリッシング刊の季刊”国鉄時代”は私にとって今一番、発売日が待ち遠しい鉄道雑誌です。今回は発売日まで待てずにご迷惑は承知の上で編集部まで乗り込んで刷りたての”国鉄時代20号”を受け取ってきました。
 ”国鉄時代20号”は前号の”19号”から続いてC62の特集です。19号が発行された時期に名取編集長がご自身のブログで”2号ぶち抜きで鉄道雑誌で特集が出来るのはC62しかない”と語っている通り趣味的にも、また車両としても日本の鉄道車両頂点に立つ事は誰も疑わないでしょう。
 芸能界で言えば美空ひばりか石原裕次郎みたいな存在です…ちょっと違うかな???(笑)
 20号で特筆される記事としてはC62の49両すべてがヘッドマークを付けて特急列車の先頭に立った事を写真で証明している記事です。編集人でもある山下修司氏が49両ヘッドマーク付写真を集めて掲載にこぎつけた事を盛んに自画自賛されていましたが、それに恥じないくらいのすばらしい記事です。
 かねてよりC62は49両すべてが特急牽引機であったのであろうかという事は現役蒸機を知るものとっては素朴な疑問でもあり、鉄仲間が集まった際に宴席で話題になる事柄でした。C62は全機が特急担当区に所属していた事は以前にどなたから伺ったことがありました。しかし特急と言うその車両の性能いっぱいを要求される仕業にはどうしても調子の良い車両が充当されるのが常です。特にクセが多い蒸機であればなおさらです。ですから49両すべてが特急牽引機(この場合は正規運用で、ヘッドマークを付けていると言う条件)と言うのはあり得ない事ではないかということが先輩諸氏の大勢のご意見でした。それを裏付ける様な事を身近で経験した記憶があるのでご紹介します。国鉄末期、東京機関区時代にEF65P置換用に新製されたEF65PFが車両配置区統合で新鶴見機関区所属になったときに、同じPFが新鶴見機関区に配置されているにもかかわらず経年が浅く、それなりの整備された車両(特に東京-下関間を高速でロングランするのでブレーキシューは専用のものが装着されていました。またMG保護装置も多重化されていました。)が主に充当され、従来から新鶴見機関区に配置されていたEF65PFはブルトレ仕業にはほとんど入る事はありませんでした。ただ専用機と言う程では無いと言うことなので当時、関係者に知人がいたのでPS17搭載のEF65PFをブルトレ仕業に入れて欲しいと何度もお願いしましたが「怖くて入れられない。ブルトレには一番新しいPFを充当しておきたい。」と行って叶いを聞いてくれませんでした(後に車両運用の都合でPS17搭載のPFが何度かブルトレ仕業に入った経緯はありますが、担当者に言わせると、機関車運用の綱渡りなんだけど、それはあたかも自分自身が本当に綱渡りをしているくらいにハラハラ物だったそうです)。この事からも特急仕業=状態の良い機関車と言う図式が出来上がってしまう事がわかります。
 話がだいぶ逸れてしまったのでC62の話に戻しましょう。鉄道車両であれば新製後、初期故障が出尽くした時期がその車両の最高のコンディション状態になりますが、C62の49両が特急牽引担当区に配置されてはいたものの新製された時点で配置区が特急牽引担当区であったとは限ぎらないわけです。実際に尾久や水戸に新製配置されたC62は当時、東北・常磐線には特急の設定はなく東海道・山陽線の華やかなC62に対して非常に地味に存在で”はくつる”・”ゆうづる”が設定された時点ではすでにクセのある機関車が存在し、クセの無いC62が優先的に充当されたと言う事は容易に推測されます。今回はそんな素朴な疑問が解き明かされていて、クセのありそうな(特急牽引の写真をほとんど見たことの無い)C62であっても特急牽引の事実が明るみに出たこと自体、近代鉄道考古学上も貴重な一ページとなったことは間違いないと思います。



 そして、今回私がお手伝いした記事が犬山徹夫氏の「宮原区EF58の輝ける日々」で写真提供をさせていただいています。今回、執筆された犬山徹夫氏(ペンネーム)こそ、私をこの趣味にどっぷりと陥れた(失礼な言い方でもありますが、お許しください。)方であります。そして写真協力した石橋一郎・前田信弘・松井崇各氏こそ75年からEF58末期まで共に線路際で共に撮影をした懐かしい同好諸兄の皆様です。
 記事でも書かれていますが、75年から数年間はEF58にとって終焉前の激動期でもありました。更新改造の嵐が吹き荒れる中、浜松機関区のEF58が全車Hゴム化され被写体として陥落していきます。次に広島機関区のEF58が一体ヒサシ及びPS22化で撮影対処から外れていきました。そんな中、宮原機関区ははEF58での最大配置区であるために機関車の稼働率はけして高くなく、そのおかげでHゴム化される全般検査及び要部検査が期限ぎりぎりとなるためにHゴム化をはじめとする更新工事の進展が遅く、われわれにとっては”おいしいゴハチ”の砦となっていました。
 また、宮原機関区の担当する列車も東京地区では撮影に適した列車が多かったのも魅力でした。本文にも書かれていますが104レ”銀河”やEF58重連の荷35レ等がありました。また今回の記事ではあえて荷物列車は写真のみになっていますが晩年に荷2033レが設定され根府川を14時過ぎという冬の陽の短い時期でも撮影出来る列車も宮原機関区担当で、日曜の午後に機関車の号機も調べずにふらりと撮影に行ったものでした。
 ところで記事の中でP106~107に見開きで掲載されている前田信弘氏撮影の近江長岡-柏原間を行くEF58138号機の写真には私に限らず思わず唸ってしまう方も多いと思います。35ミリフイルムカメラでありながら大判のカメラでの撮影かと疑ってしまう、ピンの良さと伊吹山のぼけ具合。更にはプラスXの自宅での現像処理の巧みの技には息を呑むものがあります。氏はけして名の知られている方ではありませんが、実力は30年前から現在まで知る人ぞ知る腕の方です。いずれにせよ、この写真は終盤期を迎え様としていたEF58の写真として後世に残る秀作と確信しています。

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