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ネット情報などない時代、情報はもっはら線路際での鉄ちゃん生情報だけでした。この日、沿線では122レはEF571号機けん引と言う話だったので期待して待っている情報通り1号機がやって来ました。 76,08,06 122レ EF571号機
高校生最後の夏休み。バイトで稼いだ小遣いはあるし夏休みで時間は豊富にあるし、さらに局報で臨時列車の情報を取得する術を知ってしまうと、おまずと天気が良ければ毎日のように鉄ちゃんをはていました。
この頃、東海道線はまだまだEF58は主力機関車で東北線ではEF57がその数を減らしながらも奮闘していた時代でした。当然、撮影の被写体には事欠かず入れ食い状態で自分の体がいくつあっても足りないと実感する事も多々ありました
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この頃になると特急はEF65、それ以外はEF58またはEF57と言う不文律が崩れ始めていました。その原因はEF57廃車に伴う機関車減によるものだと推測されます。この列車も上り臨時特急をけん引したPFが旧型客車の臨時急行をけん引しました。 76,08,06 赤羽 8403レ EF651049号機
その中でよく通ったのが赤羽駅界隈でした。特に赤羽駅から浦和方に徒歩10分程度歩いた場所にある踏切に足しげく良く通いました。昔、赤羽駅が貨物扱いした当時のヤード跡がありその踏切からご乱入するといろいろなアングルで撮影出来、光線の良い午後は約束もしていないのにクラスメイトがいつも数人、集まる場所でもありました。しかし、鉄道公安官も良く巡回に来る踏切で何度もトラブルに遇いましたが凝りもせず通った記憶があります。
この場所も東北新幹線建設、さらには赤羽駅完全高架化でその面影はすっかり消え失せてしまいましたがたまに東北線に乗るとあの懐かしい踏切あたりを凝視していまう自分がありました。
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赤羽界隈では待っていれば何かが来る!と言う時代でした。アテもなくホーム端でカメラを構えていると大幅に遅れた”あけぼの”がやって来ました。機関車次位はパンを撤去したカニ22です。 76,08,06 赤羽 遅1002レ(8404レのスジ)