(写真は、長男5歳、次男3歳の時)
今日、私のキャリアパスについて話させて頂く機会を頂いておりました。
話を組み立てながらすっかり忘れていたことを、思い出していました。
長男が1歳を過ぎ、2人目を生むならそろそろと思いながら、臨床には戻らず学位論文につながる実験を始める準備をしていました。そして、次男を妊娠しました。
長男を連れて、近所のとても綺麗な桜を見に行き、不正出血に気づきました。
切迫流産でした。(切迫流産とは、流産してしまったことではなく、しそうな状態をさします)
医師から絶対安静だと言われ、1週間ゴールデンウイークに入院となりました。
トイレ以外はベットから出てはいけないと言われました。
私は、混乱していました。
同僚は、新たな治療に取り組んでいるなど誇らしげに話し、取り残されそうな自分に言い聞かせ、何とか学位をとろうともがき、やっと始めた実験に、何をやっても自分は前に進めない・・・そんな気持ちになっていました。そして、切迫流産は自分のせいだと責め続けている自分がいました。
幸い出血はすぐにとまり、リスクはあるけれど、まあいいんじゃないと主治医言われ、退院の準備をしようと思った時でした。ナースステーションで、私が卒業した大学の産婦人科の講師にばったり出会いました。懐かしさで心の糸が切れ、切迫流産で入院していることを矢継ぎ早に話したことを思い出します。
その先生は、微笑みながら、7~8週くらいの時期は花冷えといって胎盤が子宮に根をはる時期だから切迫ではなく出血することもあること、もしそうでなかったとしても、母体の問題だけではなく流産することもあり、大事にし過ぎることはないことを話してくれました。この後者は、児の遺伝子の問題などを指しており、生まれる運命もあれば、流産することも自然な運命であることと理解しました。
全身から力が抜けていくようでした。
自分のせいだけではない、
このまま気をつけながら続けていいんだ・・
そう思えたときから、お腹から、
「お母さん、大丈夫だから。しっかりしがみついてるから。大丈夫。がんばって」
そんな応援を感じました。
実験を続け、座ってできることを予定日数日前まで行っていました。
さすがにそろそろ休もうと思い、ラボのスタッフに産休に入ることを伝えたその日の明け方、陣痛が来て、生まれました。
20年前の11月23日の早朝、とてもよい天気でした。
出産のとき、胎盤が剥がれづらく600ml程度の出血があったようでしたが、鉄剤を飲んでいたためか、ヘモグロビンがたいして下がることもなく、退院しました。
やっぱり、切迫流産で剥がれそうになっていたため癒着していたのだろうと思いました。
子供は元気でした。
その時、お腹の赤ちゃんにも、支えられ、励まされたことを今改めて想いだしました。
本当に沢山の方々に支えられてきました。
今日のセミナーにお招きくださった関係者の皆様に心から感謝しています。
参加者の多くの方に、大丈夫なんだ・・何とかなるんだ・・と言っていただき
肯定的な言葉に、さらに、ここでも支えらていることに気づきました。
沢山の女性医師ががんばっています。
男性医師も自分の生活に目をきちんと向けています。
心から、応援していきたいと思っています。
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私はといえば、家庭も仕事も、なんだか8割で、どうにも抜けられないトンネルにいるようです。子どもが大きくなれば、きっと解決するに違いないと思いながら、必死に、男性に負けないように、子どもがいるからって負けないように、頑張ったつもりでしたが、ふりかえってみると、べつに当たり前のことをしていただけなのかな?と。ちょっぴり、虚しさにとりつかれています。
でも、自分のできる範囲で、できる限りのことをしなければならないですものね・・・・。もう少し、医師としてがんばってみようかな・・・・。
子どもに寂しい思いばかりさせているのでは?という気持ちってなかなか、なくなりません・・・。
まるさんの子供さんたちも、きっと背中をみて育っていると思いますよ。我が家の子供たちは、ほんの一部ですが、親の背中をみていて、のんびりマイペースに育ちました。私も、仕事と子育ての両立は無理かなと思いましたが、なんとかやってこれました。来年、一応子育て終了です。母は強し…です。
生まれたころは、誰かに託すこともできたのですが、小学校高学年ごろは、母親に求められることも多く、きつかったです。
私などは、育児9、仕事1なんて時期もありました。トンネルは抜けてみて、初めて状況がわかるものですね。
自分との対話をしつつ、まるさんの幸せ探究を続けてください。
ケセラセラ・・(なんとかなるさ)です!
娘さん、同じような方向に進まれていますものね。息子しかいない私としては、ちょっとうらやましい・・
学位取得とか、臨床経験を積むこととか、今は専門医を取ることでしょうか、お子さんができると誰でもあせってしまうようです。
結婚したり、子供がいなくても、悩みはいろいろあると思うのですが、同じ目線にたった相談相手がそばにいてくれると、乗り越えられる力も違うのかなと思います。
だから、「子育て」についてのブログがはやったりするのでしょうね。
でも子供がいることは、本当は、お母さんの仕事を後押しするためにいるのかも知れません。
11月23日生まれ。産まれてきた彼は、まさにその通りのお子さんだったのではないでしょうか。
偶然とは言え、勤労感謝の日に生まれてきたこと、きっと何かを伝える子供からのメッセージだったのだと思います。
ただ、医師のピアサポートは時に難しいようです。この会でも若い女性医師に言われました。
年上の女性医師から、自分たちは大変でもがんばって乗り越えてきた、あなたたちは甘い・・って。がんばっただけに、求めるものも多いのでしょう。私も時に、そうした感情に陥ることを自覚しています。難しいものです。
お書きくださったようなメッセージは、今だからこそ、なるほどと思えるのだろうと思います。茨の道の中では、真逆なことにとらえていたかもしれません。
素敵な視点に気づかせてくださり、本当にありがとうございました。
いつも拝見させて頂いております。
私はついぞ女としての仕事は何もして参りませんでしたが、
先生はお母さんになられる事で本来のご自分をもう一度取り戻されたのだなと思いながら読んでいてふと先生のお名前にママを付けると
あるがまま
になることに気づきコメントさせていただきました。
今後もご健康とご活躍をお祈り申し上げます。
あるがまま・・
そうなんです。
医師なりたてのころ、ICUで重症の患者を受け持っていて、医局飲み会に行けなかったとき、主任教授に
「なんで、有賀君はまだなんだ」
と言われ、同僚があわてて
「化粧を念入りにして遅れております。」
と、言ったところ
「有賀君は、あるがままがいいのにねえ」
それで、ICU治療に専念できたという逸話もありました・・・