DT200Aの庫 (goo-blg)

社員旅行で奈良・京都へ…そして大阪へ 18日編


 京都から阪堺電車へはもっと近いと思ったのですが、結構時間がかかりました。お目当ての161型は撮影こそ出来ませんでしたが乗車出来、さらにはラッシュ時には3両フル稼働すると言うことがわかっただけでも収穫でした。   10,11,18 阪堺電車神ノ木 502  Canon EOS7D

 さて翌日の18日は一日自由行動の流れ解散と言う事で、天気が悪かったら梅小路蒸気機関車館を見て、午前中に新幹線に乗って帰ろうと思っていたのですが、幸か不幸か18日の関西は天気が良いとの予報が出ていました。ひと昔ならPFでも良いからと九州ブルトレを撮影したのですが、今は大阪発着のブルトレ゛日本海゛と゛トワイライトエクスプレス゛のみ。この2本は大阪着が遅いので効率が悪く諦めて、阪堺電車と以前から狙っていた尼崎の住友金属のナローを撮りに行く事にしました。
 前夜は22時まで呑んだらしく(…記憶にありません。ただし深酒ではなく夜勤明けの疲れのためです。)その上に不覚にもラーメンをやったらしく(…これも全く記憶にありませんが、デジカメに背油こってりのラーメン画像が残っているので、食べたのは間違いないようです。)、夜中に胃がもたれて起きてしまいました。こりぁ二日酔いかな?鉄できるのかな?と思っていたのですが6時の目覚ましで起きると意外と快調でした。
 簡単に熱いシャワーを浴びて、ホテルの朝食を済ますと(…と言ってもほとんど食べれず)そそくさと宿泊した新都ホテルを後にしました。
 首都圏ほどの混雑はないにせよ、やはり7時を過ぎた京都駅はラッシュが始まっていました。列車線下りホーム(今は外線下りホームとでも言うのでしょうか?)に降りるとちょうど゛びわこライナー゛と゛スーパーはくと1号゛が停車していました。
 ゛びわこライナー゛はホームライナーだと思い、乗車しようとしたら特急と言う事がわかり、躊躇しているとドアが閉まってしまいました。振り返るとホームの反対側に゛スーパーはくと1号゛が停車していました。車内を伺うと、運転台後のかぶり付きシートが空いているを見つけると、引き寄せられる様に社内に入ってしまいました。
 乗車率が上がらず、なかなか苦戦していると聞いている゛スーパーはくと゛ですがこの列車に限って言えば自由席はなかなかの混雑でかなり健闘しているじゃん!と思っていましたが、その自由席の大半の旅客が大阪駅で下車してしまい、この列車が京都ー大阪間はホームライナー的存在である事が伺い知れます。゛スーパーはくと゛はガラガラになって大阪駅を発車して行きました。
 大阪駅では環状線に乗り換えて新今宮に向かうのですが、せっかく関西に来たのだからJR西日本が厳しい財政状況の中でも好意で動態保存していただいている103系に乗ろうと外回り・内回りを問わず何本かやり過ごしてみたものの来るのは221系と201系のみ。まぁ、201系も首都圏では京葉線でわずかに走っているだけでオレンジの201系は関西しか乗れませんので201系で我慢して乗車する事にしました。乗車してからもすれ違う環状線はほとんどが201系ばかりで、103系も来ないわけではないものの、大勢は201系に置き換わっていました。私はいまだに103系天国と言う認識でしたがさすがに大阪環状線もやはり動態保存とは言え103系は激減し、かなりの201系が東海道緩行線から転入して来ているようでした。まぁ、C57135様によれば、阪和線は今でも103系が主役の座を譲ってはいないとの事なので103系の動態保存線区は阪和線になるみたいです。


 一周してやっと撮影出来た(…とは言ってもコンデジでですが)103系です。やはり動態保存と言っても低運転台は残っていないんですよねぇ…車号の履歴を確認していないので何とも言えませんが、たぶん山の手線ATC化の際に関西地区に転出したTcの1両ではないでしょうか?  10,11,18  天王寺駅  Canon Power Shot A1000IS

 大阪の地理に乏しい私ですのですが、天王寺で阪堺電車に乗り換るより、新今宮で乗り換えた方が駅がこじんまりしている分、歩く距離も短いと思ったのが運の尽で、阪堺電車の一日券を購入して、何駅か歩いてみると阪堺電車に沿った地帯が俗に言う日雇い労働者が生活するドヤ街だと言う事に気がつきました。周囲の人から私に対して異様な鋭い眼が注がれ、必要に私の行動を追っているのがわかります。ほぼ全裸状態のオヤジがリヤカーを引いていたり、朝からビール片手に酩酊状態の浅黒いオヤジが大声をあげたりしている光景が見受けられます(朝から酩酊状態は他人を指摘出来る立場ではありませんが…笑)。さらに一泊800円のホテルとか、「居住者以外は部屋に立ち入る事を禁ずる。」と書かれた貼り紙があるマンション(友達が来ても遊べないし、泊められないのでは?)や朝5時から営業している銭湯とか、明らかに他の街とは違う光景に自ずと緊張感(女性や子供だったら恐怖かも?)を感じてしまいます。
 天気は終日晴予報でしたが、なかなか雲がとれず、しばらくは新今宮周辺で様子を伺っていましたが、まだ雲が切れそうも無いので阪堺電車に乗る事にしました。結局は我孫子道の一つ先の大和川まで乗車してから折り返す事にします。折り返しも新今宮まで戻るのは芸がないので帰りは撮影しながら天王寺に戻る事にしました。
 天王寺に戻る途中、太陽がきれいに当たっていた神ノ木駅で降り、カメラを構えていると都電塗装の502号がやって来ました。降りた時には気がつきませんでしたが、神ノ木駅のホームには「関西団臨軍団」のステッカーを三脚に付けた鉄ちゃんもいました。かつては関東鉄ちゃんとの間でいくつものトラブルがあり、険悪ムードだった「関西団臨軍団」ですが、もうそれもふた昔の話の事。今は蟠りもなく「関西団臨軍団」のステッカーはその鉄ちゃんのキャリアの長さを物語っている様に見え思わず懐かしい人に出逢った様に話しかけ一昔前の鉄ちゃん話に盛り上がっていました。
 天気は太陽が見え出したのは9時前で、そうかと言って快晴になるかと言うと、どこからともなく雲がやって来てしばらく太陽の恵みを遮るなかなか撮影者泣かせの天気でした。天気も事の他、回復しないので阪堺電車撮影は9時過ぎで切り上げ、次は尼崎へ向かう事にします。
 今夏に名取レールマガジン編集長のブログ(編集長敬白)で取り上げられて以来、気にはなっていたものの経費的にも恵まれているにも関わらず訪れる機会がなかった住友金属工業㈱鋼管カンパニー特殊管事業所のナローゲージです。具体的な場所は阪神・尼崎駅から徒歩圏内との事。まずは阪堺電車神ノ木駅からナビの経路に従って神ノ木ー(阪堺電車)ー天王寺ー(環状線)ー西九条ー(阪神電車)ー阪神尼崎のルートで阪神・尼崎へ向かいます。


 工場内を縦横無尽に走るナローですが、県道57号線の踏切を渡る時が我々が撮影出来る唯一のチャンスです。しかし時刻が決まっているわけでもないので、まるで中国の蒸機撮影の様にひたすら忍耐の”待ち”です。次回は尼崎→阪堺電車の順で訪れたいと思っています。   10,11,18 住友金属工業㈱鋼管カンパニー特殊管事業所  Canon EOS7D

 編集長によればかつては全国にいくつも存在した工業ナローも今はここだけとなってしまったそうです。私自身、国鉄本線ガマ命だった時代が長くナローなんて見向きもしなかったのですが、歳とともに本物を見る眼が出来てきたとでも言うのでしょうか、最近は本線よりこの手の物に異常に興奮を憶えます。 余談ながら、最近知ったのですが現在20歳代の私の知人は少年の頃に担任の先生が結婚のために整理した鉄道ファン誌を譲り受け、その中で「古典ロコ・軽便・田舎電車、そして」特集号をすり切れるほど読んだと言う人がいます。わたしなんて小学生の頃は鉄道雑誌では井鉄道笠鉄道の廃止や下津井電鉄の縮小のニュースよりもEF58のブルトレの記事に夢中でした。幼少の頃から眼の付け所が違うと大人になっての趣味感の深さの違いとなるのでしょうか…笑
 阪堺・尼崎駅を降りると、ここからは訪れた事のない未知の領域です。事前にC57135様にレクチャーしていただいたメールの内容とプリントアウトしてきた地図を照らし合わせて阪神尼崎駅からナローゲージがある住友金属工業㈱鋼管カンパニー特殊管事業所へ歩く事にします。駅の近くだと言うのにろくな商店街もなく、殺風景なところは同じ工業地帯の新子安駅東側に似ています。国道3号線を渡ると完全な工業地帯で、程なくしてそれとわかる場所に出ました。そこは住友金属工業㈱鋼管カンパニー特殊管事業所で同工場の西工場と東工場とが県道57号線で分断され、その工場間とを資材運搬のために結ぶナローゲージが撮影目的です。基本的には工場内の資材輸送が主ですが時折工場間の資材輸送があり、それを踏切から撮るのが私たちが撮影出来る唯一の機会になります。
 工場の中を公道からうかがうと、小さなDLが何両も動いているのがわかります。工場内には縦横無尽に線路が敷かれている様です。その線路を右に左にそしてどんな線路配置になっているのか、手前に来たら、バックしてみたり…もお、それを見ただけでワクワクと興奮してきてしまいます。
 まずは、はやる気持ちを抑えてロケハンをしなくてはなりません。幸いと言うと語弊がありますが、一旦快晴になった空には再び黒い雲が覆ってきました。撮影には適していない条件となってしまったので、C57135様にレクチャーしていただいた東工場の工場裏を見渡せる橋まで行ってみる事にしました。
 付近は工場地帯の裏道ですので全く人気がありません。昼間だから良いものの、夜間だったら人の気配を感じたらそれは即恐怖になる事間違いありません。自分が何かトラブルに巻き込まれても数日は発見されないような場所です。そんなところですから食堂はおろか、飲料水の自販機さえもありません。たまたまお茶のペットボトルを持っていたから水分補給はできましたが、昼食は駅近くまで戻らなければならず、必然的に撮影終了まで昼飯はお預け状態になってしまいました。北風に背を向けて空腹に耐え、いつ来るかわからない列車を待っていると集通鉄路公司の上店の撮影を思い出します。
 一通りロケハンをして、とりあえず一番撮影チャンスの多い県道57号線の踏切まで戻って撮影をする事にします。まずは怪しまれないように工場の守衛さんに身分を明かし来意を告げます。通常の私有地の撮影であれば撮影の許可だけで充分ですが、工場内にカメラを向けるという行為はたとえ公道からであっても身分を明かしたほうが常識であるし懸命です。さらに求められれば身分証明書の提示をしたほうが、後々間違いはありません。今回はとても親切な守衛さんで、いつもの運転本数や運行時間帯。更には工場の特性などを教えていただき、それが撮影にも大変参考になりました。
 結局、正門前(向島東門)には11:30頃~15:20頃までいましたが、西行が1本。東行が3本撮影する事が出来ました。親切な守衛さんは”いつもならもっと本数が多い間に…”と自分の様に残念がってくれていました。
 

 運転本数は9~17時が断トツに多いものの、工場自体は24時間操業体制なので光線の良い朝でも運さえ良ければ撮影が出来ます。  10,11,18 住友金属工業㈱鋼管カンパニー特殊管事業所  Canon EOS7D

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コメント一覧

DT200A@CF-Y7
つばめ鮨の常連様
ご投稿、ありがとうございます。

 我々にとって大阪は”近くて遠い場所”ですので、思い切って二箇所廻ってみました。
つばめ鮨[[EE:AEAB8]][[EE:AEAAE]]の常連
やっぱり、社員旅行二日目は、自由行動時間で、しっかり、鉄ちゃん、してますね! EF62の荷物列車でも、あれば、良かったですね! Jトレインの封印された あの日、あの時 拝読しました。 東海道・山陽本線でワルツを奏でたEF62 とは、粋な、タイトルを着けましたね! 思わず、山田君、座布団一枚と、叫びそうでした。
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