公害問題の原点と言われる足尾鉱毒事件の問題解決に奔走していた田中正造は明治30年頃赤坂氷川の勝海舟邸に足を運んでいました。勝海舟は風水害を含め国民の災害については深い関心を寄せていて自らも日光詣で足尾鉱毒事件についても関心を寄せていました。新聞の論壇にも足尾鉱毒事件はすぐに鉱山停止をするべきだと投稿していました。当時、足尾鉱毒事件を所管する農商務省大臣は旧幕臣で勝海舟と幕府海軍で共にしていた榎本武揚で国会での田中正造の質問や国民の声から政府に足尾鉱毒事件調査委員会が立ち上がりました。委員には勝海舟と親しい農学者の津田仙や勝海舟の娘婿で大蔵省主税局長の目加田種太郎も入っていました。勝海舟は苦しんでいる被害民の為に奔走する田中正造に百年後の総理大臣と証文を書きました。苦しんでいる民を第一に問題の起きている現場を第一に考える勝海舟の視点が田中正造の行動に共感した場面でした。
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