雑記帳

雑記帳 野菜栽培のこととか (2014~)

京野菜検定対策 3 「伊勢屋利八と田中屋喜兵衛」

2014年02月06日 | 京野菜検定
伊勢屋利八田中屋喜兵衛という二人の篤農家コンビ
(歳時記「京の伝統野菜と旬野菜」高嶋四郎 編著よりの参考)

聖護院きゅうり
このキュウリは、天保年間に伊勢屋利八と田中屋喜兵衛の二人により促成栽培に用いられ、
キュウリの特性を発揮していた。


聖護院大根
江戸時代に終わり文政年間(1818-30)に、尾張の国から2本の大根(細長い宮重大根)が奉納された。田中屋喜兵衛がこれを見て、この大根がその当時、聖護院地区に植えられていた大根(細長い中堂寺大根)よりはるかに大きく、非常にりっぱなので、門主から頼んで種をもらい受け、自分の畑に植え採種栽培を繰り返した。数年作っている間に細長い形の大根の中に短形のものが出てきたのを知り、太くて短い形のものを毎年選んで種子を取り栽培を続け、とうとう丸型の固定した品種が育成された。


聖護院かぶら
享保年間(1716-36)に伊勢屋利八が、近江国堅田地方(大津市堅田)から近江蕪菁の種子を持ち帰り栽培したところ、年々その品質が向上して、元来扁平であった根部が漸次肥大して円形となった。その後も改良され一つの重さ5k余に達する大蕪菁を生じて、聖護院蕪菁として売り出されたとのことである。

促成栽培
天保年間以前は苗床のまわりにコモなどで囲いをつくり行われていた。それを天保元年、伊勢屋利八と田中屋喜兵衛の2人が和歌山県下で行われている育苗法を研究して、土の中に藁を入れ、その藁が腐る時に出る熱で土の温度が上げられるということや、また昼間の太陽熱で温められた加茂川の砂利を土の上に並べることにより、夜の土の温度を少しでも高めるという技術を開発して、冬期における作物を少しでも早く生育させる方法を実際に行った。


【別記】
「歳時記「京の伝統野菜と旬野菜」高嶋四郎 編著」では
伊勢屋利八と田中屋喜兵衛が同時期の人物に書かれている(P14右)ので
お互い同時期の良きライバル的なイメージがあるが、
聖護院大根の来歴で時代が文政年間(1818-30)田中屋喜兵衛~。
聖護院かぶの来歴での時代が享保年間(1716-36)、伊勢屋利八~。
となって少し時期時代がズレているので、実際は先人後人あるいは先輩後輩の仲なのかもしれない。


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