後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔48〕日曜美術館「まど・みちおの秘密の絵」-まどさんの新しい発見がありました。

2015年09月28日 | テレビ・ラジオ・新聞
 2015年9月27日は法事があり、孫たちと芋掘りで遊んでいたので、日曜美術館は録画して見たのですが、まど・みちおさんの絵の世界にスポットをあてて、なかなか秀逸でした。まどさんをよく知る谷川俊太郎さんの語り口とコメントに心がふるえました。
まずはNHKの番組サイトでその概要を知ってもらいましょう。

 「ぞうさん」「やぎさんゆうびん」「ふしぎなポケット」。日本中で愛される童謡の産みの親、詩人まど・みちお(1909-2014)。今からおよそ50年前にひそかに描きためた100枚以上の絵がある。
 その絵は、短く、平易なことばでつくられるまどの詩とはまるで似つかない。画用紙一面を細い線で塗りつぶしている。紙の地肌は削れ、波を打っている。何を描いたのかさえわからない不思議な絵。そこには一体どのような思いがあったのか・・・。
 まどが絵に没頭し始めたのは50歳を迎えたころ。戦後、児童雑誌の編集者と童謡作家の二足のわらじの生活を続けながら、「ぞうさん」「やぎさんゆうびん」「ふしぎなポケット」などを生み出してきた。それは、童謡の創作に専念するため、退職してまもなくのことだった。「描いても描いても絵が描きたい。なんということだろう。」そんな言葉を残したほど、絵にのめり込んだ。しかし、それらの絵は完成した後、押し入れにしまわれた。長いあいだ誰にも見せないままだった。
 絵に没頭したのは3年半のあいだ。そののち、まどは童謡を離れ、自由詩に活動をうつした。そして、独自の宇宙観にあふれる詩の世界をつくりあげた。詩人は絵を描くことを通して何をつかみとり、そしてどこへたどり着いたのか。
100枚におよぶ秘密の絵から、まど・みちおの知られざる姿を見つめていく。

 まどさんの絵といえば、数年前に確か川崎の美術館で鑑賞したことがありました。私は象の絵が一番気に入っていて、学級通信などにカット絵として使わせていただいたものでした。
 今回のまどさんの絵は、研究者の谷悦子さん(梅花女子大学名誉教授)が発掘したものと言っていいようです。谷さんは、かつて小学校の教師をしていた時期があって、新美南吉や、阪田寛夫などの研究者としても知られているようです。彼女の著作です。

『新美南吉童話の研究 文学教育の実践をめざして』くろしお出版 1980 大阪教育大学国語教育学会双書
『まど・みちお詩と童謡』創元社 1988
『まど・みちお 研究と資料』和泉書院 近代文学研究叢刊 1995
『阪田寛夫の世界』和泉選書 2007
『まど・みちお 懐かしく不思議な世界』和泉選書 2013

  谷さんの本とともに読んでみたいのが、『続 まど・みちお全詩集』理論社、6,500円(税込7,020円)です。谷川さんが番組で教えてくれたものでした。続編が出ていたのですね。亡くなった名編集者の伊藤英治さんはこれを手がけていたということはお連れ合いの手紙で知ってはいたのですが、市河紀子さんが引き継いだんですね。この刊行にはびっくりでした。
 手に入れたいけど高価なのでどうしようかな、と思案しているところです。(下掲の文は、理論社のサイトより)

 「身近な生き物から宇宙まで、この世界の不思議を100歳まで詩に詠み続け、昨年104歳で亡くなった詩人まどさん。1990年代以降の詩500編余に、新たに見つかった若いころからの詩約200編を補遺として収録。詳しい年譜、著作目録、総索引も収録。」
●編集者コメント
「ぞうさん」で知られる詩人 まど・みちお『全詩集』待望の続篇。1992年刊行の『まど・みちお全詩集』と今回の『続 まど・みちお全詩集』の2冊で、まどさんの約80年間にわたる詩業の全貌を伝えることを目指しました。(伊藤英治/市河紀子 編、サイズ A5変型 発行 2015年9月 576ページ)
〔参考〕『続 まど・みちお全詩集』発刊の記事、「まど・みちおさん流 20代のシュール」朝日新聞、2015.9.29(夕刊)
     「まど・みちおを遊ぶ」、拙著『実践的演劇教育論』(晩成書房)に収録。

〔47〕ホットなおすそ分け第3弾!「9.16,17戦争法案反対国会前集会」です。

2015年09月18日 | 市民運動
 9月17日(木)、参議院特別委員会で戦争法案が強行採決されました。明らかに憲法違反の戦争法案がここで可決されるということは、本当に日本人として恥ずかしいことです。多数を握る国会は大多数の国民の声を無視してひたすら戦争への道を進もうとしています。しかし私はめげていません。ここからが始まりなのです。強がりで言っているのではありません。本当にそう思っているのです。
 2日連続の国会包囲行動を報告します。
 まずは9月16日(水)から。この日も朝から国会に詰めかける人が多数いました。座り込みやコールはひっきりなしでした。私は夜6時半からの集会に一人で参加しました。この日は過剰警備なんてものではありませんでした。機動隊のバスがすでに30台ほど車道の真ん中を貫いて、集会参加者を左右に分断しています。歩道と車道との境目には例の三角の鉄柵が張り巡らされていました。前に参加者によって崩された経験からでしょうか、鉄パイプを下に通してありました。
 メインステージのある国会正門に向かって右側の道を進んでいきました。半ばほど進むと人がいっぱいでなかなか先には行けません。鳴り物入りのコールがそこかしこで起こっていました。小雨の降るなか、かなりのところまでメインステージに近づきました。そこで8時過ぎまで声を上げ続けました。途中で車道が解放され、コールが一段と高く響き渡りました。
 帰り際に「清瀬・くらしと平和の会」のKさんから呼び止められました。これだけの人波に知人を見つけることは本当に難しいのです。この日は3万5千人の参加者。

 そして昨9月17日(木)、母親を訪ねた足で脚本研究会「森の会」の例会に参加しました。終了後、演劇教育の先輩のHさんと国会に行く予定でしたが、前日に行かれたということでした。やはり夜は少し心許ないということだったようです。そこでまた一人で国会に向かうことになりました。前日もこの日も妻は私より先に来ていたのですが、結局会えずじまいでした。
  夜の6時に到着。この日は左の道からぐるっとステージのある右側に行ってみました。やはりこちら側も混んできたので、傘もさしやすい左側に移りました。
  何百人いたのでしょうか、警官は今までで1番多かったです。これだけの税金を使って戦争法案を通そうとしているのですね。
 雨の中、参加者はどんどんふくれあがってきます。途中でなぜか車道が解放され、私は最前列付近に陣取りました。警官が5,6列こちらと向きあう位置でした。若者のコールに合わせ、ペンライトを振りながら、8時40分まで頑張りました。8時頃には帰ろうかと思っていたのですが、参加者はほとんど動く気配がありません。帰りずらかったというのが本当のところでした。
 この日の参加者は3万人。
  家に帰ってから、妻と録画の情報番組を見まくりました。「情報ステーション」が強行採決の8分間をにノーカットで伝えていて秀逸、「ニュース23」はまあまあ、NHKはまさに体制よりで、お粗末の一言です。こうした御用放送局にはお金を払いたくありませんね。

〔46〕ホットなおすそ分け第2弾!「9.14戦争法案反対国会前集会」です。

2015年09月15日 | 市民運動
  またまた大規模な「9.14戦争法案反対国会前集会」が昨日ありました。(「戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動実行委員会」)開始は平日の夜の6時半にもかかわらず、なんと4万5千人の人たちで国会前は埋まりました。参加の意思があっても東京までは行けないという人や、からだの不自由な人たちや全ての日本中の人たちに、昨夜の報告をしておきたいと思います。12万人集まった8.30集会のホットな「おすそ分け」に続いて、第2弾といきましょうか。
 「清瀬・くらしと平和の会」のAさんから、「集会に参加の人は、よかったら3時に清瀬駅に集まってください。」というメールが入りました。友人と参加するというのです。我々夫婦は、夜の6時半からの集会に参加したいので、スタートを少し遅らせることにしました。Mさんも一緒に行動を共にすることになりました。
 清瀬の仲間のYさんは数人の仲間を誘って早々集会に参加し、堂々とネットにも登場していました。「清瀬のおばちゃん」として。
 さて我々は5時に清瀬駅に集合、池袋駅でトイレに寄ることを忘れませんでした。
 有楽町線、桜田門駅を出ると、国会に行く道は人でいっぱいでした。交差点で、信号をかなり待たされました。まだ青なのに警官が渡らせてくれないのです。なんだか今日は様子がおかしい、過剰警備だなと思いました。
 いつものように国会正門に向かって、左側の歩道を歩いて行きました。道幅10メートルくらいはあるでしょうか、3分の2くらいのところにコーンがずらりと並べられていて、広い方は人でいっぱい、狭い方を通路にして、3人で進んでいきました。精一杯正門に近いところまで進んで、プラカードを掲げ、懐中電灯を振り回しながら、コールに参加しました。
 しかしこの日の警備は凄まじいものでした。約50メートル幅の車道は完全封鎖です。車道との境目に三角の鉄柵が張り巡らされていました。それを守るかのように警察官がずらっと並んでいます。集会が始まった頃だったでしょうか、観光バスほどの大きさの機動隊の車両、30台ほどが警察官の背後に続々配置されたのです。そのため本部のある右側の参加者の様子が全く見えなく遮断されました。まさに集会の分断でした。
 佐高信さん、鎌田慧さん、神田香織さん、各党の議員さん、大江健三郎さんなどの話が続きます。この日は、スピーカーからの声がはっきり聞こえないのが残念でした。
 参加者のストレスを増やしたのは、この過剰警備でした。歩道は参加者で身動きとれないのに、車道は悠々警察官が占拠しています。なぜ車道を解放しないのか、参加者がしびれを切らして警察官に話しかけ始めました。そのうちに柵を足で押し始める人も出始めました。少しずつ少しずつ、鉄柵は後退していきます。そうこうするうちに国会に向かって参加者が堂々と行進し始めました。それを見て我々もますます手や足に力が入り、ついに鉄柵は倒れ始めました。その隙間から、国会正面になだれ込みました。
 8.30集会のように続々参加者が車道を占拠し、コールが至るところで巻き起こりました。リードするのは若い学生たち。次から次へとリーダーを交替しています。国会がライトアップされていたり、参加者が手に持ったペンライトがきれいでした。8時過ぎまでコールは途切れることもなく続きました。
  11時頃家に着いて、テレビを見ると国会からの中継が放送されていました。まだ参加者がいるのが映し出されていました。

  連れ合いは今日もKさんと国会に行くそうです。私も17日にHさんと行きます。
  戦争法案廃案まで闘いましょう!

〔45〕はてさて、教育における「戦後レジームからの脱却」とは何でしょうか。

2015年09月10日 | 市民運動
 さて、私の請願・趣旨説明説明の時間がようやくやってきました。3分程度で話せと指示されてはいるのですが、ついつい長くなってしまいます。おおよそこんなことを話しました。

  昨年から今年にかけて3回の陳情・請願をしました。
・2014年9月市議会 道徳の教科化に反対する陳情
・2015年6月市議会 国歌・国旗に関する国立大学への要請に反対する請願
・2015年9月市議会 教員の政治的中立「違反に罰則」に反対決議を求める請願

 ここ2,3年の教育行政側の傾向がこの請願などに顕著に現れていると思います。それは文部科学省であったり、安倍首相や自民党の教育に対する強い思いが示唆されているようです。もっといえば、安倍氏の唱える、教育における「戦後レジームからの脱却」の一端が実現してきていると見ることも可能でしょう。 
 戦後しばらくして復活した道徳は、教科ではありませんでした。教科書の使用義務もなく、評価をする必要もありませんでした。この道徳を2018年から教科にしようというのです。戦前の道徳は修身という名称で、国定教科書を学び、「甲乙丙丁」の評価がありました。内容的には家父長制の下で、天皇主権体制=国体を維持するための最も重要な教科の1つに位置づけられていたのです。
そして、学習指導要領がない国立大学への国旗・国歌要請は大学の自治や研究の自由を踏みにじるものです。戦前に起こった滝川事件・矢内原事件・天皇機関説事件などは日本が軍国主義の道をひた走った契機になったものです。
 さらに、今回の“教員の政治的中立「違反に罰則」に反対決議を求める請願”は、戦前の教育システムをいやがうえにも想起させられます。教師(訓導)たちは教育内容や方法、進度までも細かく視学官に管理され、その指示に忠実に従っていたのです。
 教育の政治的中立ということでいえば、本来、求められるのは権力者や為政者ではないのでしょうか。一定の基準はあるものの、教育内容・方法・進度などは専門的力量を持った教師や教師集団に委ねられるというのが先進国の教育システムでなくてはならないのです。日本国憲法の三本柱に教育を加えて、4本柱にすることも考えられます。時の権力者に左右される教育では困るのです。

 3つの陳情・請願体験から明らかになったのは、どう考えても教育の戦前回帰ということでした。教育における「戦後レジームからの脱却」とは教育の戦前回帰に他ならなったのです。

 *かつて、ブックオフの100円コーナーで買った『美しい国へ』(安倍晋三、文藝春秋新書)には「教育の再生」とあり、「誇りを回復させたサッチャーの挙育改革」「ダメ教師には辞めていただく」などの目次が踊っていました。

〔44〕まずは“ 清瀬の若者を戦地に送らないことを宣言する請願”の趣旨説明です。

2015年09月10日 | 市民運動
 前回の続きです。そしてさらに請願関連のコメントが続きますよ。
 まずは連れ合いの請願の趣旨説明です。文章にまとめてきて、委員会で読み上げたものです。

清瀬の若者を戦地に送らないことを宣言する請願
福田 緑

 清瀬・憲法九条を守る会、清瀬・くらしと平和の会の会員、福田 緑です。
 私たち家族が清瀬に越してきてから34年になります。清瀬の緑豊かな自然の中で子どもたちを育てたいと願ってのことです。
 この地に住み始めて少しずつわかってきたのは、清瀬では毎年夏休みに小学生や中学生をピースエンジェルズとして広島に送りだし、原爆被害の非人道性と戦争の悲惨さを学ばせているということ、清瀬中央公園には平和の塔が建てられ、請願にも書いたような素晴らしい碑が置かれているということ、市内のあちらこちらに「非核清瀬市宣言」の大きな看板が立てられていること、毎年のように平和を祈念する行事が行われていることでした。ここは平和を願う町なのだと誇りを持ち、安心して生活することができました。
 今年の8月29日に開かれた平和祈念フェスタin清瀬に参加したときには、実行委員長石崎政治氏、および渋谷市長の平和を強く願う挨拶、ピースエンジェルズに今まで参加した子どもたち、若者たちの心のこもったスピーチを聞き、胸打たれました。特に一人の中学生が長い沈黙の後、「戦争は絶対いやです。みんなで戦争をしない国を作っていけたらと思っています。」と、ことばを絞り出すように語った姿は会場にいた人々の心を強く打ちました。

 一方、ここ数年の政治の動きは戦争への加速を感じさせます。現在参議院で討議されている「安保法制案」は、状況によっては自衛隊を世界のどこまででも切れ目なく送り出せるようにするものです。また、先日、友野ひろ子議員が一般質問での冒頭に、「誰が考えても戦争をしたいという人は一人もいないと確信するが、回りの国からの脅威をどう抑制するのか。『戦争しない』では答えにならない」という挨拶をしました。これはつまり戦争するのもやむを得ない言っているように受けとめられます。
しかし、渋谷金太郎市長は、6月議会における佐々木あつこ議員の「清瀬市では自衛隊員になる若者の激励会をしているが、この若者たちが戦地に行くことをどう考えているのか。」という質問に対して「戦地に行くということは全く考えていない。」とはっきり答えています。
 また、内閣のホームページで法制案に関する一問一答を見ると、
【問17】「日本が戦争をする国になり、将来、自分達の子供や若者が戦場に行かされるようになるのではないか?」に対して「日本を戦争をする国にはしません。そのためにも、我が国を取り巻く安全保障環境が厳しくなる中で、国の存立を全うし、国民の命と平和な暮らしを守るために、外交努力により争いを未然に防ぐことを、これまで以上に重視していきます。」
と書かれており、戦争をする国にはしないと明記しています。
 憲法九条が戦後日本の平和を70年間守りぬいてきました。そして世界に日本への信頼が生まれました。国連PKOで世界の紛争地域での武装解除に活躍してきた伊勢賢治さんの講演では、非武装は最大の武器だと聞きました。

 清瀬市の先達が記した「いつまでも平和を守りぬいていきます」ということば、市が毎年重ねてきた貴重な平和祈念の行事、そして何よりもこの内閣の明確な回答に則り、戦後70年の節目として、私は清瀬市に「清瀬の若者を戦地に送らないことを宣言する」請願を採択していただくことを強く要請いたします。私たちは、清瀬に限らず、日本の、そして世界の平和を願うものです。

 次回は私の請願・趣旨説明です。


〔43〕まさかの“教員の政治的中立「違反に罰則」に反対決議を求める請願"否決でした。

2015年09月09日 | 市民運動
 前ブログ〔42〕の請願が本日(9月8日)、清瀬市議会、総務文教委員会で審議されました。
 先に、連れ合いの出した“清瀬の若者を戦地に送らないことを宣言する請願”については予想どおり3対3の可否同数になりました。賛成はふせ由女(共に生きる)宮原りえ(風・ネット、民主党)佐々木あつ子(共産党)、反対は鈴木たかし(公明党)、渋谷けいし、友野ひろ子(自民クラブ)各議員でした。創価学会員の1部が戦争法案に反対しているということでしたが、鈴木氏はしっかり請願に反対しました。
 最後は自称「完全無所属」の委員長・石川秀樹議員(風・ネット)の反対で否決されました。
 さて、私の提出した“教員の政治的中立「違反に罰則」に反対決議を求める請願"がその次に審議されました。10時からの総務文教委員会はすでに11時半になっていました。 私の数分の趣旨説明の後、すぐに審議が始まりました。相変わらず、ふせ・宮原・佐々木議員は内容のある、密度の濃い賛成意見を展開してくれました。(詳細は清瀬市のサイトを覗いてください。ただし記録が掲載されるまでには1ヶ月半から2ヶ月かかります。)
 友野氏と渋谷氏は簡単な反対意見を言いました。自民党でも「違反に罰則」は、やり過ぎだろうという意見も出ていると新聞報道にあったのですが、清瀬の自民党はどこまでもごりごりの右派でした。
 一番意外だったのが鈴木氏でした。賛成すると思っていたのですが、反対したのです。なぜなら、公明党の幹事長は「違反に罰則」には批判的です。次の記事を読んでみてください。

●産経新聞(2015.6.26)
 教員の政治活動への罰則めぐり「公務員の服務規程で十分」 公明・井上氏
 公明党の井上義久幹事長は26日午前の記者会見で、自民党が教職員の政治的中立性を担保するため、教育公務員特例法を改正して高校教員の政治活動を制限する素案を検討していることについて「公務員には服務規程があり、それで十分ではないか」と述べ、法改正の必要はないとの認識を示した。

 この請願も3対3の可否同数、道徳の教科化に反対した委員長・石川氏はまたもや反対でこの請願は否決されました。彼は市民派を名乗っていなかったかなあ。行動様式は自公と同じようにみえますがね。

 昼休みが宣言されたときに、歩いて会議室を出ようとした鈴木氏を呼び止め話しかけました。公明党の幹事長(彼は名前を知りませんでした)が「公務員の服務規程で十分」と発言しているのだがと言ったら、「不勉強で知らなかった。」と言いました。本会議で彼はどうするのかなあ、見守りたいと思います。
 以上のことは、嘘のような本当の話です。

〔42〕9月議会には“教員の政治的中立「違反に罰則」に反対決議を求める請願"します。

2015年09月05日 | 市民運動
 我が家の石柱に、「アベ政治を許さない!」を掲げました。持ち歩いているリュックには「脱原発」の黄色いステッカーを付けています。戦争法案反対の集会のため国会包囲行動にも参加します。日本が大きく右旋回しようとしているときに、できることは何でもやろうというつもりでいます。自分たちだけでなく子や孫のためにも。
 清瀬市の9月議会に3回目の請願を出しました。今回は“教員の政治的中立「違反に罰則」に反対決議を求める請願”です。まずは次の請願を読んでみてください。 

          教員の政治的中立「違反に罰則」に反対決議を求める請願
          
〔請願趣旨〕
 7月2日、自民党の文部科学部会は選挙権年齢を18歳以上に引き下げることに合わせた主権者教育の提言をまとめ、「政治的中立」から逸脱した高校教員に罰則を科すために関連法の改正などを政府に求めた。こうしたことは、教員の専門性や創意工夫を尊重すべき教育現場が萎縮する悪影響をもたらすだけである。清瀬市議会として、このような動きに対して、反対の決議をあげるよう要請したい。
〔請願理由〕
 「提言」では、「教員の日々の指導や政治的活動については、政府として政治的中立性の確保を徹底すべきだ」と指摘し、教員の政治的行為に罰則を求めている。
 「政治的中立性」を満たした教育、授業とはいかなるものだろうか。誰でもが納得できるような明確な線引きが存在するとは到底思えない。
 そもそも教職とはものを作るのではなくて、日々成長している子どもたちを育てる仕事である。子どもたちの現在(いま)を見つめ、親の協力を仰ぎながら、教師集団として研究活動に精進することによって、子どもを中心とした教育現場のよりよい関係が切り結ばれる。罰則主義で得られるものは何もない。
 次のような指摘にも耳を傾ける必要があるだろう。
 「若い有権者を迎え、よりよい主権者教育を考えようというときに、まず懲罰を持ち出す発想が寒々しい。合言葉のように中立と言うが、何をもって逸脱とするのか、はっきりした線は引けそうにない。…提言が実現しなくても、こうした動きそのものが心理的な介入になろう。」(朝日新聞、天声人語2015年7月10日)
子どもや教員の人権が十分保障されるような創造的な教育の場が今求められている。

   2015年8月25日
  清瀬市議会議長
   渋谷のぶゆき様
                     清瀬・憲法九条を守る会 福田三津夫

 今までの請願〔道徳の教科化反対、国立大学への国旗・国歌強制反対〕は残念ながら不採択でした。自公の反対があったからです。しかし、この請願は期待できます。このことに関して、自民党内にも異論があり、公明党の幹事長は反対を示唆しています。でも清瀬市の自公はどう考えているでしょうか。
 9月9日(水)、朝10時から総務文教委員会で私の提案、委員からの質問、討議、採決と進むはずです。興味のある方、支援してくださる方はどうぞ傍聴にいらしてください。清瀬市役所の4階です。
 同じ日に連れ合いの福田緑も請願を出します。読んでみてください。

清瀬の若者を戦地に送らないことを宣言する請願
<請願の趣旨>
 安倍政権は、「安保法制案は、国民の命と平和な暮らしを守るための法案であり、戦争を防ぐ抑止力となる」と繰り返し述べています。それでも私たち一般市民は、この法案が通ればいつか戦争が始まってしまうのではないかと心配でなりません。戦争が始まってしまえば、いやでも清瀬の若者を戦地に送り出すことになるでしょう。戦後70年の節目に当たる今こそ、43年前に清瀬の先達が「平和の塔」に記した思いを胸に、「清瀬の若者を戦地に送らない」ことを宣言することを要請します。

<請願の理由>
 1974年、清瀬市は中央公園に「平和の塔」(澄川喜一氏制作)を建設し、その碑に以下の文章を記しました。

  記      昭和49年11月
    すぎし第二次世界大戦の終結を見てから29年経過したこん日 戦争は再び 
   起こしてはならないと 私たちは深く心に刻み 戦死された市民 戦災 引揚な 
   どで亡くなられた市民の霊を今ここに祀ります
    真の平和と社会の繁栄が永遠に続くことを市民一人一人が願いをこめて  
   この平和の塔を建設しました この塔は市の平和のシンボルとして また市 
   民の心のよりどころとして いつまでも平和を守りぬいていきます
清瀬市平和の塔建設委員会会長 渋 谷 邦 蔵
     建設委員 23名の名前(省略) 
※「市報きよせ 平成22年8月15日号」によれば、出征戦死者は120人強、昭和20年4月2日未明の空襲による死者17名、同日の東京府立清瀬病院への爆撃による死者2名、負傷者1名とのこと。

 私たちは清瀬の若者を戦地に送りだし、彼らが武器を持ち、殺し、殺されに行くようなことを認めることはできません。
 渋谷金太郎市長は、6月議会における佐々木あつこ議員の「清瀬市では自衛隊員になる若者の激励会をしているが、この若者たちが戦地に行くことをどう考えているのか。」という質問に対して「戦地に行くということは全く考えていない。」とはっきり答えています。その心は上の碑文に通じるものと思われます。
 私たちも上記の碑文にあるように、清瀬に限らず、日本の平和をいつまでも守りぬいていきたいと思っています。清瀬市議会にも戦後70年の今、「清瀬の若者を戦地に送らない」ことを宣言していただくよう要請するものです。
2015年8月25日       

清瀬市議会議長
    渋谷のぶゆき様
   清瀬・憲法九条を守る会 福田 緑

〔参考〕『教育』(教育科学研究会編集、かもがわ出版)2015年9月号、特集、「政治的中立」と教育の公正