ブログ〔245〕でお知らせした、清瀬で初めて開催された「チェルノブイリ法 日本版」 ―私たちの 避難基準は 大丈夫?―の学習会が参加者に充実感を与えて終了しました。講師の柳原敏夫弁護士(市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会共同代表、「子ども脱被ばく裁判」弁護団など)のお話が理路整然で圧巻、1時間半があっという間に過ぎ去りました。演題は「私たちが『チェルノブイリ法日本版』に至る道-それは知識ではなく、動物的勘そして愛」です。
その時の学習会の様子を福田緑は以下のようにまとめています。
●「チェルノブイリ法 日本版」 ―私たちの 避難基準は 大丈夫?―
柳原敏夫弁護士のお話はエネルギッシュだった。思いが迸り出るように話が続く。そのポイントをいくつかにまとめてみた。
◇ミッシェル・フェルネックスの発見
研究者たちを驚かせた次の発見―――遺伝子の損傷は、親から子、子から孫へと世代を経るごとに、その程度がより重くなっていくという、『遺伝子の不安定』という問題。野ネズミの実験で遺伝子の変異の出現数が通常の百倍以上に達することがあることが判明(フェルネックス「福島の失われた時間」)。
現在、この遺伝子の損傷が着々と進んでいるのだ。福島だけでなく、ここ清瀬でも例外ではない。
◇郡山からの避難者、長谷川克巳さん(子ども脱被ばく裁判の原告)のことば
長谷川さんは以下のように語っている。
「とうとう原発が爆発したぞ」と言ったら、同僚に「今それどころじゃないですよ、目の前のことで大変なんですから。原発が爆発したなんて、かまってられないすよ」と言われ、ハッと思った――この人は大小の区別がつかない。私はただ「危ない」と思ったのだ。その理由は、小さい子どもがいたからだ。それは「動物的勘」で、危ないものには近寄るな。危ないか危なくないか迷ったときには、危ない方に寄せて物を考える。子どもが一人いて妻は妊娠中という状況で、家族を守るためにはここから逃げるしかないと思うようになり、半年後に仕事も捨て、人間関係も捨て、故郷も捨てて静岡に避難した。
長谷川さんは、これが「予防原則」だということを後で知る。
◇年間20ミリシーベルトの土地に戻れということの意味
「それは国による立派な児童虐待です!」と柳原弁護士は断言する。それまで年1ミリシーベルトだった一般人の実効線量限度(環境省による)を、原発事故後に国は帰還地域だけ一気に20倍まで大丈夫ということにしてしまった。そのような、本来なら違法の実効線量の土地に避難者の家賃支援まで絶って追い返すのはなぜなのか。
◇チェルノブイリ法日本版とは?
チェルノブイリ法日本版のエッセンスは「予防原則」。この理不尽な日本社会の中で、このまま黙って引き下がるわけにはいかない。大人の責任として、台風のときと同じように「万が一のことを考えて早めに避難してください」というのが当然なのに、避難家庭に帰還を強要する状況そのものがおかしいのだ。避難家庭には避難する権利があり、国には救済する義務がある。避難せずに高線量の土地に住み続けている人々を救済する義務もある。それを法律としてやらせていくことがチェルノブイリ法日本版の役目。チェルノブイリ法は事故後5年でできている。日本は既に9年も経っているのに何もできていない。私たちができるところから声を上げて市民法を作っていかなくてはならない。
◇まとめ
清瀬でもまだ放射線量の高いところがあり、毎日幼い子どもたちの身体の中で遺伝子の損傷が進んでいくことは避けられない。今後チェルノブイリ法日本版の内容を具体的に学び、清瀬の地から市民法への一歩を踏み出すことができるよう、考えていきたい。
<参考>
国際放射線防護委員会(ICRP)の2007年勧告では、放射線作業(緊急時の作業を除く)を行う職業人の実効線量の限度は5年間で100ミリシーベルト、特定の1年間に50ミリシーベルトと定められています。 一般公衆の場合、実効線量限度が年間1ミリシーベルトと定められています。
環境省のHP https://www.env.go.jp/chemi/rhm/h30kisoshiryo/h30kiso-04-01-11.html
(まとめ 福田 緑)
実は柳原弁護士は、講演後一両日中にこの学習会の報告をサイトにしたためているのです。その早業というか、力量には舌を巻きます。是非下掲のブログにアクセスしてみて下さい。柳原さんのコメントも紹介しておきます。
●私のほうも学習会の動画、レジメ、プレゼン資料をアップした報告をブログに出しましたので、お知らせします。
【報告】もう1つのAct locallyに挑戦した、東京都清瀬市、1月25日(土)の市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会
https://chernobyl-law-injapan.blogspot.com/2020/01/act-locally.html
ここ2年以上やってきました学習会が、今回、これまでとまったく違ったスタイルに挑戦し、聞かれた皆さんは大いに戸惑われることがあったかもしれませんが、私としては、とても手ごたえを感じていまして、今後ともこれをもっと推し進めたいと思っております。
このような貴重な機会を作っていただき、感謝の言葉もありません。
今後とも引き続き、よろしくお願いいたします。
■東京新聞(2020年2月2日)にチェルノブイリ法学習会の記事が掲載されました。
その時の学習会の様子を福田緑は以下のようにまとめています。
●「チェルノブイリ法 日本版」 ―私たちの 避難基準は 大丈夫?―
柳原敏夫弁護士のお話はエネルギッシュだった。思いが迸り出るように話が続く。そのポイントをいくつかにまとめてみた。
◇ミッシェル・フェルネックスの発見
研究者たちを驚かせた次の発見―――遺伝子の損傷は、親から子、子から孫へと世代を経るごとに、その程度がより重くなっていくという、『遺伝子の不安定』という問題。野ネズミの実験で遺伝子の変異の出現数が通常の百倍以上に達することがあることが判明(フェルネックス「福島の失われた時間」)。
現在、この遺伝子の損傷が着々と進んでいるのだ。福島だけでなく、ここ清瀬でも例外ではない。
◇郡山からの避難者、長谷川克巳さん(子ども脱被ばく裁判の原告)のことば
長谷川さんは以下のように語っている。
「とうとう原発が爆発したぞ」と言ったら、同僚に「今それどころじゃないですよ、目の前のことで大変なんですから。原発が爆発したなんて、かまってられないすよ」と言われ、ハッと思った――この人は大小の区別がつかない。私はただ「危ない」と思ったのだ。その理由は、小さい子どもがいたからだ。それは「動物的勘」で、危ないものには近寄るな。危ないか危なくないか迷ったときには、危ない方に寄せて物を考える。子どもが一人いて妻は妊娠中という状況で、家族を守るためにはここから逃げるしかないと思うようになり、半年後に仕事も捨て、人間関係も捨て、故郷も捨てて静岡に避難した。
長谷川さんは、これが「予防原則」だということを後で知る。
◇年間20ミリシーベルトの土地に戻れということの意味
「それは国による立派な児童虐待です!」と柳原弁護士は断言する。それまで年1ミリシーベルトだった一般人の実効線量限度(環境省による)を、原発事故後に国は帰還地域だけ一気に20倍まで大丈夫ということにしてしまった。そのような、本来なら違法の実効線量の土地に避難者の家賃支援まで絶って追い返すのはなぜなのか。
◇チェルノブイリ法日本版とは?
チェルノブイリ法日本版のエッセンスは「予防原則」。この理不尽な日本社会の中で、このまま黙って引き下がるわけにはいかない。大人の責任として、台風のときと同じように「万が一のことを考えて早めに避難してください」というのが当然なのに、避難家庭に帰還を強要する状況そのものがおかしいのだ。避難家庭には避難する権利があり、国には救済する義務がある。避難せずに高線量の土地に住み続けている人々を救済する義務もある。それを法律としてやらせていくことがチェルノブイリ法日本版の役目。チェルノブイリ法は事故後5年でできている。日本は既に9年も経っているのに何もできていない。私たちができるところから声を上げて市民法を作っていかなくてはならない。
◇まとめ
清瀬でもまだ放射線量の高いところがあり、毎日幼い子どもたちの身体の中で遺伝子の損傷が進んでいくことは避けられない。今後チェルノブイリ法日本版の内容を具体的に学び、清瀬の地から市民法への一歩を踏み出すことができるよう、考えていきたい。
<参考>
国際放射線防護委員会(ICRP)の2007年勧告では、放射線作業(緊急時の作業を除く)を行う職業人の実効線量の限度は5年間で100ミリシーベルト、特定の1年間に50ミリシーベルトと定められています。 一般公衆の場合、実効線量限度が年間1ミリシーベルトと定められています。
環境省のHP https://www.env.go.jp/chemi/rhm/h30kisoshiryo/h30kiso-04-01-11.html
(まとめ 福田 緑)
実は柳原弁護士は、講演後一両日中にこの学習会の報告をサイトにしたためているのです。その早業というか、力量には舌を巻きます。是非下掲のブログにアクセスしてみて下さい。柳原さんのコメントも紹介しておきます。
●私のほうも学習会の動画、レジメ、プレゼン資料をアップした報告をブログに出しましたので、お知らせします。
【報告】もう1つのAct locallyに挑戦した、東京都清瀬市、1月25日(土)の市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会
https://chernobyl-law-injapan.blogspot.com/2020/01/act-locally.html
ここ2年以上やってきました学習会が、今回、これまでとまったく違ったスタイルに挑戦し、聞かれた皆さんは大いに戸惑われることがあったかもしれませんが、私としては、とても手ごたえを感じていまして、今後ともこれをもっと推し進めたいと思っております。
このような貴重な機会を作っていただき、感謝の言葉もありません。
今後とも引き続き、よろしくお願いいたします。
■東京新聞(2020年2月2日)にチェルノブイリ法学習会の記事が掲載されました。