DT200Aの庫 (goo-blg)

20年前の5月

 10年前の5月はC11牽引のロケ列車を撮っていましたが20年前の5月は何を撮っていたのか気になり、当時のネガを調べてみました。
 20年前だと復活C62も活発に運転されている時代でした。また、北海道の池北線(ふるさと銀河線として継承後06年に廃止)もまだ廃止されずにいました。本州に目をやればまだまだED75の全盛期で東北線の沿線にいれば好きなだけED75が撮れた時代です。また奥羽線が改軌工事前で5月ともなればEF71牽引の”あけぼの”を撮るために夜明け前の庭坂に通ったことを思い出します。昨今「朝錬(練)」と称して高崎線の”能登”や”あけぼの”・”北陸”を撮りに早朝の熊谷や岡部-本庄あるいは神保原を目指しますが、振り返れば20年前から”似たような行為を繰り返した居たのだなぁ!と20年たっても変わらない自分の行動に苦笑いしてしまいます。


 深夜に現地に到着すると撮影地に既に1台の車が停まっているがわかります。暗くて良くは見えませんが車の横には既に三脚もあります。”なんだぁ!先をこされたかぁ!”悔しい思いの中で仮眠をとりました。そして4時を過ぎたあたりから周囲が明るくなり出したので車を確認すると、その車は豊田机務段様の愛車でした。”なんだぁ!身内だったのネ!”と挨拶を交わし雑談をしていると障害物のない地平線から太陽が昇って来ました。今日はベストコンディションの様です。そして約20分。鳥のさえずりしか聞こえなかった静かだった山々に低音が鳴り響きます。程なくして軽やかなジョイント音と共にEF71重連がエスコートする”あけぼの”が姿を現しました。太陽に反射して1両・1両ギラっと輝きます。撮った瞬間の満足は生涯忘れられないものでした。写真には良く見えませんが機関士は太陽の方向を向いて拝んでいました。私たちに代わって機関士が”良い写真撮れよぉ!”と「パン!パン!」をやってくれていました。 89,05,16 庭坂 1004レ


 1004レを撮ってすぐ撤収すると痛い目にあいます、なぜなら1004レ通過後30分すると絶妙な光線で下り貨物列車がやってくるからです。以前にも書いたことがありますが、この撮影地で早朝に12系6両の臨回客を寝ていた車の中で見送った苦い経験があります。それだけにこの撮影地には思い入れがあります。 89,05,16 庭坂 5497レ

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