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【訃報】恒松(旧姓大日方)孝仁さんがお亡くなりになりました。


 在りし日の恒松(旧姓大日方)孝仁氏です。氏とは複数回お逢いしてお話させていただく機会がありましたがまさか、こんなとこになると思わず記念写真などは撮影していませんでした。今回は神奈川県のローカルニュースを配信するタウンニュースから画像を勝手にお借りしてきました。 

 国鉄の大先輩であり、また私の所属している国鉄労働組合の仲間であった大日方孝仁氏(今は恒松孝仁氏と改名されているそうですが、ご本人のご意向により旧名を使わせてもらいます)が不慮の事故でお亡くなりになりました。61歳の早すぎる死でした。概要は下記の通りです。

 23日午前4時5分ごろ、山口県宇部市小野の中国自動車道下り線で、走行車線に停車していた乗用車に大型トラックが衝突した。乗用車を運転していた自営業大日方孝仁さん(61)=埼玉県所沢市=が死亡。乗用車の近くに立っていた別の大型トラックの運転手日吉幹憲さん(60)=福岡県久留米市=もはねられ死亡した。   西日本新聞 2016年10月23日10時58分 (更新 10月23日 23時06分)

 大日方孝仁氏は中学卒業と同時に国鉄に入社し長野工場を経て木曽福島機関区の機関助士としてD51の乗務をされた経験をお持ちで、その後ELの機関士等を経験したのちに国鉄解体・新会社設立の嵐の中で国労国賊論が吹き荒れて大日方孝仁氏も本意ではない形で国鉄を去ることになってしまいました。その後、建設業等で生計を立てながら、大好きだった蒸気機関車に思いを馳せて川場村でボロボロになっていたD51561号機と出会い、こともあろうかこの蒸気機関車を蒸気ではなく圧縮エアーで動かそうという奇想天外な発想を現実のものとした第一人者です。
 その後、真岡鉄道に保存している49671号機を、また最近ではつい10日前に山北のD5270号機をエアーで奇跡の復活を成し遂げたのも大日方孝仁氏が中心となっていました。余談ながら山北のD5270号機の保存維持活動をされていた鉄道公園保存会の会長を務めている関亀夫氏も元国鉄職員で国労に所属していました。また関亀夫氏は大石和太郎氏と共に東海道新幹線上り1番列車のハンドルを握った方でもあります。


 このカットは2度目に川場村に伺った時のものです。なんたってアケ番で次の日が日勤なのに無謀にも上越新幹線に飛び乗って、高崎から在来で渋川駅で夜間軌行様に拾ってもらって撮影し、帰りは東武線のどこかの駅まで送ってもらってクタクタで帰宅した記憶が鮮明に残っています。    13,04,13 田園プラザ川場 D51561号機 19:01頃  Canon EOS7D

 さて、話を戻すと大日方孝仁氏とは初めて川場村のD51を訪ねた12年4月に初めてお逢いする事が出来ました。最初はエアーデコイチがとんな仕組みで動くのか、どんな問題点がありそれをどうやって克服したかを伺っているうちにひょんな事から大日向氏が国鉄職員だったこと、また国鉄労働組合員で私と同様、国鉄末期に当局から今で言うバッシングに遭い、それでも歯を食いしばって頑張った言わば戦友であることを知り、意気投合して止めどもない話を延々と届けた記憶があります。
 その後は一度だけ川場村を訪ねた事があり私を覚えてくれていて親しく話しかけてくれた思い出があります。正直、同じ国労でも路線は少し違う道を歩かれた方であったものの氏は律儀な方で年始の賀状も必ずいただいていただけに今回の訃報は本当にショックの言葉しか見当たりません。今月14日には大日向さん曰く”今まで手掛けてきた中での特上品”と称した山北のD5270号機が正式にお披露目され山北という田舎町が大いに注目されたのがせめてもの救いです。
 鉄道を題材に地方活性化させると言う目的ではいすみ鉄道の社長と同じ路線を歩んで来たのではとかねてから思っておりました。本当に蒸気機関車を営業線で走らせると100億円近くの経費が掛かり財政難の地方自治体には重く負担となりますが、エアー蒸気機関車であれば営業線には走れませんが動く蒸気機関車をきわめて安価で見る事が出来、死に体の生態保存の蒸気機関車の活性する一つの方法として注目され始めている時だけに大日方孝仁氏の死は極めて残念です。
 また嫌な話にもなりますが、この世はとかく学歴偏重社会です。社会は学歴で人を判断するという悪しき風潮がありますが大日方孝仁氏は学歴は義務教育だけにも関わらず、その卓越した発想力とそれを現実のものとする行動力から圧縮したエアーでシリンダーを動かすという発想を現実のものとして何両もの蒸機のロッドを動かす事に成功し、地域活性化及び社会貢献に尽くしたと言う姿は本当に素晴らしい事と常々思っていました。大日方孝仁氏をのご活躍の情報を触れる度に学歴で人の価値を判断材料にはならない典型的な例とうれしく、また感心していました。
 しかし、人の命って儚く、その運命は突然やって来るんですねぇ!やはり、その時々を一生懸命、自分に正直に生きることが大切とこの歳になって思った次第です。
 最後に謹んで大日方孝仁氏に対してご冥福をお祈りいたします。ありがとうございました。

http://white.ap.teacup.com/applet/dt200a/msgsearch?0str=%82%A0&skey=%90%EC%8F%EA%91%BA&inside=1&x=20&y=11

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コメント一覧

DT200A@CF-Y8
C57135様
 忙しそうにしてしっかり弊ブログにご投稿頂き感謝致します。

 大日向氏でなければわからない部分も多数あろうに、これからのエアー蒸気機関車の行く末が案じられます。
C57135
悲しすぎます。失ったものが多すぎて…。
DT200A@SH-11C
ひだ号君
彼女が出来たのに上手く行かず逢う事もなくなり、よっぽど暇な時のコメント、ありがとうございますm(__)m

 大日向氏は訃報は静態保存されている蒸気機関車の活性化に新たな息吹きを吹き込ませる流れを作り始めようとしている矢先の出来事でその損失は計り知れないものがあります。本当に残念です。
ひだ号
山北町のD52復活祭10/14、翌日の15日も運転や多くの来場者と気さくに話しをされていたときの素敵な笑顔が忘れられません。
国鉄を本当に愛していた恒松孝仁さんの御冥福をお祈りいたしますm(_ _)m
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