クリスマスの今日、本郷3丁目で日本地域医療連携システム学会の公開シンポジウムがあり、がん哲学外来の樋野先生の講演もあるので参加してきました。「病気であっても病人でない」「馬の上から花を見るのでなく、馬から下りて花を見る」患者に対する医師の目はまだ上から目線で患者の目線で診なければならないと語られます。
ちょうど今、岩波新書の新刊本で「パウロー十字架の使徒」を読んでいて、その中に「無残な姿をさらし続けるイエス・キリストとともに、十字架を担い続けていくこと。自らの力に頼り、自らの業績を頼みに生きる「強い」生き方ではなく、イエスとともに、そしてこの世の苦難を強いられている人たちとともに十字架を担い続ける「弱い」生き方のなかにこそ、本当の意味での「強さ」が、そして「救い」が逆説的に存在する」とあります。
新約聖書コリント人への第2の手紙13章4節には「キリストは弱さのゆえに十字架につけられたが、しかし彼は今、神の力によって力強く生きておられるのである」とあります。正に私たちは弱さを認めるからこそ強くなれるのだとパウロを想いながら感じました。
ちょうど今、岩波新書の新刊本で「パウロー十字架の使徒」を読んでいて、その中に「無残な姿をさらし続けるイエス・キリストとともに、十字架を担い続けていくこと。自らの力に頼り、自らの業績を頼みに生きる「強い」生き方ではなく、イエスとともに、そしてこの世の苦難を強いられている人たちとともに十字架を担い続ける「弱い」生き方のなかにこそ、本当の意味での「強さ」が、そして「救い」が逆説的に存在する」とあります。
新約聖書コリント人への第2の手紙13章4節には「キリストは弱さのゆえに十字架につけられたが、しかし彼は今、神の力によって力強く生きておられるのである」とあります。正に私たちは弱さを認めるからこそ強くなれるのだとパウロを想いながら感じました。