江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

「天草島民俗誌」河童雑記   その6 から その10

2021-11-24 00:45:38 | カッパ

「天草島民俗誌」河童雑記   その6 から その10
                                      2021.11

本戸村(ほんどむら:後 本渡町、今は天草市の一部)  「天草島民俗誌」河童雑記  その6
夏、田の水がなくなって、水車で水を田の中に踏み入れる時は必ず鎌を持って行く。これは河童よけの為である。
 
牛の首の谷川の話。  
本戸の婆さんが、隣の本村に用事があって、その帰途に橋の上を通りかかると、十月の寒いのに、子供が下で泳いでいる。
それで心配して「風邪を引くから早くあがれ」と注意すると、かえって婆さんに水を浴びせて、逃げてしまった。
家へ帰ると、婆さんは、何ともわからない病気になって、一ヶ月ばかり苦しんだ。
或る日 便所に行って、手水鉢に手を入れると、そのままどうしても水から手が抜けない。
その時、ある人が、豆腐を入れて河童に謝れ、と言うので、その通りやったら、果して抜けた。

 

  
楠浦村(くすうらむら:今は、天草市の一部)  「天草島民俗誌」河童雑記  その7
 
河童は、陸では馬や牛の足跡に何千と敷知れず入っている。
  

志柿村  「天草島民俗誌」河童雑記    その8

冬の間は山の中にかくれていて、春の終りから、夏の初めに山から下って水辺に行く。
その時は、大将の河童が駕籠にのり、家来はそれをかついで、家と家のかげの薄暗い湿ったところを「ほい ほい ほい ほい」と掛声をしながら通って行くのである。
その通路は、毎年きまっていると云う。
もし、その行列に知らないで行きあった者は、すぐその場で死んでしまう。
それから、一夏すんで、又秋の末になると、同じ道を、山の中へと帰って行く。

河童は、大きなのは、三尺位、手の指は三本、頭上に皿がある。

相撲好き。

河童のもっとも多くいる所は、下浦と志柿の境の所である。
そこで昔殺された武士が河童になったのだと云う。
      


一町田村   「天草島民俗誌」河童雑記  その9
仏様に供えたご飯をいただいてから泳ぐと、河童に尻をとられぬ。
その謂われは、昔 左甚五郎がある寺を建立する時、あまり怠けていて、期日が段々迫って来た。
どうしようと思って或る朝起きて見ると、立派な寺が建っている。
それは、何時か彼が作っておいた人形が動き出して、主人の知らぬ間に造ったのであった。
後に、その人形を川に捨てる時、お前は人間の尻をとれと言った。
そこで仏様の御飯をいただいた人間の尻だけはとらぬ。

額は虎の如く、体には鱗があり、三・四才位の小児の様であり、非常に相撲好き。

 


手野村  73 「天草島民俗誌」河童雑記  その10 

下河内の佐藤庄屋の話と同型の話。
長島庄屋の家の下男が、川に馬を洗いに行っていると、河童が悪戯ばかりするので、それを捕へて来て、厩の前に縛っておいた。
すると、下女が何も知らずにその前を通った。
歯をむき出して威嚇するので、提げていた手桶の水を頭からかけた。
すると、元気づいて、川へ逃げて行ったというのである。

左甚五郎がさる大名の命を受けて、その邸宅をつくる時、期日は容赦なく迫るのに、竣工は覚束(おぼつか)ない。
そこで、多くの藁人形を作って、それに命を吹き込んだ。
彼らに、手伝いをさせて、忽ちに竣工した。
それから、その藁人形を川に捨てる時、人形共が、
「私等はこれから何を食っていったらよいでしょうか?」と問うた。
すると、甚五郎は、「人問の尻をくらえ。」と言った。
河童が人間の尻をとるのは、それからである。

 

 



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