後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔630〕2023夏・ドイツ後期ゴシックとフランスロマネスクを歩く⑲〈最終回〉 初めてのバーデン・バーデンは期待で胸いっぱいでした。

2023年10月28日 | 美術鑑賞
 いよいよ2023年夏、「ドイツ後期ゴシックとフランスロマネスクを歩く」は終焉を迎えました。バーデン・バーデン2泊、ルースとトーマスが待ってくれているフランクフルト(カルベン)は2泊です。
 初めてのバーデン・バーデン訪問の目的は、ゲルハールトの磔刑像を拝観することです。バクサンドールのカタログにも掲載されています。道順として少し行きにくいところなので、今回は無理かなと弱気になったのですが、緑がしっかり予定に入れてくれました。

 9月13日(水)、バーデン・バーデンの駅から市の中心部まで数㎞なので、バスに乗ることにしました。まず目差したのはクロスター教会。バーデン・バーデンに美しい聖母子像があるよ、と教えてくれたのはヴェニガーさんでした。ならば行くしかありません。
 この教会はAbtei Lichtenthal Baden-Baden の中にありました。軽食ができるところで、多くの家族連れで賑わっていました。その一角にクロスター教会がありました。厳粛な雰囲気の堂内に気品高く聖母子像が鎮座していました。磔刑像も素晴らしいので来てよかったです。





 9月14日(木)、いよいよゲルハールトの磔刑像探しです。丘の上のシュティフト教会が目差す場所です。苦労して探し当てたのですが、残念ながら施錠されていました。通りがかりの女性が親身になっていつ開場するのか、電話して調べてくれました。午後2時に入場できそうだということで食事をしながら待機です。
 せっかくバーデン・バーデンに来たので、先に、州立美術館とブルダ美術館も覗いて見ました。





 満を持してシュティフト教会へ。やはりゲルハールトは素晴らしい! キリストの身体的なバランスも良いし、ステンドグラスを通した七色の光がキリストにあたって、実に美しかったです。


 
 バーデン・バーデンは「ローマ時代からの由緒ある温泉町」だというのですが、ついに温泉につかることもありませんでした。

 9月15日(金)、フランクフルトに移動です。カルベンではルースとトーマスがいつものように最高の「ホテル」を用意してくれていました。8月中旬にトーマスは私たちの子どもと孫に会いに来てくれましたが、その後、散歩中に転んで杖をつく生活になっていました。そのため予定していたマリア・ラーハには行けなくなってしまいましたが、他日を期したいと思います。その時はエルツ城・マルクスブルク城・エーベルバッハ修道院にも足を伸ばしたいと考えています。

 次の旅は、新しく発見されたリーメンシュナイダーのキリスト像がニュルンベルクのゲルマン国立博物館で公開される2025年かな、ともう2人で話しています。都合が合えば友人2人も同行されるかも知れません。それまでに、シルヴィアから届くであろう2冊(ミヒェル・エーアハルトとハンス・ムルチャー)の大部なカタログをしっかり読み込まなければ、と思っています。まだまだ、私たちのドイツ後期ゴシックとフランスロマネスクの旅は続きそうです。

〔629〕2023夏・ドイツ後期ゴシックとフランスロマネスクを歩く⑱  猛暑のランツフート、それでも教会・博物館・城と歩き回りました。

2023年10月28日 | 美術鑑賞

*3泊したイビスホテル、駅から徒歩数分。ハートマーク内の表示が気に入りました。

 9月11日(月)、12日(火)の2日間、ランツフート(ミュンヘンから北東に約100㎞)の市内をくまなく歩き回りました。ドイツでもこの時期こんなに暑くなるんだと思いながら、普段かぶらないチャラい帽子を離せませんでした。注意深く日陰を選びながら歩きました。



 最初に向かったのはなんといっても聖マルティン教会、ラインベルガーの巨大で逞しい聖母子像にご挨拶です。と思ったのですが、ミサの最中で入場はできません。翌日入場が叶いこの時にじっくり拝観しました。ラインベルガー関連の作品だけでもここに3、4点あります。彫刻の顔が壊されていたりして状態はあまり良くないのですが、見る価値は充分にあります。キリスト像はラインベルガー系の人でしょう。そうそう、大事な彫刻を発見しました。ミヒェル・エーアハルトの巨大な磔刑像です。大きくても手抜きなしの仕事です。



 彫刻作品が陳列されているランツフート美術館は閉館中でした。がっかりして、イーザル川の河畔に佇んだのでした。川縁の木陰のベンチは何処も満席。人がベンチから立つとすかさず場所取りもしました。







 12日(火)早朝、気を取り直して向かった先は小高い丘の上にあるトラウスニッツ城でした。あまり期待はしていなかったのですが、どうしてどうして、大当たりでした。我々含めて4人だけの見学ツアーに参加しました。案内の女性が1部屋ずつ鍵を開閉して厳重管理していました。調度品、絵画などの美術品の他、実に質の高い彫刻が並んだ礼拝堂があったのです。京都の東寺の立体曼荼羅を想起させるようなお堂でした。
 ニコライ教会のラインベルガーのキリスト像にも「挨拶」してきました。前回は雨の中の訪問だったことを思い出していました。前回同様、我々の他にはどなたもいらっしゃいませんでした。

 翌日は5時間かけてバーデン・バーデンに向かいました。

〔628〕2023夏・ドイツ後期ゴシックとフランスロマネスクを歩く⑰ フライジングでヴェニガー夫妻の懇切丁寧な解説に圧倒されました。

2023年10月26日 | 自己紹介
 9月10日(日)、フィラッハから南ドイツのランツフートまで約5時間の長旅ですが、まったく苦痛に感じません。人に迷惑がかからないようにトランクさえ安全な場所に運び入れれば余裕のよっちゃんです。万が一座れなくても平気の平左。20回近いドイツ旅行に我らは鍛えられました。
 50日間のドイツ・ヨーロッパ旅行も最終盤に差し掛かりました。残すところあと1週間、ランツフート3泊、バーデン・バーデン2泊、フランクフルト2泊です。

 ランツフート初日に、バイエルン国立博物館のヴェニガー博士ご夫妻が時間を作って会ってくださいました。待ち合わせの場所はフライジング駅。徒歩でフライジング大聖堂に向かいます。現在所々修復中で、逆に興味津々です。



 マティアス・ヴェニガーさんは美術全般のエキスパート、お連れ合いのルースさんは美術館や学校などで文化活動をサポートする仕事のようです。我々が興味を持った美術品に出合うと、わかりやすいドイツ語でルースさんが解説し始め、途中からマティアスさんが割って入ります。ドイツ語は緑もわからないことがかなりあるというのですが、しかしながら強い熱意と好意を感じます。
 大聖堂では特別に内陣に入る許可を取ってくれていました。ありがたいことでした。






*エラスムス・グラッサー作

 フライジング博物館は彼らの顔パスで無料でした。昨年は開館記念ということで、来場者でごった返していたのですが、この日の入場者はほんのわずかで、ゆっくり彼らの解説を聞きながら回ることができました。
 お茶をしながらいろいろ質問をしました。ハンス・ムルチャーとミヒェル・エーアハルトのカタログが欲しいのだが、いい本はないか尋ねると、小さな自転車で、なんと家まで行って重たい3冊を持ってきてくれました。実物を見た方がわかりやすいと思ったので、ということでした。
 ネットでいつも見ていた大部な本でした。良い本でした。シルヴィアの力を借りてなんとか手に入れるつもりです。

〔627〕2023夏・ドイツ後期ゴシックとフランスロマネスクを歩く⑯ マリア・ガイル祭壇を追いかけてついにフィラッハまで来てしまいました。

2023年10月26日 | 美術鑑賞
 9月8日(金)、インスブルックからは4時間22分、オーストリアの南端、フィラッハまで来てしまいました。イタリアやスロヴェニアに近い交通の要衝です。
 モワサックの写真集と同様に、植田重雄さんが遺されたドイツ語文献・後期ゴシック彫刻の本の表紙はフィラッハのマリア・ガイル祭壇で飾られていました。綺麗で整ったマリアの戴冠祭壇でした。遠いということもあって、あまり無理しなくても良いかなと思っていたのですが、緑がさっさと予定に入れてしまいました。
 フィラッハには2泊の予定です。1日目は市の中央に繰り出して、フィラッハ博物館や道行きの教会を訪ねました。





 フィラッハ博物館は小さな市立博物館でした。展示物もそれほど多くはないのですが、なぜかマリア・ガイル祭壇のプレデラが展示されていました。どんな事情があったのでしょうか。
 9月9日(土)、バスでマリア・ガイルを訪ねました。バス停と発車時間の確認に手間取りました。初めての土地なので、いつものことですがね。
 バス停からさらに十数分のところにマリア・ガイルの教会がありました。





 素晴らしい祭壇でした。手入れの行き届いた綺麗な教会で、写真で見るより遙かに美しい祭壇がそこにありました。まあ、それにしても植田さんに導かれてオーストリアの果てまで来てしまったなあと、思うのでした。


*ホテルの前に大きなバイクが何台も止まっていました。フィラッハはバイク愛好家の街でした。

 明日はドイツのランツフートです。

〔626〕2023夏・ドイツ後期ゴシックとフランスロマネスクを歩く⑮  シュテアツィング(伊)は昨年のリベンジ、おそらくハンス・ムルチャー全踏破。

2023年10月26日 | 美術鑑賞
 ようやくその時が来ました。シュテアツィングでハンス・ムルチャー祭壇を拝観できれば一応ムルチャー全踏破と言えるでしょう。ただし、ムルチャー作品の佳いカタログは手元にありません。しかしカタログは目星がついています。ヴェニガーさんに実物を見せてもらって、シルヴィアの協力で入手のめどがついているからです。日本に届くのを首を長くして待っているところです。ミヒェル・エーアハルトのカタログもしかりです。2冊のカタログを見て、おそらく2025年になるであろう渡独の内容が変わってきそうです。想像するだけでわくわく心楽しくなってきます。

 シュテアツィングはイタリアといってもインスブルックからは電車で1時間ほどです。オーストリアの国境を越えてすぐのところに位置しています。ここはイタリアのチロル地方になります。ムルチャーが活躍した地域です。



 駅で聖母教会の道順を訪ねてゆったりと歩き出しました。2,30分ほどでしょうか、それらしき教会が見えてきました。聖母教会は清掃係の女性が1人だけでした。主祭壇は目差すムルチャー祭壇に間違いありません。内陣近くまで行けないのが残念ですが、遠目から写真を撮りました。色彩も鮮やかでやはり素敵な彫刻です。祭壇はすべてムルチャーの手になるとヴェニガーさんは教えてくれました。





 ムルチャー博物館は教会の隣にありました。ムルチャー作品は2階の1部屋でした。彫刻が塔なども含めて数点、絵が10点ほどあったでしょうか。我々の他は受付の人だけでした。2年分、穴の空くほど作品を眺めました。



 インスブルックに戻って、チロル郷土博物館フェルディナンデウムを再訪しましたが、昨年と同様にやはりクローズでした。ここにも気になる後期ゴシックの作品があるのですが残念です。ならば初のドームと宮廷教会再訪を目差しました。宮廷教会の28体のブロンズ像はいつ見ても凄まじい迫力で屹立していました。


〔625〕2023夏・ドイツ後期ゴシックとフランスロマネスクを歩く⑭  明日のシュテアツィング(伊)の「前座」はアンブラス城。

2023年10月26日 | 美術鑑賞
 9月6日(水)、バーゼル(スイス)からインスブルック(オーストリア)まで約4時間半かかりました。昨年に引き続きインスブルックに舞い戻ってきたのには訳があります。昨年の50日弱のヨーロッパ旅行で体調を崩したのはただの1回、1日だけでした。不思議なことに連れ合いもこの時熱を出してダウンしたのです。昨年は今年より遙かにコロナ危機の渦中にありました。信じてもらえないかも知れませんが、旅行プランが崩壊したのがこの日だけでした。
 このインスブルックの1日に予定していたことは、日帰りでシュテアツィング(伊)に行くことでした。ここの聖母教会にハンス・ムルチャーの代表作ハンス・ムルチャー祭壇があり、お隣にはハンス・ムルチャー博物館があるのです。ハンス・ムルチャー祭壇はバクサンドールのカタログに登場している気になる美しい彫刻です。どうしても行ってみたいところだったのです。まさに再挑戦、リベンジの訪問です。





 移動日の9月6日(水)、まずは初訪問のアンブラス城巡りです。ここにはラインベルガーの「死に神」?、骸骨が優雅に肢体をくねらせている彫刻があるらしいのです。ネットでラインベルガーを検索するとこの像が頻繁に出てきます。
 実際に訪ねてみると、順路の最後の最後に「登場」しました。豪華絢爛にライトアップされ、厳重に管理されていました。もちろん撮影禁止。大きさは30センチほどでしょうか。さすがラインベルガーらしく、骸骨の肢体が優雅に踊っているようです。
 収穫といえばダニエル・マオホの工房作品が鑑賞できたことでした。

 9月7日(木)、ついにシュテアツィング行きが実現しました。

〔624〕2023夏・ドイツ後期ゴシックとフランスロマネスクを歩く⑬  バーゼル歴史博物館でリーメンシュナイダー作品を発見、あのヴィジッツの「アダムとエヴァ」も。

2023年10月25日 | 美術鑑賞
 9月4日(月)はトゥールーズからスイスのバーゼルに9時間かけての移動日でした。バーゼルで2泊します。バーゼル滞在は2回目になるのでしょうか。
 9月5日(火)は大聖堂、バーゼル美術館、バーゼル歴史博物館を一気見です。
 まずはライン川を見下ろす大聖堂に着きました。後期ゴシック彫刻だけでなくロマネスクにも関心が向いてきているので、内部の柱頭彫刻や外部のタンパンや彫刻も興味深く見られるようになってきました。





 ゆったりと大聖堂を巡った後は、バーゼル美術館に直行です。入場券売り場の柱がロマネスク柱頭彫刻を思わせて素敵です。



 バーゼル美術館はまさに見どころ満載です。今回びっくりしたのは、ハンス・バンドゥンク・グリーンの作品が多数鑑賞できたことです。グリーンはデューラーの一番弟子で、独特の作風で知られています。こうしたクセのある作家を私は好みます。同じく私好みのグリューネヴァルト磔刑像がここにあり「挨拶」しました。アンリ・ルソーなど他にもたくさんの作品を撮影し、家のパソコンで楽しんでいます。



 一番建物を見つけにくかったのがバーゼル歴史博物館でしたが、一番興奮したのもバーゼル歴史博物館でした。私たちが追跡している後期ゴシック彫刻作品が多数展示されていたのです。周りには人はほとんどいませんでしたが。



 そしてなんと、いままで緑もマークしていなかったリーメンシュナイダーの作品があったのです。聖人像のレリーフの秀作でした。表示によるとリーメンシュナイダー本人の作品です。他にもミヒェル・エーアハルト、ハンス・ヴィジッツ、ショーンガウアーの作品もあるではないですか。
ヴィジッツの「アダムとエヴァ」はバクサンドールの本のカタログに紹介されていたものです。10㎝足らずの秀作です。これを発見して興奮はマックスです。
 大好きなドイツビールで乾杯! でした。

〔623〕塚越敏雄さんから「腰越九条ニュース」206号が届きました。わかりやすくて良いニュースだと評判です。

2023年10月24日 | メール・便り・ミニコミ
■遅くなりましたが、腰越九条ニュース206号送付します。
 このところ、ガザの状況が気になって仕方ありません。
塚越敏雄





 ◆人権無視の空港倍増計画
  早朝から深夜に及ぶ離着陸は禁止を
  成田空港の闘いは続いている
  沈思実行(164)
              鎌田 慧

 久しぶりに、成田空港周辺をまわった。PARK(アジア太平洋資料
センター)の講座の一環としてである。高いフェンスが張りめぐらされ、
三重のところもある。開港からすでに46年もたった。
 それでもいまだ「厳戒空港」なんだ、と驚かされた。
 手狭になった羽田空港に代わる、新国際空港建設は当初「富里」
案だった。
 が、反対運動が激しく、政府は断念。1966年「成田・三里塚地区」に
緊急着陸した。
 あまりにも急旋回の決定だったので、自民党支持の農民たちも猛然と
反発した。
 1971年に農婦の住宅と農地の強制代執行があった。機動隊がデモ隊に
ガス銃の水平打ち、東山薫さんが死亡した。そのあと、1978年に決死の
管制塔占拠闘争があって、開港は2ヶ月間延期された、

 成田は「暫定開港」だったが、羽田の国際便が復活、増強された。これ
にたいして、成田はいま「機能増強」を掲げ、2本目の2500メートル滑
走路を1000メートルも延伸させ、さらに第3滑走路を建設する方針だ。
そのために面積を倍に拡大しようとしている。

 用地確保のため、わたしもよく通った「労農合宿所」(横堀農業研修
センター)の撤去、明け渡しを求めて提訴、ほかの土地や共有地の持ち分
の売却も要求している。三里塚闘争はいまだ進行中なのだ。

 いまでも空港周辺の騒音が激しい。これから発着回数を30万回から50万
回にふやす方針である。
 さらに運行時間を朝5時から深夜24時30分に延長する。すると、周辺
住民は4時間半しか、静謐な時間をもてなくなる。
 深夜便を飛ばせないのは、内陸空港の欠陥だったが、ついに翌日まで
の飛行の強行となるのだ。

 人間は昼に働いて、夜は寝る、これは真理だ。
 が、住民が深夜労働者にされる。
 それでも労働者には深夜手当が支給される。
 しかし、同意を得ない、人権侵害として、住民は屈従を強いられる。
 周辺住民は千葉地裁へ「夜間飛行差し止め請求」を提訴した。
 農民を追い出し、農業をつぶす内陸空港は時代遅れである。
 早朝から深夜に及ぶ離着陸は、禁止すべきだ。
     (2023年9月27日「週刊新社会」第1324号より転載)

〔622〕2023夏・ドイツ後期ゴシックとフランスロマネスクを歩く⑫ フランスロマネスクの最高峰の1つ、トゥールーズのサン・セルナン・バジリカ聖堂。

2023年10月24日 | 美術鑑賞
  9月3日(日)、前日の疲れも何のその、この日はフランスロマネスクの最高峰の1つ、サン・セルナン・バジリカ聖堂へ向かいます。ロマネスクと言えばまずはフランス、フランスロマネスクと言えばまずはサン・セルナン・バジリカ聖堂と私の頭にすり込まれています。フランスに行くならばどうしても訪れてみたいところでした。
 徒歩で比較的簡単にサン・セルナン・バジリカ聖堂に到着しました。







 現存するロマネスク教会としてはフランスで最も大きいそうです。円柱をうまく組み合わせた建築様式は見るものに優しさを感じさせます。後陣からミエジェヴィル門に回り「キリストの昇天」を描いたタンパン彫刻を丁寧に撮影しました。
 しかし、残念ながら撮影はここまで。ミサなのでしょう、観光客は内陣には入れません。モワサックと同様、ついていません。

 その後、ジャコバン修道院に回りました。1本の柱から椰子の木のように22本の格縁が放射状に伸びている天井が有名だそうです。サン・セルナン・バジリカ聖堂のカリヨンを緑が聞きに行っているあいだ、しばし堂内で佇んでいました。





 オーギュスタン美術館は1部が開館されていました。荷物を持ち込めないということで、交代で入館しました。
 日差しの強い中、ガロンヌ川ではボートレース、陸上では自転車レースが賑やかに行われていました。帰国してから、トゥールーズでラグビーのワールドカップが行われました。
 そういえばサッカーのワールドカップもここで開催されました。日本もここで闘いましたよね。
 ここで2年間、愛さんは鬱々とした学生生活を送ったそうです。駅の近くに下宿していたそうです。

 翌日は9時間かけてスイスのバーゼルに移動です。


*こうした無数の金銀テープで頭上が飾られて賑やかでした。

〔621〕2023夏・ドイツ後期ゴシックとフランスロマネスクを歩く⑪ フランスロマネスクの真骨頂、トゥールーズとモワサックへ。

2023年10月23日 | 美術鑑賞
  9月1日(金)、ロンドン・セントパンクラス駅からユーロスターでパリ・北駅へ向かいました。北駅でまたしても待ち構えてくれていたのが愛さんでした。お忙しい仕事を差し置いて駆けつけてくれたのです。北駅からパリ・モンパルナス駅の移動を心配してのことでした。今回は私たちにとっては久しぶりのおにぎりの差し入れです。TGVの乗車券も彼女がネットでとってくれたものでした。感謝あるのみです。
 さて、今回はパリから一気に南下してトゥールーズへ向かいます。最大の目的はトゥールーズからほど近いモワサックに行くことです。日本で初めてリーメンシュナイダーの本を著した植田重雄さんの蔵書に、立派なモワサックのサン・ピエール教会の写真集がありました。ここの戸や柱に施された彫刻が素晴らしいのです。パリからは遠いのでどうしたものかと思案していると、是非行こうと背中を押してくれたのが緑でした。
 このサン・ピエール教会はロマネスク様式で、回廊の柱の上部の柱頭彫刻も個性的で素敵です。柱にそった聖人の彫刻が秀逸で、いままで見たことがないものでした。これは行って見るしかありません。
 しかも、トゥールーズにはロマネスク様式の代表作、サン・セルナン・バジリカ聖堂があるのです。
 というわけで、トゥールーズに3泊することになりました。
 9月2日(土)、人間とは欲深いもので、近場の世界遺産・カルカッソンヌに足を伸ばすことにしました。チャンスがあればフランスで一番行きたい世界遺産でした。愛さんとの話の中に登場したことに刺激を受けたことは事実です。しかしこのことがはらはらどきどきの始まりでした。

 そもそもカルカッソンヌとモワサックは方向が逆でした。まずはカルカッソンヌに向かうのですが、そこからトゥールーズを通り過ぎてモワサックまで行くのが難儀でした。でも結果的には2箇所を踏破して目的を達成したのです。
 モワサックのサン・ピエール教会の入り口近くの柱頭彫刻は拝観できましたが、中庭を囲む回廊には入ることができませんでした。実はここに多くの彫刻があるのです。(76柱に76の柱頭彫刻)他日を期したいと思います。
 このあたりの様子は写真で見ていただきましょう。




*カルカッソンヌの街中

*モワサックのサン・ピエール教会の柱頭彫刻

*タンパン

*ロマネスク彫刻の最高傑作と思われます。


〔620〕2023夏・ドイツ後期ゴシックとフランスロマネスクを歩く⑩ ロンドンの3日間は美術館・博物館三昧でした。

2023年10月23日 | 美術鑑賞
  8月29日(火)、V&A美術館訪問のあとはテート・ブリテン鑑賞です。



 8月30日(水)、徒歩で大英博物館に行きました。さらに徒歩でロンドン・ナショナルギャラリーへ。次はこちらも徒歩で初めてのコートールド美術館への梯子です。日本でも少し前にコートールド美術館展が開催されたばかりでした。その展示物が戻っていてじっくり鑑賞できました。小ぶりの美術館ですが、名品揃いです。ちなみにコートールド美術館からホテルまでも頑張って歩き通しました。この日1日で2万歩弱を記録し、旅の最高記録となりました。



 イギリスの素晴らしいところは、コートールド美術館以外はいずれも無料だということです。公費と寄付金で運営されていて、寄付金を入れる箱は用意されています。
 8月31日(木)、雨模様の1日でした。フェルメールの「音楽の稽古」(これを見ればフェルメール全作品完全踏破)を見るためクイーンズ・ギャラリーを訪ねましたが、予約が必要ということで午後遅くに再度舞い戻りました。その間、国会議事堂、ウェストミュンスター寺院、ウェストミュンスター大聖堂、などで時間をつぶすことになりました。ウェストミュンスター寺院の入場料が27ポンドと高額なので土産物売り場を覗いただけにしました。


*国会議事堂に臨む雨の中のチャーチル像

 しかし再びのクイーンズ・ギャラリーにはフェルメールはありませんでした。しかも展示物が皇室関係の煌びやかなものだけで辟易してしまいました。クイーンズ・ギャラリー前の植え込みに咲くカタクリのような花には癒やされました。


*クイーンズ・ギャラリー

*クイーンズ・ギャラリー前の植え込みに咲くカタクリのような花

〔619〕2023夏・ドイツ後期ゴシックとフランスロマネスクを歩く⑨  ロンドンのヴィクトリア&アルバート(V&A)美術館は彫刻の宝庫でした。

2023年10月22日 | 美術鑑賞
 街全体が博物館の趣のあるディジョンを訪問した翌日、私たち2人はルーブル美術館にいました。前述したように、グレゴール・エーアハルトのマクダラのマリアを撮影するためです。
 コロナ明けのルーヴルは多くの人でごった返していました。ネットで事前予約をしておいて正解でした。ちなみにマスク着用の人は1%ほどでしょうか。
 無事入館できて、次は見たい作品に直行できるかどうかの「勝負」でした。さすがに3回程度の訪問になる私たちは、それほど迷うことなく後期ゴシック彫刻の部屋に辿り着きました。あれだけ混雑していたのが嘘のようです。ゆっくり丁寧に作品と向き合うことができました。後期ゴシック彫刻の重鎮作家の作品も数点「発見」することができました。おそらく興奮して凝視続けていたのは私たちだけでしょう。さすがルーヴル、3部屋にわたって後期ゴシック彫刻の作品が展示されていました。
 館内で食事をしてから北方ルネサンスの絵画を中心にひたすら見続けました。版画作品が展示されたコーナーがあると記載されていたのに、そこは閉鎖されていて見ることはできませんでした。徒労に終わりました。
 モナリザなどダ・ヴィンチ絵画数点やニケやミロのビーナスなど有名どころにもご挨拶してきました。
 ちなみに第1日曜日、ルーヴル美術館は無料になりますよ。

 翌8月27日(日)、知人の娘の愛さんがフランス人と結婚して、パリ近郊に住んでいます。今回初めてお宅をお邪魔して旧交を温めました。
 写真は、愛さんが時々散歩に訪れるというセーヌ河畔です。



 パリまで行ったらロンドンに行かない手はありません。ロンドンは2回目の訪問で、市内に4泊の予定です。
 ユーロスターでドーバー海峡をくぐるのはあっという間です。(2時間ほどでしょうか)ただ乗り込むまでが大変です。パリ・リヨン駅からパリ・北駅まで移動するのが不安でしたが、なんと愛さんが手作りのサンドイッチを持って同行してくれました。感謝感激!
 ホテルはロンドン・セントパンクラス駅から徒歩数分のところ、部屋が狭いのは我慢するしかありません。近くの中華料理店が美味しかったのが救いでした。


*ユーロスター到着のロンドン・セントパンクラス駅

*ロンドン・セントパンクラス駅に隣接するキングス・クロス駅、「ハリー・ポッター」の「ホグワーツ行き特急」の最終駅

 8月29日(火)、ロンドン滞在最大の目的のV&A美術館訪問の前にしなければならないことが2つありました。移動のための電車のカード(オイスターカード)を買うことと古いポンド札を新しいのに替えることです。ここでも緑様々です。駅で無事カードを買って、英国銀行に直行です。厳重な警戒の中、ようやく両替して、いざV&A美術館へ。移動中の通路に日本人のバイオリニストとチェリストの大きなポスターが貼られていました。どなたでしたっけ?
 








 V&A美術館は2回目の訪問です。ミヒェル・エーアハルト、グレゴール・エーアハルトの作品を期待していったのですが空振りに終わりました。彫刻の小品は展示しない方針のように感じました。収穫といえばここに世界中の複製品コーナーがあったことです。古代ローマのトラヤヌス帝記念の円柱やミケランジェロの「ダビデ」や「モーゼ」など所狭しと陳列されています。リーメンシュナイダーの像に混じってペーター・フィッシャーのブロンズの墓碑が3つありました。1つはお馴染みのゼーバルドゥス教会のもの(『完・祈りの彫刻』掲載)、もう1つがマクデブルク大聖堂の初代神聖ローマ皇帝オットー1世の墓石です。後者はフィッシャーの初期の作品のようです。実はもう1つの墓碑を緑が見つけていました。マイニンゲン近くの街にあるようですが特定できません。
 次回のドイツ旅行の折には、まだ見ぬ2つの墓碑を探しに行くことになるのは間違いないでしょう。2025年かな。

〔618〕清瀬市議会議員、ひとり会派「共に生きる」のふせ由女のゆめ通信(2023年秋号)が発行されました。

2023年10月21日 | メール・便り・ミニコミ
 2023年10月21日、本日、真新しいゆめ通信を手にしました。
 ゆめ通信は、清瀬市議会議員、ひとり会派「共に生きる」のふせ由女が年4回発行してきたもので、通算37号になります。
 ふせ由女は3期目の議員として頑張っています。応援よろしくお願いします。





 ◆大杉栄殺害者は誰か
  憲兵隊幹部の集団暴行、陸軍の組織的犯罪は不問のまま
  沈思実行(163)

                       鎌田 慧

 8月の敗戦記念日のあと、9月は100年前の関東大震災。その悲劇
の裏での、朝鮮人と社会主義者の大虐殺。
 「緊急事態」、あるいは「非常事態」の名の下で、秩序回復を口実に
して、軍隊と警察がいかに兇暴な集団になるか、の歴史的な教訓といえ
る。9月4日は「亀戸事件」。習志野の騎兵隊が、亀戸警察署に拘留さ
れていた社会主義者10人を刺殺した。
 9月16日。「憲兵大尉甘粕正彦、大杉栄(39歳)、伊藤野枝らを憲兵隊
内でひそかに扼(やく)殺」(近代日本総合年表、岩波書店)。これがほぼ
オーソライズされた記述である。が、これでは甘粕大尉の個人的な犯罪
との印象が強い。

 新宿淀橋の大杉宅付近、川崎からの震災見舞いの帰り、道を歩いて
いた大杉と伊藤野枝,甥の橘宗一を皇居前の憲兵隊本部へ連行したのは
甘粕だ。しかし、裸にされた遺体は菰(こも)包みにされて荒縄で縛ら
れ、構内の古井戸の水の中に隠された。
 軍人としては虚弱な甘粕ひとりで伊藤野枝、6歳の甥の3人を扼殺、
井戸に投げ込むなどの荒技ができるわけがない。
 1976年8月、53年ぶりに発見された解剖医の「死因鑑定書」では、
大杉と野枝の肋骨などが無数に骨折していた。

 集団で寄ってたかって殴る蹴るの暴行が加えられた。3人ともに首や
腕などを鈍体で絞圧、窒息させられた。死因は物体による扼殺。憲兵隊
幹部たちの集団暴行だった。
 それでも、軍法会議では甘粕正彦懲役10年、森慶治郎憲兵曹長懲役3
年。連行時の同行者2人は無罪。そればかりか、甘粕は2年半、森は1
年半で釈放。甘粕は陸軍の資金でフランスへ遊学した。

 「満州」で、陰謀の辣腕を振うのは、その後からである。
 大杉は憲兵隊本部の将校の部屋で殺害された。が、甘粕以上の階級の
将校は誰も登場していない。
 甘粕が罪を引き受け、満州映画理事長に収まり、敗戦の報せを受けて
自害した。陸軍の犯罪はいまだ証明されていない。この組織犯罪が不問
のまま、また緊急事態条項がつくられ、恐怖政治が用意されている。
       (2023年9月20日「週刊新社会」第1323号より転載)

〔617〕2023夏・ドイツ後期ゴシックとフランスロマネスクを歩く⑧ ブルゴーニュ公爵墓碑の悲しむ人々に対面(ディジョン美術館)

2023年10月21日 | 美術鑑賞
 オットーボイレン大聖堂で、オットーボイレンのマイスターの作品を穴の空くほど眺め、その日は再びシュツットガルトのアンゲリカの家に泊まらせていただきました。彼女の家には合計3泊ということになりました。しかもこの日は娘も一緒にお世話になりました。
 翌日は、ドイツの仲良し4人組にシュツットガルト駅で見送られて、娘は帰国の途に着くためフランクフルト空港へ、我々2人はパリに向けて出発です。
 今回なぜパリなのかというと、ルーヴル美術館で、ミヒェル・エーアハルトの息子のグレゴール・エーアハルトの代表作のマクダラのマリア像を見るためでした。間違いなく彼の最高傑作で、ルーヴル美術館でも目玉の作品の1つとして、パンフレットに特記されているのです。
 ちなみにパリは5泊。パリ市内の名だたる美術館を再訪する以外にもディジョンまで「遠足」に行く予定もあるのです。

 ドイツの仲良し4人組にシュツットガルト駅で見送られ、パリのリヨン駅に到着して予約したホテルを探しているときでした。「何かお手伝いできることがありますか。」と突然背の高い外国の女性に話し掛けられたのです。何かやばい客引きかなと用心して相手の顔を見たら、なんとシュツットガルト駅で別れたはずのシルヴィアとクラウスがそこにいたのです。びっくりして腰を抜かしそうになったのですが、しかし彼らは大笑いです。私たちより先回りして駅について、驚かそうとしたのでした。考えられないサプライズで、以後、このことを反復して思い出しては皆大爆笑するのでした。
 翌日はオルセー美術館とオランジュリー美術館に同行してくれて、食事を共にして別れました。今度再会するのは清瀬の我が家です。

 その翌日、8月25日(金)はリヨン駅からフランスの新幹線TGVで2時間弱のディジョンまでの遠足でした。
ディジョンといえばエスカルゴとブルゴーニュワイン、そしてマスタードの名産地ですが、私たちにとっては、ディジョン美術館のブルゴーニュ公爵墓碑の悲しむ人々との対面が念願の1つでした。
 そもそも墓碑の下に配された大理石の彫刻群を拝観したいと切望したのは緑でした。
 随分前の話になりますが、ボーデ博物館の元館長のジュリアン・シャピュイさんから送られてきたのが下掲の1冊です。(A4サイズより大きいため下部が若干写っていませんが)
 シャピュイさんはこの本の巻頭言を書かれたお一人です。



 数十体の彫刻の一部が以前盗難に遭ったということでセキュリティ対策は厳重でした。しかし間近で凝視できたのは幸せなことでした。階上から俯瞰でも見られました。





 ディジョンは街全体が博物館のようでした。ディジョン美術館の次にノートルダム教会、宗教美術館、ブルゴーニュ生活博物館、考古学博物館、サン・ジャン教会、サン・フィリベール教会など街全体を堪能し尽くしました。ほぼすべての博物館が無料だったのには感激しました。


 *街中の案内表示

〔616〕2023夏・ドイツ後期ゴシックとフランスロマネスクを歩く⑦ こちらも昨年のリベンジ、オットーボイレン大聖堂博物館、改装展示なる。

2023年10月20日 | 美術鑑賞
  8月22日(火)、私たち夫婦と娘、クラウスとシルヴィアはオットーボイレンという街にいました。ドイツ後期ゴシックの彫刻家、オットーボイレンのマイスターが活躍した街です。昨年初めてここを訪れたのですが、残念ながら大聖堂博物館は改装中で、展示は見られませんでした。今年こそはと再度訪れたというわけです。我ながらしつこい!
 予想通り綺麗に改装されていました。お目当てのオットーボイレンのマイスターによる「受胎告知とキリストの誕生」は見事なレリーフでした。美しい彫りの線が特徴の、この作家の代表作と言えるのではないでしょうか。後3点ばかり周辺作家の作品も発見することができました。その1部はバイエルン国立博物館からの出品作だということが緑の調べでわかりました。







 食事前にクラウスとシルヴィアのサプライズがありました。このレストランはビールの醸造所が経営するものでした。ビールを試飲しながら醸造所を見学できるというのです。様々な種類のビールを味わうことができました。
 この2人、もっと大きなサプライズを用意していました。それは後日。