まだ時期が早かったからでしょうか?水を張った田んぼもあれば、まだ田起ししただけの田んぼとがありました。この日は運用告知されていたからでしょうか?早朝から多くの鉄ちゃんがいらっしゃってました。 13,04,29 ひたちなか海浜鉄道 中根-金上 105レ 06:12頃 Canon EOS7D
大型連休(ゴールデンウィーク)は後半に連休を申し込んでいる関係上、前半は会社側が提示した通りに勤務に就きました・・・とは言え、土日に相当する休みがあるわけで、それが4月29日にやって来ました。
29日は天気も良さそうなので何処へ撮影に行こうか二、三日前からいろいろ悩んでいました。やはり小湊鉄道・いすみ鉄道も季節的にも大変に良い時期なのですが、タダでさえ千葉の道路が混む時期なのに加えて今年は圏央道の延伸開通の影響もあり、例年になく混雑し土日のアクアラインは夕方になると全線渋滞となり、空いていれば20分くらいで通過出来る区間が2時間以上掛かる(1キロに1時間が掛かるとも言われていました)と言う混雑を呈しています。その渋滞も夜になっても渋滞は解消されず、日付が変わることにやっと順調になると言う悲惨な状況のようです。さすがに私も、この渋滞ではノコノコと千葉へ撮影に行く気にはなれず、他の被写体がないかと探すことにしました。ネットでいろいろ調べてみるとひたちなか海浜鉄道で旧型気動車2005号が動くと同社のHPに告知されていました。国鉄気動車標準色の205号は何度か撮影した記憶がありますが国鉄急行色の2005号は撮影した記憶がなく、良い機会ですのでひたちなか臨海鉄道へ行くことにしました。
実は新車搬入された二代目FORESTERで鉄ちゃんに出撃するのは、29日がはじめてでした。実は二代目FORESTERが我が家にやってきてから私が休み毎に天気が悪く、10日以上経っても10キロ程度しか運転していませんでした。そのため、二代目FORESTERの売りであるアイサイト(Eyesight)での高速運転も29日がはじめてでした。
29日は2時過ぎに起床し、余裕を持って出発します。大型連休と言うこともあって首都高では大型トラックの姿も少なく、非常に走りやすく1時間で常磐道へ入ることが出来ました。大洗ICを5時前に降りて那珂湊駅ー向かいます。駅では運用告知通り2005号が運用に入って入るのを確認して撮影に入りました。
そして撮影をしていると小湊鉄道で撮影している美抑解様より”ネットを見ていたら東武鉄道日光線で8000系8111F(旧塗装)と1800系が動くヨぉ!”とありがたい情報を電話してきてくれました。一昔前なら水戸から鹿沼への移動は3時間以上は掛かりましたが、今は北関東自動車道開通のおかげで1時間強で移動出来るので移動自体は負担になららないので、思い切って57型を追っ掛けた時代に通った懐かしい板荷へ向かうことにしました。
懐かしい板荷周辺は57型時代と変わらない様に見えますが、高圧鉄塔が出来たりして撮りづらくなっていたのは事実です。 13,04,29 東武鉄道 下小代-板荷 8111F 5054デ 14:37頃 Canon EOS7D
水戸南ICから北関東自動車道に入って走っていると磐越西線のばんえつ物語のC57180号機が故障してDE10牽引で運転されると言う情報が入りました。東武を捨てて磐西へ転戦したいと言う衝動に駆られましたが、一人での運転では翌日の体力的に自信がなく(翌日の勤務に支障が出ると言う事)、また磐西まで移動したとしても上り列車には間に合わず、思案の末に予定通り東武へ撮影行く事にしました。
東北道鹿沼ICを12時過ぎに通過し懐かしい鹿沼市内に入りましたが、まだ時間が早すぎますのでゆっくり昼食を済ませて時間を調整した後、北鹿沼駅周辺から東武線の線路沿いの道に入りました。北鹿沼駅周辺から下小代あたりまでは57型現役時代は何十回、あるいは何百回と行き来した地でロケハンをすると言うより、懐かしさで撮影地を走り回ってしまいましたが、かつての有名撮影地(今でも有名撮影地なのかもしれませんが・・・)には鉄ちゃんの姿があり、8111Fや1800系の人気が高いのか、あるいは撮るものがないのかははわかりませんが、57型末期の様相を呈していた事は間違いないようでした。
一時は雲が多くなってきたものの、14時前から朝と同様に青空が広がり、懐かしい撮影地で8000系旧塗装と1800系原色を納得の行く撮影が出来ました。早く撮影を切り上げて帰れば東北道の渋滞も避けれたのですが、記憶に残る撮影地毎に懐かしい風景に接し、天候の良さもあいまってスペーシアやまさかここで撮るとは思わなかった253系を日没寸前まで撮影し、板荷を後にすることにしました。
予定よりだいぶ遅くなってしまったので東北道は加須ICを先頭に40キロ以上の渋滞になってしまいましたが、この渋滞も57型時代から慣れっこで、悩む事なく国道293号(旧例幣使街道)栃木市街地を迂回して藤岡経由で久喜ICと言う当時から良く使った抜け道を走りました。ちなみに57型を追いかけていた当時は今と違って高速道路の割引等一切無く、そのため経費削減のために往復とも久喜以北は一般道で往復するのが常でした。
鹿沼から栃木を経由して久喜への一般道は20年前と変わらぬところもあれば、景色が一変したところもあり時の移り変わりを実感していました。特に栃木市街から藤岡までの県道11号線が栃木から国道50号まで素晴らしく整備され片側2車線になっていたこと、新古河付近で国道354号線が渡良瀬遊水地を渡るのに左折だったのが新三国橋が出来て右折するのにはビックリしました。
古河から4号-125号経由で久喜ICに出て東北道に入りましたが、東北道は交通量は多いものの渋滞する事なく、首都高も順調で自宅には22時前に帰宅する事が出来ましたが、早朝のひたちなか海浜鉄道と懐かしい東武鉄道板荷付近と充実した撮影出来た一日でした。
東武板荷の築堤でJRの車両を撮る(撮れる)なんて57型を追いかけた時代には考えもしなかったことです。 13,04,29 東武鉄道 下小代-板荷 1058M 16:55頃 Canon EOS7D
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