たまにはこういうのもいいかな。
せっかく、エッセイコンテストのために分けたカテゴリー。
増えないのは寂しいから。
褒められていい気になったついでに、ちょっとお披露目。
さっと書くのは簡単でも、エッセイという作品の形にするのは難しい。たくさん集めた情報を構成を考えて選んで盛り込んでいく。
このブログでは気軽にやればいいのだけれどね。
(M.H)
言葉さがし
今年も所属するグループ「E表現研究所」の冬のパーティがあった。子育て支援を自分のできることで表現していこうと活動をして九年目。子育てと自分育てをモットーにして無我夢中で時間が過ぎ、気がつくとメンバーは入れ替わり、子どもは大きくなって、自分を取り巻く環境も変化していった。
T所長とパーティの企画を話し合っているときだった。
「テーマ何にする?」
絵本を中心にしている私たちにとって、アンデルセンやグリムなどの童話を題材にすることが多く、これまでのテーマは「マッチ売りの少女」や「雪女」だった。
「みにくいアヒルの子がいいかな」
今はみじめでも、きっと白鳥のように飛び立てる日がいつか来るという思いが浮かんだ。
「それいいね」
みんな力を貯めつつ活かすときを待っている。自分にできることをみつけて、一歩前に出ようというメッセージを込めて、所長もそれがいいと賛成してくれた。テーマのあとはプレゼントを何にするかに話が移っていく。
「言葉にしない?」
私たちのグループは主婦の集まり。できるだけお金をかけないのがポリシーでもある。そのアイデアに思わず手をたたいた。「言葉」が大好きな私にはこんな素敵なプレゼントはない。パーティ当日に用意するものは、自分の好きな言葉、子どものころのみすぼらしい思い出、これからどんな白鳥になりたいか、一つ白いものを身に着けるの四つ。
それから言葉さがしが始まった。テレビドラマを観ながら、気になったセリフをスケッチブックに書いていく。ファッションの仕事を題材にしたドラマでは
「どこで生きるか、誰と生きるか、未来は自分で決めるもの」
うん、いい。迷っている主人公に上司が背中を押すために言ったのだ。私も未来を自分で決めたいけれど、今はまだワガママとしか言われないようなこと・・・・・・。
医療現場を扱ったドラマでは、
「人は幸せになるために生きている」
「生まれてくることと死ぬことは似ている」
「生きていることはただそれだけで尊い」
さすが立派なお言葉だ。人の生死がテーマで、心にまっすぐに届くメッセージが多い。描かれる人間模様が胸に迫ってくる。当たり前のようで、とても大切な意味がある。でも私にはそれを伝える資格がないように思えた。ドラマで伝えていることを口にできるだけの経験や人間としての資質が足りない気がする。
そうこうしているうちに、もがいている自分に気がついた。大切にしている言葉ってなんだっけ。考えるのが好きなのに、いざそれを考えると何も出てこないなんて。
「自分自身が時代に流されずコツコツとやっていくこと」
またドラマを観ているときだった。江戸時代にタイムスリップした主人公が、医者としての腕をどう活かそうかと悩んでいる場面だ。そうか。パッとしないけれど、何ができるんだろうと模索し続けた日々は決して無駄ではないはず。地道な努力を続けていていいんだ。いつのまにか、子育てと自分育てを必死に生きてきた人生と重ねていた。これでいいのかと迷う日々、それが少しも変えられなくてもどかしかった。そんな自分はやっぱり「みにくいアヒルの子」だ。
でも、つまづいたその時々で、勇気づけてくれる「言葉」や「歌」がたくさんあったのを思い出した。読んだ本の中に、映画の中に、頭に浮かんだフレーズの中に。心の闇に射す光のようにスッと入ってきて、全身の力が抜けて楽になれた。気がつくとくちずさんでいた歌で力が湧いた。私が一つに決められないのは、その時々で変わっていたからなのだ。私は、それを誰かに優しく伝えられる発信者になりたい。
本棚の中に、親友が送ってくれた一冊の本を見つけた。彼女も悩んだとき勇気付けられたのだと言っていた。この『たった一日の勇気』は、たった一日だけ頑張ろう、毎朝そう思ったら、きっとくじけずに日々を過ごしていける。そう伝えていた。そんなに頑張らなくてもいいと今は思うけど、子どものためにどうしても踏ん張らなければならなかった私にとって、それは光のように進む道を照らしてくれた。
冬のパーティでは、クリスマスツリーに飾るための白い羽のオーナメントを胸につけ、「たった一日の勇気」をプレゼントにした。
あけましてあめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
タイを満喫してきました。
今年こそ、いいことがありますようにと思っていたら、タイに持っていったパソコンや、携帯がOFFで役に立ちませんでした。「アジャパー」でした。
また、バンコクのホテルのパソコンはいつ使ってもなぜか韓国語「アジャパー全然わからん。日本のお隣さんの国なのに・・・トホホ」
なぜ、自分が読めないのか無力感に襲われました。韓国語を勉強中の数人のお知り合いの方のお顔が目に浮かび後光が差してきました。
そんなわけで途中で操作をあきらめてしまいました。
ご無沙汰でごめんやっしゃ。
日本はセセコと、言いましたが、韓国と日本の距離感がありすぎるのも、問題ですね。しかし、韓国語に対する日本人の感じる難しさと同じく、外国人が観る日本語はもっと、変でしょうね。
漢字カタカナひらがなメンドクサイ。これって、セキュリティーですね。
同じことが、ミミズさんのダンスに見えるヒンズー語に感じます。
言葉の壁って分厚いですね。身体表現でどう感じ得るか修行中。
現在、世界モーターショーがインドのニューデリーで開催され
ていますので、日本からのお客さんも多いようですが、
本日は霧が深く視界が悪くて、お隣のビルが見えませんでした。
16階のベランダからも下の庭が見えません。
飛行機の着陸にも支障があるようでした。
デリーの繁華街の喧騒はすごいもので、本屋らしきものを
発見しましたが、その日は車から降りる勇気が出ませんでし
た。「ここに住んでいる人はすごい。しかも外国人はもっとすごい」と実感。
私は、3日前「インド門」のそばの、絶対買ってはならないと言わ
れている屋台のお菓子を食べましたが、体調に変化なし。
このお味は日本で流行ると感じました。誰か売らない???
おかげ様でお正月に家族全員集合しましたのでたのしい冬休みでした。
夕食には、子どもたちから高級インド料理を
ごちそうになりました。胃腸は大丈夫です。
本日は日本人学校のもちつき大会に参加させていただきます。
凧上げやこま回しもあるそうです。「アジァ・パワー」じゃなくって、「ジャパンパワー」がインドにて健在です。きっと日本では味わえない。
お正月に最近凧上げ見てないし、こま回しも数十年観てない。
これって変ですね。
外国にいる方がより日本人らしくなるって場合があるからこのことだわ。
もちつき大会の後は、新年会のお食事会にもぐりこみます。
美味しい中華料理。日本人の皆さんが積極的にどうインドを楽しんでいるか取材してきますね。
インドで、どえらい、アジアパワーを感じましたからね。
タイの事はまた次回にカキコします
「あーーー時間がない。もちつきに行かなきゃー。アジャ・パー」
TTT
2009年の終わりと2010年の始まりは隣り合わせなのに、新しい始まりというのは清清しい気持ちになります。
年が明けてから富士山もキレイに見える日が多いので嬉しいですね。
暮れから帰っていた娘もまた一人暮らしに戻り、下の娘も学校が始まり、いつもの日常が戻ってきました。
「お正月って実家に帰るもの?」
そんなことを言っていた長女も、都会に行ってから1番長くいたせいか、
「家にいると緩むわー」
一人暮らしをしていても、ここはこの子の居場所なんだなあとしみじみ思いました。
「ねえママ?」
と言う声も甘えているようで、ちょっとくすぐったい気持ちになりました。
私は今年、とっても楽しみなことが待っています。
いつものんびり遊んでばかりですが、少しだけアクティブにしてみようと思っています。
(M.H)