後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔248〕理路整然とした柳原敏夫弁護士のお話がうかがえたチェルノブイリ法学習会でした。

2020年01月31日 | 講座・ワークショップ
 ブログ〔245〕でお知らせした、清瀬で初めて開催された「チェルノブイリ法 日本版」 ―私たちの 避難基準は 大丈夫?―の学習会が参加者に充実感を与えて終了しました。講師の柳原敏夫弁護士(市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会共同代表、「子ども脱被ばく裁判」弁護団など)のお話が理路整然で圧巻、1時間半があっという間に過ぎ去りました。演題は「私たちが『チェルノブイリ法日本版』に至る道-それは知識ではなく、動物的勘そして愛」です。
 その時の学習会の様子を福田緑は以下のようにまとめています。

●「チェルノブイリ法 日本版」 ―私たちの 避難基準は 大丈夫?―
 柳原敏夫弁護士のお話はエネルギッシュだった。思いが迸り出るように話が続く。そのポイントをいくつかにまとめてみた。
◇ミッシェル・フェルネックスの発見
 研究者たちを驚かせた次の発見―――遺伝子の損傷は、親から子、子から孫へと世代を経るごとに、その程度がより重くなっていくという、『遺伝子の不安定』という問題。野ネズミの実験で遺伝子の変異の出現数が通常の百倍以上に達することがあることが判明(フェルネックス「福島の失われた時間」)。
 現在、この遺伝子の損傷が着々と進んでいるのだ。福島だけでなく、ここ清瀬でも例外ではない。
◇郡山からの避難者、長谷川克巳さん(子ども脱被ばく裁判の原告)のことば
 長谷川さんは以下のように語っている。
「とうとう原発が爆発したぞ」と言ったら、同僚に「今それどころじゃないですよ、目の前のことで大変なんですから。原発が爆発したなんて、かまってられないすよ」と言われ、ハッと思った――この人は大小の区別がつかない。私はただ「危ない」と思ったのだ。その理由は、小さい子どもがいたからだ。それは「動物的勘」で、危ないものには近寄るな。危ないか危なくないか迷ったときには、危ない方に寄せて物を考える。子どもが一人いて妻は妊娠中という状況で、家族を守るためにはここから逃げるしかないと思うようになり、半年後に仕事も捨て、人間関係も捨て、故郷も捨てて静岡に避難した。
 長谷川さんは、これが「予防原則」だということを後で知る。
◇年間20ミリシーベルトの土地に戻れということの意味
 「それは国による立派な児童虐待です!」と柳原弁護士は断言する。それまで年1ミリシーベルトだった一般人の実効線量限度(環境省による)を、原発事故後に国は帰還地域だけ一気に20倍まで大丈夫ということにしてしまった。そのような、本来なら違法の実効線量の土地に避難者の家賃支援まで絶って追い返すのはなぜなのか。
◇チェルノブイリ法日本版とは?
 チェルノブイリ法日本版のエッセンスは「予防原則」。この理不尽な日本社会の中で、このまま黙って引き下がるわけにはいかない。大人の責任として、台風のときと同じように「万が一のことを考えて早めに避難してください」というのが当然なのに、避難家庭に帰還を強要する状況そのものがおかしいのだ。避難家庭には避難する権利があり、国には救済する義務がある。避難せずに高線量の土地に住み続けている人々を救済する義務もある。それを法律としてやらせていくことがチェルノブイリ法日本版の役目。チェルノブイリ法は事故後5年でできている。日本は既に9年も経っているのに何もできていない。私たちができるところから声を上げて市民法を作っていかなくてはならない。
◇まとめ
 清瀬でもまだ放射線量の高いところがあり、毎日幼い子どもたちの身体の中で遺伝子の損傷が進んでいくことは避けられない。今後チェルノブイリ法日本版の内容を具体的に学び、清瀬の地から市民法への一歩を踏み出すことができるよう、考えていきたい。
<参考>
 国際放射線防護委員会(ICRP)の2007年勧告では、放射線作業(緊急時の作業を除く)を行う職業人の実効線量の限度は5年間で100ミリシーベルト、特定の1年間に50ミリシーベルトと定められています。 一般公衆の場合、実効線量限度が年間1ミリシーベルトと定められています。
環境省のHP https://www.env.go.jp/chemi/rhm/h30kisoshiryo/h30kiso-04-01-11.html
                                      (まとめ 福田 緑)

 実は柳原弁護士は、講演後一両日中にこの学習会の報告をサイトにしたためているのです。その早業というか、力量には舌を巻きます。是非下掲のブログにアクセスしてみて下さい。柳原さんのコメントも紹介しておきます。

●私のほうも学習会の動画、レジメ、プレゼン資料をアップした報告をブログに出しましたので、お知らせします。

【報告】もう1つのAct locallyに挑戦した、東京都清瀬市、1月25日(土)の市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会
https://chernobyl-law-injapan.blogspot.com/2020/01/act-locally.html

 ここ2年以上やってきました学習会が、今回、これまでとまったく違ったスタイルに挑戦し、聞かれた皆さんは大いに戸惑われることがあったかもしれませんが、私としては、とても手ごたえを感じていまして、今後ともこれをもっと推し進めたいと思っております。
 このような貴重な機会を作っていただき、感謝の言葉もありません。
 今後とも引き続き、よろしくお願いいたします。

■東京新聞(2020年2月2日)にチェルノブイリ法学習会の記事が掲載されました。


〔247〕「安倍首相、来年の「桜を見る会」はぜひ、夜ノ森で。」と呼びかける『通販生活』は読みでがある雑誌です。

2020年01月17日 | 図書案内
 『通販生活』2020年春号が送られてきました。180円というあまりに安く、お得で、読みでのある雑誌です。
 まず表紙からユーモアが溢れていて素晴らしいのです。
 猫の帽子を被った招き猫の置物の写真です。表情はなにやらいわくありげです。帽子の猫の目はくっきりなのに対して、招き猫の目は細く、ふてぶてしさも感じてしまいます。『通販生活』の姿勢、ポリシーを表現しているのでしょうか。
 作者は生命形態作家のもりわじんさんという方だそうです。本号から「守り猫」シリーズを載せていくようです。今回は「おみくじ猫」ですか。
 目次に嬉しい告知がありました。次号は、先月逝去された中村哲さんの特集だそうです。ノーベル平和賞は中村さんにこそ相応しかったと私は思うのです。特集を楽しみにしたいと思います。

 『通販生活』は表紙に、「巨大地震はいつ来るかわからない、原発ゼロ今すぐに」と書いていたり、「FUKUSHIMA2020~福島の現在(いま)」という写真ページに「安倍首相、来年の「桜を見る会」はぜひ、夜ノ森で。」とさりげなく辛口コメントしているのにであうと、にたりとさせられます。

 私は「暮らしの道具」のページはほとんど読まないで、もっぱら「読み物ページ」一本槍です。
 特集「憲法九条国民投票を考える」に「この『安倍改憲案』のどこが問題なのか…」というテーマで石破茂氏と山尾志桜里氏が登場していますが、ほぼ予想された内容でした。落合恵子さんの対談はいつも楽しみにしているのですが、今回はジャーナリストの青木理さんで、「大手メディアの『御用化』によって『一強体制』が支えられているのです」ということで少し頭の中が整理されました。

 写真を見るだけで価値があるのが「古紙に命を吹き込む新聞紙アート」です。関口光太郎さんの「新聞紙とガムテープでつくる巨大アート」は迫力満点です。実物を是非見てみたいものです。
 特集「澤地久枝という昭和」もいいですね。「澤地久枝さんの本 私のおすすめする1冊」ということで鎌田慧さん、佐高信さん、鹿島茂さんなど17人の識者が読書案内をしてくれています。
そのほか、ドイツ平和村のことや大村崑さんの話などが興味深かったです。
 
 今号の『通販生活』、充分堪能させてもらいました。

〔246〕『ケーテ・コルヴィッツの肖像』(志真斗美恵著・績文堂)は4刷も納得の労作でした。

2020年01月10日 | 図書案内
 『ケーテ・コルヴィッツの肖像』を書店で手の取ったことは何度かありました。ケーテ・コルヴィッツの生涯について実証的にしっかり書かれているなという印象を持ったのですが、丁寧に向き合う心の余裕も時間もありませんんでした。しかし、幸運なことに、連れ合いの福田緑のリーメンシュナイダーの写真展の会期中に彼女宛に著者から贈られてきたのです。私は小躍りしました。
  ケーテ・コルヴィッツは二度の世界大戦を経験し一貫して反戦を貫いたドイツの画家であり彫刻家だということで、以前から興味を抱いていました。鈴木東民訳の『ケーテ・コルヴィッツの日記 種子を粉にひくな』(アートダイジェスト社)や『ケーテ・コルヴィッツ版画集』(岩崎美術社)を読んだり、2005年に開催された「ケーテ・コルヴィッツ展」(茨城県つくば美術館)に出かけました。ベルリンにあるケーテ・コルヴィッツ美術館も訪ねたのはその直後でした。

 写真展が終わり、様々なことが一段落して、ゆっくり拝読しました。少しずつかみしめながら読み進めると、これは凄い本だなとあらためて実感しました。
 『ケーテ・コルヴィッツの日記 種子を粉にひくな』を興味を持って読み通すのは美術に門外漢の私には至難の業でした。『ケーテ・コルヴィッツの肖像』では作家の生涯の仕事・業績の「証言」として的確に引用されてくるのです。どうやら著者の志真斗美恵さんは私どもと同世代、ドイツ文学専攻でドイツ語を教える仕事をしているようです。つまり、ケーテ・コルヴィッツの日記は著者自身の翻訳に違いありません。とても読みやすい文章で、こなれています。
  本書はケーテ・コルヴィッツの仕事・業績を時系列で様々なエピソードや日記をちりばめながらわかりやすく整理してくれました。各章のトビラはその時々のケーテ・コルヴィッツの肖像画で飾られています。写真も多くケーテ・コルヴィッツ入門書としても相応しいものです。昨年、4刷発行されたのも頷けるというものです。
 ケーテ・コルヴィツと日本や日本人との関係についてもよく調べて書かれているなと思いました。与謝野晶子、千田是也、中野重治、宮本百合子、鈴木東民…が登場するのも本書に深みを与えています。リーメンシュナイダーなど中世ドイツの作家やエルンスト・バルラハの記述も実に興味深かったです。
 妻は行っていますが、ケルンのケーテ・コルヴィツ美術館を是非訪れたいと思いました。
 それにしても、ケーテ・コルヴィツ全作品集はなぜ出版されないのでしょうか。残念でなりません。

 それでは、著者紹介、「はじめに」、目次を見ていただきましょう。

【著者紹介】(奥付より)
志真斗美恵 : 1948年、千葉県生まれ。ドイツ文学専攻。出版社勤務の後、1974年以来、東京女子大学、法政大学、東京理科大学等で非常勤講師としてドイツ語を教える。
著書:『芝寛 ある時代の上海・東京-東亜同文書院と企画院事件』績文堂 2015年

■はじめに

 天命をまっとうすることができずに迎える不条理な死--戦争、テロル、あるいは飢餓による死。残された人びとの悲しみを思うとき、ケーテ・コルヴィッ ツの作品がわたしの脳裏に浮かぶ。戦争で息子を奪われた両親の像、敬愛する 人を失った人びとがならぶ〈カール・リープクネヒト追憶像〉。数々の作品は、深い悲しみとともに、その死を胸に刻み生きてゆこうとする意志を表現している。

 ケーテ・コルヴィッツは、二度の世界大戦で、二人のペーターを失った。第一 次世界大戦で次男ペーターを、第二次世界大戦で孫のペーターを。

 ケーテ・コルヴィッツは、ドイツで戦争と革命の世紀を生きた画家であった。彼女が生まれた一八六七年は、日本では大政奉還・明治維新の年である。ドイツ帝国の誕生(一八七一年)、第一次世界大戦(一九一四~一八年)、ヴァイ マル共和国成立(一九一九年)、ドイツ革命の敗北(一九一九年)、ナチスに よるファシズム支配と戦争の時代(一九三三~四五年)を彼女は生き、戦争が 終結する直前に亡くなった。

 彼女は、版画を中心にして、素描、彫刻の分野で五〇年以上にわたる活動を続 けた。その生涯に創造した版画作品は二七五点、そのほかに多数の素描や下絵、そして色彩の施された作品と十数点の彫刻がある。その数は、多いとはい えないかもしれない。だが彼女にとって、生きることは、作品を創造すること であった。どのように困難なときでも、彼女はけっして絵画や彫刻から離れなかった。彼女の祖父は言った--「才能は、同時に使命である」と。

 ケーテ・コルヴィッツは思索する芸術家であった。創造の過程で彼女は思考を 深めていく。作品を完成させるまで何年も、何十年もかけるのは、稀ではなか った。その長い時間のなかで、彼女は、たえず作品をそのときの現在の光のな かで検証した。少女時代から晩年に至るまで一〇〇点あまりにのぼる自画像 は、彼女が自己を凝視するなかから創作する作家であった証でもある。

 ケーテ・コルヴィッツは文章を書く人でもあった。自画像を描くだけでなく、文章でも自分を語っている。本を読み、日記を書き、絶えず自分をみつめた。少女時代は『回想』(一九二三年)に、画学生の時代をへて版画家として四〇 歳になるまでは『若いころの思い出』(一九四一年)にまとめられている。一 九〇八年から書きはじめた日記は、十冊、一五〇〇ページにのぼり、率直で飾 り気なく、また自己に対して容赦ない批判の刃を向けている。それは、個人的 日録にとどまることなく、作業日誌的要素も持ちあわせていて、彼女の作品をみるときの補助線となってくれる。

 ケーテ・コルヴィッツが没して六〇年。いまなお世界各地で戦禍は絶えない。 戦争による死者はなくならない。飢えもなくならない。世界六〇億の人びとのうち、八億人以上の人びとが飢餓状態にある。彼女が版画や彫刻で描いた現実 は変わっていない。イラクで戦死したアメリカ兵の母親の悲しみは、九十数年 前のケーテのそれと同じである。戦場でわが子をさがす母親も、戦争のために 寡婦となった妊婦も数知れない。「平和主義」――それは彼女が死を前にした ときの言葉である。ケーテ・コルヴィッツの作品は、いまも平和を考えるため の手がかりになるとわたしは確信している。

 ケーテ・コルヴィッツの仕事は、彼女が生きた時代ときりはなして考えること はできない。彼女自身が書き残した日記・回想・手紙をてがかりに、激動の時 代とかかわりつづけてきた彼女の足跡をたどり、ケーテ・コルヴィッツの生涯 をいまからわたしなりに綴ってみたい。作品を時代のなかに位置づけ、言葉で ケーテ・コルヴィッツの肖像を描いてみようと思う。


 ■目 次

1 画家をめざして――自由の風
「自由教団」の影響  ケーニヒスベルクの風にふかれて  画家をめざして   女子美術学校へ  婚約、そしてミュンヘン  習作〈ジェルミナール〉

2 『織工たちの蜂起』――連なっていく記憶
カールとの結婚  ハウプトマン『織工たち』の衝撃  家庭と創作活動の両 立  連作版画『織工たちの蜂起』 「社会派」芸術家と呼ばれて  〈あま たの血を流すものたち、おお民衆よ〉  もうひとつの機織労働の記憶――ゴ ッホ  マルクス、ハイネ、フライリヒラート、ハウプトマン

3 『農民戦争』――主題と技法の追求
ベルリン分離派への参加  『農民戦争』の制作  一九〇四年--「パリは わたしを魅了した」 ロダン訪問  一九〇七年--イタリア滞在  農民戦 争の時代の画家たち

4 貧しい人びとの素描――表現主義運動の渦中で
『ジンプリチシムス』での仕事  生活と創作の苦悩  表現主義運動の高揚   〈三月の墓地〉

5 ペーターの戦死――一九一四年十月
戦争への熱狂  「私の仕事」--記念碑の制作  デーメル批判

6 カール・リープクネヒト追憶像――悲しみの転換
初の芸術アカデミー女性会員に 〈カール・リープクネヒト追憶像〉制作へ   バルラハ木版画の衝撃

7 ポスターの制作――「人民の代弁者」
混迷する時代のなかで  「反革命が動きだした」 「この時代のなかで人び とに働きかけたい」  インフレの進行と飢餓  二度と戦争をするな!

8 木版画連作『戦争』――「苦しみは真暗闇だ」
長い歳月を込めて  生命を宿すもの  ロマン・ロランへの手紙

9 国境を越えて――スメドレーと魯迅
スメドレーとの友情  魯迅『ケーテ・コルヴィッツ版画選集』出版

10 記念碑〈父と母〉の像――平和の希求
『プロレタリアート』  ペーターの墓地へ  革命十周年のモスクワ  記 念碑の完成  墓地への設置  記念碑の変転

11 最後の連作『死』――ナチス支配の時代
兄コンラートの死  ナチス支配の時代  三人展--ナーゲル、ツィレ、コ ルヴィッツ  レリーフ〈御手に抱かれ安らかに憩いたまえ〉  最後の連作 『死』  ゲシュタポの尋問

12 種を粉に挽いてはならない――孤独と希望と
彫刻に没頭  〈ピエタ〉  ケーテの〈嘆き〉とバルラハの〈漂う天使〉   〈たがいに握りあう手〉  夫カールの死と〈別れ〉  〈種を粉に挽いて はならない〉  孫ペーターの戦死  平和主義の思想

●エピローグ 励まし――日本の人びとに
一九二八年--千田是也「ケエテ・コルヰッツ」  
一九三六年--中野重治 と『ケーテ・コルヴィッツ版画選集』  
一九四一年--宮本百合子「ケーテ ・コルヴィッツの画業」  
一九五三年――鈴木東民『ケーテ・コルヴィッツ の日記 種子を粉にひくな』  

あとがきにかえて--自画像のことなど

〔245〕1月25日(土)、学習会「チェルノブイリ法 日本版 -私たちの避難基準は大丈夫?」を清瀬で開催します。

2020年01月04日 | 市民運動
 皆様、新年をどのようにお過ごしでしょうか。
 私は以下のような欠礼状を遅ればせながら書き送りました。今年もよろしくお願いします。


 ■新年のご挨拶を失礼致しました。
 昨年、母が98歳で永眠しました。花をこよなく愛し、自律精神に満ちあふれた人生、見事な大往生でした。
皆様のご多幸をお祈り致します。

*昨年、緑は江古田の古籐ギャラリーでリーメンシュナイダーの写真展を開きました。多くの来場者があり、感謝で一杯です。『祈りの彫刻』4冊目を企画中です。
*三津夫は白梅学園大学で教育実習生の指導に当たっています。昨年暮れ、待望の編著『ことばで遊ぼう 表現しよう!』(晩成書房)を出版することができました。

 さて、清瀬・くらしと平和の会では学習会「チェルノブイリ法 日本版 -私たちの避難基準は大丈夫?」を清瀬で開催することにしました。下掲のような内容です。一緒に学びませんか。

  ■学習会 「チェルノブイリ法 日本版 -私たちの避難基準は大丈夫?-」
        清瀬から原発被害の解決と予防をめざして
  ●講師 柳原敏夫氏(弁護士、市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会共同代表、「子ども脱被ばく裁判」弁護団など)
  ●内容 チェルノブイリ原発事故後に旧ソ連で作られ、現ウクライナやロシアなどに引きつがれているチェルノブイリ法は人権に基づく大切な法律です。日本では何故同じような法律がないのでしょうか。この法律の日本版成立に向けて奮闘されている第一人者、柳原敏夫弁護士を講師としてお迎えしました。原発にまつわる現実と事実を学び、市民一人一人ができることをここ清瀬で考えたいと思います。
〇日  時  2020年 1月 25日 (土) 14:00 ~ 16:00(開場 13:30)
〇会  場  男女共同参画センター(アイレック)会議室  西武池袋線「清瀬駅」北口右側(徒歩1分) 「アミュービル」4階
※ 資料代:300円
〇主催者  清瀬・くらしと平和の会 共催/清瀬女性会議             
〇お問い合わせ  042-493-2982 fuseyume@krc.biglobe.ne.jp