後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔188〕佐々木博さんの『日本の演劇教育』(晩成書房)は労作の中でもとびきりの労作です。

2018年07月26日 | 図書案内
 演劇教育の大先輩の佐々木博さんがついに『日本の演劇教育』を出版されました。この本は354ページの大著です。
 著書が送られてきてびっくりすることの連続でした。
 本造りに取り組まれていることを聞いたのは数年前のことでした。メールで送られてきた原稿はA4で40枚程度だったでしょうか。興味深い書き出しでした。その後も書き続けられているという話を風の便りに聞きました。それがこの大部な本に完結したのです。
 次に驚かされたのは、本のあとがきの書き出しを見た時です。何とそこに私の名前が書かれていたのです。2011年1月に「演劇と教育」の特集企画で、「ドラマとしての授業」という鼎談が組まれました。参加者は佐々木さんと渡辺貴裕さんと私でした。その会の打ち上げで、私が佐々木さんに本を書いてほしいと迫ったというのです。力量のある先輩や仲間に本を書いてほしいというのは私の「特技」でした。演劇教育運動を中心的に担ってきた我々は、本という形で演劇教育の理論や実践を残す使命があるというのが私の基本的な考え方です。そうした記憶は確かに私の中に残っていました。しかしながらそれを実行してくださる方はそう多くはいません。まさにそのことに驚いたのです。
 もう1つ驚かされたのはその内容に関してです。
  冨田博之さんの『日本演劇教育史』(国土社、1998年)が出版されたのは彼が亡くなって4年後のことでした。この本は「成城小学校の<学校劇>運動」で終わっているのです。編集を担当した副島功さんは「将来、この冨田さんの業績が次の研究者や実践者に引き継がれ、さらに発展していくことを心から願い、本書がそのための大きな遺産になると信じている。」と書いています。佐々木さんはまさに冨田さんの業績を引き継がれただけではなくて、それ以前の日本の演劇教育の総括、さらには成城後の演劇教育の実践を書き切ったのです。
 さらに内容に触れると、冨田博之演劇教育論を補強発展させたものになっているということです。宮原誠一さんのコミュニケーション論が果たした役割、竹内敏晴さんの『ことばが劈かれるとき』以前の、演教連初期における彼の提言などを掘り起こしているのです。まとまって読まされると、私にとってはとても新鮮な「発見」が数多くあるのでした。

 先日大塚駅近辺で佐々木さんの出版を祝う会を開きました。猛暑のなか十数人の参加がありました。そこで私が話したことがあります。副島功さんが「演劇教育の原点を探る」という研究会を十数回開催したことがあります。その思いを受け継いで、私が全国演劇教育研究集会の講座「演劇教育の原点を探る」を3回開きました。内容は、冨田博之演劇教育論、小池タミ子の劇あそび論、竹内敏晴の「語ること」についてでした。それらの延長上に、佐々木さんをゲストに、『日本の演劇教育』を読む会を開きたいと思うのです。参加者の大方の賛同は得られたようでした。

 最後に、本の内容を紹介しましょう。


■『日本の演劇教育─学校劇からドラマの教育まで─』 3,000円+税 2018年3月31日
●晩成書房HPより
教育と演劇の関わり、その歩みと現在。
音楽や美術とは異なり、学校の教科には位置づけられなかった演劇。
しかし、演劇を教育に生かす実践は脈々と続いてきた。
その歩みを、先人たちの遺産に学びつつ丁寧にたどる。
学芸会の「学校劇」から、教育活動全体に関わる「演劇教育」へ、
そして今注目の「表現教育」「コミュニケーション教育」「ドラマ教育」へ──。
教育の中での演劇活動の広がりと深まり、現在のありようを浮き彫りにする労作。
心ある実践家たちの弛みない努力の成果に学ぶ
これまで日本の演劇教育は、学校教育の中に正当に位置づけられ、
活動が十分に保障されるような環境下にはなかった。
そうしたなかで今のような演劇教育があるのは、
心ある実践家や研究者の弛みない努力によるところが大きい。
そのあゆみと遺産から何を学ばなければならないのか、
それはこれからも追い求めなければならない課題だろう。

第一部 演劇教育の流れをたどって
第1章 学校劇の興りとその運動
一 「学校劇」と「児童劇」
二 小原国芳の学校劇
三 学芸会の成立
四 大正デモクラシーと学校劇
五 成城学校劇と斎田喬
六 坪内逍遥と児童劇
 1 脚本研究としての朗読/2 逍遥の児童劇脚本/3 逍遥の児童劇運動
七 第一回成城学校劇発表会
八 学校劇禁止令
九 禁止令と成城学校劇
十 成城事件
十一 テアトル・ピッコロ
十二 禁止令の後
十三 唱歌劇
十四 学校劇研究会の発足
十五 子供の劇場
十六 学校劇研究会公開発表会
十七 日本学校劇連盟結成
十八 日本少年文化研究会のこと
第2章「演ずること」の発見
一 歌って踊っての演芸会
二 東京児童文化連盟の結成
三 日本学校劇連盟の復活
四 生活劇の始まり
 1 斎田喬と生活劇/2 劇作家落合聰三郎の誕生/3『掃除当番』のこと
五 生活劇とドラマ
六 学校劇と生活綴方
七 『どこかで春が』の実践
八 民主教育への道
九 学習指導要領〔試案〕と演劇教育
十 ゴッコ学習と演劇教育
十一 カリキュラムと演劇教育
十二 「逆コース教育」のなかで
十三 スタニスラフスキー・システムとの出会い
十四 「演ずる」ことの発見
十五 「日本学校劇連盟」から「日本演劇教育連盟」へ
第3章「ドラマ教育」の登場
一 「ドラマ教育」との出会い
 1 劇が消える/2 新しい演劇教育の潮流
二 表現教育としての「ドラマ」
 1「ドラマ」か「シアター」か/2 はじめはドラマ、あとからシアター─栗山宏の実践/3「ドラマ」の授業─矢嶋直武の実践/4 教室にドラマを
三 ドラマ教育としてのエチュード方式
 1 エチュード方式の提唱/2 『大きなダンボール』の上演
四 劇あそびは遊びである
 1 お話を遊ぶ/2 劇あそびの開拓者/3 ドラマ教育と劇あそび
五 ドラマ活動における即興と遊び
 1 即興/2 劇は遊びである

第二部 演劇教育から学校文化の創造へ
第4章 演劇的教育、そしてドラマ教育
一 演劇教育を教育として
二 演劇的教育の役割
三 演劇的教育におけるドラマ教育
四 演劇教育に問われるもの
 1 差別・選別と能力主義教育/2 ドラマ教育における自発性と自己表現/3 表現することは生きること/4 竹内敏晴のレッスンから/5 認識・感情と表現
第5章 コミュニケーションと対話
一 コミュニケーションと演劇教育
 1 コミュニケーションの典型は演劇/2 教育におけるひずみ/3 教育改革のこと/4 子どもの事件から/5 「いじめ」をめぐって/6 関係の重さ、そして優しい関係/7「伝え合う力」とコミュニケーション/8 コミュニケーション的関係をひらく
二 対話と演劇教育
第6章 学校文化としての演劇教育を
一 教育になじまなかった演劇
 1 学制発布の時から/2 風紀を弛うし、浮薄の弊風を助長するということ/3 社会主義思想とプロレタリア演劇
二 演劇教育の位置づけ
三 「四つの源流」のもつ意味
四 学校劇から演劇教育、そしてドラマ教育へ
五 子どもの発達と演劇教育
六 ドラマのある教育を

あとがき
引用・参考資料

佐々木 博(ささき・ひろし)
1932年岩手県西磐井郡一関町(現在は一関市)に生まれる。
1950年岩手県立一関高等学校を卒業。1953年東京学芸大学二部修了。同年4月から東京都の公立小学校教諭を34年間、退職後嘱託5年をあわせて39年間の教師生活を送る。
1959年から2003年まで日本演劇教育連盟常任委員。日本演劇教育連盟事務局長、同副委員長を歴任。
「生きる力をはぐくむ学校へ」(『演劇と教育』1999年7月号)で第40回演劇教育賞受賞。


〔187〕妻・福田緑の新著『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』がついに完成しました!

2018年07月26日 | 図書案内
  7月25日(水)、我が家に待望の新著『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』が届きました。一冊の本を生み出す「格闘」は妻のブログ(「リーメンシュナイダーを歩く」https://blog.goo.ne.jp/riemenschneider_nachfolgerin)に詳しく書かれていますので、興味ある方は覗いてみてください。最新のブログは到着したときの悦びの文章です。

 最初に本の表紙と裏表紙を見ていただきましょう。
 まずはこの本がどんな本なのか紹介してみましょう。多少長いのですが、とりあえず「まえがき」を読んでみてください。なぜ今、3冊目の『祈りの彫刻』を出版する必要があったのかが書かれています。



■まえがき・福田緑

 2016 年秋、14 回目に訪れたドイツで、今まであまり重要視してこなかったティルマン・
リーメンシュナイダーの徒弟、ペーター・デル( 父) ( Peter Dell der Ältere ) や、
リーメンシュナイダー周辺作家、フランツ・マイトブルク( Franz Maidburg ) 、また同じ
頃に中世ドイツを生きてきた彫刻家の作品や祭壇を見て回った。

 中でも印象に残った作品の一つにペーター・デル( 父) のアンナ・ゼルプドリット像  
(43 ~ 46 頁)がある。リーメンシュナイダーは聖アンナが大きく膝を開いて座り、その
膝に娘の聖母マリアと孫のイエスがちょこんと座っている像( 63 ~ 65 頁) を彫って
いるが、このペーター・デル( 父) の像はマリアとアンナがイエスをはさんで座り、ごく
普通の家庭の団欒のような雰囲気を醸し出していた。マリアの表情はふんわりして可
愛らしく、温かさを感じる。アンナといえば、町で見かけるおばあちゃんのようにせっ
せと孫の世話を焼いている。イエスも「ねぇ、ママ、このぶどう食べてもいい? 」と、マ
リアに甘えているようだ。思わず微笑みがこぼれる作品だった。一方、リーメンシュナ
イダーのアンナ・ゼルプドリット像といえば、静かな中にも深い悲しみを湛えた表情
が定番だ。それだけに、弟子の手になるこの像の持つ雰囲気に、ぐっと親近感が湧
いてきたのだ。〔註・1〕
 この作品はへルシュタイン( Hörstein ) という町のマリア被昇天教会にある。この
像を見るために、フランクフルト( マイン) 郊外に住むトーマス・メスト( Thomas
Möst 、20 年来の友だち) は2014 年にも車を走らせ、最初の情報で得ていた聖ヴィル
ゲフォルティス礼拝堂を探してくれた。ようやく探し当てた礼拝堂は、小さな野原の    
真ん中にひっそりと建ち、長いこと締め切られたままのように古びて無人だった。こ
の日は中に入るのを諦めて帰ってきたのだったが、「この中に本当に彫刻があるの
だろうか」といぶかしんだトーマスは、その後、独自に調査をして現在この彫刻を保
管しているマリア被昇天教会を突き止めてくれたのだった。こうして2016 年にフラン
クフルトを訪ねたおりにトーマスの車でマリア被昇天教会に行き、普段は鍵のかかっ
た小さな部屋の中に招き入れられ、この彫刻を自由に撮影させていただいたのであ
る。ようやくこの作品にたどりつけた喜びはひとしおだった。

 また、ケルン郊外のカルカーにある聖ニコライ教会に入ったとき、あまりの祭壇の
多さに圧倒された。中でも真っ正面に立つ主祭壇は人物と馬がひしめきあい、いな
なきさえ聞こえてきそうな迫力で、思わず時間を忘れて写真を撮りまくった。そのうち
の1 枚が前頁に掲載のものである。教会のパンフレットによると、祭壇は大小取り混
ぜて10 点もあり、主祭壇には212 体の彫刻が刻まれているという。とても数えきれる   
とは思えないのに、根気よく数えた人がいたものだ。夫、福田三津夫は、『世界美術
大全集14 巻』(小学館)で岡部由紀子氏のドイツ木彫祭壇についての記述を読んで
以来、ケルンまで行くことがあったら近くのカルカーにも足を延ばして是非この祭壇
を見たいと言っていた。そのため、2016 年に初めて旅のルートに入れたのだった
が、非常に印象的な祭壇であった。〔註・2〕
 
 私たちの旅は、フランクフルトのトーマス、ルース夫妻に報告をして締めくくるのが
習いとなっている。トーマスの家がフランクフルト国際空港から車で30 分ほどのとこ
ろにあり、帰りがけに数時間でもいいから寄って欲しいと言われているからだ。彼の
家でカルカー聖ニコライ教会の祭壇について話をすると、なんとカルカーはお連れ
合いのルースの故郷だったことがわかった。二人は「今度お姉さんのところに行った
ら、是非この教会を見てみなくちゃね」と目を輝かせていた。
 
 リーメンシュナイダーのキリストはいつもやせ細っているが、ハンス・ラインベルガ
ーの「苦悩するキリスト」(186 ~ 188 頁)では筋骨隆々としてたくましい。そのガッシリ
とした足に私は見惚れた。リーメンシュナイダーの「悲しむマリア」( 『祈りの彫刻リ
ーメンシュナイダーを歩く』59 頁)は深い悲しみを湛えて静かに佇むが、ミヒャエル・
パッハーの「悲しむマリア」(110 ~ 112 頁)の後ろ姿からは荒野を吹き荒れる風の音
が聞こえるようだ。そんな風の中を歩いて行こうとするマリアの凜とした強ささえも感
じる。ファイト・シュトースの「二枚の紋章を持った婦人像のアントラー式シャンデリ
ア」(159 ~ 160 頁、裏表紙)は、当時サロンかレストランにかかっていたものだろう
か。人々の会話を天井から眺めて愉しんでいるような表情がうかがえて面白い。
 こうした作品をいくつも見た体験から、リーメンシュナイダーの作品には深い感動
を引き起こす力があるが、同じ中世ドイツの時代に活躍していた他の作家にもまた、
それぞれの個性と魅力があるということに気づかされた。しかし、彼らの存在は日本
ではまだ十分知られていない。ほぼ同時代にイタリアで活躍していたルネサンスの
作家たち、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ・ブオナローティ、ラファエロ・サ
ンティなどは大変有名で、日本で開かれる展覧会でも多くの観客を集めてきた。
 「中世ドイツでも同じ頃にこうした作家があちらこちらで活躍して独自の作品を遺して
いるということを、もっと日本に知らせたいんだよ」
と、夫は何度も私に言い、だから3 冊目の写真集をまとめてはどうかと促してきた。し
かし、その都度「エネルギーがまだ湧かない」と答えていた私だったが、ようやくこの
旅の半ばで「よし、まとめてみようか」という気持ちになった。リーメンシュナイダー、
及びその関係者の作品のみに「必見」のラベルを貼ってまっしぐらに突き進んできた
私に対して、三津夫は以前からもっと幅広い作家や絵画などに興味を持ち続けて
いる。夫と一緒に旅する中で、私の作品を見る目も少しずつ広がってきたからに違
いない。親切なドイツの友人・知人、私の意欲を引っ張り出してくれた中世ドイツの
作家たち、そして誰よりも三津夫に助けられ、促されて、ようやくこの『新・祈りの彫刻
リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』を出版することを決意した。
 
 本書は、中世ドイツの彫刻家、ティルマン・リーメンシュナイダーの作品を紹介した
『祈りの彫刻リーメンシュナイダーを歩く』( 丸善プラネット2008 年) 、『続・祈りの
彫刻リーメンシュナイダーを歩く』( 丸善プラネット2013 年) に続く3 冊目の写真
集となる。本書にはリーメンシュナイダー、彼の工房、及びその弟子の作品のみなら
ず、同時代のドイツを生きた彫刻家の作品も多数紹介している。

 私がリーメンシュナイダーを追いかけるきっかけとなったのは1998 年のドイツ旅行
だった。初めてドイツの地を踏んでからちょうど10 年後に「祈りの彫刻の写真集を作
る」というライフワークをスタートし、20 年後にその締めくくりができたことを大変うれ
しく思う。どうか本書を手にされた方は、私たちとご一緒に中世ドイツの旅を楽しんで
いただきたい。
             2018 年8月




表紙:ベルリン、ボーデ博物館、庇護マントの聖母像

    ミッヒェル・エアハルト、またはフリードリッヒ・シュラム作

 Vorderdeckel Maria mit dem Schutzmantel
Michel Erhart oder Friedrich Schramm, Bode-Museum, Berlin




裏表紙:ミュンヘン、バイエルン国立博物館 
    二枚の紋章を持った婦人像のアントラー式シャンデリア、ファイト・シュトース作

Hinterdeckel Geweihlüster: weibliche Figur mit zwei Wappenschilden
Veit Stoss, Bayerisches Nationalmuseum, München


 少し私の感想も補足しておきましょう。
〔註・1〕について、ペーター・デル( 父) のアンナ・ゼルプドリット像撮影にはもちろんトーマスと私も立ち合いました。私たちだけの拝観のために特別の部屋を設け、撮影を許可してくださったのです。それから1,2年後に、この作品がドイツでのある展覧会の目玉になっていたことを知ることになりました。本の表紙の候補にも挙がったくらいの作品ですので、是非ご覧いただきたいと思います。

〔註・2〕かつてケルン郊外のカルカーに原発を作ったのですが、チェルノブイリ原発事故があり一度もそれを稼働させることなく遊園地に転用してしまったのです。タクシーで見学してから聖ニコライ教会に向かったのでした。ここはまさに中世美術の宝庫と呼べるところです。写真集に収録した主祭壇だけでなく、様々な祭壇や彫刻が目白押しです。もう一度かならずここを訪れたいと思っています。

 あっ、私の新著『地域演劇教育論-ラボ教育センターのテーマ活動』も遠からず完成を報告できることでしょう。