緩和ケア医の日々所感

日常の中でがんや疾病を生きることを考えていきたいなあと思っています

TVに見るずれた(?)緩和ケア(後悔しない人生を強要する緩和ケアとは・・)

2016年02月14日 | つれづれ

最近、TVに緩和ケアに関連したものが
目に留まるようになりました。

先月、1月のNHKクローズアップ現代の
鎮静に関する番組は
色々なところで議論されていましたので、
これは割愛・・・




最近、FBを通じてフラジャイルについて、
教えていただくことがありました。




フラジャイル
フジTVの公式サイト
http://blog.fujitv.co.jp/FG/index.html

緩和ケアは患者の身体的、精神的な苦痛、負担を緩和することを目的としています。身体的に負担の大きい化学療法含め、積極的な治療は何もせず、小早川は残された一年をどれだけ有意義に生きられるか、ということを目指すことになります。

教科書的な緩和ケアのことが書かれています。



一方、こんなサイトがありました。



第5話 
http://skjapan-net.com/share/fragile-05.html

今回は余命1年と宣告された癌患者とチーム岸を支えるスーパー検査技師・森井(野村周平)の物語。
癌患者の小早川洋行(安田章大)は、作曲家を夢見るもお金が無くて音大に行けず、幼稚園の保父さん?をしていた青年。ずっと諦め続ける人生を送ってきたせいか、余命1年と宣告されても笑顔で受け入れ、基本的に治療は行わない緩和ケア科への転科もあっさりと承諾。

ふとしたことで小早川と知り合った森井は、小早川の達観したような態度に違和感を覚えます。
小早川は、親も彼女も友達もいないし、人生に何の望みも持っていないので死ぬ覚悟などとっくに出来ていると言います。オクトレオチドという薬なら効くかもしれないということも知っていましたが、莫大なお金が掛かるという理由で諦めています。

でも、緩和ケア科に移り、担当医から半ば強制的に「後悔しない人生」を義務づけられた小早川はどうしたら良いのか分かりません。そんな「後悔しない人生」を義務づけられた小早川と接するうちに森井は自分の中に棲む後悔と向き合うことになります。

森井は小早川に後悔させないために、治る可能性が残っているオクトレオチドの試用を強く勧めるようになります。そのことで小早川の担当医と激しい口論に。

 

 






番組は観ていません。
このサイトの範囲で
記載しています。

ですので、ここでオクトレオチドが
何を意味しているかは、
わかりませんので、そこは触れず・・






驚いたのは、ココ・・

「でも、緩和ケア科に移り、担当医から半ば強制的に「後悔しない人生」を義務づけられた小早川はどうしたら良いのか分かりません。」







後悔しない人生を強制的に義務付ける緩和ケア! 

予想したこともない
解釈でした・・・








確かに、
私たちのカンファレンスで、

患者さんやご家族が、
最期が近づいてきたときに、
あの時、こうしておけばよかった・・と
後悔することがないように
今、我々がすべきことを見落としていないか
検討しよう・・

そんな風に「後悔しないように」
という言葉を使うことがあります。




患者さんやご家族が後悔しないように・・
これはケア目標。
その為のプランを立て、実施するのは、
医療者。

このTVサイトでの言葉は、
プランや実施するのが、
患者さん自身として、
それを、希望することしてではなく、
強制的なこととして、
記述されています。




後悔しない人生を強要するって、
そもそも、ないことだと思います。





私は一度も見たことがない番組で、
回りでも話題には上っていませんでした。
番組を観た医療者の方からは、
そのようには思えなかったとの意見も頂いています。










もう一つ。

2月9日のクローズアップ現代の
公式サイトに記載されている文。

番組の中身ではなく、
あくまでも、このサイトの文章についてです。


http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3767.html

今年1月にがんで亡くなった研究者・澤昭裕さんの選択が話題を呼んでいる。終末期において、最後の原稿を仕上げることを決意。医師や妻と治療方針を詳細に詰め、意識をなるべく明朗に保つために敢えて緩和ケアを抑制し、完成2日後に亡くなった。


意識をなるべく明朗に保つために
敢えて緩和ケアを抑制し・・・

「緩和ケア=意識を落とす治療」

と捉えられているようです。



この文章を紐解くと、

「最後の原稿が仕上げられること」
これが、患者さん・ご家族と医療者が
たてたケア目標


その為に、医療者が取り組んだことは、
症状緩和のための薬剤の微調整を
その時、その時の身体状況に応じて、
行っていったこと。

増やしたり、減らしたり。
その調整そのものが、
この方の全体を見た時に、
最大の力を発揮してもらえる
薬の調整であったものと思われます。




番組は中々よかったようですが、
ちょっと、残念な文章でした。






一つ一つ気にしても・・と思う一方、
啓発・普及活動として、
誤解を解くことに国の委託もあり、
皆で取り組んできたこの数年間。
学会挙げて、皆本当に力を尽くしています。
10年、5年と年々、飛躍的な変化です。
それでも、時々、強い疲労感を覚えるのでした・・

長年、ここで、後悔・・ということを
話題にしてきたことが少なからずあります。

それが強要という意味を含めて伝わることがないよう、
一層、配慮をしながら、記載をしていかなければいけない
という振り返りにもなりました。


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6 コメント

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視聴者の見かた (そら)
2016-02-14 23:30:42
久しぶりのコメントです。

ネタバレのリンクと思います。
番組をみた人が書いているということになります。

>後悔しない人生を強制的に義務付ける

正直、意味がわかりません。
返信する
そらさん (aruga)
2016-02-14 23:46:27
ご無沙汰しております。
同じ時にブログを見ていてくださったんだと思うと、嬉しくなりました。

ご指摘の通り、公式サイトではないですので、番組制作の方が意図したものではないと思います。とはいえ、活字になった意味がわからないものは、同じくらい驚き(ショック)でした。

このブログの表現も、もっと気を配らないといけないですね。
返信する
私がもし癌におかされたとしたら (ゆうこ)
2016-02-15 00:01:34
先生、がっかりなさらないでください。

ドラマの結末は幼稚園児が屋上から間違えて落ちたのを見た彼が子供を助けようとキャッチしてその反動で頭を打って死んでしまうというあっけない最期をとげたのです。そのあとの展開は覚えていませんが。

ドラマなんて所詮絵にかいた餅。
最近のテレビ番組は興味本意で裏付けも甘すぎて…。

私は昭和35年生まれです。
薬学部を卒業し研修生として薬剤部で勤務していた大学病院でブロンプトンミクスチャーに出会ったとき、強い衝撃を受けたことを今でも覚えています。

末期癌などの患者様の尊厳死を支える緩和ケア。
ホスピスということばが世の中に知られ始め、やがて脚光を浴びましたが、残念なことに製薬会社の制癌剤の宣伝にかきけされてしまいました。

たしかに制癌剤や放射線治療で延命効果がでたり、病巣部位が小さくなるかもしれませんが、激しい下痢や吐き気や脱毛なと副作用で苦しむ本人やそれを目の当たりにする家族には納得できないものがあるのも事実です。

以前もコメントに書かせていただきましたが父は悪性リンパ腫で制癌剤治療をしていましたが、イレッサによる間質性肺炎でこの世を去りました。

大好きだった刺身は感染源だからと禁止され、薬を転々と変えられたあげくに副作用で苦しんで苦しんで痩せ細ったあげくに結核の誤診までされて。

母の話によると腎障害で生死をさ迷った時期もあったとのこと。その頃私は主人の転勤で遠く離れた九州で暮らしておりました。

もしも私が癌になったらホスピスで暮らしたいと若い頃から思っています。
痛みを押さえてもらいながら残された日々を穏やかに(無理かもしれないけど)過ごし、静かに息を引き取りたいと。でも残念ながら癌で亡くなるということは静かに去ることは不可能かもしれないけれど。

私は癌と共に生きる選択もありだと思うのです。その時に緩和ケアのドクターと二人三脚で数々の難局を乗り越え本人や家族の苦しみが少しでも楽になるならば、と。

在宅ケアが主流の昨今、ますます緩和ケアの必要性は高まると思うし、高齢者の場合薬の副作用で苦しませるよりも、という選択肢があってもいいと私は思います。薬はリスク、どんな薬も身体になんらかの影響を及ぼすのだから。

癌宣告して、早期に薬を使えば効果がありますよ、なんて説明を聞くとなんだかなあと疑問を感じずにはいられません。

制癌剤を飲みたくないとおっしゃる患者様や飲ませたくないとおっしゃるご家族の訴えを耳にしてもどうすることもできない薬剤師の立場に困惑することがあります。

事実を知らせるのは果たしてよい結果を生むのでしょうか?
わらにもすがりつきたい人に安易に強い薬をすすめていいものなのでしょうか?

これから高齢者が増える一方だからこそ、癌だけではなく様々な疾患において緩和ケアが重要視されていくべきだと私は思います。

尊厳死。

死ぬそのときまで人間でいたいと思うのは自然な気持ちだと思います。
看とる側もそう願うのではないかと。
人にもよりますが。

緩和ケアがあるからこそそれを実現できるのであって、先生のようなドクターがいるからこそ人として最期を迎えられるのではないかと。

昔は自然死が当たり前だったはずなのにいつの世から延命にばかりに目がいくようになったのでしょう。胃に穴を開けて上下管をつけてまで生きていたくないと父は申しておりました。

父が亡くなったばかりなのに病理解剖に献体をと、主治医から言われたときは所詮実験のマウスと同じなのかなととても悲しくなりました。
「臓器提供なんていやだ。死んだら角膜とか内臓とかとらないでくれ。あの世で成仏できなくなる。」が口癖だったのできっぱり断りました。

医療って?

最近そう感じることが多いです。

周りに惑わされず先生らしく生きてください。
返信する
Unknown (ゆき)
2016-02-16 01:07:42
いつも読ませていただいております。母をガンで亡くしてから、縁あって緩和ケア病棟のボランティアをさせていただいています。

ボランティアのメンバーで先日ご主人を亡くされた方が、
「やりたいことはありませんか?」
と聞かれるのが辛い時があったと話してくださいました。
やりたいことと言っても、もう自由に動けるわけでもなかったからね
と仰った奥様。

限られた選択肢の中から何かを探そうという戸惑う気持ちが、探さなくては、になる瞬間。その揺れ動く気持ちをドラマでは強制という言葉に置き換えてしまったのかもしれないと感じました。

最期まで仕事を続けたい
家族旅行に行きたい
最後までトイレだけは歩いて行きたい
生きることだけを信じ続けたい

その人が望む最期の時間の過ごし方

思いがけない病で命を終えることや
大切な人を亡くすことで
後悔しない人はいないと思います。

でも、たったひとつでいい
願いを叶えてあげられたら、それが、
その人の残された時間や
遺族のそののちの時間を支える礎になると感じます。

人生のゴールへの伴走者として、暗闇に灯りを灯すように患者と家族を支えてくださる医療者の方々のご尽力に感謝申し上げます。
返信する
ゆうこさん (aruga)
2016-02-16 21:26:54
励ましのメッセージと大切なことのシェア、ありがとうございます。
あまり気にしても・・と思いつつ、私、緩和医療学会の広報委員会に関わっているため、意識を捨て去りきれないところもあります。
記事の後半の件も、1月に学会に関連することの問い合わせがあったりしました・・・
返信する
ゆきさん (aruga)
2016-02-16 21:38:39
緩和ケア病棟でボランティアをしてくださっているのですか。
多くの方の暖かさ、ボランティアの方がいらっしゃってくださるから醸し出せる生活感、本当に、ありがとうございます。

お書きくださっていること、本当にそうだなあと思います。
後悔しない人はいないでしょうが、ささやかでいいので、医療を越えて、人生としての希望を支えたい・・そのために、一人一人異なる気持ちを確かめたいと思い、心のドアをノックするのですが、その時の反応が、また一人一人異なるものだなあと思います。
ある方からは、もう何もないよと言われる方もいらっしゃれば、尋ねられたことで、”希望をもってもいいんだと気づいた”と言われ、ハッとしたこともありました。

ドアをノックしたことで、希望のドアを開けてもいいんだと思ってくださるなら、ありがたいのですが、希望はもう閉じ込めたから開けないでと言われた時に、そうでしたか・・とそっと離れることもあります。そんな時に、開けろと言われたと思われないようなノックをしなければいけませんね。

本当に難しいものです。
医療がそこまでするのか・・という点が、緩和ケアと医療との違いかもしれません。医療だけにとどまれば、希望のドアは素通りしますから・・

頂いたコメント、感謝です。驚きのWebサイトの気持ちを紐解いてくださり、理解を促してくださいました。
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