一つ前のブログで、「教育勅語を道徳に活用することに反対する決議を求める請願」のことを書きましたが、その採決が6月16日(金)、清瀬市の総務文教委員会で行われました。予想されたことですが、3対3の賛否同数で、最終的に委員長(渋谷けいし議員、清瀬自民クラブ)判断でこれが否決されました。
議員の会派構成から考えて、当然否決は予想されたことですが、反対した議員のあまりの認識レベルの低さを考えるならば、笑ってばかりはいられません。
当日の様子を振り返ってみましょう。
請願を採録します。
■教育勅語を道徳に活用することに反対する決議を求める請願
紹介議員 ふせ由女
〔請願趣旨〕
教育勅語を学校教材として活用するのを否定しないとする答弁書を安倍内閣が閣議で決めた。答弁書は「憲法や教育基本法に反しないような形で教材として用いることまでは否定されない」との見解を示した。清瀬市議会として、このような見解に対して、反対の決議をあげるよう要請したい。
〔請願理由〕
教育勅語について衆議院は基本的人権を損なうとして憲法に照らし排除の宣言を、参議院は教育基本法制定により失効の確認をそれぞれ決議している。にもかかわらず「憲法や教育基本法に反しないような形で教材として用いる」ことがはたして可能になるのだろうか。
教育勅語は明治天皇が国民に守るべき徳目を説いた言葉として発布された。学校での朗読が強制され、神聖化が進んだ。天皇制の精神的支柱の役割を果たし、昭和期の軍国主義教育と結びついた歴史がある。
政府が道徳での活用を否定しない態度はとりわけ問題である。教育勅語の核心は「天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇運」(永遠の皇位)を助けよ、と要請し、国の非常時には天皇のために命を懸けよ、と説いている点にある。
「親孝行とかは良い面だと思う」という稲田朋美防衛相の発言にも首をかしげざるを得ない。天皇制を維持するための家父長制という文脈で教育勅語の歴史的判断を下すべきである。
「憲法や教育基本法に反しないような形で教材として用いる」には、教育勅語が軍国主義教育を助長していった負の歴史の教訓と反省を説く教育以外にはない。
2017年5月26日
清瀬市議会議長
渋谷のぶゆき様
清瀬・憲法九条を守る会
福田三津夫
当日、請願説明で強調したことは2点あります。
一つ目は、教育勅語等排除に関する決議(衆議院決議)と教育勅語等の失効確認に関する決議(参議院決議)の趣旨をかいつまんで話したことです。(下掲)
「われらはここに、教育の真の権威の確立と国民道徳の振興のために、全国民が一致して教育基本法の明示する新教育理念の普及徹底に努力をいたすべきことを期する。」とあるように、学校教育のみならず国民道徳全般を振興する理念は教育勅語を廃止して、教育基本法に存在するということなのです。これらの決議は日本国憲法制定(1946.11.3)教育基本法制定(1947.3.31)の翌年に制定されてます。そして今日まで、この決議は変更されることなく、生き続けているのです。この記述から教育勅語を道徳の教材として活用できないことは自明のことになります。請願理由はこれに尽きるといってもいいのです。
二つ目に紹介したのは、マスコミ報道です。憲法記念日に「首相憲法改憲インタビュー」を掲載した安倍首相のお友達マスコミの代表格・読売新聞さえも、教育勅語教材化に異論を唱えているのです。(下掲)私の見たところ内閣に賛同したのは産経新聞だけでした。
この請願に反対したのは粕谷いさむ・中村清治議員(清瀬自民クラブ)と斉藤あき子議員(公明党)の3人でした。衆参での廃止決議やほとんどのマスコミの論調に逆らっての否定意見は見苦しいものでした。教育勅語の良い点は教材に活用できるというのです。天皇制を護持するための家父長制や長子相続制を前提としたうえで、妻は夫を助け、兄弟は長男に従うという文脈を教育長ならしっかり理解してもらいたいものです。衆参両院の教育勅語廃止宣言は、全面否定なのです。
清瀬自民クラブの委員や坂田篤教育長が、社会科では教材にしても良いが、なぜ道徳はダメなのかと言っていたことには驚愕しました。社会科では教育勅語が以前から戦前の国家主義的な教育の歴史を学ぶために教科書に掲載されてきました。負の歴史を振り返らないで未来を見据えることはできないからです。腑に落ちないのは、教育長は歴史教材としての教育勅語を掲載する教科書を自ら選んできたことです。
請願に賛成してくれたのは、佐々木あつ子議員(日本共産党)、宮原りえ議員(風・生活者ネット)、ふせ由女議員(共に生きる)の3人でした。私の請願趣旨をしっかり主張してくれて、頼りになる市議のみなさんでした。
請願者は、請願理由を述べたあと、ただ委員の討論を聞くしかないのです。どんなにおかしなことが話されても反論はできないのです。ストレスがたまるばかりでした。
そして、請願反対派の議員や教育長が、どれほど非論理的な言辞を弄してもその様子は、一般市民には伝わりません。清瀬市では以前からネット中継が市民から要望されているのですがいっこうに実現しません。新市役所が建設されたら設置するというのですが、何年先のことになるのでしょうか。ネットや紙媒体での市議会だよりは私たちが読めるのには2ヶ月ぐらいかかるわけですから、何とも歯がゆいばかりです。市民の知る権利をどう考えているのでしょう。
先日の本会議で、ある保守系議員が、何と選挙用の公選葉書の宛名書きをしていることに度肝を抜かれました。傍聴者がいてもこういうことをやり続ける精神とは何なのか、通常では考えられません。はたして、ネット中継していてもやり続けるのでしょうか。
最後にいくつかの資料を付けておきます。参考にしてください。
*教育勅語等排除に関する決議(1948年6月19日衆議院決議)
民主平和国家として世界史的建設途上にあるわが国の現実は、その精神内容において未だ決定的な民主化を確認するを得ないのは遺憾である。これが徹底に最も緊要なことは教育基本法に則り、教育の改新と振興とをはかることにある。しかるに既に過去の文書となっている教育勅語並びに陸海軍軍人に賜わりたる勅諭その他の教育に関する諸詔勅、今日もなお国民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは、従来の行政上の措置が不十分であったがためである。
思うに、これらの詔勅の根本的理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すものとなる。よって憲法第98条の本旨に従い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。政府は直ちにこれらの謄本を回収し、排除の措置を完了すべきである。
右決議する。
*教育勅語等の失効確認に関する決議(1948年6月19日参議院決議)
われらは、さきに日本国憲法の人類普遍の原理に則り、教育基本法を制定して、わが国家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に払拭し、真理と平和とを希求する人間を育成する民主主義的教育理念をおごそかに宣明した。その結果として、教育勅語は、軍人に賜はりたる勅諭、戊申詔書、青少年学徒に賜はりたる勅語その他の諸詔勅とともに、既に廃止せられその効力を失つている。
しかし教育勅語等が、あるいは従来の如き効力を今日なお保有するかの疑いを懐く者あるをおもんばかり、われらはとくに、それらが既に効力を失つている事実を明確にするとともに、政府をして教育勅語その他の諸詔勅の謄本をもれなく回収せしめる。
われらはここに、教育の真の権威の確立と国民道徳の振興のために、全国民が一致して教育基本法の明示する新教育理念の普及徹底に努力をいたすぺきことを期する。
右決議する。
■読売新聞社説 2017年4月6日「教育勅語 道徳教材としてふさわしいか」
教育勅語は、大日本帝国憲法と不可分の存在だった。その事実を忘れてはならない。
政府は「教育勅語を我が国の教育の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切だ」とする答弁書を閣議決定した。民進党議員の質問主意書に答えた。政府がこれまでに表明していた見解に沿っている。
答弁書は、教育勅語を「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されない」とも言及した。
実際、高校の日本史や公民の教科書には、教育勅語の全文や抜粋を掲載しているものもある。日本の大きな転換期だった明治から昭和期にかけての歴史を学ぶ教材として、教育勅語を用いることは、何ら問題がないだろう。
ただし、道徳などで教育勅語を規範とするような指導をすることは、厳に慎まねばならない。
明治天皇が1890年に、君主に奉仕する「臣民」への教えとして示したのが教育勅語だ。
「皇祖皇宗」以来、連綿と続いてきた「国体の精華」の維持を教育の根源とした。危急の大事には、皇室・国家のために尽くすことを、天皇が国民に求めている。
天皇中心の国家観が、国民主権や基本的人権を保障した現憲法と相容れないのは明らかだ。道徳の教材に用いれば、学校での特定の政治教育を禁止した教育基本法にも抵触する可能性がある。
戦後、国の教育指針は、現憲法の精神を踏まえた教育基本法に取って代わられた。1948年には衆参両院が、教育勅語の指導原理を排斥し、失効させる決議を採択した。教育勅語は、法的効力を失った史料に過ぎない。
国有地売却問題で揺れる森友学園は、運営する幼稚園で園児に教育勅語を暗唱させていた。
これに関連して、稲田防衛相は国会答弁で、「道義国家を目指すという教育勅語の精神は取り戻すべきだ」と述べている。
確かに、親孝行や夫婦愛など、現在にも通じる徳目を説いている面はある。しかし、教育勅語を引用しなくても、これらの大切さを教えることは十分に可能だ。
菅官房長官が「政府として積極的に教育現場で活用する考えはない」と強調したのは当然だ。
過去には、建国記念の日に校長が教育勅語の朗読をしていた島根県の私立高校に対して、県が改善を勧告した事例もある。
教育現場で憲法や教育基本法の趣旨に反する行き過ぎた指導があれば、是正する必要がある。
●「内外教育」コラム「ラウンジ」2017年4月21日、時事通信社
*「よほど使わせたいのだ」(骨子)
・第1幕 稲田朋美防衛相「親孝行とかは良い面だと思う」
・第2幕 「憲法や教育基本法に反しないような形」で教材を認める答弁書を閣議決定
・第3幕 松野博一文科相「どの教材を使うかは教員や校長の権限」
・第4幕 義家弘介文科副大臣、朝礼での勅語の朗読に対して「教育基本法に反しない限りは問題のない行為」
*国会での排除・失効の確認(1948年)
・1983年、島根県の私立高校、校長の朗読に合わせて生徒に教育勅語を読ませていたことに関して、文部大臣「率直に言って遺憾」
*歴史の負の資料として教える以外に方法はない。道徳の教材としての復活などあり得ない。
●「安倍内閣の意識統合の手法」「『教育勅語』を教材化 戦争と改憲への一里塚」「教育への意図的政治介入」永井栄俊(「週刊新社会」より骨子)
・2017年4月14日、ヒトラー『わが闘争』教材使用容認閣議決定
・2017年4月18日、「教育勅語」教材使用容認閣議決定
・「今日の社会問題は「親孝行」よりも親の子どもに対する虐待であることを知るべきだ。」・「家族の『和』の解体は経済的な貧困・格差によってもたらされていることが多い。」
・コーラン「人を殺すな」「泥棒するな」「嘘をつくな」
議員の会派構成から考えて、当然否決は予想されたことですが、反対した議員のあまりの認識レベルの低さを考えるならば、笑ってばかりはいられません。
当日の様子を振り返ってみましょう。
請願を採録します。
■教育勅語を道徳に活用することに反対する決議を求める請願
紹介議員 ふせ由女
〔請願趣旨〕
教育勅語を学校教材として活用するのを否定しないとする答弁書を安倍内閣が閣議で決めた。答弁書は「憲法や教育基本法に反しないような形で教材として用いることまでは否定されない」との見解を示した。清瀬市議会として、このような見解に対して、反対の決議をあげるよう要請したい。
〔請願理由〕
教育勅語について衆議院は基本的人権を損なうとして憲法に照らし排除の宣言を、参議院は教育基本法制定により失効の確認をそれぞれ決議している。にもかかわらず「憲法や教育基本法に反しないような形で教材として用いる」ことがはたして可能になるのだろうか。
教育勅語は明治天皇が国民に守るべき徳目を説いた言葉として発布された。学校での朗読が強制され、神聖化が進んだ。天皇制の精神的支柱の役割を果たし、昭和期の軍国主義教育と結びついた歴史がある。
政府が道徳での活用を否定しない態度はとりわけ問題である。教育勅語の核心は「天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇運」(永遠の皇位)を助けよ、と要請し、国の非常時には天皇のために命を懸けよ、と説いている点にある。
「親孝行とかは良い面だと思う」という稲田朋美防衛相の発言にも首をかしげざるを得ない。天皇制を維持するための家父長制という文脈で教育勅語の歴史的判断を下すべきである。
「憲法や教育基本法に反しないような形で教材として用いる」には、教育勅語が軍国主義教育を助長していった負の歴史の教訓と反省を説く教育以外にはない。
2017年5月26日
清瀬市議会議長
渋谷のぶゆき様
清瀬・憲法九条を守る会
福田三津夫
当日、請願説明で強調したことは2点あります。
一つ目は、教育勅語等排除に関する決議(衆議院決議)と教育勅語等の失効確認に関する決議(参議院決議)の趣旨をかいつまんで話したことです。(下掲)
「われらはここに、教育の真の権威の確立と国民道徳の振興のために、全国民が一致して教育基本法の明示する新教育理念の普及徹底に努力をいたすべきことを期する。」とあるように、学校教育のみならず国民道徳全般を振興する理念は教育勅語を廃止して、教育基本法に存在するということなのです。これらの決議は日本国憲法制定(1946.11.3)教育基本法制定(1947.3.31)の翌年に制定されてます。そして今日まで、この決議は変更されることなく、生き続けているのです。この記述から教育勅語を道徳の教材として活用できないことは自明のことになります。請願理由はこれに尽きるといってもいいのです。
二つ目に紹介したのは、マスコミ報道です。憲法記念日に「首相憲法改憲インタビュー」を掲載した安倍首相のお友達マスコミの代表格・読売新聞さえも、教育勅語教材化に異論を唱えているのです。(下掲)私の見たところ内閣に賛同したのは産経新聞だけでした。
この請願に反対したのは粕谷いさむ・中村清治議員(清瀬自民クラブ)と斉藤あき子議員(公明党)の3人でした。衆参での廃止決議やほとんどのマスコミの論調に逆らっての否定意見は見苦しいものでした。教育勅語の良い点は教材に活用できるというのです。天皇制を護持するための家父長制や長子相続制を前提としたうえで、妻は夫を助け、兄弟は長男に従うという文脈を教育長ならしっかり理解してもらいたいものです。衆参両院の教育勅語廃止宣言は、全面否定なのです。
清瀬自民クラブの委員や坂田篤教育長が、社会科では教材にしても良いが、なぜ道徳はダメなのかと言っていたことには驚愕しました。社会科では教育勅語が以前から戦前の国家主義的な教育の歴史を学ぶために教科書に掲載されてきました。負の歴史を振り返らないで未来を見据えることはできないからです。腑に落ちないのは、教育長は歴史教材としての教育勅語を掲載する教科書を自ら選んできたことです。
請願に賛成してくれたのは、佐々木あつ子議員(日本共産党)、宮原りえ議員(風・生活者ネット)、ふせ由女議員(共に生きる)の3人でした。私の請願趣旨をしっかり主張してくれて、頼りになる市議のみなさんでした。
請願者は、請願理由を述べたあと、ただ委員の討論を聞くしかないのです。どんなにおかしなことが話されても反論はできないのです。ストレスがたまるばかりでした。
そして、請願反対派の議員や教育長が、どれほど非論理的な言辞を弄してもその様子は、一般市民には伝わりません。清瀬市では以前からネット中継が市民から要望されているのですがいっこうに実現しません。新市役所が建設されたら設置するというのですが、何年先のことになるのでしょうか。ネットや紙媒体での市議会だよりは私たちが読めるのには2ヶ月ぐらいかかるわけですから、何とも歯がゆいばかりです。市民の知る権利をどう考えているのでしょう。
先日の本会議で、ある保守系議員が、何と選挙用の公選葉書の宛名書きをしていることに度肝を抜かれました。傍聴者がいてもこういうことをやり続ける精神とは何なのか、通常では考えられません。はたして、ネット中継していてもやり続けるのでしょうか。
最後にいくつかの資料を付けておきます。参考にしてください。
*教育勅語等排除に関する決議(1948年6月19日衆議院決議)
民主平和国家として世界史的建設途上にあるわが国の現実は、その精神内容において未だ決定的な民主化を確認するを得ないのは遺憾である。これが徹底に最も緊要なことは教育基本法に則り、教育の改新と振興とをはかることにある。しかるに既に過去の文書となっている教育勅語並びに陸海軍軍人に賜わりたる勅諭その他の教育に関する諸詔勅、今日もなお国民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは、従来の行政上の措置が不十分であったがためである。
思うに、これらの詔勅の根本的理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すものとなる。よって憲法第98条の本旨に従い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。政府は直ちにこれらの謄本を回収し、排除の措置を完了すべきである。
右決議する。
*教育勅語等の失効確認に関する決議(1948年6月19日参議院決議)
われらは、さきに日本国憲法の人類普遍の原理に則り、教育基本法を制定して、わが国家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に払拭し、真理と平和とを希求する人間を育成する民主主義的教育理念をおごそかに宣明した。その結果として、教育勅語は、軍人に賜はりたる勅諭、戊申詔書、青少年学徒に賜はりたる勅語その他の諸詔勅とともに、既に廃止せられその効力を失つている。
しかし教育勅語等が、あるいは従来の如き効力を今日なお保有するかの疑いを懐く者あるをおもんばかり、われらはとくに、それらが既に効力を失つている事実を明確にするとともに、政府をして教育勅語その他の諸詔勅の謄本をもれなく回収せしめる。
われらはここに、教育の真の権威の確立と国民道徳の振興のために、全国民が一致して教育基本法の明示する新教育理念の普及徹底に努力をいたすぺきことを期する。
右決議する。
■読売新聞社説 2017年4月6日「教育勅語 道徳教材としてふさわしいか」
教育勅語は、大日本帝国憲法と不可分の存在だった。その事実を忘れてはならない。
政府は「教育勅語を我が国の教育の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切だ」とする答弁書を閣議決定した。民進党議員の質問主意書に答えた。政府がこれまでに表明していた見解に沿っている。
答弁書は、教育勅語を「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されない」とも言及した。
実際、高校の日本史や公民の教科書には、教育勅語の全文や抜粋を掲載しているものもある。日本の大きな転換期だった明治から昭和期にかけての歴史を学ぶ教材として、教育勅語を用いることは、何ら問題がないだろう。
ただし、道徳などで教育勅語を規範とするような指導をすることは、厳に慎まねばならない。
明治天皇が1890年に、君主に奉仕する「臣民」への教えとして示したのが教育勅語だ。
「皇祖皇宗」以来、連綿と続いてきた「国体の精華」の維持を教育の根源とした。危急の大事には、皇室・国家のために尽くすことを、天皇が国民に求めている。
天皇中心の国家観が、国民主権や基本的人権を保障した現憲法と相容れないのは明らかだ。道徳の教材に用いれば、学校での特定の政治教育を禁止した教育基本法にも抵触する可能性がある。
戦後、国の教育指針は、現憲法の精神を踏まえた教育基本法に取って代わられた。1948年には衆参両院が、教育勅語の指導原理を排斥し、失効させる決議を採択した。教育勅語は、法的効力を失った史料に過ぎない。
国有地売却問題で揺れる森友学園は、運営する幼稚園で園児に教育勅語を暗唱させていた。
これに関連して、稲田防衛相は国会答弁で、「道義国家を目指すという教育勅語の精神は取り戻すべきだ」と述べている。
確かに、親孝行や夫婦愛など、現在にも通じる徳目を説いている面はある。しかし、教育勅語を引用しなくても、これらの大切さを教えることは十分に可能だ。
菅官房長官が「政府として積極的に教育現場で活用する考えはない」と強調したのは当然だ。
過去には、建国記念の日に校長が教育勅語の朗読をしていた島根県の私立高校に対して、県が改善を勧告した事例もある。
教育現場で憲法や教育基本法の趣旨に反する行き過ぎた指導があれば、是正する必要がある。
●「内外教育」コラム「ラウンジ」2017年4月21日、時事通信社
*「よほど使わせたいのだ」(骨子)
・第1幕 稲田朋美防衛相「親孝行とかは良い面だと思う」
・第2幕 「憲法や教育基本法に反しないような形」で教材を認める答弁書を閣議決定
・第3幕 松野博一文科相「どの教材を使うかは教員や校長の権限」
・第4幕 義家弘介文科副大臣、朝礼での勅語の朗読に対して「教育基本法に反しない限りは問題のない行為」
*国会での排除・失効の確認(1948年)
・1983年、島根県の私立高校、校長の朗読に合わせて生徒に教育勅語を読ませていたことに関して、文部大臣「率直に言って遺憾」
*歴史の負の資料として教える以外に方法はない。道徳の教材としての復活などあり得ない。
●「安倍内閣の意識統合の手法」「『教育勅語』を教材化 戦争と改憲への一里塚」「教育への意図的政治介入」永井栄俊(「週刊新社会」より骨子)
・2017年4月14日、ヒトラー『わが闘争』教材使用容認閣議決定
・2017年4月18日、「教育勅語」教材使用容認閣議決定
・「今日の社会問題は「親孝行」よりも親の子どもに対する虐待であることを知るべきだ。」・「家族の『和』の解体は経済的な貧困・格差によってもたらされていることが多い。」
・コーラン「人を殺すな」「泥棒するな」「嘘をつくな」