北野天満宮の近く、上七軒という花街がありますがこの一帯は真盛町という地名で、
この真盛とは天台宗真盛派の寺院があったことから興った地名です。この地に残る尼門跡は
蔵人御所本光院門跡です。
本光院寺史
本光院は乾元元年(1302)後二条院(天皇)の皇女である硬子内親王が父帝の菩提を
弔うために開創、蔵人御所号を勅許される。元は上京二階町にあったが荒廃して、
天正年間に織田信長が再建して北野に移転した。この時より延命地蔵菩薩を本尊とする。
中興の祖、本光院日心尼の院号により本光院と改称する。宗派も臨済宗・法華宗・天台宗と
時代により変わり、現在は天台真盛宗。摂家子女が入寺する寺であったが、次第に荒廃。
昭和43年に天台真盛宗の西方尼寺境内に再建されて、西方寺住職が本光院門跡も兼ねて
法灯を継承している。江戸期の石高は20石余。天台真盛宗 本尊延命地蔵菩薩。
本光院がある西方尼寺は上七軒にあります。境内には北野大茶会の時に千利休が使用した
井戸「利休井戸」や利休手植の「五色散椿」があり、千家にゆかりのある尼寺です。
上七軒の舞妓芸妓は西方尼寺で茶道を習うそうです。五本線の壁が門跡寺院の寺格を
あらわしていますが、門は閉じられていて寺名を書いた表札もありませんでした。

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この真盛とは天台宗真盛派の寺院があったことから興った地名です。この地に残る尼門跡は
蔵人御所本光院門跡です。
本光院寺史
本光院は乾元元年(1302)後二条院(天皇)の皇女である硬子内親王が父帝の菩提を
弔うために開創、蔵人御所号を勅許される。元は上京二階町にあったが荒廃して、
天正年間に織田信長が再建して北野に移転した。この時より延命地蔵菩薩を本尊とする。
中興の祖、本光院日心尼の院号により本光院と改称する。宗派も臨済宗・法華宗・天台宗と
時代により変わり、現在は天台真盛宗。摂家子女が入寺する寺であったが、次第に荒廃。
昭和43年に天台真盛宗の西方尼寺境内に再建されて、西方寺住職が本光院門跡も兼ねて
法灯を継承している。江戸期の石高は20石余。天台真盛宗 本尊延命地蔵菩薩。
本光院がある西方尼寺は上七軒にあります。境内には北野大茶会の時に千利休が使用した
井戸「利休井戸」や利休手植の「五色散椿」があり、千家にゆかりのある尼寺です。
上七軒の舞妓芸妓は西方尼寺で茶道を習うそうです。五本線の壁が門跡寺院の寺格を
あらわしていますが、門は閉じられていて寺名を書いた表札もありませんでした。



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