今日は京都の三十三間堂で月に1回行われている「観音経読誦会」に
行ってきました。京都は半月前の五山送り火以来です。暑さも少し
やわらいでいました。
午前9時前に三十三間堂に到着。平安末期、後白河院による創建で
現在のお堂は鎌倉中期の再建による700年以上前の建物です。
とにかく長い!長さ120mもある。
この長~いお堂の中に大きな中尊の十一面千手千眼観世音菩薩とその左右に千体もの
観音菩薩および脇侍の仏さまがどど~んといらっしゃいます。
初めてこのお堂に入った人はその圧倒的な観音さまの数と壮観さにド肝を抜かれるでしょうな。
圧倒的ではあるが威圧的ではない。それは慈悲に満ちた表情の仏さまだからです。
きれいに並んでいます。1列につき5体ずつ。写真のように斜めからみてもきれいに
並んでいます。後の方の観音像をもし修理とかのために出す時はとても大変な作業に
なるんだろうなーとか、地震では大丈夫なんだろうか?とか大きなお世話でしょうが
そんなことを思いながら拝観していました。この1001体の観音像のほかにも
風神雷神や二十八部衆や四天王など魅力的な仏像でいっぱいです。
三十三間堂、正しくは「妙法院門跡蓮華王院三十三間堂」です。
名前の由来は柱間(はしらま)が33あることからの通称ですが、この「33」という
数が観音菩薩には意味があるんです。観音霊場も三十三ヶ所。
これは法華経観世音菩薩普門品第二十五(観音経)で観音様が人々の困難に応じて
33のお姿に変身して救いに来てくれると説いていることからの由来です。
さてその観音経の読誦会ですが毎月1日に中尊の仏前で午前10時より行われます。
普段は座ることのできない中尊の仏前の内陣に座って観音経と般若心経を唱えます。
だから同時にゆっくりといつもより間近で中尊の巨大な観音さまを仰ぎ見ることが
できました。導師さまを含めて5人の僧侶とともに参列者は観音経を最初から
唱えます。由緒深いご本尊の前で観音経を唱えるのはとても気持ちのいいものです。
最後はご真言で締めくくりです。オン バザラ ダルマ キリ ソワカ。
なおこの三十三間堂の境内の南側には豊臣秀吉が寄進した「太閤塀」と南大門が
残っていて桃山時代の遺構として重文指定されています。
行ってきました。京都は半月前の五山送り火以来です。暑さも少し
やわらいでいました。
午前9時前に三十三間堂に到着。平安末期、後白河院による創建で
現在のお堂は鎌倉中期の再建による700年以上前の建物です。
とにかく長い!長さ120mもある。
この長~いお堂の中に大きな中尊の十一面千手千眼観世音菩薩とその左右に千体もの
観音菩薩および脇侍の仏さまがどど~んといらっしゃいます。
初めてこのお堂に入った人はその圧倒的な観音さまの数と壮観さにド肝を抜かれるでしょうな。
圧倒的ではあるが威圧的ではない。それは慈悲に満ちた表情の仏さまだからです。
きれいに並んでいます。1列につき5体ずつ。写真のように斜めからみてもきれいに
並んでいます。後の方の観音像をもし修理とかのために出す時はとても大変な作業に
なるんだろうなーとか、地震では大丈夫なんだろうか?とか大きなお世話でしょうが
そんなことを思いながら拝観していました。この1001体の観音像のほかにも
風神雷神や二十八部衆や四天王など魅力的な仏像でいっぱいです。
三十三間堂、正しくは「妙法院門跡蓮華王院三十三間堂」です。
名前の由来は柱間(はしらま)が33あることからの通称ですが、この「33」という
数が観音菩薩には意味があるんです。観音霊場も三十三ヶ所。
これは法華経観世音菩薩普門品第二十五(観音経)で観音様が人々の困難に応じて
33のお姿に変身して救いに来てくれると説いていることからの由来です。
さてその観音経の読誦会ですが毎月1日に中尊の仏前で午前10時より行われます。
普段は座ることのできない中尊の仏前の内陣に座って観音経と般若心経を唱えます。
だから同時にゆっくりといつもより間近で中尊の巨大な観音さまを仰ぎ見ることが
できました。導師さまを含めて5人の僧侶とともに参列者は観音経を最初から
唱えます。由緒深いご本尊の前で観音経を唱えるのはとても気持ちのいいものです。
最後はご真言で締めくくりです。オン バザラ ダルマ キリ ソワカ。
なおこの三十三間堂の境内の南側には豊臣秀吉が寄進した「太閤塀」と南大門が
残っていて桃山時代の遺構として重文指定されています。
こちらはやはり中学の修学旅行以来、20年ぶりくらいに
なりますかね・・
2月の旅行で1番良かったところでもあります。
風神・雷神がカッコイイですね~
あれだけの仏像を700年以上も維持しつづけるって
大変なことだと思いますよ。応仁の乱で焼失しなかった
のが幸いでした。圧倒的ということでは奈良の大仏に
匹敵すると思います。