こんなチラシが正嘉昭さんから届きました。随分前に秋津駅近くで会ったことがあるのですが、お元気のようです。
昨、2024年6月11日、講演「原発事故で自主避難した少年がローマ教皇に会い、そして今、21歳で伝えたいこと」(鴨下全生さん)と朗読と演奏の会に行ってきました。会場は、吉祥寺にある武蔵野公会堂です。
この会は「フクシマを思う」という吉祥寺チャリティライブイベントということですが、なんと今回で34回を数えています。会場には歴代のポスターでしょうか、整然と掲示されていました。
この会のお知らせが東京新聞に掲載されました。さらに、朝日新聞とともに配布される多摩情報紙「アサココ」にもお知らせがありました。
大学生になった鴨下全生さんのお父さんの鴨下裕也さんには、清瀬・くらしと平和の会、清瀬・憲法九条を守る会として、2回も清瀬に来ていただき講演をお願いしています。この日も会場にみえていましたが、体調がよろしくないようで心配です。そんななか7月18日の彼の裁判案内が手渡されました。
今までで一番若い講演者ということで堂々と鴨下全生さんが舞台に立ちました。適宜画像を映しながら、東京最高裁(2023年)や最高裁判所(2024年)での意見陳述を読み上げる形で淀みなく自らの思いを開陳し続けました。つらいいじめ体験なども含めてリアルに語ってくれました。そして、2回ローマ教皇に会う中で、歴代教皇として初めてローマ教皇は原発に反対の意を表明することになりました。
朗読は金子あいさん、丹下一さん、演奏は古部賢一さん(オーボエ)と久保美結さん(ピアノ)、久しぶりに心静まる時を過ごしました。
開演前に昔懐かしい元教師で、今も地域の運動を担っているYさんと再会しました。チラシを渡されて旧交を温めました。
◆都知事選に立憲・蓮舫が出馬
構図は「赤壁の戦い」小池・自民の大軍に対して勝機はある 金子 勝(淑徳大客員教授)
立憲民主党の蓮舫参院議員が都知事選への立候補を表明。参院議員の 地位を捨てて勝負を挑む姿に、政権を取りにいくんだという勢いを感じ た。久しぶりに政治家らしい決断を見て痛快でもある。
思い出されたのは、三国志の「赤壁の戦い」だ。曹操の20万の大軍が 荊州に向かって進軍したのに対し、迎え撃つ孫権と劉備の軍はそれぞれ 2万である。劉備の軍師・諸葛亮は「曹操は大軍だが疲れている。おま けに地元の民に支持されていない」と勝機を見いだし、曹操の大軍を打 ち破ったのだった。
まさに、都知事選と構図が似ている。自公と手を握った現職・小池知 事は大軍だが、疲れ、都民の支持を失っている。自民は裏金まみれで、 小池には学歴詐称疑惑がある。大軍ながら勢いはない。
その証拠に、小池は4月の衆院東京15区補欠選挙で子飼い候補を落選 させた。5月には都議補選(目黒区選挙区)で支持した自民候補が敗北 している。
この都知事選は2つの意味で前哨戦である。1つは、自民が衆院3補 選で全敗し、神奈川・小田原市長選でも敗北。他の首長選でも連戦連敗 だ。そんな中、天王山の都知事選で蓮舫が勝てば「政権交代」が現実味 を帯びる。
もう1つは、政権交代するとどうなるか、を有権者に提示する機会に なることだ。 つまり、裏金や政治献金を拠出する者のための小池・自民政治から、本 当に困っている人のための政治に転換する。政権交代の生きたモデルを 選挙戦を通じて示すことである。
都政で最も重視すべきは、大手不動産企業と癒着した大型再開発の見 直しだ。
晴海も築地も外苑もみな三井不動産で都庁幹部が大挙天下っている。
晴海の選手村跡地は都有地でただ同然に払い下げられ、タワマンは投 機の対象になっており、一般の住民は住めない開発だった。神宮外苑で は森を切り倒そうとする。築地は球場と国際会議場中心で食文化は名目 だけ。もはや小池は、ほとんどゼネコンの手先である。
これでは東京の合計特殊出生率が0.99で、ついに1を割るのも 当然だ。
一人一人が住みやすく、環境にいい街をつくっていくべきだ。
大型開発ではなくて、子育て世代への家賃補助の方がずっといい。
自転車道と自転車置き場のある商店街の方がずっといい。 給食の無償化や、子供の送迎がある保育所の設置。
さらに、都の公立高校の授業料無償化に加えて都立大学の授業料大幅 軽減も必要だ。
介護士や保育士の給料補助や、女性の非正規労働者を正規化した中小 零細企業を支援していくような施策も肝要だ。
生活者目線の支援を充実させていくことによって、一気に東京の雰囲 気は変わる。
首都決戦で野党は絶対に勝たなければならない。 (6月11日発行「日刊ゲンダイ」5面「金子勝の天下の逆襲」)
お久し振りに正 嘉昭さんから公演案内が届きました。残念ながら私は観劇できませんが皆様にお知らせします。正さんのメールとチラシなどです。
■ご無沙汰しています。
お元気ですか?
私が構成・脚本・演出を務める、「わーくぽけっと創作ミュージカル第6回公演『バニラ姫、愛のゆくえ』」のご案内です。
障碍(しょうがい)のある人ない人が、あたりまえに共生できる地域社会の実現を、演劇創造を通して活動しているNPOです。
役作りから仮脚本作りまでメンバーの手で行っていて、コロナ渦を乗り越えて5年ぶりの楽しい舞台となっています。ご都合よろしければぜひおいでください。お待ちしています。
正 嘉昭
その本を基にした演劇のお知らせも届きました。ドイツから友人が来日する頃で観劇は微妙ですが、まずは皆様にお知らせいたしましょう。
そんななか、市民による様々な平和への取り組みがなされています。清瀬近辺の催し物を3つ紹介します。どこかでお目にかかれることを願っています。
まずは、きよせ平和のつどい実行委員会主催の「きよせ平和のつどい」です。映画「声をあげる高校生たち」とサマー・コンサートです。
次に、清瀬市男女共同参画センターが主催する、菅間正道講演「子どもの学び、育ちをどう支えるか」です。菅間正道さんの憲法の話は、以前、東村山で伺ったことがありました。興味のある方は以前のブログを探してみてください。その時はまだ校長ではありませんでした。
最後に多摩地域のタウン紙、アサココを応援する会が共催する松本ヒロソロライブのお知らせです。抱腹絶倒の舞台になること間違いありません。
ところざわ太陽劇団は、おかげさまで、来年は創立34 年を迎え、2022 年3 月に第50 回記
念公演を開催します。
1988 年5 月の池袋小劇場での旗揚げ公演以来、「誰でも役者」「飛び入り飛び出し自由の表
現場」を掲げ、地域演劇と実験演劇の融合を目指し、多様な演技表現と魔術的演出を生み出
してきました。この2 年間も、安全ドキドキの「コロナに打ち克つ演劇の形」を探求し、新
型コロナ感染防止対策万全の仮面歌舞劇(マスクの上に仮面)を半年ごとのスタジオ公演と
して実現してきました。
ぜひ、あなたと一緒に、第50 回記念公演を創っていきたく、公演への参加をお誘いいたし
ます。キャスト、スタッフ、サポーターとして、「家族のような劇団」「太陽広場」で、自己
を解放し、この冬を遊び心=芝居心で楽しくすごすのはいかがでしょうか?
費用負担は一切ありません。もちろん感染予防対策は今まで同様、稽古でも本番でも徹底
していきます。
<ところざわ太陽劇団第50 回記念公演の要項>
時:2022 年3 月5 日(土)17 時開演 6 日(日)14 時開演
所:新所沢公民館ホール(西武新宿線新所沢駅徒歩7 分)
演目:喜劇『大雑草~昭和レトロをけっ飛ばせ」
※ 「大雑草」は2005 年3 月初演時にお客様から「もう一度観たい」との声で、5 月、8 月と連
続公演を行った劇団の当たり狂言で、大工の棟梁の板三郎を中心に、下町のご近所を巻き
込んでの笑いと涙の大騒動絵巻です。なお第50 回記念公演は、新作の「大雑草」です。
稽古予定:
※曜日のない日は日曜日※15:30~18:30(2 月は~19:00)※祝日は13:00~18:00
1 月10 日(月祝)、16 日、23 日、30 日
2 月6 日、11 日(金祝)、13 日、20 日、23 日(水祝)、27 日
3 月4 日(金)搬入、仕込み、総稽古15:00~21:30、5(土)本番9:00~21:30、6(日)本番9:00~17:00
問い合わせ・参加申し込み:
正 嘉昭(ただし・よしあき)までお願いします。連絡をお待ちしています。
電話090-5492-1105 メールアドレス1105yajikita@gmail.com
★演劇未経験の方も大歓迎!基本から丁寧にお教えします。
★稽古日程や時間なども相談にのります。
★所沢市文化祭・演劇祭参加です。
●<ところざわ太陽劇団第49回公演ご案内>
お元気でお過ごしのことと思います。
2021年3月には、「コロナに打ち克つ演劇の形」をさらに追及した「仮面歌舞劇第2弾」として、第48回公演『サーカス~中原中也の詩より』を舞台化しました。
演者、演奏者、歌者全員がマスクを着用し、さらにその上に、世界のさまざまな仮面をつけ(まさにマスク・オン・マスク)キャラクターになり、中原中也の「サーカス」「湖上」「宿酔」「汚れちまった悲しみに」「月夜の浜辺」の詩をベースに描き出した<空中ブランコ乗り>のロマンあふれる世界は、おかげさまで好評をいただきました。
それはまた、緊急事態宣言下での、「今を生きる私たちへ応援歌」でもありました。
そして、仮面歌舞劇の集大成として「仮面歌舞劇第3弾」、第49回公演『甦れ!ノスタルジック・ロマン~夢二・牧水・藤村・中也・賢治』をお贈りします。
ぜひ、120才の古民家へ足をお運びください。
……………………………
♪公演のデータチラシをお送りします。今回も新型コロナウィルス感染防止対策を徹底してお待ちしています。
……………………………
◎ところざわ太陽劇団第49回公演
演出・構成 正 嘉昭
仮面歌舞劇
『甦れ!ノスタルジック・ロマン~夢二・牧水・藤村・中也・賢治』
[キャスト]
バッド喜界島 土屋崇仁 麻婆太郎 高橋拓治 赤江瞭 城戸美佳
[スタッフ]
演出・構成・美術:正 嘉昭
音楽・歌:高橋拓 治
舞台監督:中村一文
照明:蓮沼元宏 音響:たいまる 制作:伊藤行雄
<日時>
2021年 11月20日(土)
17時
11月21日(日) 14時
(開場は15分前)
<場所>
ところざわ太陽劇団 星の宮スタジオ(所沢市星の宮1-14-3)
(西武池袋線 西所沢駅より徒歩8分)
※改札を出て、右方向へ真っ直ぐ、二つ目信号の「星の宮交差点」を越して70m左
<入場料>
無料 (カンパ制〜スタジオ維持費に使わせていただきます)
<予約・お問い合わせ>
35席(ウイルス感染防止のため12椅子席設定)の小さな劇場につき、日時指定予約(先着順)をお願いしております。
TEL090-4591-8364(伊藤)090-5492-1105(正)
またはメールアドレス1105yajikita@gmail.com
<新型コロナウィルス感染防止対策>
・観客の皆様には入場時にマスクの着用、消毒、座席距離をお願いしています。
・劇団では、飛沫感染防止の表現方法(演者マスク着用劇)と換気を実施しています。
※ご予約の際は必ずお客様の連絡先の電話番号をお知らせください。
※コロナ感染状況の変化により、急遽公演中止の際には連絡させていただきます。(以上)
こちらはコロナ禍に相応しい? 頬かむり政権の話題です。
◆頬かむり政権(岸田内閣)
いのちを大事にする、平和の思想をひろめる努力で巻き返そう
鎌田 慧(ルポライター)
首相の首をすげ替え、脱兎(だっと)のごとく選挙戦に突入する奇襲
作戦。15議席を減らしたとはいえ、自民単独で過半数獲得。
与党に維新をふくめて325。改憲発議が可能な3分の2の議席を
上回った。野党共闘の立憲民主党が振るわず、維新が3倍超。
あれほど勝手気侭(きまま)、議会制民主主義など平然と踏みにじった
自民党が、また政権を握る。
第二次岸田政権は学術会議、森友、加計、サクラなどは頬かむりで
あろう。残念ながら、それが選挙後の現実だ。
野党共闘は失敗だったのか。1回だけの実践で失敗とは短慮にすぎる。
若者の票を掘り起こせなかった。戦後3番目に低い投票率から脱却
できず、世の中を変える新しい勢力としての受け皿になれなかった。
有権者を投票所にむける魅力がたりなかった。
若者が主人公になる新しい時代を提示できず、本質的に改憲派の維新
に新鮮さを感じさせた。
野党と市民との共闘は選挙のためであって、民主主義回復のため、と
みられなかった。選挙ばかりではない。新しい時代を用意するはずの
ものなのだ。
岸田内閣は維新を巻きこんで、改憲発議のチャンスを窺(うかが)うで
あろう。
来年の参院選挙にむけ、改憲発議を止める院内外の運動が必要だ。
中国、北朝鮮との緊張を緩和し、地球危機を防ぎ、いのちを大事に
する、平和の思想をひろめる努力で巻き返そう。
(11月2日東京新聞朝刊27面「本音のコラム」より)
かつてこのブログにも取り上げましたが、ころざわ太陽劇団は正さんが主宰する劇団です。年に1,2回の公演を続けてきてすでに47回目ということです。
今回のお芝居は仮面歌舞劇、第1部「風に舞う」と題して宮澤賢治作品を上演しています。「風の又三郎」「高原」「原体剣舞連」それぞれの1部を仮面を付け生ギターに合わせて身体表現しています。この仮面はどうやらインドネシアのバリの舞踊で使用する仮面のようです。実はもう数十年前に、正さんを初めとして4人でバリツアーを行ったことがありました。数日間の滞在で多くのバリの舞踊や音楽を堪能したものでした。十数分間のビデオを拝見しながらそんなことを懐かしく思い出していました。
これらの賢治作品については参考にしてほしい図書があります。それは私が責任編集した『ことばで遊ぼう 表現しよう! -ことばあそび・朗読・群読』(日本演劇教育連盟編、晩成書房、2019年12月発行)(アマゾン、「猫家族」で安価で販売しています。)です。この本は分担執筆ですが、元小学校教師の松宮文子さんが〈「宮沢賢治作品集」を群読する〉を書いているのですが、この中に「風の又三郎」「高原」「原体剣舞連」などを取り上げているのです。群読台本も掲載されているので参考になるのではないでしょうか。
なお第2部は『うた時計』(新美南吉)ですが、こちらは近日公開のようです。私も楽しみにしています。
それではどうぞ!
https://youtu.be/V_HE0T3Hhpo
矢部さんからは膨大なDVDが送られてきていますが(私は矢部コレクションと言っています)そのなかにもありました。NHK・ETV特集「詩人・谷川雁―坑夫と、安保と、革命と―」です。
久しぶりに谷川雁の語りを聴きましたが実に素敵な声で説得力があります。あらためて原文を読みたいものです。
『〈感動の体系〉をめぐって-谷川雁 ラボ草創期の言霊』(松本輝夫編、アーツアンドクラフツ)は以前紹介していますので本のコーナーを探してみて下さい。
■福田三津夫様
『感動の体系をめぐって』の本は、ラボをはじめた谷川雁の文章や講演記録を集めたもので、谷川雁を知らない世代のテューターでも彼の考えにふれることができる貴重な本です。 今や、彼に会ったこともない、話を聞いたこともない、というテューターがほとんどです。 写真で見るのとは違って、声も聴くことのできる動画をYouTubeで見つけました。 谷川雁の盟友・井上光晴(作家)への弔辞の動画です。1995年6月15日NHK・ETV特集「詩人・谷川雁―坑夫と、安保と、革命と―」(45分)のなかの弔辞の場面です。
下記をクリックして見てください。
https://www.youtube.com/watch?v=Co5eTpzLt8E&feature;=youtu.be&list;=TLPQMjcwODIwMjAPAGa2gbmCWA
矢部 顕
沖縄料理とギャラリーのオーナーの山田ちづ子さんとオペラシアターこんにゃく座とコラボコンサートも見ることができます。30分ほどの素敵な心に響く朗読と歌、ピアノ演奏などです。様々な集会で参加者と共有したいと思いました。
末尾は鎌田慧さんのコラムです。
●市橋久生さんのメールコメント
こんばんは
また雑感を送らせてもらいます
(ご迷惑の段、お許しください)
今日は沖縄慰霊の日です。
5年前の摩文仁の丘を思い出しながら、
今年の光景はテレビで見ました。
そんな中で、こちらでも何かできることは?と思いながら、
今日を迎えました。
私がときどき行ってみる沖縄料理とギャラリーの店では、
下記のイベントを発信しています。
オーナーの山田ちづ子さんは石垣島出身、
いろいろ企画して私たちを触発してくれます。
オペラシアターこんにゃく座とコラボの30分ほどのコンサートです。
https://www.youtube.com/watch?v=Jz70Mjs1lP0
ところで、沖縄の人たちは
現状を「沖縄差別」(故・翁長知事)と捉えています。
私の手元にすっかり色焼けしてしまった新聞切り抜きがあります。
1970(昭和45)年2月25日、朝日新聞埼玉版
「悪へ突走った沖縄少年
~県南部のひったくり
集団就職後、職場を転々」
50年前の忘れられない気持ち悪い嫌~な記事です。
ことさらに「沖縄」
このすぐ後の3月末、竹芝桟橋から48時間の船で初めて沖縄へ。
もちろん、パスポートの時代です。
沖縄体験を語る時、いつもこの記事の事から話し始めているのですが、
大事なスクラップをなくしてしまったと思っていました。
ところが、昨日、古い写真をアルバムからはがして処分していたら、
なんと!そこに貼り付けてあったのです。
想わぬ収穫?でした。肩の荷を下ろしたような気分です。
私でさえこんな気持ちを覚える沖縄の現状
沖縄の人たちの言い尽くせぬ思いを想像しています。
(上記のコンサートを見てくれた宮城淳さん=元・会員、演劇教育賞受賞=は、
「県外でみんなの問題として沖縄戦のことを考える時間を作ってくれることに心強く感じます」
とメールをくれました。
市橋久生
◆沖縄の命は大切
「陸上イージス」の配備撤回に続き
ムダで危険な「辺野古米軍新基地建設」も撤回すべき
鎌田 慧(ルポライター)
「民主主義は全員のコンセンサスは無理だから、そのときは多数決
で決めていく。決まったことに皆がそれに従っていく」
安倍首相は20日、橋下徹元大阪市長のインターネット番組に出演。
「憲法調査会で反対派が大騒ぎしても、多数決で決めてしまったら」
と、橋下氏が早口で煽ったのに対するコメントである。
民主主義の大原則は多数決というのが安倍首相の民主主義観で、
多数決で「躊躇(ちゅうちょ)なく進める」を美学としているようだ。
が、それは短慮傲慢(たんりょごうまん)と言うべきで、民主主義は
少数意見をどれだけ尊重するか、熟慮と説得が基本でしょう。
安倍政治が行き詰まってきたのは、数に頼り、多数で押してきたから
であって、自慢の長期政権がボロボロぼろをだして、慌てて国会幕引き
とした。
閉会直前、唐突にでてきたのが、秋田県と山口県に設置が計画されて
いた「陸上イージス」の撤回。
2基の購入費用や維持費をふくめれば6000億円、さらに改修費用に
2000億円。それも10年以上かかる、と指摘されていた不要、不急、
危険、ムダ。ついに河野太郎防衛相も「間違っている」と認めた安倍
外交破綻の証明。県知事や県民が猛反対し、断念に繋(つな)がった。
沖縄県知事、県議会、県紙2紙もこぞって猛反対。ムダで危険な
辺野古米軍基地建設も撤回すべきだ。
「沖縄の命は大切」
(6月23日東京新聞朝刊21面「本音のコラム」より)
□Ballet Constellation
バレエファンによるバレエファンのためのバレエ情報発信サイトです。
●芸術選奨文部科学大臣賞(舞踊部門2名)
*島添亮子(略)
*米沢 唯
【授賞対象】「ロメオとジュリエット」ほかの成果
【贈賞理由】高い技量と深い洞察力,豊かな音楽性と表現力を併せ持ち,米沢唯氏は短期間のうちに日本を代表するダンサーへと成長を遂げた。令和元年は,「ロメオと ジュリエット」において内省的かつドラマティックな演技でジュリエットを瑞々(みず みず)しく造形。また古典から現代作品まで多様な作品に主演,研ぎ澄まされたテクニックや音楽の奥底に沈潜する情感をすくいあげようとする繊細な表現力により,圧倒的な舞台成果を上げた。既に完成された高い領域に達していてるが,限界を押し広げていく可能性を持ち,成熟期へと向かう今後の深化・進化が多いに期待される。
出所:令和元年度(第70回)芸術選奨受賞者一覧(文化庁報道発表資料)”
前年の同賞は小野絢子さんが受賞しており、新国立劇場バレエ団にとっては嬉しい2年連続の受賞者輩出です!
しかも、米沢 唯さんは、2017年に芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞しており、その受賞から3年目という短期間で大臣賞を受賞するという快挙です!
「贈賞理由」に「既に完成された高い領域に達していてるが…」とあるように、技術力、演技力、音楽性や役柄に対する深い洞察力には目を見張るものがあります。
2月下旬に上演されたばかりの新国立劇場バレエ団『マノン』でも、女性バレエダンサーにとって難役のひとつであるマノンを、堂々たる技量と演技で英国ロイヤル・バレエ プリンシパルのワディム・ムンタギロフさんを相手に堂々と渡り合った姿は記憶に新しいですね。
米沢 唯さんのプロフィールはこちら(新国立劇場バレエ団公式サイト)
https://ballet-constellation.com/2020/03/04/70th-geijutsusehsho/
米沢唯さんのことを知ったのは脚本研究「森の会」でのことでした。劇遊び研究のレジェンド、平井まどかさんから渡された毎日新聞のコピーには唯さんのインタビュー記事が掲載されていました(2015年10月19日、夕刊)。「真実」を表現する喜び、「ホフマン物語」で2役に挑戦、などという見出しが躍っていました。
注目すべきは、この唯さんが実は私の師匠の1人、竹内敏晴さんの娘さんという事実でした。この記事のなかにも竹内さんが彼女に語ったことばが紹介されています。
「赤ずきんちゃんの役をいただいた小学生の頃、父は部屋の電気を消し、オオカミになって私を脅かしてくれました。『暗い森で獣に出くわしたんだよ。怖がるふりをしてはいけない、怖がるんだ』と」
竹内さんはいくつかの著書のなかで、唯さんと劇的に遊んだ思い出を書き記しています。うりこ姫の話などが頭の片隅に残っています。
赤ずきんちゃんの役というのは、ひょっとしてラボ教育センターのテーマ活動でのことかもしれません。彼女が名古屋にいるときにラボっ子で、竹内さんがよく会場まで唯さんを迎えに来てたということです。このブログにしばしば登場してくださっている矢部顕さんが当時中部支局の責任者で、そのことを証言してくれています。ラボに竹内さんを招聘したのも矢部さんの功績で、それに関連して、拙著『地域演劇教育論-ラボ教育センターのテーマ活動』(晩成書房)の巻頭言として彼に書いてもらいました。
唯さんにお会いしたのは一度だけです。
先日、100号で終刊を迎えた我々夫婦のミニコミ「啓」は読んでもらいたい人に手渡し、あるいは郵送したものでした。その150人の内の1人が竹内さんでした。我々夫婦共に昔からお世話になっていました。連れ合いの福田緑の単著『子どもっておもしろい』(晩成書房)の巻頭言を書いてくれたのも竹内さんでした。
竹内さんは2009年に他界します。拙著『実践的演劇教育論-ことばと心の受け渡し』(晩成書房)に「竹内敏晴から学んだこと-語るということ」として詳しく書いています。
その年、竹内さんを偲ぶ会が立川の賢治の学校で開催されました。主催者の鳥山敏子さんが元気なときでした。その時に会で演劇教育の立場から何か話すことを求められました。話者は10数人いたでしょうか、そうそうたる登壇者でした。最後の方で私は竹内さんとの出会いから、私の教育実践に於ける竹内さんの存在について語りました。
集会がはけて駅に戻ろうとしたとき、親子らしき2人連れとすれ違いざまに話しかけられました。竹内さんのお連れ合いと娘の唯さんでした。「啓」は竹内さんよりお連れ合いの方がよく読んでいるということでお礼を言われました。ウィキペディア(にもしっかり掲載されています)によると唯さんは1987年生まれですから、このときは22歳になっていたのでしょうか。すでにダンサーとしてアメリカで活躍されていたのかもしれません。私にとっては、竹内さんと遊ぶ幼子の唯さんというイメージだったので、大人になった彼女がまぶしく頼もしく映ったものでした。
最初の出会いから数年してあの新聞記事で「再会」し、その2年後に芸術選奨文部科学大臣新人賞、さらにそれから早くも3年後の今年、芸術選奨文部科学大臣賞というわけです。
今、竹内さんの『老いのイニシエーション』(岩波書店、1995年)を手にしています。ここに登場してくる「笙子」と「ゆり」は竹内さんのお連れ合いと唯さんに違いありません。唯さんの受賞に心からおめでとうと言いながら再読しようと思っています。
今回のブログをしたためていたら、矢部顕さんから竹内敏晴追悼文が送られてきました。「藤原書店から刊行された、―セレクション竹内敏晴の「からだと思想」全4巻-の月報4に書いたものです。藤原書店の編集部からの依頼でした。中国支部のテューター向けに書いたものと、少し表現の違いがありますが、ほとんど同じです。」とメールにありました。竹内敏晴さんの一面を知る貴重な証言になっていますので、再録さていていただきます。
□追悼 竹内敏晴さんとの出会い
矢部 顕
竹内敏晴さんが上梓された最後の本『「出会う」ということ』(藤原書店2009年10月30日発行)のあとがきの日付は9月5日になっていました。2日後の9月7日に彼は膀胱がんで他界されましたが、最期まで命を燃やしていたことがこのことでもよく窺われます。亡くなられてから発刊された本は奥様からお贈りいただきました。思い返せば、恐れ多くも今まで本を上梓されるたびに贈呈していただいていました。
おつきあいのはじまりは、名著『ことばが劈かれるとき』(竹内敏晴著・思想の科学社1975年 のちに ちくま文庫)を読んで、たいへん強い感銘を受けてからでした。子どもの表現活動であるラボのテーマ活動の身体論と根底で相通じるものがあると直感したわたくしは、著者である竹内さんに手紙を差し上げ、東京世田谷のご自宅まで会いに行ったのでした。1979年のことでした。
当時わたくしはラボ教育センター中部総局のスタッフでしたが、今から思えば若造のわたくしが独りで会いにいくことを、上司がよくそれを認めたものだと思います。つぎの新春のラボの中部支部総会に講師として招聘し、中部支部のテューターはラボで初めての「竹内レッスン」を衝撃的に体験したのでした。それは、ラボが子どもから発見したテーマ活動の「ことばの身体性」を、大人に目の覚めるような実感をもって気づかせてくれる刺激的なレッスンでした。
それ以降、わたくしは全国各地のラボ事務局に転勤したのですが、赴任した支部で必ず竹内さんに来ていただいてテューター研修として竹内レッスンを実施したのでした。一泊二日のこともありましたが、それではもの足りなくてラボの物語をテーマにして5~6回連続のレッスンを何回も行いました。その後、あちこちの支部に行っていただくようになり、合計すればたいへんな回数になりますが、いま思えば、あんなすごい方によくぞこれだけ来ていただいたものよと感慨深いものがあります。
年を経て、わたくしが中部支部の責任者として再び名古屋に赴任した頃、竹内さんは東京での生活を引き払って名古屋に住いされるようになっていました。毎週のように日常的にお会いするようになったのは、60歳を越えて生まれたまだ幼いお嬢さんがラボの事務所の教室で行われているラボ・パーティに入会を希望され、その送り迎えをされるようになったからでした。
お嬢さんがラボ活動に参加されている時間に、別室で原稿を書いたり、わたくしとお話したりしたものでした。ある日、子どもに読ませたい本の話題になり、わたしの息子の名前のもとになった『次郎物語』が竹内さんのお気に入りでもあることを知りました。購入したいが本屋で見つからないとおっしゃっていました。後日、その本をプレゼントするとお嬢さんが夢中になっていたことがありました。そのお嬢さんも大きくなって、後にバレリーナとしてカルフォルニア州サンノーゼ市のバレエ団のプリマドンナとお聞きし、たいへん驚きました。
最後にわたくしが「竹内レッスン」をお願いしたのは2004年の北関東信越支部での支部総会の研修で、お歳も傘寿の少し前だったと思いますが、初めてレッスンをしていただいた50歳過ぎのころと変わらぬ御身体のしなやかさにびっくりするとともに、からだから発することばの思想にあらためて感激したものです。レッスン会場が、たまたま丸木美術館(埼玉県東松山市)の近くだったものですから、終了後にご一緒に訪れたのですが、100名を超える大人数対象の一泊二日のレッスンの後でもあって、「原爆の図」は心身にかなりこたえたようで、お誘いしたことを後悔したものでした。
ラボ言語教育総合研究所ができて、竹内さんの薫陶を受けた福田三津夫さんが研究所メンバーとして参画していただいたことは嬉しいことでした。言語学者や英語学者だけではラボ教育の核心であるテーマ活動のなんたるかが解明できないからです。そして事務局長のわたくしとしては研究所で竹内さんのレポートは必須と思い講演をお願いしました。
2007年の講演「子どものからだとことば――共生態としての子ども」をしていただいたのが、お会いした最後となりました。研究所の紀要である『ラボ・パーティ研究』№20(2007.7.発行)にこの講演の記録が掲載されています。
竹内さんほど長いおつき合いをさせていただき、かつ、ラボ・パーティ教育活動への貢献と影響の大きかった方はそうはいません。感謝の気持ちでいっぱいです。つつしんでご冥福をお祈りします。 (2010.12.)
(さらに、矢部さんの補足です。)
そこで思い出したのですが、
『次郎物語』の下村湖人の生家が記念館になっていました。
佐賀県神崎郡千代田町(現 神埼市)の記念館を訪れたときに、
連れ合いが訪問者ノートに書いた文章が、教育委員会の広報紙に
載ったものを添付します。
この作品の内容もさることながら、流れる音楽が、団塊の世代のこの私にも心地よく響いたのは事実です。CDを買うところまではいかなかったのですが、ユーチューブで彼らの音楽を聴いてみることはしました。
ところが、そんな彼らが、フジテレビ系のサッカーワールドカップの応援ソングを歌っていて、軍歌っぽいとか、愛国ソングとか言われて批判されていることを朝日新聞で知りました。
そこで、さっそくユーチューブで「HINOMARU」を聞きました。正直言って、馴染みやすいところもありますが、曲そのものはそれほどいいとは思いませんでした。しかしこれは曲調は軍歌ではないが、曲想は軍歌と言えそうです。
歌詞を見て愕然としました。「気高きこの御国の御霊」「日出づる国の 御名の下に」「僕らの燃ゆる御霊は」「幾々千代に さぁ咲き誇れ」など、違和感が半端ではないのです。「君が代」を連想させる古語混じりのこの歌詞はけしていい文章とは思えません。「御国の御霊」って一体何なのでしょう。
歌詞を紹介しましょう。
「HINOMARU」 / RADWIMPS
風にたなびくあの旗に
古よりはためく旗に
意味もなく懐かしくなり
こみ上げるこの気持ちはなに
胸に手をあて見上げれば
高鳴る血潮 誇り高く
この身体に流れゆくは
気高きこの御国の御霊
さぁいざゆかん
日出づる国の 御名の下に
どれだけ強き風吹けど
遥か高き波がくれど
僕らの燃ゆる御霊は
挫けなどしない
胸に優しき母の声
背中に強き父の教え
受け継がれし歴史を手に
恐れるものがあるだろうか
ひと時とて忘れやしない
帰るべきあなたのことを
たとえこの身が滅ぶとて
幾々千代に さぁ咲き誇れ
さぁいざゆかん
守るべきものが 今はある
どれだけ強き風吹けど
遥か高き波がくれど
僕らのたぎる決意は
揺らぎなどしない
どれだけ強き風吹けど
遥か高き波がくれど
僕らの燃ゆる御霊は
挫けなどしない
僕らのたぎる決意は
揺らぎなどしない
ソングライター: Yojiro Noda
HINOMARU 歌詞 © Universal Music Publishing Group
アーティスト: RADWIMPS
リリース: 2018年
他局のサッカーワールドカップの応援ソングはどうなっているのかなと思っていたら、TBSラジオ、荻上チキの番組で2人のゲストを呼んでそれらを検証していました。とてもおもしろい企画でした。取り上げられた曲も紹介しておきましょう。
●2018.6.14 木曜日
【音声配信】「RADWIMPS、ゆず、椎名林檎・・・J-POPにも登場!?『愛国ソング』~その傾向と対策」辻田真佐憲×増田聡×荻上チキ▼2018年6月13日放送分(TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」22時~)
M1 「HINOMARU」 / RADWIMPS
M2 「にっぽんぽん」 / 味噌汁‘s
M3 「ガイコクジンノトモダチ」 / ゆず
M4 「愛國者賦」 / 鐵槌
M5 「凶気の桜」 / K DUB SHINE
M6 「オレたちの大和 / 般若
M7 「ライフタイムリスペクト」 / 三木道三
M8 「陽は、また昇る」 / アラジン
M9 「NIPPON」 / 椎名林檎
M10 「君が代」 / ピチカート・ファイブ
はてさて話は飛びますが、昨日は6月23日(土)、沖縄慰霊の日でした。テレビから流れてくる中学3年生の「生きる」という詩の朗読(実際は暗唱していました)が私の心に届いてきました。沖縄という土地に根ざした、等身大の女子中学生の叫びでした。私たちは、彼女にどう応えれば良いのでしょうか。
■沖縄慰霊の日
平和の詩「生きる」全文
沖縄県浦添市立港川中学校 3年 相良倫子
私は、生きている。
マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、
心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、
草の匂いを鼻孔に感じ、
遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。
私は今、生きている。
私の生きるこの島は、
何と美しい島だろう。
青く輝く海、
岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、
山羊の嘶き、
小川のせせらぎ、
畑に続く小道、
萌え出づる山の緑、
優しい三線の響き、
照りつける太陽の光。
私はなんと美しい島に、
生まれ育ったのだろう。
ありったけの私の感覚器で、感受性で、
島を感じる。心がじわりと熱くなる。
私はこの瞬間を、生きている。
この瞬間の素晴らしさが
この瞬間の愛おしさが
今と言う安らぎとなり
私の中に広がりゆく。
たまらなく込み上げるこの気持ちを
どう表現しよう。
大切な今よ
かけがえのない今よ
私の生きる、この今よ。
七十三年前、
私の愛する島が、死の島と化したあの日。
小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。
青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。
草の匂いは死臭で濁り、
光り輝いていた海の水面は、
戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、
燃えつくされた民家、火薬の匂い。
着弾に揺れる大地。血に染まった海。
魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。
阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。
みんな、生きていたのだ。
私と何も変わらない、
懸命に生きる命だったのだ。
彼らの人生を、それぞれの未来を。
疑うことなく、思い描いていたんだ。
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。
仕事があった。生きがいがあった。
日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。
それなのに。
壊されて、奪われた。
生きた時代が違う。ただ、それだけで。
無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。
摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。
悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。
私は手を強く握り、誓う。
奪われた命に想いを馳せて、
心から、誓う。
私が生きている限り、
こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。
もう二度と過去を未来にしないこと。
全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世
界を目指すこと。
生きる事、命を大切にできることを、
誰からも侵されない世界を創ること。
平和を創造する努力を、厭わないことを。
あなたも、感じるだろう。
この島の美しさを。
あなたも、知っているだろう。
この島の悲しみを。
そして、あなたも、
私と同じこの瞬間(とき)を
一緒に生きているのだ。
今を一緒に、生きているのだ。
だから、きっとわかるはずなんだ。
戦争の無意味さを。本当の平和を。
頭じゃなくて、その心で。
戦力という愚かな力を持つことで、
得られる平和など、本当は無いことを。
平和とは、あたり前に生きること。
その命を精一杯輝かせて生きることだということを。
私は、今を生きている。
みんなと一緒に。
そして、これからも生きていく。
一日一日を大切に。
平和を想って。平和を祈って。
なぜなら、未来は、
この瞬間の延長線上にあるからだ。
つまり、未来は、今なんだ。
大好きな、私の島。
誇り高き、みんなの島。
そして、この島に生きる、すべての命。
私と共に今を生きる、私の友。私の家族。
これからも、共に生きてゆこう。
この青に囲まれた美しい故郷から。
真の平和を発進しよう。
一人一人が立ち上がって、
みんなで未来を歩んでいこう。
摩文仁の丘の風に吹かれ、
私の命が鳴っている。
過去と現在、未来の共鳴。
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。
命よ響け。生きゆく未来に。
私は今を、生きていく。
(毎日新聞2018年6月23日)
〔追記〕
「リテラ」というサイトを愛読しています。下記のような記事が目白押しです。
■サッカーW杯・各テレビ局のテーマソングを徹底比較
RADWIMPSとは真逆なSuchmosのNHK・W杯ソング! 愛国に絡め取られず「血を流さぬよう歌おう」「武器は絶対にもたない」2018.06.19
当日、昼の1時前に劇場に入りました。日本演劇教育連盟常任委員研究部の小山内徳夫さんが劇場の客席の中央に陣取っていました。毎回太陽劇団公演では写真を撮っているということでした。すでにスタンバイという風情です。
太陽劇団の公演に先立ち、武蔵村山市立第三中学校演劇部の『船出の時』が上演されました。午後1時から30分ほどでした。実にパワフルでエネルギッシュ、好感の持てる舞台でした。後でわかったことですが、出演者はすべて中学1年生で、まだ発足したばかりの演劇部だったのです。中学生はみんな演じることが大好きということが手に取るように伝わってきました。
当日のパンフレットを紹介しましょう。作・指導の城戸美佳さんは演劇部顧問で、この後の『デゴイチ2018』に主役のデゴイチで出演していました。彼女は新進の若手教師で、それこそ「実にパワフルでエネルギッシュ」でした。彼女の熱気が中学生に伝播しているとしかいいようがありません。
そしてサプライズのじいちゃん役は正嘉昭さんでした。
■武蔵村山市立第三中学校 演劇部 『船出の時』作・指導 城戸美佳
●演出助手の言葉 1年 山田碧月
私たち三中演劇部は今年新しくできた部活です。部員は全員1年生なので、仲が良くみんなで楽しく部活動に参加しています。今回の劇でも、部員同士の距離が近いため対立してしまうこともありましたが、全員で意見を出し合い、それを聞き合うことで、自分たちの力で解決し、互いの力を高め合ってきました。みんなで仲良く協力して劇づくりを進めてきたことで、部全体のレベルアップも達成できたと思います。三中演劇部の仲の良さがあって作り上げることができた舞台です。この部活だからこそ成長してこられた私たちの仲の良さを感じながらご覧いただきたいと思います。
●作者の言葉 顧問 城戸美佳
この作品は、「自立」をテーマに書き下ろした新作です。初めて子供たちだけで、父ちゃんを見つけるべく船を出す、湊たち。大冒険には、予期せぬ出来事がつきもの。船の上で起こるさまざまな出来事を通して成長する中学生の姿を描きました。今年できたばかりの部活動で、今回出演する生徒は全員1年生です。しかし、彼らは学校生活や部活動を通して、確実に成長し、自立をしていこうと努力をしています。その大きな成長の過程を、この作品を通して皆さんに伝えられたら嬉しく思います。
今回は、劇のテーマと同じように、自分たちで意見を出し合ってーつの作品を作り上げることを目標に、劇づくりに取り組みました。演出助手の山田さんをはじめ、多<の生徒が自主的・主体的に劇づくりに臨む姿に、部員たちの成長を感じています。今こそ、三中演劇部の『船出の時』です!どんなことも、強い絆と自分たちの力で乗り切っていく大冒険の物語を、ぜひお楽しみください。
そしていよいよ、ところざわ太陽劇団『デゴイチ2018』です。私は初見でしたが、中学生のためにつくった劇団主宰の正さんの作品で、今までに何回も上演しているそうです。
ここでまた配布されたパンフレットを覗いてみましょう。
■第63回所沢市文化祭参加、ところざわ太陽劇団・第45回公演『デゴイチ2018』
●チラシのリード
1970年、埼玉県日市にあった駄菓子屋を舞台に、
友情と将来の不安が交錯する中学生たちのひと夏の物語。
主人公のデゴイチは、学校にも家にも居場所がない中学三年生。
デゴイヂは、ある日、見慣れない町の駄菓子屋の店先で目を覚ます。
不良仲間の使いっぱなしに嫌気がさしたデゴイチは、
駄菓子屋で出会った面白おかしい人たち、店のおばちゃん、
同学年で他校生の山さんとマチコに心癒されるのだが……。
【キャスト】
バット喜界島 赤江瞭 城戸美佳 たいまる 土屋崇仁
麻婆太郎 江梨いづみ 原田昌幸 小町子
【スタッフ】
演出:正嘉昭 制作:伊藤行雄 舞台監督:中村一文 照明:蓮沼元宏
音響:光延朋哉 宣伝美術:宮内一敏・正嘉人
●演出のことば
正嘉昭(演出家・日本女子大学客員研究員・前所沢市文化芸術振興ビジョンアドバイザー)
『デゴイチ』は、私が中学教員だった頃、中学校演劇のために書き下ろした脚本です。
地区大会から都大会での発表を経て、全国大会で多くに人々に観ていただいた作品で
すが、他の中学校や高校や大学でも上演された、親しみやすい雰囲気のドラマです。
ところざわ太陽劇団でも2006年、2010年、2015年と舞台化してきました。
そのつどその時々の想いを入れて書き直してきましたが、今回の2018年版も、新たな場
面を加えて「現代化」を施しました。
どんな中学生のデゴイチたちが皆様の前を飛翔するか、ごゆっくりお楽しみください。
あわせて中学1年生だけの武蔵村山三中演劇部の新作『船出の時』をお楽しみください。
ところざわ太陽劇団は正さんが主宰していますが、同世代の伊藤行雄さんが盟友といってもいい存在で、常に活動を2人で担ってきました。この劇団で一番感心するのは、常に温かい劇空間を創り出していることです。演劇を通してそれぞれ参加者が成長していく創造団体なのです。劇団そのものが演劇教育そのものを実践し体現しているかのようです。そしてそれを温かく見つめる観客がまた素晴らしいのです。家族的な雰囲気を漂わせた劇空間を常に保っています。
演劇教育の代表的な実践者・研究者として正嘉昭さんは間違いなく歴史に名前が残る人です。存命なら副島功さんが手がけることなのでしょうが、時代を併走してきた私は遠からぬうちに正嘉昭論をものにしたいと思うのです。彼の劇は1980年の全国演劇教育研究集会上演の『しらけ仮面』が初見ですが、1995年演劇教育賞受賞『閉じこもりし者』、『ザ・ライオン』などが特筆されるのです。
そして、同世代の並び立つ演劇教育の巨人として故・渡辺茂、梶本暁代を抜かすわけにはいきませんので、渡辺茂論、梶本暁代論もいずれ手がけたいと思っているのです。
*彼らの仕事については、渡辺茂追悼を本ブログ〔101〕に掲載したことがありました。劇団X探偵社は現在も活動中です。
2,3年前にプレーヤーを買い換えて、LPを掃除しながら時たま聴いているのが五つの赤い風船(2枚)です。どれもこれも名曲ばかりですが、ここでは第一集だけ紹介しましょう。
「遠い世界に」は日本の国歌にしても良いと今でも思っています。
●五つの赤い風船(第一集)
1. 遠い世界に
2. 遠い空の彼方に
3. 血まみれの鳩
4. もしもボクの背中に羽根が生えていたら
5. 一つのことば
6. 恋は風に乗って
7. まぼろしのつばさと共に
8. 時計
9. 母の生まれた街
10. まるで洪水のように
11. 青い空の彼方から
12. おとぎ話を聞きたいの
新結成された五つの赤い風船を時折テレビで放送するのですが、何かサウンドが物足りないのです。ボーカルの青木まり子は確かに歌はうまいと思いますが、かつての五つの赤い風船とは何かが違うのです。70年安保時代の風が感じられないとでもいうのでしょうか。それもそのはず、一貫してグループの中心は西岡たかしですが、他のメンバーは随分代わっているのです。
●五つの赤い風船(いつつのあかいふうせん)は、日本のフォーク黎明期に現れたフォークグループ。1967年結成、1972年解散。1979年二度のライブのためだけに再結成。2000年再結成。数多くのヒットを出し、若者に絶大な人気を得た。 現在も全国でコンサートやイベントで活躍中 なお「五つの赤い風船'75」(1975年結成1976年解散)のメンバーやアルバムもこの項目に記しているが、事実上別グループである。(ウィキペディア)
五つの赤い風船は西岡たかしの作詞・作曲と西岡と藤原秀子のハーモニーでもっていると考えています。とりわけ哀愁を帯びた独特の節回しの藤原のボイスは欠かせません。でもなぜか、彼女はグループから離れるのです。
調べてみると、彼女がソロ・アルバムを1枚だけ残していることが分かりました。1971年、解散前年のことでした。どうしてもこれを聴きたいと思い、ネットで探したのですが、うまくヒットしませんでした。そこでアマゾンで購入に及んだというわけです。
■ 藤原秀子「私のブルース」
CD (2015/7/29) レーベル: グリーンウッド・レコーズ 収録時間: 64 分
五つの赤い風船の紅一点ヴォーカリスト、藤原秀子がURCに残した唯一のソロ・アルバム。その独自の音楽性は、ファンの間でも根強い支持を受けている。ソロ作ではあえて西岡たかしの手から離れ、元ジャックスの木田高介、赤い風船の東祥高のサウンドに身を任せている。五つの赤い風船とはまたひと味違い、彼女のクールな側面が強調されている。まさに隠れた名盤のひとつ。今回は、71年のフォーク・ジャンボリーの音源(未発表曲を含む)や、風船リサイタルのソロ曲など、7曲の貴重な音源をボーナス・トラックとして収録。
〔 曲目リスト〕
1. いつかはこの世も
2. 去りゆくものは
3. お前なんか
4. 別れ
5. 愛ある世界へ
6. 二人で歩けば
7. 私に電話を下さいネ
8. 一番星見つけた
9. 私のブルース
10. 明日に続く道
11. 私の唄
12. 私の大好きな街 (ボーナス・トラック)
13. 遠い世界に (Live) (ボーナス・トラック)
14. そんな気が (Live) (ボーナス・トラック)
15. 時の流れを (Live) (ボーナス・トラック)
16. 青い鳥 (Live) (ボーナス・トラック)
17. どこかの星に伝えて下さい (Live) (ボーナス・トラック)
18. 一番星見つけた (Live) (ボーナス・トラック)
「今までの私の唄はわりと沈みがちな唄が多かったと思う。それと同時に私の心も沈んで行くような気がして…。それでこのLPでは、今までなかった明るい面をみなさんに知ってほしくて(また私の心をはらすためにもと思って)私なりに明るい唄をつくりたかったんです。」とCDにコメントを残しているのですが、全編を通して聴いてみると、彼女の短調的な色調は変わらないという印象でした。おそらくそれが何物にも代えがたい彼女の魅力であり個性なのでしょう。
18曲のなかで、五つの赤い風船第二集にある「一番星見つけた」(藤原秀子作詞・作曲)が秀逸でした。さらに未発表の「青い鳥」(作詞・作曲者不詳)は完成度も高く、心がしびれました。でもこれは西岡が関わっていると音楽素人の私は大胆にも断定してしまうのです。
武本比登志という方のブログに次のような記述を発見しました。かつては音楽を志し、現在は美術家であるそうです。
〔フー子ちゃんは「あの頃の関西フォークは左翼思想の人たちのもので、私には戦争がどうのこうのは歌えない。」と言う話をしだした。それが『五つの赤い風船』を抜けた理由と言いたかったのだろう。〕
さらにブログは次のように続いています。東祥高氏とは元・五つの赤い風船のメンバーで彼女のお連れ合いになります。お子さんが2人いたということですが。
〔東祥高氏は2012年10月3日に。フー子ちゃん(東秀子)はその1年後、2013年11月29日に亡くなっていた。〕
藤原秀子さんは大阪の藤原紡績のご令嬢だったということをどこかで読んだ記憶があります。庭にはプールもあったとか。そんな彼女がなぜフォークソングだったのか、そして、多くの人を虜にできたのか、興味は尽きません。
このあたりの事情については次の本に書いてあるのでしょうか。
久しぶりに五つの赤い風船を聴いて青春がよみがえりました。
■『五つの赤い風船とフォークの時代』なぎら 健壱、アイノア、269ページ、2012/7
〔「BOOK」データベースより〕
西岡少年がギターを手にして55年。五つの赤い風船結成から45年。日本のフォーク黎明期から終焉まで、著者自身の持つ膨大な資料と西岡たかしなどへの数回に渡るロングインタビューにより解き明かされる。日本フォーク史の決定版。未発表写真も掲載。
30数年前、我が家は狭山市から清瀬市に引っ越してきました。息子は丁度小学1年生、娘が保育園年少の時でした。娘は、公立の保育園の空きがなく、できたばかりの私立の野塩保育園(現在は、のしお保育園)に入園することになったのです。
入園説明会に参加したとき、当時の園の理事長さんが、「この保育園は健常の子も障害のある子も受け入れます。」と話されていたのが印象に残っています。自由な感じが漂う、とても親しみやすい保育園で、すぐに気に入りました。親として協力できることがあれば何かしようと思い、保護者会の役員に立候補しました。男性役員は会長と広報担当の私だけでした。当時はガリ版を切っての保護者会の会報づくりでした。
お迎えに行くと子どもたちは裸足でトランプをしたり、走り回っていて、テレビに子守をさせるということはありませんでした。用務の「おっちゃん」が子どもたちには大人気でした。当時としては珍しかったようですが、若くてたくましく長身の男性保育士も働いていました。
拙著『男の家庭科先生』(1989年)が出版された頃、保護者や保育士を対象の講演会を園で開いてくれました。娘がとっくに卒園してからのことです。
娘が芸術大学を出たことを知って、連絡帳の手編みの小物入れを注文してくれたこともありました。
のしお保育園は、清瀬市にもう一園、練馬区にさらに一園、同系列の保育園があります。私に、三園の第3者委員になってほしいという依頼がありました。昨年から就任することになりました。しかしながら、一年以上「苦情」処理というような問題は発生しませんでした。
2017年7月20日、のしお保育園で約1時間のコンサートが開催されました。チェロを弾く人2人とピアニスト1人のセッションです。
鎌田愛さんは東京学芸大学の音楽科を出て、トゥールーズの音楽大学に留学したそうです。フランスでフランス人と結婚して3人の子どもを授かりました。パリ在住です。夏休みに3人をつれて日本に帰省したときに、3,4週間、のしお保育園が面倒を見てくれたということです。一番下のノエちゃんは現在小学生ですが、長年のお礼の意味を込めてコンサートを開くことになったということです。ノエちゃんはパリでチェロを習い、賞を取る腕前です。しおりさんは若いプロのチェリストで、チェロを教える先生です。ノエちゃんも生徒のひとりということになります。そしてお母さんの愛さんがピアノを弾きます。
開演少し前に園に着くことができました。裸足が気持ちいい、清潔で小さなホールです。小学校の教室ほどの広さでしょうか。
3人が音合わせしている最中に、小さい子たちが入室してきました。みんなお行儀が良くて、話もしないで床に座り込んでいます。正座の子が多いのにはびっくりです。次の子たちから自分の椅子を抱えて入場です。子どもたちが全部で4,50人でしょうか。後ろには10名ほどの大人の席があります。
園長先生の「初めのことば」が実に穏やかな語りで、すっと心に入ってきます。
愛さんの曲や楽器の解説を交えての演奏会が始まりました。園児が知っている曲では、自然に子どもたちのからだが揺れてきます。3人のセッションは実に見事でした。
小さいときにこうした素敵な音楽を聴く機会があるというのはまことに貴重なことです。
プログラムは以下のとおりです。
*オープニング・トトロのさんぽ(しおり・ノエ)
●ノエのソロで
・シューベルト・鱒
・ポッパー・ガボット
・キュイ・オリエンタル
●ノエとしおりさんのデュオで
・五木の子守歌
・ウェーバー・狩人の歌
・チャイコフスキー・古いフランスの歌
●しおりさんのソロで
・バッハ・無伴奏1番プレリュード
・チャイコフスキー・感傷的なワルツ
・チャイコフスキー・メロディー
・サンサーンス・白鳥
・美女と野獣
*エンディング・星に願いを (しおり・ノエ)
心地よい調べを耳にしているうち、あっという間にコンサートは終了してしました。
最後は花束贈呈と、園長先生の終わりのことばでした。
そうそう、愛さんは、下掲の翻訳もこなしている方です。
■『日本、ぼくが愛するその理由は』ジャン=フランソワ・サブレ著、鎌田愛訳、七つ森書館、2007年
〔オビ〕
この本には日本への熱い想いがあふれている。日本社会の理不尽さをも知りつくした、社会学者で日本専門家のジャン=フランソワ・サブレが語る、彼を魅了してやまない日本の人びとの懐の深さと「やさしさ」。(「ル・モンド」日本特派員、フィリップ・ポンス)
からだが心でいっぱいになるラブレター。
私たちがどこかに置いてきてしまった大切なもの。
*ジャン=フランソワ・サブレ
1946年、フランスのベリー地方に生まれる。フランス国立科学研究庁(CNRS)研究員。パリ人間科学会館(MSH)内アジアネットワーク代表。1990年CNRS日本支部を開設、1996年まで所長。同期間に国営ラジオ、フランス・アンテールの日本特派員も兼任。
*鎌田愛
1970年、東京生まれ。東京学芸大学教育学部音楽科卒業。1997年、トゥールーズ第2大学大学院音楽学部修士課程修了。2002年、パリ第5大学大学院教育学部修士課程(DEA)修了。同大学院博士課程中退。現在パリ在住。アジアネットワーク勤務。