私が大学で法学を学んだのはもう40年も前のことですから、ずいぶんと法学部の内容も変わったものだと思います。それに私の学生時代は学生運動が盛んな時期で大学でまともに勉強などしていませんでした。それなのに学生時代から変人の私は法哲学と法社会学には関心を持って勉強していました。そもそも法哲学や法社会学といった授業は司法試験には科目も無く就職にも役に立たないので学生に人気はありません。ましてや法哲学など関心があるというと理窟っぽい奴と嫌われてしまいます。しかし今さらながら思うのですが、法哲学はあるべき法を考えること、法社会学は、存在する法が社会にどう活かされているかを考えることで、これほど重要な学問はありません。逆に役に立たないと思うことは、現代社会があまりにも試験や就職に役に立つものだけを機能的に考えて利用しているだけにすぎず、本来、もっと深いところにある本質的なことを忘れていることになります。これでは物事の本質を見誤ってしまいかねません。国会で憲法改正論議もなされている今、どうも改正ありきで、本質的な議論がなされず機能的に議論が進んでいるように感じています。正に現代社会は危機的な状況に陥っているようにも感じています。
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