死は敗北であり
絶望か。
死は成熟であり、
時が満ちたあかしである。
様々に語られ、
どこか心はそれに備えようとします。
私が、緩和ケアの入口に立ち、
初めてケアに関わったのは
アメリカに留学中の
40代の日本人の膵がん患者さんでした。
彼女は、訪問看護師から
なぜ、わたしが・・という疑問は持たない?
と尋ねられて、
微笑みながら首を横にふり、
これが私だから・・
そう答えました。
今日、ふと、20年近く前のその患者さんとの時間を思い出していました。
そして、このハイジの話も思い出しました。
ニューヨーク大学リハビリテーション病院の壁
http://blog.goo.ne.jp/e3693/e/027fdace7175c747fef9fa5262b763e9
この記事を書いたところ、
mallinさんから、ハイジの話には
隠れた話があることを教えていただきました。
以下、コメントからの引用ですが、
再掲いたします。
ところで、有名なお話
「アルブスの少女ハイジ」の
子供向けバージョンではカットされている
こんなエピソードがあるのをご存知ですか?
心ならずも都会に来てしまい
早く山に帰りたいと願うハイジは
クララのお祖母様から
神様に祈ることを教わりますが
直ぐには山には帰れないことが判ると
祈ることを止めてしまいます。
そんなハイジにお祖母様は
「神様は貴方にとって一番良い方法で
貴方の祈りに応えようとされているのだから
信じて、諦めないで、祈りつづけなさい」
とアドバイスし、文字を教えてくれました。
そうして時が過ぎ、いろいろな出来事があり
晴れてハイジが山に帰れるようになった時には
彼女は聖書を朗読できるまでになっていました。
おかげで、盲目となって以来
聖書を読めなくなっていた
ペーターのお祖母さんに
久しぶりに朗読をしてあげることができて
お祖母さんは泣いて喜びます。
それを見てハイジは
確かに神様は
早く山に帰りたいという
自分の願いはかなえてくれなかったけれど
かわりに本当に一番良いときを選んで
山に帰してくれたのだと理解するのです。
(ここまで、引用。改行は私の方でさせて頂いています。)
このハイジの話を読むと
前回のリハビリ病院の壁の詩の
意味することがさらによく分かります。
このハイジの話は
お祖母さんに聖書を読んであげられたことで
幸せな出来事を感じることができました。
ただ、私達に辛いことがあったとき
それを乗り越えた先に
明らかに幸せだとわかる出来事が
必ずしもあるとは限りません。
大切なのは、明らかなものではなくても
幸せに気づくことができるか
キャッチする心を持つことができるか
ということでしょう。
がんの再発をみ
残された時間を意識するようになった方にとって
この辛さを乗り越えたところで
その先には死しかないのではないか
そう思われるかもしれません。
でも、私の回りの患者さん達は
そうした中にも、幸せを見出されていました。
それは、愛おしいほどの
生きたことへの感謝でした。
mallinさんはさらにこう書かれています。
自分が望んだものが手に入らなくとも
本当に自分にとって大切なものは
ちゃんと持っていることが自覚出来る・・・
そんな人間になりたいと思っています。
弱さを知ったからこそ
強いままでは知りえなかった自分がいること
それに気づける自分でありたいと私も思います。
それが、どのような状況であったとしても・・
子どもには分かりにくいと思われて
カットされてしまったのでしょうかね?
”求めよ、さらば与えられん”という
言葉もありますが
願ったものがどのように叶えられるのか、
ましくは与えられていたのかは
すぐには分からないことも多いでしょうね
引用させていただいて宜しいですか?
今日、天外孤独と言われる方を、お見送りしてきました。
たとえ、自分のしてきたことで、肉親から恨まれていても、たった一人で死と向き合って夜を過ごしても、流れ流れて何もない部屋で自分に鞭打つように暮らしてきても、それでも「しあわせ」だと思う事が、少しでもあるのだろうかと・・
私たちが寄り添おうとしているものは、どだい私ごときが寄り添えるものではないのかもしれないと・・・
在宅での看取りをしながら、時々たまらなくなる時があります。
痛くないように、苦しくないようにと薬を使っても、遠のく意識の中で、人が去っていく音を聴くのは、どんなものなのかと・・・
mallinさんのように、たとえ望んだものが手に入らなくても、心を満たす事が出来るのであれば、どんな最後が待ってきても、淋しくはないのでしょうか。
すみません。こんなコメントで。
ただ今、脳脊髄液減少症で闘病中の「のぶ」です。
身内や親しい人が、癌患者ですので、先生のブログを参考させて頂いております。
病人のみならず、人が生きる上で、非常に考えさせられる記事が満載で数多いファンの一人でございます。
ニューヨークの壁の詩は、私も大好きです。
過酷な症状に、心が壊れそうになるとき、この詩を支えとして、何とか乗り越えてまいりました。
ハイジの裏話は初めて知りましたが、深い部分に響くお話ですね。
一部引用させてもよろしいでしょうか。
一人でも多くの方々にお伝えしたい「いいお話」だと思います。
人を見送る時、沢山の疑問が答えのないまま湧き出てきます。
随分前になりますが、NHK出版から出ている「モリー先生の火曜日」。死ぬことはこれほどにも自然なことなのか・・自己決定するということはこういうことなんだ・・と私の心の一本の柱になってくれた本があります。
これでよかったのだろうかという疑問は、ケアギバーの解釈であり、推論の域を越えないものだと思えるようになり、人が自ら決めたことを歩んでいくということは、私達の価値観を越えたその人の価値の中にあるのだと思います。
ご自身が決められたことを、皆さんで支えられてきて、それを越えた幸せはないのではないかと思います。
ただ、これも、私の推測にすぎず、こぶた部屋の住人さんがご経験されたことには、私のコメントは遥かに届かないものかもしれません。
ブログ拝見しました。
たった一度生きたこの時に別れを告げなければいけないことは残念で悲しいことだったでしょうが、その嘆きに寄り添ってくださる方がいたことは、これ以上ない、幸せではないかと私には伝わってきました・・
コメントありがとうございます。
体調、いかがでいらっしゃいますか?
私が関わらせて頂いている患者さんのご家族にも、同じ病名の方がいらっしゃいます。
本当に難しい病態です・・
そんな病状と日々を付き合われていることに、心から敬服しています。
ハイジの話、私もそう感じています。
それが、一助になるようでしたら、意味があることと思います。
当ブログに加えて、是非、mallinさんのコメントの引用であることを付記くださいましたら、大変嬉しいです。
私自身が家族に囲まれて暮らしている事が、孤独への恐怖をいっそう感じてしまうのかもしれません。
けれど、ご本人の選択だったのですから、よかったのだと思わなければ、それこそ彼はむくわれませんよね。
そう!そうですよね。
これからもやはり選択されたことに沿って行きたいと思います。
本当にありがといございました。
苦しい状況や感情にとらわれてしまいがちな自分を省み、実はたくさん持っている幸せに思いを馳せたら、気持ちが軽くなりました。
また、コメントの『これでよかったのだろうかという疑問は、ケアギバーの解釈であり‥』という言葉にハッとしました。
いつも、たくさんの糧になる言葉をありがとうございます。
考える機会を与えてくださったこぶた部屋の住人さんと患者さんに、心から感謝です。
のこさん
糧になると言ってくださって、その言葉に支えられていることに気づきます。
こちらこそ、ありがとうございます。