目先の症状や今の状況にとらわれると、
いざ、身体的な悪化が不可逆的(もとには戻らなくなること)になりはじめたとき、
支援の方法を見失いそうになることがあります。
医療者からみて、早い進行、
これから、残念ながら、確実に悪化していくだろう、
そう思っても、先へ先へと悪化していくことに、
共に、気持ちがついていかなくなったり、
医療者に対して、悪くなる一方で、
何もしてもらえていないという感覚になってしまったり、
患者さんも治るよい患者ではないことに気を使われたり、
様々な困難を感じることがあります。
そうした時、一旦最期の時を考えてみることが
よい場合があります。
よい自分のイメージから、悪化していくことを実感すると、
いつも、引き算となってしまいます。
つまり、負の考え方です。
でも、一旦死を思うと、今も、これからも、
死よりも+、正の考え方になると思うのです。
そして、今生きていることにほっとすることでもあり、
対処していこうと思えるかもしれません。
ただ、この過程において、
死を切り出すことがとても、
難しいと感じる医療者は少なくありません。
私もその一人でした。
でも、多くの患者さん達のおかげで、
その大切さと、
実は、誰も話してくれない死の話題を
そっと誰かシェアしてくれないかと思っていることも
知ることができ、
沢山の経験を重ねさせていただきました。
今の病気がどうか・・ということから、
(がんが治るか治らないかということから、)
一旦離れてみましょう。
残念ですが、人は、誰でも、最期の時はあります。
私も、あなたも、周りの人たちも同じです。
予測もしない事故などの最期もありますから、
それが、いつか・・とか、がんで・・とかに留まることではありません。
その時に、私は、
できれば後悔することが少なくありたいなあと思うのです。
よい人生だったと思えるために、
一人一人大切なことは違うと思うのですが、
それは、どのようなことなのか、
一緒に考えてみたいと思うのですが、どうですか?
最悪を考えて、最善を尽くすために。
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死ぬなんて事、絶対に受け入れたくないと、思っていた主人。。
だがしかし、緩和ケア病棟に移る前、自分から、外科の先生に「それって、もうじき死ぬって事ですか?」って言い出したのは、ビックリしました。
でも、百戦錬磨の外科の先生は、「いつかとか、もう時期とかそんなことは誰にも解りません。」と速攻で断言はしてくださった物の、話は、その方向へ。。の話がありました。
主人の性格と状況を踏まえてのことだと思います。担当の泌尿器科の先生もそのような対応を、外科の先生とも打ち合わせ済みでした。
甥っ子君も「放射線の副作用で目が見えなくなる可能性は、よくわからない。」と説明されたら「そこまで生きているって人がいないって事だよね。」と自分で切り出していました。
自分の死への覚悟を、(つかないけど)考えていて、口に出すことで、ホッとできた部分があると言うことだったのではないか?とも思います。
主人の場合は、緩和ケア病棟に行くことを渋っていましたが、泌尿器科病棟で、手術や治療の話に加われない事に精神的苦痛を覚え始めていた頃で、結果、緩和ケア病棟にうつったら、それはそれは、心理的に良くなったようで、「早く来れば良かった。」と笑顔を見せたくらいです。
余命宣告をされたわけではないですが、5年生存率、再発のリスクを自分でも調べ、先生にもお話しを受け、エンディングノートを購入して、今、記入中です。
母の場合は、認知症が進み自分がどの程度にあるのか解らなくなってしまっていましたが。。。
救急車で運ばれた、脳梗塞はたいしたことなかったのに、あまりにも急激に心臓が悪くなってしまい、2月になくなりましたが、喋ることができたら、、「なんで今?」って感じで言葉を発したかもしれません。
それぞれ。。。ですね。。。
戸惑いながらも、死を想う時があったことが今から振り返っても、大切なことだったことが、ご主人、甥っ子さん、お母様の体験から伝わってきます。
認知症というのは、死を直視しないで生ききるための長生きの贈り物なのかもしれません。
ぴょんさんご自身がエンディングノートを書かれていること、これは、私も含め、疾病の有る無しに限らず、必要なことだと思いました。
メッセージ、ありがとうございました。
私の母は緩和医療科に通院しております。
いつも明るく元気であった母でしたが、脳に転移がみられ、今度は車で3時間ほどかかる大きな病院でみてもらうことになりました。
歩くのもおぼつかなくなった母の手を取り、必死になって病院へ行きました。
何年かぶりに母の手を握ったような気がしました。
そこで医師に言われたことは、
「緩和医療に行っているのに(治療するのか)?」
「家族は一緒にいて気づかなかったのか」
「緩和に行っているということを家族はわかっていて付き添っていないのか」
ショックでした。
母のことを何もわからなかった自分が情けなく、
そんなに母はひどい状況だったのか、そして死が迫っている恐怖。
結局その病院では3時間も待って、この言葉を聞き、ただ何もせず泣きながら帰ってきたのです。
その時母も死を覚悟したのでしょう。
言葉も出にくくなっていたのに、
私に「強くなれ」と言ってくれました。
あの時は本当に絶望のどん底でした。
そんなに緩和医療に行っていることは悪いことなのか?と疑問を持ち、今更ながら、いろいろな本を読んだりネットで調べて、私は少しずつ前向きになれたような気がします。
また、死を覚悟した母でしたが、今は最期まで自分らしく生きようとしています。
母も新聞で末期がんでも頑張っている方々の記事を読んで、勇気付けられたようです。
単純なことですが、食べたい物を食べ、無理をしない程度に健康にいいものを摂る。
好きなDVDを見る。好きな時に眠る。野菜の収穫。簡単な料理をする。晴れた日の洗濯。お花の水やり。
できないことは増えたけれど、少しでもできることがとてもうれしく感じるようです。
何となく、死を意識した分充実した日々を送れているような気がします。
まだ私は強くなれないし、父はいつか来る母の最期を受け入れてはくれていませんが、母の充実した日々をサポートすることが、家族にとっても充実した日々なのかもしれないと思います。
今回の記事は特に心に沁みました。
ありがとうございました。
(読ませて頂いた限りですが。たぶん、緩和医療を選択した後での治療の相談に対し、医師が混乱したのか・・と感じました。緩和医療を受けながら、治療を併行させるという意識がない医師は、まだ、沢山おります。お辛い思いをさせてしまったこと、申し訳なく思います。)
お母様の自己を活かす力ー自己効力感といった言葉を使うこともありますがー心のしなやかさを感じます。
ご自身のいのちをもって、ぷりんさんに生きること、死ぬことの意味をお伝えになられているのかもしれません。
心が熱くなるようです。ありがとうございました。
5年前、母を肺がんで亡くしました。
それまで、病気と縁のなかった母は、最期まで「私は死なない」と積極的に治療を受けました。
がんの告知を受けた日から、『死』という言葉は触れられない言葉になりました。
死なないと思えば思うほど、増していく死の恐怖と母は一人で戦っていたのだと思います。
闘病中、子どもの前で強くありたいと思う母の姿に、どう手を差し伸べたらいいのかと悩み続けた日々でした。
元気な時にこそ命の終わりを考え、そこから自分の生き方を考える、そんな学びの場があれば、逝く命も遺される命も響き合える事が出来るのではと思います。
2012年12月に4期肺腺がんと診断されてから、ずっと化学療法を続けていますが、ここへきて体調の変化が少しずつ現れてきました。次のステップへ進んだ感じです。
動揺する頭で当時中学生だった二人の子供の為に何が出来るか、何を遺したいのかを考え、思い付いたことを片っ端から実行してきました。随分先までのバースデーカードもプレゼントも、声が聴きたくなっちゃうかな、と小さい時に何度も読んだ絵本をボイスレコーダーに朗読もしました。
そうして準備していく内に、私の心も落ち着いてきました。
私自身の覚悟はとうに出来ているつもりですが、それでもやはり子ども達の成人式の振り袖姿はこの目で見たかったです。それが本当に悔しくて残念です。ここまで育ててきた親としてのささやかな願い、それさえも叶えることができないなんて。
愛する家族とお別れする時が来るなんて、想像するだけで気が狂いそうになりますが、最期まで生き抜く姿を見せることが私が出来る子ども達への最後の教育だと信じ、日々を過ごしています。
実際に、死を意識するからこそ、封印したい気持ちにもなるのだろうと思います。
私も母を看取ったとき、母も家族の立場としての私も、そういう気持ちを感じたことがありました。
お母様なりの生き様であり、それに寄り添われたからこそ、今も思い出される出来事なのだろうと思います。
逝き、遺され、5年を越えて今なおつながっているように思いました。
コメントにシェアしてくださり、ありがとうございました。
今年7月の記事で、内村鑑三のことを書きましたが、
http://blog.goo.ne.jp/e3693/e/dfa896718b882d0971eb46441952f8f8
この中の、高尚なる生涯という言葉を再度、思い起こしました。この美しい地球に別れを告げることの無念な気持ちを持ちながらも、ただただひたむきに生きることこそが、最大の遺産であると記されています。
涙がこぼれそうになるのを抑えつつ、祈りと感謝をこめて。
ご紹介下さった内村鑑三の詩は、ブログで拝見した時に「ああ、そうなのだ。きっときっとそうなのだ。」と思い、主人への手紙に添えました。我が家も4人家族なのです。
そうして私自身も何度もこの詩を読み返しては慰められています。
通うのに二時間近くかかる先生の外来に伺えないのが残念だと、ずっと思ってきました。
先生、ありがとうございます。
もう何年も前になりますが、こちらにコメントさせていただいたことがあります。自分が食事や運動などいろいろなことをやって生き延びているだけに、旅立つ方に対しては「死を受け入れること自体勿体無い」と言った気持ちが起きてしまい、そのような内容のコメントを書いてしまいました。それに対し、aruga先生リコメはたしなめる内容だったと記憶しています。あれから何年経ったでしょうか?その節は失礼致しました。
昨年から闘病記を書いており、当時を振り返っては様々な言動に対し、反省することしきりです。生き延びれば勝ちという誤った認識を持っていたことが恥ずかしく感じられます。
「死を受け入れる」というのは人生最大の決断であり、どれほどの力を必要とすることか?生き延びようと、食事療法や運動療法などをすることと比べても比較にならない労力を要するものであると言うことが最近になってようやく分かるようになりました。本当に申し訳ありませんでした。
こちらへのコメントの日付を忘れてしまいましたが、お詫びを一言申し上げたくコメントさせて頂きました。死を受け入れ旅立つ準備をされている患者さんと日々接していらっしゃる先生の思いやりの気持ちが伝わってきます。益々のご活躍をお祈りしています。