太陽が登り始めた瞬間に蒸機客レがやってきました。実はこの列車は法庫入線で煙は出ないはずなのですが、上下同時進入でカメラを向けていた下り列車側が機外停止になったので再起動したために煙が出ている訳で、非常にラッキーでした。 01,12,09法庫 403次
00年頃に中国の蒸機撮影で何度かガイドをお願いした事のある瀋陽の康さんより瀋陽の郊外に人知れず蒸機が数多く残って活躍している場所があるが行ってみないか?とお誘いを受けました。瀋陽と言えば95年にも一度訪れていていろいろ楽しい想い出の残る地で懐かしさもあり、そのお誘いに乗る事にしました。それが後に(今でも)メジャー化する鉄法鉄媒鉄路でした。
今でも蒸機さえ入ればこの写真は撮影出来ます。ただ編成が短くなってしまったかもしれません。 01,12,11 第一鉱 106次
初めての鉄法のメンバーは豊田机務段様・蒙A様・田端の師匠様それに総書記閣下に湘南チサく區と私の6人でした。飛行機は当時も大連経由で瀋陽まで全日空が飛んでいましたが関西空港発で羽田から一旦、関西空港へ向かった記憶があります。
とにかくほとんど予備知識がなく康さんの言いなりのツアーでした。今思えば法庫のこ汚いホテルで宿泊し光源のない法庫でバルブ撮影をしたり、メインの撮影地を知らず絶気となる区間で一日待ったりと今思えばいささか不満の残るツアーでしたが、まだ集通鉄路もバンバン走っている時代で鉄法の事は知られてはいましたが、見向きもされず現地の状況が知られていなかった頃でしたので致し方なかったのかもしれません。逆に知らないが故にまだ当時はDLも国鉄からの直通貨物だけでほとんどが蒸機運転され、夜の調兵山站で頭を揃えて水銀灯に浮かび上がた複数の蒸機牽引の客レに感動したり、大青机務段でSYが入区すると、違うSYが出区する活気ある姿にきっと蒸機時代の稲沢や吹田がこんな雰囲気だっただろうと興奮したのも、予備知識がなかったと言う怪我の功名だと思います。
この頃は貨物列車もほとんどSYで何時、どちらから列車が来るかわからず、ただひたすら待つのみてした。気がつくと登り客レが停留所に近づいていました。 01,12,10 青花嶺停留所 406次
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