実家の薩摩藩から徳川13代将軍家定の正室になった篤姫は、実家の薩摩藩に討幕されてしまいました。その住まいであった江戸城大奥は退去することになりましたが、最後の将軍徳川慶喜は謹慎中で、江戸城の実質の責任者は天璋院篤姫でした。実家の薩摩に帰ることなく多くの徳川家臣団を見守りながら自ら質素倹約に努め徳川家存続に奔走しました。天璋院篤姫は16代当主徳川家達の養育と成婚に努めその成長を見届けて明治16年49歳でこの世を去りました。徳川家に骨を埋めた天璋院篤姫の天命でした。
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