後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔71〕永井愛の芝居「書く女」と小栗康平の映画「FOUJITAフジタ」を見ました。

2016年01月31日 | 語り・演劇・音楽
  1月30日(土)、世田谷パブリックシアターで二兎社公演、永井愛作・演出の「書く女」を連れ合いと鑑賞しました。立ち見席が出るほどの盛況だったのですが、前から数列、ほぼ真ん中の絶好の席でした。この「書く女」は2006年初演で、主演が寺島しのぶでした。10年ぶりの再演ということになります。
  二兎社の公演はなかなかチケットが手に入らないのですが、「歌わせたい男たち」は何とか見ることができました。教育現場の「日の丸・君が代問題」をテーマにした作品で、笑いながらも理不尽な教育状況に思いをはせたものです。
 さて「書く女」ですが、今回の主演の樋口一葉役は黒木華です。連続テレビ小説「花子とアン」や映画「母と暮らせば」に出演しています。そして何より「小さいおうち」でベルリン国際映画祭最優秀女優賞(銀熊賞)を獲得していて、今まさに脂がのりきった女優さんです。

 まずは「書く女」の概要を知ってもらいましょう。

●二兎社公式サイト
 創作の原点となった日記をもとに、樋口一葉が作家として成長していく過程を描きます。
 一葉がもし現代の若い女性だったら、ブログやツイッターで日々の出来事をアップしていたことでしょう。親友のい夏ちゃんやライバル作家の龍子さん、そして桃水先生やイケメン青年文士たちとはメールやラインでやりとりしていたかもしれません。
 しかし、現代との大きな違いは、人と直接会って話をする機会の多さではないでしょうか。一葉の家には毎日のように訪問客があり、一葉も人に会うために頻繁に出かけて行きます。
 一葉は半径わずか数キロの狭い生活圏で生涯を過ごしました。それにもかかわらず、社会の底辺に住む人々から華族出身の令嬢たちに至るまで、多種多様な人々と交流し、想像以上に広い世界を生きました。
 スマホが手放せず、身辺で起きた出来事をつぶやき、匿名のネット空間で充足しがちな今だからこそ、生身の人間どうしが出会い、触れ合う豊かさやダイナミズムを、この舞台で体験してほしいと思います。
 約10年ぶりとなる今回の舞台では、一葉役の黒木華をはじめ、全てのキャストを一新しました。一葉の妹や友人、ライバル、そして樋口家を訪れる青年文士などの若手俳優9名は、全てオーディションやワークショップを経て選びました。舞台を中心に活躍する実力派ぞろいです。
 今回は新演出として、ピアニスト・林正樹の即興による生演奏とのコラボも期待されます。
 瑞々しく生まれ変わった2016年版『書く女』をどうぞお楽しみに!
 作曲・ピアノ演奏 林正樹
 出演       黒木華   平岳大   木野花
          朝倉あき 清水葉月 森岡光 早瀬英里奈 長尾純子
          橋本淳 兼崎健太郎 山崎彬 古河耕史

 可憐で可愛らしい佇まいの黒木華が、徐々に迫力を増して、書くことに執念をみせる女の生き様を見事に演じきっていました。死期が近づいたエンディングは圧巻でした。正面を向きながらの登場人物一人ひとりとのぎりぎりの「対話」は魂の交流といった風情でした。一葉の執念、したたかさを感じ取ることができました。…ただ、寺島しのぶの一葉も見てみたかったですね。
  永井愛さんはおそらく樋口一葉の全作品だけで無く、一葉に関係した本(日記など)を複数、丹念に読み込んで脚本を作ったに違いありません。なにか井上ひさしのドラマツルギーと通底するものを感じました。そういえば井上ひさしは「頭痛肩こり樋口一葉」を書いていますね。「評伝劇のファンタジー」の1つです。
 先日、井上ひさしの「きらめく星座」(こまつ座公演)をテレビで見ました。ピアノを弾く人が登場し、それに合わせて戦前の流行歌などを役者が歌うのです。「書く女」でもピアノ演奏者に合わせて歌を歌ったり、状況に応じた擬音を奏でたりしていました。再演で初めての趣向だということですが。
 「歌わせたい男たち」は日の丸・君が代を教育に強引に持ち込もうとするグループと、それを阻止したいグループの対立の中で、個々人の葛藤を描いた作品でした。集団の抗争が生む迫力を感じたものです。今回の作品は一人の人間の執念や情念といったものを描いた作品と言えるのでしょうか。いずれにしても秀作には違いありません。

  最近、映画「FOUJITAフジタ」を見に行ってきました。日本を代表する画家の藤田嗣治の生き様を描いた作品です。以前の私のブログで戦争責任と絡めて言及したことがあります。(ブログ〔68〕)

●映画「FOUJITAフジタ」
 『死の棘』で第43回カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ&国際批評家連盟賞をダブル受賞、『泥の河』『伽?子のために』『眠る男』など海外でも高く評価される小栗康平監督の、十年ぶりとなる最新作だ。パリで絶賛を浴びた裸婦は日本画的でもあり、大東亜の理想のもとに描かれた“戦争協力画”は西洋の歴史画に近い。小栗監督は「これをねじれととるか、したたかさととるか。フジタは一筋縄で捉えられる画家ではない」と語る。戦後、「戦争責任」を問われたフジタはパリに戻り、フランス国籍を取得。以来、二度と日本の土を踏むことはなかった。フジタは二つの文化と時代を、どう超えようとしたのか。
 フジタを演じるのは、韓国の鬼才キム・ギドク監督作品に出演するなど海外での活躍も目覚ましいオダギリジョー。フランスとの合作は本作が初めてである。映画の半分を占めるフランス語の猛特訓を受けて、見事にフジタを演じた。フジタの5番目の妻・君代役には、『電車男』『嫌われ松子の一生』『縫い裁つ人』などで名実ともに日本を代表する女優 中谷美紀。さらに、加瀬亮、りりィ、岸部一徳ら味わい深い個性派が集まった。フランス側のプロデューサーは、世界的大ヒットとなった『アメリ』のほか、アート系の作品も数多く手掛けるクローディー・オサール。静謐な映像美で描く、フジタの知られざる世界が現出した。

 小栗監督は「これをねじれととるか、したたかさととるか。フジタは一筋縄で捉えられる画家ではない」と語ったそうですが、この映画ではそのようには描けてないと思います。 藤田は何事に対しても真摯に全力投球する人間でした。あの乳白色の裸体画でも戦争画でも、「コドモノクニ」の喧嘩している子どもの絵でも、秋田県立美術館の大壁画でもすべて一所懸命の姿をさらしているのです。
 映画はそうした藤田を捉えていません。映像があまりにも美しすぎました。オダギリジョーがあまりに素敵すぎました。だから藤田ではないと思いました。藤田は情念の塊のような人間ではないでしょうか。
 エンディングはランスの教会に描かれた藤田の壁画の映像でした。こちらのカットが妙に説得力を持っているように私には映りました。藤田のすべてを語る迫力をこの壁画に感じることができました。
 「書く女」を見ながら「フジタ」のことを思い出していた私です。


〔70〕祝!劇団ひこばえ通信100号。でも「廃刊」とは惜しいです。

2016年01月29日 | ラボ教育センターなど
  横浜の村上芳信さんが発行する劇団ひこばえ通信100号が送られてきました。A4版で28ページ立ての写真も多数入った十分読みでのあるものです。私たち夫婦のミニコミ「啓」よりも一足早く100号に到達しました。100号とは目出度いことですが、これをもって「廃刊」と書かれています。今は残念な思いが募ります。
  *劇団ひこばえ通信90号についてはブログ〔19〕を参照してください。
  気を取り直して、内容(目次)を紹介しましょう。

●劇団ひこばえ通信100号
1 第14回横浜市中学校発表会(2015,12,17 緑区民文化センター)
   山内中学校演劇部発表  作 岡村日向「銃後の乙女と呼ばれて」報告
   「よみがえった戦時下勤労動員学徒少女たちと演劇教育の良心」
   「銃後の乙女と呼ばれて」ひこばえ親子きょういく塾 観劇感想
2 劇団ひこばえ通信100号記念特集 「教育と演劇と地域との交差点!」
  メッセージ 齋藤眞廣 サトウマコト 篠原睦洽 白井沙緒里 柴田松弥 中山のり  子 入江勝通 大溝アキラ
3 劇団ひこば支通信100号記念特集
  特集1「わたしの教育実践から「ゆとり教育」と「演劇教育」を省みて」
  特集2「教育課程の中にドラマをもうひとつの教科として増やそう」
4 社会を変える脱原発達勤の可能性を見た!小熊英二監督 映画「首相官邸の前で」
  プ・ジョン監督 韓国映画 「明日(あした)へ」
5 わたしの方丈記⑨ 今年も鎌倉にて2015年を締めくくる(東慶寺高見順墓にて)
6 わたしの方丈紀(編集後記)
    発行 2016年1月23日 よこはま演劇教育事務所

 どれも読み応えある記事なのですが、私にとってはとりわけ〔特集1「わたしの教育実践から「ゆとり教育」と「演劇教育」を省みて〕が興味深かったです。村上さんは次のように書き出されています。

●ひこぱえ15周年・100号記念特集1 わたしの教育実践
 「ゆとり教育」と「演劇教育」でのわたしの教育実践覚書
  福田三津夫さんが発行されている「啓91号」において、亡くなられた村田栄一さんを追悼されて「村田栄一論」を掲載されておられました。それを拝見してわたしは村田栄一さんへの惜別として、「劇団ひこばえ通信77号」に「国民教育論批判から、国民教育そのものの根底的批判へ」を村田栄一さんへの惜別として掲載しました。
 これにたいして福田さんから「私が興味があるのは、村上さんが横浜学校労働者組合で教育運動と同時並行で展開された教室での実践です。そこからさらに演劇教育への発展を…まとめてほしい」とのご教示をいただきました。
 そこで「劇団ひこばえ通信100号」記念特集において、わたしが教員であった1966年4月1日から2004年3月31日(再任用教員の1年間を含む)まで、そのほとんどが横浜の中学生によるホームレス連続殺傷事件に代表されるように〈子どもの変容〉が厳しい横浜の中学校現場で苦闘しながら、子どもとのかかわりをどうつくっていったのか、そしてそのかかわりをもとにどのような教育をつくろうとしたのか。私がつくってきた演劇教育とどうつながっているのか。それらについて、わたしが赴任した中学校ごとに「覚書」としてまとめたものです。

 有り難いことに、この文章のきっかけが私のメールだというのです。しかし、それに真摯に応えてくださった村上さんに頭が下がる思いです。この力作のアウトラインだけでも読者の皆様と共有したいと思います。

  村上さんは1966年、戸塚区の横浜市立中学校教員として教職をスタートさせます。学級での教育実践は、全国生活指導研究協議会の集団主義教育による「討議づくり」「核づくり」「班づくり」の学級づくりでした。集団主義的教育、学級集団づくりともいわれるこうした実践は私自身もかじった経験があります。
 ここで村上さんが力を注いだのが、「生徒会活動の活性化をめざして、学校行事・特活で『生徒会が創る文化祭』つくり」でした。
 1971年、村上さんは神奈川区の中学校に転勤します。この時期、子どもたちの荒れが社会問題になり、1982年横浜の中学生によるホームレス連続殺傷事件が起こります。集団主義的教育、学級集団づくりでもこうした子どもたちには対応できなくなったと言います。子どもの変容を前にして村上さんがとった方法は、学校の外に子どもたちの「たまり場」をつくったことです。相談員や弁護士とのネットワークを独自につくり、子どもたちの世話を徹底してやったと言います。
  この頃村上さんは、新組合をつくって教育労働運動に力を注ぎます。まさに教育労働運動と教育実践が活動の車の両輪になっていきました。
  1984年、村上さんは緑区の中学に赴任し、組合専従から教職に復帰します。
  ここで取り組んだのが「作者と語り合う読書会つくり」です。さらに、「障害児を普通学級で学ぶことを希望する保護者(団体)の要求を受けいれ、共生教育に取り組んだ」と言います。
 そして1993年、教職最後の青葉区の中学に50代で転勤します。ここでほぼ偶然的に演劇部の顧問を引き受け、演劇教育を強く意識されたようです。総合学習や「平和・人権を演劇表現で地域に結んでいく」実践などは演劇的教育実践と呼べるものでしょう。

 ごく簡単に村上原稿をなぞってきて今思うことは、凄い教育実践家だということです。通信を頂いてのとりあえずの返信メールには、劇団ひこばえ通信100号までの蓄積と「演劇と教育」に数回連載された文章をもとに、本でもブックレットでも良いのですが、教育実践記録をまとめてほしいということでした。通信を読んでない人にも是非この実践を届けてほしいと思ったのです。
 劇団ひこばえ通信100号まで、ナイス・ファイトでした。

〔69〕『さようなら原発』と「通販生活」は高浜原発再稼働前に読んでください。

2016年01月26日 | 図書案内
 日本の危うい政治状況がどんどん進行していきます。
 高浜原発3号機が再稼働されようとしています。この原子炉は、昨年福井地裁が運転差し止めの仮処分を出したにもかかわらず、再審で処分を取り消した曰く付きのものです。
 朝日新聞は次のように伝えています。

●高浜原発3号機、29日にも再稼働 関西電力が発表 朝日新聞、2016年1月25日
 関西電力は25日、福井県高浜町の高浜原発3号機について、29日にも再稼働させると明らかにした。これまでは28日以降との見通しを示していた。原子力規制委員会に対し、原子炉の起動に必要な検査日程を「29日以降、準備が整い次第」と25日に報告し、再稼働の日程を正式に表明した。
 関電は原子炉を稼働時と同様な状態にして性能を確かめる「起動試験」を24日午後に始めた。核燃料の核分裂を抑える制御棒が正常に機能するかどうかを、29日午前に確かめる。規制委の保安検査を受けて、問題がなければ、同日夕にも制御棒を抜いて原子炉を起動させる方針。2月下旬にも営業運転を始める。
 関電は高浜4号機についても、1月31日以降に原子炉へ核燃料を搬入し、2月下旬にも再稼働させる。
 高浜3、4号機を巡っては、福井地裁が運転差し止めの仮処分を昨年4月に出した。関電が異議を申し立て、地裁は同12月に処分を取り消し、再稼働できるようになった。(伊藤弘毅)

  1月24日(日)には原発ゲート前行動、25日からは大阪の関西電力前で連日抗議集会が開かれています。川内原発・伊方原発には駆けつけた我々夫婦ですが、残念ながら所用で、高浜原発現地集会には参加できませんでした。しかしながら、明日の27日、東京関西電力支社前集会には馳せ参じようとは思っています。
*日比谷公園に面した富国生命ビル9階に支社はありました。寒いなか100人以上の人たちが抗議集会に参加していました。リレートークとコールで盛り上がりました。東京電力だけでなく関西電力からも電力を買わないでくださいね。
http://twitcasting.tv/keitarou1212/movie/236627138

  忸怩たる思いが募り悶々としているときに『さようなら原発』鎌田慧編 岩波ブックレットを手に取りました。この本は「さようなら原発」一千万人署名市民の会が開いた講演会や集会での発言集です。フクシマの年に生まれた本です。

■『さようなら原発』鎌田慧編 岩波ブックレット №.824(2011.12 .7)560円+税

 はじめに   落合恵子
I「さようなら原発」を呼びかける
   6・15 発表記者会見から
 澤地久枝、内橋克人、鎌田慧、坂本龍一
 鶴見俊輔、辻井喬、瀬戸内寂聴
Ⅱ 原発とわたし
   9・8 講演会にて
 大江健三郎、山田洋次、崔善愛、内橋克人
 宇都宮健児、落合恵子
Ⅲ 運動としての「さようなら原発」 
 鎌田慧、海外からのメッセージ

Ⅳ 原発のない社会へ
 9・19 六万人集会とこれから
 鎌田慧、大江健三郎、内橋克人、落合恵子
 山本太郎、武藤類子、澤地久枝
 おわりに 鎌田慧
              コラム 賛同人メッセージ

  いくつかの「ことば」を紹介しましょう。

・私(たち)は、全世界の全原発の廃炉を求めます。(落合恵子)
・亡くなった作家の小田実さんは、「一人でもやる、一人でもやめる」と言っていました。「小さな人間が、大きな人間を動かす」とも言っていました。思ったことを口に出し、政策として実行することを小田さんは実践していました。(澤地久枝)
・九〇年生きてきた私の余生は、程なく尽きるでしょう。わずかな余生のすべてを、未来を背負う人たちのため、「さようなら原発」の運動に捧げたいと思っています。(大江健三郎)

 とりわけ数ページにわたる鎌田慧さんの「原発 その歴史と廃炉への道」は多くの人に読んでもらいたいものです。アメリカの「核の平和利用」戦略のもと、日本では中曽根康弘の原発推進活動、読売グループの宣伝活動などが指摘されています。原発の歴史が簡潔に読みやすく書かれています。
 新しい「通販生活」が発行されました。こちらも読み応え十分です。
  紹介した二冊の本、読んでください。民意は確実に脱原発です。

■「通販生活」2016春号、カタログハウス、180円
●暮しのページ
*落合恵子の深呼吸対談 ゲスト倉本聴(脚本家、劇作家)
  福島の原発も沖縄の基地も、多くの日本人にとって他人事なのでしよう
*【山椒言】高橋哲哉(東京大学大学院教授)
*人生の失敗ゲスト寺脇研(元文部科学省大臣官房広報調整官)取材・文 溝口敦
*ドイツ平和村の子どもたちにお年玉を 特別鼎談
  トーマス・ヤコブス(ドイツ国際平和村代表)東ちづる(女優)矢倉幸久(医師)
*通販生活の疑問 安保法篇
  柳澤協二(元防衛庁防衛研究所所長)
  伊勢崎賢治(元国連PKO幹部)
*語り部を訪ねて①沖縄戦 写真・文 大西暢夫

【好評連載】
*広河隆一の写真は語る
*野坂昭如の昭和ヒトケタからの詫び状 お相手、横尾忠則
*世界の「原発」「自然エネルギ-」


〔68〕藤田嗣治の戦争画から見えてくる戦争責任とは何でしょうか。

2016年01月19日 | テレビ・ラジオ・新聞
 もう10年ほど前になるでしょうか、連れ合いとパリ市立美術館を訪れたことがあります。ここはマティスの「ダンス」や、デュフイの巨大な壁画「電気の妖精」があることで有名なところですが、私にとっては藤田嗣治の作品が所蔵されているということで足が向いたのでした。しかしながらその作品がある地階は改装中で鑑賞がかなわず、残念な思いをしてホテルに戻ってきたものでした。
 数年前に東京国立近代美術館で藤田の戦争画が展示されたことがあります。それまでは戦争画ということで長く非公開になっていました。その時に私は初めて藤田の戦争画を見ることができました。公開された数点の戦争画の中に「アッツ島玉砕」がありました。凄惨で壮絶な絵という印象が強く、なぜこれが戦意高揚のための戦争協力画なのかと不可思議に思いました。
 昨年の暮れから今年にかけてテレビで藤田のことが頻繁に取り上げられました。再び、藤田の戦争画とは何だったのか、考えさせられています。
 まずはテレビでどのように取り上げられたのか、概略を眺めてみましょう。

●画家・藤田嗣治の特集番組、「芸術と戦争」の関係を考察〔○○ニュース〕
 画家・藤田嗣治の特集が12月17日にNHK BSプレミアムの『英雄たちの選択』で放送される。
 『アッツ島玉砕~戦争と対峙した画家・藤田嗣治~』と題された同番組では、藤田が初めて自らの意思で描くことを選択した戦争画だという『アッツ島玉砕』にフォーカス。戦前フランスに渡り、自作のキャンバスを使用した「乳白色の肌」の裸婦像で高い評価を獲得した藤田が、軍の要請を受けて戦争画を描くに至った背景を検証するほか、戦争画を描くという藤田の選択を通して「芸術=メディア」と戦争の関係を考察する。
 さら軍医として最高位の軍医総監であった父や、陸軍大将の児玉源太郎を義兄に持つ藤田が家族や家庭環境から受けた影響にも光を当て、藤田の葛藤に迫る。
*2015年12月17日(木)20:00~21:00にNHK BSプレミアムで放送

 戦争画を描いた藤田は、子どものためのユーモラスな喧嘩の絵も描いています。

●「黒柳徹子のコドモノクニ」BS5
ピカソを驚かせた日本人!
藤田嗣治が描いた美と哀しみ

 1920年代のフランス・パリで、ピカソやモディリアニと共に活躍した日本人画家、藤田嗣治。日本画独特の技法と、油彩画を融合させた斬新な画風、その独特な乳白色の色使いは人々を魅了し、"乳白色のフジタ"と絶賛された。
 藤田嗣治は明治19年、4人兄弟の末っ子として東京・新宿に生まれる。家は代々、医者を生業としており、父は森鴎外の後任として陸軍軍医総監を務めた人物。当然、嗣治も、ゆくゆくは医者になることを期待されていた。しかし、5歳の時に母が急逝すると、嗣治は寂しさを紛らわすため絵を描くようになる。そして、その非凡な才能は大正2年、パリに留学して一気に開花。世界中の芸術家がパリに集まり、その才能を競い合った"黄金の1920年代"。藤田は誰もがうらやむ圧倒的な才能で、その作品は天才ピカソをも驚かせた。
 しかし、第二次世界大戦が始まると日本へ帰国。活躍の舞台を日本に移す。この頃、絵雑誌『コドモノクニ』にもユーモラスな童画を描いていた。その後、太平洋戦争が始まると、藤田は戦争画にも手を染める。中でも「アッツ島玉砕」は戦争画の名作といわれるが、戦後になると一転、戦時中に戦争を賛美した画家として糾弾されることになる。失意のもと日本を後にした藤田は、再びフランスへ…。そこで彼は、子どもたちをモチーフにした独特の作品を描き始めた。
 今回、藤田嗣治の世界を旅するのは、脚本家・作家として活躍する中江有里さん。ピカソを驚かせた藤田作品の秘密と、子どもたちを描いた藤田の思いに迫る!
【出演】中江有里

 さて戦争画に戻りましょう。藤田は14点の戦争画を描いています。すべて東京国立近代美術館に所蔵されています。東京国立近代美術館のサイトにはその作品一覧と、映像も掲載されています。題名や美術展名、タイトル、開催年なども合わせて確認してみてください。 

■東京国立近代美術館所蔵 (無期限貸与)藤田嗣治 戦争画一覧
1.哈爾哈河畔之戦闘(昭和16年、油彩・キャンバス・額 140.0×448.0cm)第2回聖戦美術展 (1941)
2.武漢進撃(昭和13-15年、油彩・キャンバス・額 193.0×259.5cm)第5回海洋美術展(1941)
3.南昌新飛行場焼打(昭和13-14年、油彩・キャンバス・額 192.0×518.0cm)第5回海洋美術展 (1941)
4.十二月八日の真珠湾(昭和17年、油彩・キャンバス・額 161.0×260.0cm)第1回大東亜戦争美術展 (1942)
5.シンガポール最後の日(ブキ・テマ高地)(昭和 17 年、油彩・キャンバス・額 148.0×300.0cm)第1回大東亜戦争美術展(1942)
6.○○部隊の死闘-ニューギニア戦線(昭和18年、油彩・キャンバス・額 181.0×362.0cm)第2回大東亜戦争美術展 (1943)
7.アッツ島玉砕 (昭和18年 油彩・キャンバス・額・1面 193.5×259.5)決戦美術展(1943)
8.ソロモン海戦に於ける米兵の末路(昭和20年、油彩・キャンバス・額 193.0×258.5cm)第2回大東亜戦争美術展(1943)
9.神兵の救出到る(昭和19年、油彩・キャンバス・額 192.8×257.0cm)陸軍美術展 (1944)
10.血戦ガダルカナル(昭和 19 年、油彩・キャンバス・額 262.0×265.0cm)陸軍美術展(1944)
11. ブキテマの夜戦 (昭和19年油彩・キャンバス・額・1面 130.5×161.5) 戦時特別文展陸軍省特別出品(1944)
12.大柿部隊の奮戦(昭和 19年、油彩・キャンバス・額 130.5×162.0cm)戦時特別文展陸軍省特別出品 (1944)
13.サイパン島同胞臣節を完うす(昭和20年 油彩・キャンバス・額・1面 181.0×362.0)戦争美術展(1945)
14.薫空挺隊敵陣に強行着陸奮戦す(昭和20年、油彩・キャンバス・額 194.0×259.5cm)戦争記録画展(1945)

 藤田は当時ヨーロッパで最も知られた日本人画家で、日本の画家を代表して意気揚々と戦地に赴き戦争画を描いたようです。宮本三郎や小磯良平などの兄貴格でした。最初は戦地を俯瞰した絵がほとんどでした。確かに「アッツ島玉砕」から一段と迫力が増してきます。マクロからミクロの世界に瞬間移動したようでもあります。
 「アッツ島玉砕」は「アッツ島全滅」ではありません。アメリカ兵の屍の上に華々しく散った日本兵を描いたのです。展覧会に来た人びとがこの絵の前で涙を流しているのを見たとき藤田の画家としての思いは遂げられたようでした。藤田はこの絵が自身の最高傑作と思っていたようです。
  戦後、画家としての戦争責任を藤田が一身に背負わされて、日本を離れることになり、再び日本の地を踏むことはありませんでした。フランスに帰化しました。
  戦争という極限状態の中で、あのような仕事をした藤田をどう評価するのでしょうか。自分だったらどうしたでしょうか。…これからも藤田のことを考え続けようと思います。
  そして、いつか 映画「フジタ」を見なければと思っています。

●映画「FOUJITAフジタ」
 『死の棘』で第43回カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ&国際批評家連盟賞をダブル受賞、『泥の河』『伽?子のために』『眠る男』など海外でも高く評価される小栗康平監督の、十年ぶりとなる最新作だ。パリで絶賛を浴びた裸婦は日本画的でもあり、大東亜の理想のもとに描かれた“戦争協力画”は西洋の歴史画に近い。小栗監督は「これをねじれととるか、したたかさととるか。フジタは一筋縄で捉えられる画家ではない」と語る。戦後、「戦争責任」を問われたフジタはパリに戻り、フランス国籍を取得。以来、二度と日本の土を踏むことはなかった。フジタは二つの文化と時代を、どう超えようとしたのか。
 フジタを演じるのは、韓国の鬼才キム・ギドク監督作品に出演するなど海外での活躍も目覚ましいオダギリジョー。フランスとの合作は本作が初めてである。映画の半分を占めるフランス語の猛特訓を受けて、見事にフジタを演じた。フジタの5番目の妻・君代役には、『電車男』『嫌われ松子の一生』『縫い裁つ人』などで名実ともに日本を代表する女優 中谷美紀。さらに、加瀬亮、りりィ、岸部一徳ら味わい深い個性派が集まった。フランス側のプロデューサーは、世界的大ヒットとなった『アメリ』のほか、アート系の作品も数多く手掛けるクローディー・オサール。静謐な映像美で描く、フジタの知られざる世界が現出した。

〔67〕「4月1日電力小売自由化-原発電気はイヤだ、新電力を選ぼう」広瀬隆さんの提言です。

2016年01月11日 | 市民運動
 4月1日より電力小売自由化が始まります。我が家では原子力の電気は使わないということで、東京電力から東京ガスに切り替えました。たんぽぽ舎のメルマガに広瀬隆さんのそれに関するコメントが載っていました。これを参考にしていち早く行動に移したのです。
 広瀬さんは川内・伊方原発反対集会にも参加されていて、現地で早くからこの電力自由化問題に対して発言されていました。原発を廃止する絶好のチャンスだというのです。その肉声は実に熱いものでした。

●4月1日電力小売自由化-原発電気はイヤだ、新電力を選ぼう 
  関東地方のみなさま、東京ガスと電力購入の契約をしました
  但し、注意事項あり 広瀬隆

 関東地方のみなさま、広瀬隆です。
◯ みなさま、テレビコマーシャルでご存知の通り、東京ガスによる電力自由化の契約が、本日1月4日からスタートしました。 
 そこで本日、私は、ベストな東京ガスと、4月1日からの家庭電力購入の契約をしました。電気料金とガス料金の合算契約です。(私たちにとって、電力自由化の闘いの目的は電気料金の問題ではありませんが)、電気料金をたくさん払ってきた人には、有利です。
◯【注意】ただし、昨年7月に、東京ガスは東北電力と提携して、「大口電力需要家向けに電力を販売する会社を設立する」と発表しました。ガス輸入などでも協力するのでしょう。 
 直接には、原発と関係のない提携ですが、まったく無関係でもありません。 
 そこで、東京ガスと契約する人は、特記事項欄に下記のように記入することが必要です。「東京ガスは東北電力と提携しているので、東北電力の女川原発または東通原発が稼働した場合は、本契約を破棄する」 
 この一筆を必ず入れてください。この文句で、東北電力に圧力をかけましょう。
◯ 何としても、91%の家庭から、電気料金の利益を得てきた東京電力を叩き、柏崎刈羽原発を廃炉に追いこむ必要があります。 
 東京電力は、巻き返しを狙っていますから、携帯電話会社などと提携して割安の電気料金値下げを発表するでしょうが、当然、東京ガスも、それに対抗して値下げを検討することになります。闘いが始まりました。 
 新電力の総元締めとなってきたエネットも、東京ガス+大阪ガス+NTTファシリティーズの出資会社なので推薦企業ですが、エネットは企業向けなので、家庭では契約できないそうです。
  ☆「事故情報編集部」より 2月28日(日)開催の「たんぽぽ舎第28回総会」記念講演で、広瀬隆さんが「続・電力自由化と私たちの態度-絶好のチャンスを活かそう」の「話」をされます。どなたでもご参加下さい。

 たんぽぽ舎の柳田真さんはメルマガで次のように書かれています。参考にしたいところです。(たんぽぽ舎メルマガ2682号)

●第1は、原発電気をやめることだ。そして、原発廃止へ早く日本を近づけることだ。
 5年前の東京電力福島第一原発大惨事で、私たちは痛感したはず。原発はもうやめようと。それを個人が電力供給会社の選択権をもつ日(4月1日)がやっときたのだ。真っ先に原発電気をやめよう。
 東京圏では、東京電力(柏崎刈羽原発)、中部圏では中部電力(浜岡原発)、関西圏では関西電力(高浜・大飯・美浜原発)、四国圏では四国電力(伊方原発)、九州圏では九州電力(川内・玄海原発)、北海道圏では北海道電力(泊原発)、東北圏では東北電力(女川、東通原発)と契約しないことだ。この5年間弱の事実は証明した-原発なくても電気は足りると。また、使用電力量を減らすことも大切だ。

 たんぽぽ舎のメルマガは無料配信です。たんぽぽ舎のHPを検索して、アドレス登録すれば1日に1,2回原発に関する情報が送られてきます。反原発・脱原発派にとっては必読の情報です。

〔66〕今時の成人式の右傾化の「風景」を見て考えさせられました。

2016年01月11日 | 市民運動
 2016年1月10日(日)、成人の日を翌日に控え、この日成人式が地元清瀬で開かれました。清瀬駅から徒歩5分にあるけやきホールでのことでした。昨年12月4日には、「戦争法廃止 きよせ市民の会」の主催で開かれた小林節講演会が600人近くを集め開かれたところです。
 私が所属する「清瀬・くらしと平和の会」の例会でこの成人式のことが話題になりました。今年の夏の参議院選挙では18歳以上の若者にも選挙権が与えられるということで、成人式でも選挙に関心を持ってもらおうということになったのです。
 当日の朝10時きっかりに、私は「戦争させない」「9条を壊すな」「原発再稼働反対」などのプラカードを持ってホール前に駆けつけました。会場から道路を隔てたところにいた仲間たちは10名ほどだったでしょうか。「選挙に行こう」「成人おめでとう」などの手作りのプラカード、戦争法について考えてもらいたいという模造紙に書いたものなどそれぞれ工夫を凝らしています。
 会場前の道路には着飾った青年たち数十人が晴れ着に身を包んで再会を喜び合う風景が広がっていました。女子は着物、男子は羽織袴という出で立ちが圧倒的に多いのです。しかし、出入り口の中央に位置取った一軍に目を見張り、心が波立つ違和感を持ちました。明らかに他とは違った羽織袴の10人程度の若者です。芸人でも着ないような金や銀、赤などの派手な色合い、頭髪はリーゼントで固めている者、「○○ヤマト」という幟を持った者までいます。右翼のデモンストレーションという雰囲気です。
 そうこうするうちに、旭日旗をかぶせた車に乗った若者が会場に到着しました。この旭日旗でしょうか、背中に背負って練り歩く者もいます。明らかに彼らの仲間の車が、私たちの前に立ちふさがるふうにも見えました。運転手はたばこを片手にした女性でした。
道路は多くの車の往来があるところです。彼らは車道の半分ぐらいはみ出して、私たちを威嚇、挑発するようにも見えます。教育委員会の人は彼らに対して極めて遠慮がちに見えました。何か小競り合いでもあったら一大事なので、私たちは声もあげずに、プラカードなどでアピールを続けました。
  私が到着する前に、出入り口付近の道路でアピールを続けていた仲間たちは、教育委員会の人によって道路の反対側に追いやられたようでした。ホールの敷地内というのが理由のようでした。ところが不思議なことに、シール投票らしき行動をとっていたある市民団体に対しては何のお咎めなしでした。

 私たちの行動は、係の催促で若者たちが会場に入っていくまでの、式典が始まる前の1時間ほどでした。果たして会場内では整然とした成人式が成立していたのでしょうか。
 集会後に公明党が近くの西友前でチラシを配り青年たちにアピールしていました。

 小学校教師33年、大学でも10年目という教育現場に長く籍を置いている私にはこの日の成人式の有り様が、さまざまな感慨を呼び起こしました。大多数は常識ある青年たちであるにしても、日本の現在の教育が彼らを生んでいるという事実に反省の念を禁じ得ないのです。

 成人式での右翼的な行動が清瀬だけではなく日本中に展開されているようです。ネットには動画や写真でこれらを見ることができます。草の根右翼のうねりはあらゆる機会を捉えて増長されていくようです。
 私たち、戦争をしない、させない意志を持った陣営に、何ができるのでしょうか。
 朝日新聞は成人式の様子を次のように伝えています。

●成人式会場の敷地内でけんかか 20歳男性重体 和歌山
朝日新聞(2016年1月10日)
 10日午後2時半ごろ、和歌山市手平2丁目の和歌山ビッグホエール敷地内で「知人がけんかして意識がない」と119番通報があった。和歌山東署によると、市内の男性(20)が20歳くらいの男に頭を踏みつけられるなどしたらしい。男性は搬送時は意識不明で、署が傷害事件とみて調べている。和歌山ビッグホエールでは午後1時から成人式が開かれていた。
新成人が蛇行運転、2人はねられ重傷 静岡の成人式会場
新成人2人が道交法違反の疑い 沖縄、成人式に参加直前
新成人が警察官の胸突く 公務執行妨害の疑い 北九州

 ネットで検索してみると、成人式に関して産経新聞が大きく取り上げています。右翼的な潮流は日本でここまで来たのかと慚愧に堪えません。
 ちなみに、清瀬の成人式の流れはわからないので、他の地域では成人式でどのようなことが行われているのか調べてみました。

●横浜市 平成28年「成人の日」を祝うつどい(成人式) 2016.1.11
 ・国歌斉唱
 ・市長あいさつ・横浜市会議長あいさつ
 ・来賓紹介
 ・新成人の誓い
 ・「成人の日」記念行事実行委員会紹介
 ・新成人へのメッセージ
 ・市歌斉唱


〔65〕江戸川区では全小学校で休み時間に一斉に外遊びを導入するというのですが…。

2016年01月06日 | 学校教育
 連れ合いからこんな教育記事があるよと教えてもらいました。教育とは何かということを考えてみたいのでそのまま引用します。

●外遊び 体力向上 休み時間活用、全小学校導入へ 東京・江戸川区
(毎日新聞2016年1月5日 東京夕刊)

 鬼ごっこやゴム跳びなどの昔ながらの外遊びを全校で授業の合間に行い、体力改善を図る取り組みを、東京都江戸川区が来年度から全小学校71校で始める。試験的に導入した学校で、平均以下だった体力テストの成績が区内トップレベルに高まったため。区教育委員会によると、区市町村の全校で一斉に外遊びを導入するのは、全国的にも例がないという。【柳澤一男】

 外遊びを2013年1月から試験的に採り入れている区立西葛西小学校。週に1回、授業の合間にある25分間の長い休み時間を「わくわくタイム」と呼んで充てている。
 「みんなで楽しく遊びましょう」。放送が流れると、737人の子どもたちが一斉に校庭へ飛び出した。20?30人ずつが輪になり、先生に教わりながら「十字おに」や「ぐるぐるおに」「Sけん」「長縄」など22種類の遊びを始めた。
 「グー、パー、フミ、フミ、回ってジャンプ!」。1年生が笑顔でゴム跳びをし、男の子も「みんなで跳ぶのは楽しい」と喜んだ。
 同校では12年度までほとんどの学年で、体力テストの成績が全国平均はおろか、全国平均より低い都平均さえも下回っていた。
 そこで山下靖雄校長が外遊びの時間を導入。教員は事前に外遊びのルールを覚え、リーダー役になった。「私たちが子どものころは放課後に友人と遊び、自然に体を動かしていたが今は違う。体育が苦手な子にも体を動かす楽しさを感じてほしかった」と話す。
 その結果、14年度には男子が4学年、女子は5学年で、体力テストが全国平均を上回り、区内でトップレベルになった。特に反復横跳びや20メートルシャトルランなどが向上したという。子どもの意識調査では「体を動かすことが楽しい」「多くの人数で体を動かすことが楽しい」との回答が約100人ずつ増えた。
 これを受け、区教委は外遊びを区立の全校、約3万5000人に広げることにした。外遊びの時間や頻度は状況に応じて各校が決める。
 区教委指導室の稲垣達也室長は「江戸川区の子どもの体力は都内でも低い方。昔ながらの外遊びをする子どもは減り、ゲームや室内で遊ぶ姿が目立つ。まず校庭で外遊びのコツを覚え、体力向上につながれば」と話す。

  江戸川区といえば演劇教育の重鎮、刀禰佳夫さんが講師などで活動されたり、日本演劇教育連盟の研究部長の高崎彰さんが指導室長として活躍されたことがあるところで、リベラルな地域性に好感を抱いていたものです。だからこそ、この記事を読んだとき、あれあれ何か違うなと直感的に感じたのです。
 子どもにとって遊びが重要であるというのはいうまでもありません。友だちとの遊びのなかで人との付き合い方、コミュニケーションを学ぶのです。そこには自然との出合いもあり、子どもの身体や心を育んでくれます。学びは遊びを抜きにして考えられません。そうした遊びや学びから労働に発展してくるのではないでしょうか。
 ただここでいう遊びとは子どもたちの主体的自主的な活動を指します。今回の江戸川区の一斉遊びは、管理されたなかでの「遊び」というニュアンスが強いようです。体育を研究している学校が、業間体育と称して、休み時間に全校体育をすることがあります。そうした流れを汲むもののようです。授業的な遊びといってもいいのでしょうか。
 子どもたちにとっては休み時間は貴重なものです。友だちと自由に遊んだり、本を読んだり、おしゃべりをしたりと、息抜きの時間に違いありません。
 また、教師にとっても業間遊びに問題は山積です。午前中の中休みに教師はさまざまな仕事をこなさなくてはなりません。子どもたちの日記や親からの連絡帳を見たり、教材準備の時間であるかもしれません。委員会活動の指導をしたり、教師たちの会議が組まれる場合もあります。
 教職員の勤務ということで、次のようなサイトが見つかりました。出所ははっきりしないのですが、私の現役時代の認識と一致しているので、現状でもそう大きな変更はないと思われます。参考までに提示しておきましょう。

●教職員の勤務
(1)勤務時間
 ① 学校職員の勤務時間の割り振りは当該校長が行う。
 ② 職員の正規の勤務時間は、1週間あたり40時間とし、職務の性質上これに拠り難い場合、別に定める期間を通じ1週間あたり40時間とする。
 ③ 休憩時間
  (ア)勤務時間が6時間を超える場合は45分、8時間を超える場合は1時間与えられる。
  (イ)勤務時間の途中、全職員一斉に与えること
  (ウ)職員に自由に利用させること
 ④ 休息時間
  (ア)勤務時間4時間について15分の休息時間を置かなければならない。休息時間は、正規の勤務時間の一部である。
  (イ)給与支給対象の拘束時間で、自由利用の原則はない。

 これらの論拠になっているのが労働基準法です。ここには休息の規定はありません。

●労働基準法
(休憩)
第三十四条  使用者は、労働時間が六時間を超える場合においては少くとも四十五分、八時間を超える場合においては少くとも一時間の休憩時間を労働時間の途中に与えなければならない。
○2  前項の休憩時間は、一斉に与えなければならない。(略)
○3  使用者は、第一項の休憩時間を自由に利用させなければならない。

 江戸川区の業間遊びは教師にとっては勤務時間内の休息の時間になっているはずです。
 さらに、週1回の試みであれば良いのではないかという人もいると思いますが、年間を通すと30数回ということになります。しかも江戸川区全校で取り組むということです。こうしたことに教育における画一化、統制化の兆しを感じてしまうのは私だけでしょうか。