大切な方が旅立たれました。
その方の痛みと嘔吐の症状緩和の依頼があってから、
外来も含めると、診療は数年間に渡っていました。
(緩和ケアは終末期の医療ではないのです)
最後にお目にかかったとき、
すでに意識はない状況でしたが、
声をかけさせていただきながら、
ご家族とお話ししていました。
旅立たれる前に私へ言葉を残してくださっていました。
苦しくて、もう死んだ方がましだと思った時に、
何度も症状を取ってくれて蘇らせてくれ、
神のようだったと綴られていました。
医師になりたての頃、私はひよっこの外科医でした。
学生に毛が生えたほどの力量しかなかったのに、
治療する、治すという意味で、外科は本当にわかりやすく、
患者さんに、大変感謝をされました。
しかしながら、緩和ケア医となってからは、
認められない医療だと感じることもしばしばでした。
それは、今も経験することがあります。
本当に、役に立てているのだろうか、
そう自分が思っているだけではないだろうかと
自問することもあります。
それを払しょくするために、勉強はしてきました。
ですから、死の前にあって、
力の限りに書いてくださったお手紙を知って、
よかった・・
重荷を置いたような感覚になりました。
ベッドサイドを離れる時に、
また、お目にかかりましょうね。
それまで、どうぞ、忘れないでね。
そう声をかけた時、
意識のない口から、
微かに声がもれでたことに気づきました。
また、会いましょう。
最後にかける私のこの言葉は、
内村鑑三の詩に強い影響を受けています。
今、医学生達や若手医師に
患者さんのいのちを繋いでいくことが
私に託されたことだと思っています。
「われらは四人である」(ルツ子逝きて後に)
内村鑑三
われらは四人であった
そして今なお四人である
戸籍帳簿に一人の名は消え
四角の食台の一方はむなしく
四部合奏の一部は欠けて
賛美の調子は乱されしといえども
しかもわれらは今なお四人である
われらは今なお四人である
地の帳簿に一人の名は消えて
天の記録に一人の名はふえた
三度の食事に空席はできたが
残る三人はより親しく成った
彼女は今われらの内にいる
一人は三人を縛る愛のきずなとなった
しかし、われらはいつまでもかくあるのではない
われらは後にまた前のごとく四人に成るのである
神のラッパの鳴り響く時
眠れる者がみな起き上がる時
主が再びこの地に臨(きた)りたもう時
新しきエルサレムが天より降(くだ)る時
われらは再び四人に成るのである
(詩は、2006年12月2日の記事で紹介したものの再掲です)
とってもすばらしい詩ですね。
先生のお書きなっていることもとても共感できます。
我々は人の死に対して慣れているのではありませんよね。
自己コントロール。
onとoffのコントロール。
とても大事なことですですよね。
お久しぶりです!
コメントありがとうございます。ONとOFF、INとOUT。特に、初期からかかわっていると、とれぞれの患者さんに自分のギアを切り替えていくことも求められますよね。
キャサリン様
旧約聖書にRuthという女性が登場します。たぶん、内村鑑三の娘さんのルツ子という名前は、ルースから来ているのでしょう。
5年来のがんとのお付き合い、その旅路を分かち合ってくださりありがとうございました。
何時も神様がお守りくださっていることと思います。明日が穏やかな一日となりますように。
記事を読んで涙が出ました。
私も父が亡くなる間際、“お父さんまた会おうね”と泣きながら言った記憶があります…
“逝かないで”ではなく何か希望がある言葉を父に伝えたくて…
お父様に伝えられた言葉・・ 再会の約束だったのですね。希望の言葉は、お父様にとっても、そして残された方にとっても、大切な記憶となっているのですね。
悲しい思い出の中の暖かな言葉を教えてくださり、本当にありがとうございました。