DT200Aの庫 (goo-blg)

30年前の2月 当たり前だった私鉄の日常風景 No1


 宅地開発がすすめられてはいましたがまだまだ田園風景も至るとるところに残っている時代でした。    85,02,02 総武流山電鉄 鰭ヶ崎 

 30年前だとまだまだ中小私鉄に歴史を感じる魅力のある車両(一般人から言えばポンコツ電車という感じでしょうか?)が走っていた時代でした。目立たないものの流山電鉄は電車の骨とう品市みたいな線区で以前から気になっていたので常磐線EF80の撮影の合間に乗りに行った事もありました。EF80の撮影の合間だったので短い時間だったと記憶していますが、印象深いのは撮影のために景色のよい駅で下車した撮影地での記憶です。付近は宅地造成中でほこりっぽかった事がすごく強い印象に残っています。この撮影が総武流山電鉄撮影の最初で最後の撮影となっています(また撮影する機会はあるかもしれませんが・・・)。
 一方、同じ常磐線から伸びていたのが国鉄とともに去った筑波鉄道です。この私鉄も歴史ある車両が多く在籍していました。遠地では別府鉄道では現役だったもののあまりにも遠くなかなか訪れる事は出来なかったのですが筑波鉄道にもパケットカーが在籍していました。しかし時すでに遅くはじめてえとずれた際には土浦の次の駅(信号所)にあった真壁機関区にで朽ち落ちていて動いている姿は見れませんでした。
 幸いにも85年ころだと免許を取得して自動車も所有していたので時間は掛ったものの現地でのアクセスは恵まれて、水戸線のEF80の撮影と兼ねて何度か訪れた記憶があります。


 一過性とは言えローカル鉄道ブームとともに土浦周辺の渋滞が問題化している現代からみると筑波鉄道の廃止は早すぎたとして言い様がありません。今だったら存続意義が確立できたかもしれません。    85,02,23 筑波鉄道雨引

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