黒駒 寺社参拝記

畿内を中心とした寺社参拝記です。主に西国三十三所や聖徳太子霊場を巡礼中です。

【太子巡礼】 羽曳野界隈 西琳寺

2013-06-10 16:38:48 | 聖徳太子巡礼
野中寺を出て、次に古市の西琳寺へと向かう。西琳寺は古市駅から徒歩でほんの5分程度の所にあるのだが、
10年前はまさかの道に迷って周辺をさまよい歩き、人に道を尋ねながらグダグダになりながらたどり着いた
思い出がある。しかし今回はささーっと到着。住宅地の並びにあるからなかなかわかりにくい場所ではある。




こちらも飛鳥時代に起源をもつ古刹。欽明天皇の勅願寺というから仏教伝来とほぼ同時期に建立されたことに
なり(当時は向原寺と称する)、まさに門前の石標にある「本朝佛事最初」の寺である。白鳳時代には七堂伽藍
を有した大寺であったが、それは境内に残る五重塔心礎の大きさから充分に想像できる。重量28tだとか。
小鳥かひよこの顔(・o・)のようなユーモラスな外観の礎石だが、意図してそうなっているわけではないらしい。


しかし現在は住宅地にとけこんだ感のある小さいお寺。本尊は薬師如来。


境内には西大寺復興で有名な叡尊上人などの供養塔である鎌倉時代の石造五輪塔が残る。これは室町初期に
守護畠山氏による高屋城構築の際、土塁下に埋没され行方不明であったところ昭和33年に600年の時を経て
偶然発掘されて移転復元安置したというもの。(西琳寺しおりより)


納経所は本堂脇にあるが誰もいないので住職の住居のインターフォンを押す。すると年配の女性が出てきて
応対してくれた。10年前も確かこの人が応対してくれた記憶がある。そのときと同じくわざわざ納経所を
開けてもらってご朱印を頂いた。時はちょうど正午前。近所の住宅の開け放たれた部屋の窓からテレビの音が
境内にも聞こえてくる。そんな環境に今はある日本で最も古く、そしてかつては大寺であった西琳寺である。

野中寺と西琳寺のご朱印。いずれもご本尊薬師如来のご朱印。


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【太子巡礼】 羽曳野界隈 野中寺と来目皇子陵 

2013-06-09 23:03:46 | 聖徳太子巡礼
先週は南都・飛鳥方面をぶらついておりましたが、今週は羽曳野周辺に出没。久しぶりに野中寺・西琳寺を訪れた。

どれぐらい久しぶりかと過去の納経帳を引っ張り出してみて見ると、なんと10年ぶり。4、5年ぶりぐらいの感覚で
いたのに。というのも西国巡礼にも以前に始めた巡礼が太子巡礼で、その始まりが八尾・羽曳野だったので思い出
深くて記憶にもけっこう残っているのだ。

まずは野中寺。葛井寺へ行く時に門前は車で何度か通っているのだが、境内に入るのは先述の通り10年ぶり。


聖徳太子発願で蘇我馬子がその建立に携わったとされ、飛鳥時代に起源をもつ野中寺の境内に入ると右手に
金堂の礎石、左手に三重塔の礎石が残る。いずれも飛鳥時代の遺跡である。
金堂の礎石


 

三重塔の礎石。塔心礎は花びらの形で孔があり、太子霊場ご朱印はこの形の印。手前に亀の線刻がみえる。


 

ご本尊は薬師如来。西国薬師第14番でもある。


渡来人との縁が深い野中寺。地蔵堂前には渡来人らしき石像がぽつんと建つ。


野中寺の鎮守社である野々上八幡神社とは隣接していて境内はつながっている。


野中寺からそう遠くない場所に聖徳太子の弟である来目皇子の陵があるので行ってみた。地図上では野中寺の
門前の道路を南へ直進で800mほど、10分も歩くと見えてくるはず。それらしき森と鳥居を横目で確認して
入り口を探す。すると大阪府立大学の構内へ・・・。 まさか大学構内から行けるのか??と思いながら日曜日で
人が誰もいない構内を部外者でありながら進む。しばらくして、んなこたあない!と確信して踵を返して構内から出る。
んで入り口はどこなの??と道を戻って探してみる…。

なんのことはない。さっき横目で確認した森に続く道があるではないか!まあ道とはいっても、マンション駐車場と
宗教団体らしきビルの間の幅1mちょいぐらいの小道なので、私道と間違えるのも無理はない。せめて案内板
ぐらいあれば・・・。
 


来目皇子埴生崗上墓(はにゅうのおかのうえのはか)




50m余辺で高さは10mほどとされる方墳。来目皇子は新羅討伐の将軍として渡海する前に筑紫で病没したと
される悲劇の皇子。聖徳太子の勢力を削ぐために蘇我馬子が将軍に推したとの説もある。

陵のそばにはマンション。そう高くなく大きくもない陵の全容をマンション最上階から望めそうだが、
マンション入り口の「関係者以外の立ち入り禁止」の看板が、行く手を阻んだので陵を後にした。

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飛鳥坐神社 ちんちん鈴

2013-06-04 09:47:40 | 奈良の寺社
今年の節分2月3日にも明日香村には行っていて、その時にお参りしようと思っていたのが飛鳥坐神社。
でもこの日は2月の第1日曜でこの神社の祭礼にしてキングオブ奇祭といわれる「おんだ祭り」の日だったので、
当然境内は人々で埋め尽くされるだろうから回避して今回が始めてのお参りとなりました。

実際2月3日の午後に近くの飛鳥寺へ行ってバスで橿原神宮駅に戻ろうとしたら、おんだ祭り帰りの人々で
バス輸送が追いついてない状況だったのだけど、今回は神社の境内にも人がいなくて大変静か。

この飛鳥坐神社、「あすかざじんじゃ」と読みそうになるけど訓読みで「あすかにいますじんじゃ」という。
神社の由緒書によると創建はわからないほど古く、大国主命の子である事代主神がこの地に鎮座したとされ、
神主家は大神臣飛鳥直(おおみわのあそんあすかのあたい)の氏姓を崇神天皇から受け、以来現在は87代目に
あたるらしい。境内の規模はそう大きくない。こじんまりとした丘に本殿は建つ。




 

小さい神社ではあるが、先述のおんだ祭が奇祭として有名なのに加えて、いわゆる性器崇拝で有名な神社である。
そもそもおんだ祭からして天狗とおたふくの公開チョメチョメなのだから。




授与所は鳥居のそばにある。無人だったのでインターホンを押すと宮司の奥さんが出てきてくれた。
この奥さん、4月に放送されたごぶごぶに出てはった人だ。ごぶごぶのステッカーもある!


以下、くろこまと奥さんの会話・・・。
黒駒「ごぶごぶ出てましたねー」
奥さん「深夜ですけど若い人がようけー(多く)見ておられるんですねー」

ごぶごぶによると笑い飯の哲夫とこの神社の娘さんが同級生らしくて、その縁でも浜ちゃん・東野・哲夫が
ロケに来たみたい。そして3人も買っていった「ちんちん鈴」・・・。

黒駒「あのー、鈴ください・・・」 (ちんちんは言えんかった・・・)
奥さん「はい、どれになさいます?」 (3種類ある)
黒駒「じゃあ、右のと真ん中のをひとつずつ」
奥さん「あーごめんなさい。右のは今売り切れててないんです。あの放送からいっぱい人が来られて
    買っていかれてね」


まさかの売り切れ。さすがテレビの影響は大きいな。売り切れていたのは薬がかかっていて色模様が
ついている鈴。そしてくろこまが頂いたのは素焼き風の鈴。


このちんちん鈴、どこで製造してるんだろ?とぐぐってみたら地元明日香村の工房のようだ。工房のブログ
あって、それによるとおんだ祭前後も売り切れで増産体勢に入っていたみたい。さらにごぶごぶ効果で
例年1年分の数が1ヶ月で売れたとか。予約待ちもあるそうで神主さんが何百個でもいいから早く作って!
と依頼中・・・ってすごいなー。今も必死でどんどん焼いておられることだろう。

飛鳥坐神社のまわりはのどかな田園で神社の前には休憩スペースがある。そこでバス待ちのために
しばらく座っていたら、数人、さらにまた数人と神社へ入っていって授与所に向かう。出てきたそれらの
人の手には神社の白い紙封筒。おそらくちんちん鈴。また売れた。早く増産を!

さて、今回お参りの大神神社と飛鳥坐神社のご朱印。


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三輪明神 大神神社へ

2013-06-03 09:02:15 | 奈良の寺社
遠くからでもはっきりと見える大鳥居、いつかはくぐりたいと思っていた大和国一ノ宮にして旧官幣大社の
大神神社(三輪明神)に今回初めて参拝しました。長谷寺からの帰りに近鉄桜井で下車。タイミング良く
駅前のロータリーに停車していたバスに乗り込み10分ほどであの大鳥居前に到着。耐久性は1300年ほどにもなる
対候性鋼板の高さ32.2mの日本一の鳥居。近くに寄ってももちろんとてつもなくでかいですなー。実際は車道を
挟んでの鳥居なので下は車がバンバン通ります。実は一の鳥居ではないそうで、この大鳥居のでかさに
気をとられて真の一の鳥居を見過ごしてしまいました・・・。


この大鳥居から15分ほど歩いて見えてくるのが二の鳥居。この前までは車道なのでこの二の鳥居から先が
静寂な参道となるのです。


二の鳥居からの参道を歩きながら心を整えて本殿へ!・・・となるところ、実はこの大神神社にはご神体の在わす
本殿はなく、本殿と見間違う立派な殿舎は拝殿。三輪山自体をご神体とするためそれをお納めする本殿が
ないのは至極当然ということだ。三輪山は前掲写真の大鳥居の先に見える山である。


拝殿の奥に三ツ鳥居があり、さらに三輪山自体にも参拝登山が出来るそうだが時間の都合で拝殿からの
参拝のみで退がった。二の鳥居まで戻ったところで右に行く。その先に大直禰子神社(おおたたねこじんじゃ)
という摂社があるが、こちらは明治初年までは大神神社の神宮寺だったそうでかつてのご本尊は聖林寺の
あの国宝十一面観音だったとか。残る建物は重文指定された室町時代以来のもので「神社」といいながら
まったくお寺のお堂である。若宮社とも称する。




さてこのあと奈良市内へ戻り、今回は宿泊。新大宮駅前のスーパーホテルにて。部屋が8階の東向きだった
ので部屋の窓から約2キロ先の東大寺大仏殿と興福寺五重塔が同時に遠望できるという絶好のロケーション
の部屋でした。朝目覚めての眺望に感動。



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東大寺法華堂へ

2013-06-02 14:02:05 | 奈良の寺社
東大寺法華堂は平成22年から3年がかりで堂内の修理と仏像の修復が行われていましたが、
このたびその修理を終え先日から公開が再開されたので、金曜日の朝から拝観に行って参りました。

法華堂が開くのは午前7時半。深夜2時起きで始発に乗って奈良には6時半すぎに入り、東大寺には7時前に
到着。昼間は観光客でいっぱいの大仏殿前もご覧のとおりの人ひとりいない状態。なかなか貴重な時間帯ですよ。


 





大仏殿を左に見ながら緩やかな坂を上ると法華堂と二月堂が目の前に。


この時点でまだ法華堂は開いていないので、先に二月堂に参って勤行をする。朝の清々しい空気の中で
読経をするのはこれまた気分が乗ってくるというか気持ちがいい。先日に梅雨入りして天気予報もはじめは
あまりよろしくなかったけど、晴れモードご覧のとおりの快晴に!


さてそうこうするうちに法華堂が開いたので1番乗りで受付へ。新しく敷かれた檜のすのこの香りが
靴を脱ぐ間にも鼻をくすぐり、さらに期待を高めていざ堂内へ!


あ、やっぱし すっかすか・・・。


これが予想していたとおりの第一印象ですわな、以前の法華堂内を拝観した者としては。そう、修理前に
ご本尊の不空羂索観音を中心に所狭しと林立していた仏像は十六仏尊。そのうち地震で転倒破壊の危険性が
ある塑像の日光月光両菩薩・吉祥天・弁財天・不動明王二童子・地蔵菩薩の六尊が東大寺ミュージアムへと
移されて、残ったのが本尊・四天王・金剛力士・梵天・帝釈天と背面厨子内の執金剛神の十尊である。
さすがにその数の差は目にしてすぐわかりますな。

まずは勤行ののちにじっくりと拝観。今回の修復で埃が払われ退色施術もされたそうだが、天平の色と
模様を間近で目で見て歴史の長さも感じられるというのは大変贅沢で幸せなことだ。しばしその空間、空気感を
これまた新しくなった畳に腰掛けて堪能する。そうしているうちに第一印象のすっかすか感もどうでも良く
なってきて、これはこれでしっくりと感じてきたのである。

入堂して1時間も経った頃、ようやく外がガヤガヤと騒がしくなってきたので法華堂を後にした。

外では鹿先輩たちがのんびりと・・・。


最後に大仏殿の横からバージョン。でかい・・・。東大寺はやはりスケールがでかい。



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