症状緩和・がん患者支援外来
私の緩和ケア外来の名称です。
ずっと以前、
ずっと以前、
主治医外科外来と併診をしていた
乳がんの患者さんがいらっしゃいました。
最期、
他院の緩和ケア病棟へご紹介、
急な入院となったこともあり、
病室にお伺いしました。
すでに、患者さんの意識はない状態でした。
ご家族から、
先生へのメッセージが書かれているんです。
見てやって・・
ご本人の手帳に・・
意識が無くなりそうになる前に、やっと鉛筆を握ったと思わせる字でした。
アルガセンセ、なんども生きかえらせてくれてありがとう
最初の出会いは、
頚椎に再発転移がわかり、
放射線治療と薬剤による
難治性の嘔吐で
食べられない
めまいで動けない
状態でした。
クエチアピンで制御できました。
(保険適応外のため、院内の適切な手順を経て投与したものです)
治療に合わせ
ゆっくり減量・中止することも
できました。
当院からは遠い、お住いの近くで化学療法を継続されていました。
ある時は、悪心
ある時は、便秘
ある時は、頚部痛
前述のようなちょっと変わった
薬剤の使い方が必要だったため
化学療法を受けている先の
緩和ケア医と連携をとったり、
院内の手順を踏んだり、
工夫が必要だったことは
強く記憶に残っています。
そういう意味では、
複雑な薬の使い方だったのですが
何よりも
一旦それを信じてみようと
思っていただけたこと、
これがとても薬が効いてくれることに繋がっていました。
その都度、
起き上がれるようになったり
食事がとれるようになったり
そうしたことを
生き返らせてくれたと感じてくださっていたなんて・・
生きていくため
生活していくための
緩和ケアとして
急性期病院で続けてきた緩和ケア
私が緩和ケア医になった意味を
再認識させてくれた言葉でした。
何年も前の7月・・
書いていても思い出して、涙がこぼれます。
本当にありがとう
私もあなたに生かされているよ
Miguel Á. PadriñánによるPixabayからの画像
多くの多くの繋がりの中で人は生かされているのですよね。
先生の記事を通して大切なことをいつも教えて頂いています。ありがとうございます。
こちらこそ、本当に、ありがとうございました。
いつも、痛みとともに
反省とともに
励まされています。
大丈夫、きっと、大丈夫・・
そんな風にも感じました。
コメントくださって、嬉しかったです。