
初代FORESTERの最終鉄ちゃん運用は15日の小湊鉄道でした。ガソリンが残っていたので多少天気が悪くても出撃するつもりでしたが、天気に恵まれて有終の美を飾る事が出来た気がします。 13,04,15 小湊鉄道里見駅前 07:12頃 スマホ T02D
いよいよ明日、初代FORESTERが廃車のために自走回送されます。今の正直な思いは新車である二代目FORESTERへの期待と初代FORESTERへの愛着からの寂しさが交錯していのます。現役蒸機最終日乗務のベテラン機関士の思いもこんな気持ちだったのではないでしょうか?
やはり10年間、19万キロを共にした愛着は格別なものがあります。日頃、不平不満を言い続ける我が家の同居人に比べ、不一言も文句も言わず走り続けた初代FORESTERに愛着が湧くのは当たり前かもしれません。

最近発生する不思議な現象なのですが、まだ燃料はあるものの燃料計の針が急に下がり、燃料警告灯が点灯することがあります。冬場には現象は出ないのですが暖かくなると現象がでます。気にしないで走っているとそのうちに正常にもどります。どうゆう理屈なんだか・・・? 13,04,15 スマホ T02D
この初代FORSTERとの想い出は夜勤アケに思い立って海峡線に”はまなす”を撮りに向かった事や北陸線で余命僅かな485系”雷鳥”を撮りに行った事、東日本大震災直後の磐越西線燃料輸送を撮影するために自宅と現地何度も往復した事などいろいろありますが、やはり○ヨして夜が明けていくと素晴らしい朝を迎える事が出来た岩泉線岩手和井内駅の感動も忘れられません(確か湘南チサ區様と同行だった様な・・・)。慣れもありますが○ヨが苦痛でない車内環境なのはありがたく感じていました。

4月1日に小湊鉄道へ撮影に出撃した帰り道に19万キロを突破しました。20万キロ走行には叶いませんでしたが、19万キロは走りぬく事が出来ました。二代目FORESTERは是非とも20万キロ突破を願いたいものです。 13,04,01 スマホ T02D
このFORESTERは悪路での粘り強い走行には何度も助けられました。06年01月に関東地方を襲った降雪では、人間が滑って歩けない路面をいとも簡単に登っていくのには驚いてしまいました。また、キハ52を追いかけて冬の大糸線に出撃した際も無理かな?と言う路面でもしっかり食いついて登って行くのには感動さえ憶えました。更にぬかるんだ路面でも良く走りましたが、一度だけ謎さんと同行している際にいすみ鉄道でスタックしてしまい、たまたま近くにいた猟友会の人に救援してもらった事がありました(実はその一週間後にほぼ同じ場所でスタックしそうになり、この時は何とか自助努力で脱出する事が出来ました)。

翌年の12年春に駆動系の致命傷のために廃車となったスイッチャーと共に初代FORESTER 11,10,26 日本製紙富士工場専用線記念撮影 10:15頃 Canon EOS7D
さすがに19万キロを走った自家用車は国内では走る事はないでしょうが、スクラップにされずに大きな船に積み込まれてロシアとか東アジアへ輸出されて現地の人にとことん乗り潰されるのではないかと思っています。そうであれば、荷物列車末期に下関(転)に集められ必要最低限の整備しか受けずボロボロの状態でやっとのさっとこ走っていたゴハチみたいなあんなコンディションにはしたくないと廃車寸前まで出来る限りの整備を保っていた甲斐もあったと言うものだと思います。

FORESTER本体はアタリでしたが、カーナビは新車のときからトラブル続きでした。全く違う所を走っていると表示したり、バック状態(矢印がバックする表示)で走ってみたり珍現象の続出でした。究極は湘南チサ區様と四日市からの帰り道に実際は新東名を走っているのに、ナビは何故か従来の東名を、更には二区間先を走っている様に表示されたときには笑うしかなかった事がありました。この表示でもアクアラインから外れて海の中を徘徊している事になります・・・最初はアンテナを新しい物と交換したりしましたがある程度いろいろ手を尽くした後は諦めてしまいました。 12,12,** (助手席から手を伸ばして撮影)