このところ、合理性とか、効率性とか、
無意識に慣れ切っていたなあと思います。
このシルバーウィーク、
夏のリセットウィークとし、
今まで行きたくて行けなかった
五島列島に旅に出ました。
博多からフェリーに夜中に乗り、
小値賀島に朝4時40分に着き、
仮眠後、朝7時25分に向かいの
ほぼ無人(正確には一人)の野崎島に渡りました。
黄緑色の二つの島です。
画像
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E5%B4%8E%E5%B3%B6
野崎島 Wikipediaより
旧石器時代から戦国時代にかけての遺跡などが多数出土している事から、太古より人が住んでいたとされる。
江戸時代には、平戸藩領であった野崎島に大村藩領から難を逃れた潜伏キリシタンが移り住んだ。明治時代に入り、徳川幕府の禁教令を引き継いだ政府により、キリスト教の信仰を表明した住民が平戸に連行され弾圧を受けるも、信仰の自由を認められ帰島が許された。
1950年代中頃には中央部の野崎、野首、および南端の舟森(瀬戸脇)の3集落で合わせて650人以上が暮らしていたが、高度成長期の集団離村などにより急激に人口が減少した。1985年には野崎小中学校が閉校。1990年代には全ての住民が島を離れて無人島となった。小値賀町のホームページ(外部リンク参照)によれば、最後の住民であった沖ノ神島神社の神官が2001年(平成13年)に離島したとする。ただし、2007年より、小値賀島より男性1人が野崎島自然学塾村の管理人として居住しており、以降は国勢調査では1世帯1人の常住者が記録されている[1]。
2007年(平成19年)には旧野首教会が「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の構成資産の一つとしてユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストへ追加され、現在では旧野首教会周辺の野首集落跡と舟森集落跡も構成資産となっている。
野崎島全体は文化財保護法での「小値賀諸島の文化的景観」に指定されている。
旧野首教会と小学校跡地を使った野崎島自然学塾
キリシタンの弾圧から
やっと、信仰の自由が認められ、
帰島した信者さん達は、
17世帯で食事も切り詰めて教会の建築費をためたのだそうです。
その周辺の教会建築家として有名になった鉄川の
初めての建築だったようです。
110年間、修理の手は入りつつも、
風雨に堪え忍んだ煉瓦作りの外壁と、
信者の方々のその喜びが濃縮されているような内部の優しさです。
(撮影は許可されていました)
海外の荘厳な、
宗教の力を強く周囲に
示しているような教会の姿とは異なり、
弾圧されても信じ続け、
自由に信仰できる喜びや苦労の形が
言葉にできない暖かさをもたらしていました。
祝福された場所・・・
そんな言葉が浮かびました。
そこから見える海は本当に美しく、
白い砂と澄み切った青い水でした。
沢山の鹿が住んでいました。
ここは、今、小値賀(おぢか)島のNPOツーリズムが
さまざまなサポートをしています。
その小値賀島には、古民家に泊まることができます。
武家屋敷を改築したものでした。
WiFiは繋がらず、携帯は場所によっては拾えますが、
思うようにはいきません。
夜は最小限の光のおかげで、満天の星でした。
http://ojikajima.jp/
また、古民家レストランがプレオープンしていました。
捕鯨の豪商のお屋敷を町が買い上げ、
改築したものだそうです。
とても、素敵な場所で、
お料理も新鮮で、味も繊細で優しくて・・
海を渡り、自然の中に人が暮らす小値賀と
ほぼ無人と鹿の島の野崎。
古くからの歴史があり、
祈りとつつましやかな生活と
強い信念と・・・
そこを訪れることで、
忘れていたものを
思い出させてくれるような時間でした。
ただ。。
採算を考えると・・・・
大丈夫なのかなあと
家族で、皆心配しました。
改築費も相当かかっているように思いますし、
朝4時台に発着するフェリーに送迎対応もなさっていたり・・
日本の心の根底にあるものを
再確認できるような旅を提案してくださった
おぢかツーリズムの方々に心から感謝です。
(なので、応援したいと心から思い、記事にしました。
時間的な余裕があったら、皆様、是非・・・
なお、旧野首教会は、世界遺産申請している教会群のひとつです。)
セミの鳴き声が、9月20日を最後に聞こえなくなりました。私の記憶ではちょうど2か月だったと思います。
最初は、「おおっ」と思いながらブログを読みました。しかし、最後の方になると、先生の声がゆっくり、静かになって「教会群のひとつです・・。ハイ」と締めくくられているように思いました。
病院内に礼拝堂があるところに入院した時には、朝7時に神父さまが信者さまの病室をまわり、朝のお祈りをしていました。歩く練習として少し病院内を歩いていたら、礼拝堂を見つけて中に入って座っていたら、神父さまに声をかけていただきました。それから教会を見つけるとのぞきたくなり、一番思い出に残っているのは、清里にあるキープ教会の、ポールラッシュ記念の教会です。先生はヨーロッパに行かれることが多いので、大きな教会も、小さな教会もいろいろ見てらっしゃると思いますが、ここは、畳敷きだったと思います。神社に行ってもお寺に行っても仏像などの興味はほとんどないのですが、教会のステンドグラスだけは面白いと、いつも上ばかりを見上げています。
嵐もありますが。
畳敷きの教会・・
そんなところもあるのですね。
いごごちが良くて、集いやすくて・・既成概念にとらわれないで、本質を追ってみると、なるほどなあって思います。