6月6日
医学部一年生の医学序論「緩和医療」の講義に
患者さんに30分ほどの講義をお願いしました。
講義というより、
語っていただいたといったほうが適切かもしれません。
薬剤師さんでもありますから、
医療者の視点、患者の視点からお話くださいました。
沢山の宝物のような言葉でした。
その中で、凛として話された言葉が冒頭の言葉でした。
「死ぬとわかっていても、生きている限りやらなくてはいけないことがあるのです」
「がんとわかったとき、自分は何十年生きていて、何を残したのだろうと思いました。
子供だと気がつきました。」
「遠い未来のことは考えられないのです。
そのことは、ある意味楽です。
わずらわしいことを考えなくてよいのですから」
「入院していた時、働いている人がうらやましかった。
お掃除のおばさんをみて
ああ・・いいなあ・・と思った。」
「うれしかった言葉は・・ 言葉というより、行為かな
初めてIVHを入れた時、本当に怖くて、辛くて
そんな時、何も言わないで、そばにいてくれた看護師さんがいました。
嬉しかった・・」
「嫌だと感じた言葉は、
入院した時の担当医が
こんなに沢山の薬を飲んでるの~って
オキシコドンを見て言った言葉。
無神経な言葉です」
沢山の質問に答えてくださいました。
時に笑顔で、時に考えながら。
講義の後、レポートを提出してもらいました。
2日間に渡り、
緩和医療とは、トータルペインとは、スピリチャルペインとは・・
私からの講義の中で、患者さんの言葉がよく理解できるように
色々準備をしていました。
レポートの中で、
これがスピリチャルな痛みなのだ・・
緩和医療の講義に来てくださる患者さんはあまりに普通にお元気でした。
これが、早期からの緩和ケアなのだ・・
普通に過ごせることの大切さ、
働くことができる大切さ、
生きている大切さ
実感しました・・
思いやれる心
痛みを感じることができる心を持ち続けたいです。
よい医師になれるよう
一生懸命勉強しなくてはいけないと思いました。
(レポートの原文のままではありません。
記憶に残っている内容でここには書いています)
患者さんの言葉や姿勢が
それほど素直に、心に沁み入ってくれたか
患者さんにお願いした大きな意味を感じました。
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今の大学生は、平成生まれになりましたので、体験学習や、そのような授業を結構受けてきていると思いますが、大学ではそのような授業はあまりないと思います。
たぶん全くないかも知れません。
大学の講義は、先生の余談がいつまでも心に残っていたり、要は、先生達が体験した話が一番心に残るのかも知れません。不思議なもんだなあと思います。
1年生は、5月が過ぎ、これから夏休みまでは、自分の生活の変化に慣れるのが大変だったり、高校までとは違う大学のスタイルに慣れて行くのが大変だったり、入学してから夏休みまでは、それぞれが複雑な時期です。
でもそんな時期に、このような講義があったことは、医師となる自覚を認識しただけでなく、自分の行動に、何か変化を持ってくれたらいいなあと思います。
患者さんのために・・とか、人を思いやる気持ち・・でなくてもいいと思います。
時間は守って遅刻はしない・・時間を守る医師になるために・・でもいいと思いますが、1年生のこの時期にこのような設定の講義をされたこと、とってもよかったと思います。
準備は、本当に大変でしたが、今は、その甲斐があったと感じています。
5月半ば、突然の電話に、看護師の阿部幸子さん(53)は耳を疑った。岩手県赤十字こころのケアセンター統括として、避難所に「日赤こころのケアチーム」を派遣しているが、現場の保健師が、「避難所では『心のケア』と名乗らないで」と言ってきたのだ。
「何かご迷惑でも……」。心配して尋ねると、保健師はこう説明してくれた。
「心のケアと掲げる色々なチームが避難所を訪れ、被災者に質問するので、被災者が辟易(へきえき)して、他の避難所に移りたいと言うのです」
確かに5月初めの週末、ある避難所では、精神科医、看護師、心理カウンセラーなど専門職のチーム、市民ボランティアなど、十数のチームが、心のケアと書かれた札や腕章をつけて被災者を訪れ、活動していた。
4月に宮城県南三陸町の避難所で会った79歳の女性を思い出した。津波で娘を失ったつらさを私に、「誰でもいいから聞いて、という思いと、そっとしておいて、という気持ちが行き来するの」と訴えていたのだ。
岩手県内の避難所を歩いた看護師出身の衆議院議員、山崎摩耶さん(64)は「心と言えば、精神科と思う人も多い。でも、何より気になるのは、心のケア『してあげる』というおごった姿勢。ケアは傍らに寄って行うものです」と指摘する。
◇
「心のケア」は、1995年の阪神大震災後、被災者の心理的支援の必要性を叫ぶ言葉として登場した。復興過程では心的外傷後ストレス障害(PTSD)専門施設、「兵庫県こころのケアセンター」ができた。初代所長の精神科医、中井久夫さんを神戸に訪ねた。
避難所の話に中井さんは「心のケアは、そううたって何かするというものではない」という。
「神戸では、被災者の心のケアを、一人にしない、体験を分かち合う、生活再建、の3段階で考えました。今回『寄り添う』という言葉を聞くが、その通りです。震災後、100日くらいで被災者の向き合う相手は自然から人間に移り、苦痛の質も変わってきます。まさに今からです」
隣人として患者に接する医師など、寄り添う姿は今回の取材でも心に残る。被災者の怒りが人に向き始めてきたこともうなずける。
心のケア――その意味は必ずしも明らかにはならなかったが、被災者の苦しみに思いを重ねることから始まるのだと思う。(編集委員 南 砂)
心のケアという言葉。
使いやすい言葉なのだと思います。耳にしたとき優しい響きで、受け止めやすい(聞き手の心にすっと入っていく)言葉。
でも、では、何が心のケアなのかと質的な探索をすると、よくわからない言葉でもあります。
加えて、傍らにいて、求められたときにさりげなく共にいるようなものであるのに、さあケア部隊が来ましたから、心の内をお話し下さい・・となってしまうと余計なお世話になってしまいます。
大切なことを思い起こさせてくださいました。