緩和ケアの目指すところを話合うために、
患者さんやご家族に、
「あなたの大切にしていることを
教えてください」
という聞き方をすることが
一つの方法として提案されてきました。
が・・・
どうも、この聞き方、
1回で、聞きたいことをキャッチできたと
感じられたことがほとんどありません。
私自身、こう聞かれてどう答えるだろうか・・と
先入観を捨てて考えてみると、
家族とか、
(疾病を抱えていれば)やっぱり病気を治すこととか、
それってどういうことですかと聞くこととか、
しか思い浮かばないのです・・
治癒が難しい状態にもかかわらず、
治癒だけにとらわれてしまい、
重要な事に目を向けられないことを
避けることを目的とし、
その人にとっての、重要なことは何なのか、
それを医療者も知ることによって、
支援体制を調整していくことが
本来の目的でした。
そう考えながら、
その人にとって、
治癒と言う言葉にマスクされた重要な事・・
これにアンテナを向けることは否定はしませんが、
何となく、最近、ちょっと
ずれているような感覚になることがあります。
結局のところ、
上記のような説明を長々として、
やっと質問の意図を理解頂き、
改めて、「そうですね・・ 難しいですね・・ 少し考えてみます・・」
と言わるように思います。
私も、そう答えてしまうなあと思うあたり、
聞き方に問題があるように感じます。
皆様はどのようになさっているのでしょうか・・・
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少し笑いながら「そりゃ、たくさんありますよ」って言われます。
「ですよね。」って頭をカキカキ。そして、「たくさん...を、聞かせて貰えますか。」と続けて、できるだけいろんなことをききます。
そうすると、何となく見えてくるときがあって、「○○を大事にされているのかな、と思うのですがどうですか。」と聞いたりします。
未熟なコミュニケーションで申し訳なく思うこともたくさんありますが、心に近付くような気持ちで向き合いたいと思っています。
特別なものからではなく、沢山のちょっとした大切な事からだんだん絞り込んで行って、特別なものの表出と感じられたら、フィードバックして確認してみるという流れですね。
最初から大切なこととか、特別なことという切り口にしないことがコツのように感じました。
コメント、ありがとうございました!
または、入院するときに記入する書類に「気になることはなんですか?」などありました。。
去年の夏に父が亡くなるまでは、「親の面倒をみなきゃならない。そのために死ねません。また、死にたくない~~~!!!。」と医療者の前で泣きました。
聞かれると、答えようがない。。現在のわたしがあります。
私がいなくても困る人はいないと言うのがある意味、本当のことでして。。
解決しておかなければならないことが自分の責任において、無くは無い。。
でもそれは、医療者にお話することか?と自問するとそうでは無い。。
質問する先生方もお困りでしょう。
答えようがない私も困っているところです。
答えが見つかりません。
>でもそれは、医療者にお話することか?と自問するとそうでは無い。。
>答えようがない私も困っているところです。
まさに、そうなんですよね。
どこまで話してよいのか、答えようがないというお気持ち、そうですよね。。
ぴょんさん、ありがとうございます。
素の言葉、響きます。
すぐに体調を話し出す方、治療についての思いを話す方、家で待っている老父母のことを話される方…
『どう?』に対する応えは、本当に様々です。
でも、その短い問いに応えられる話は、その人がその時に『一番私に伝えたい』ことだと想うのです。
反対に、想いを知られたくない方も、もちろんいらっしゃいます。だから、一番伝えたい話ではない方もおられます。そんな方にこそ『どう?』という短いきっかけから始まる話は、互いを知る大切なきっかけでもあります。
………………………………………………
そんな中、膀胱癌を患っていた80代の叔父が緩和ケア病棟で亡くなりました。
亡くなる数日前、中学生と小学六年生と二年生の子供達を連れて病床に行きました。電気を消して真っ暗にして、うつらうつら寝ていました。声をかけたら、電気をつけて。
かすれた、聞き取りにくい声でしたが
子供たちに『バレーボールがんばれよ』『勉強はしておくんやぞ』…一生懸命話をしてくれました。
子供達を見ると、さめざめと涙を流して頷いていました。
人生の終焉、旅立ちを前にしている人を見ての涙。
何より大切なものを教えてくれました。
相変わらず、乱文で失礼しました。
短い言葉に込められた太い繋がりや、自由な言葉を出してもらうためのメッセージが込められていて、確かにお書きになられた通りだなあと心に落ちてきました。
そして、バトンを渡す叔父様のお子さんたちの大切な時間をここにシェアしてくださり、本当にありがとうございました。
悲しさを越えた感動を覚えました。