●福田さま
柳原です。
依然、猛暑が続きますが、コロナ禍のもと、その後、いかがお過ごしでしょうか。
今年5月、福島県が原発事故の自主避難者に国家公務員宿舎から出て行けと提訴した「避難者追出し裁判」に参加することになり、
https://seoul-tokyoolympic.blogspot.com/2021/05/blog-post_18.html
この夏、福島県の追出しに理由がないことを国際人権法から主張する書面を作成する中で「人権」を発見する経験をし、その経験を通じ、それまでずっと、法律と最も無縁だと思ってきた自分が法律家になった意味が初めて分かった経験をしました。
孔子は15で学に志し、30で立ち、50で天命を知ったそうですが、私は、この夏、70にして学に志し&立ち&天命を知るを同時多発で経験したような感じです。
自分が法律家になった意味を発見した以上、この発見に忠実に、新米法律家として学に志し&立ち&天命を知るに励みたいと思います。
以下、新米法律家として、ささやかな抱負を述べたものです。
今後ともよろしくどうぞ。
311から十年、新米法律家のスタート(2021.8.22)
https://copylawyer.blogspot.com/2021/08/blog-post.html
久しぶりに鎌田慧さんのコラムをどうぞ。
◆8月、希望の出発
沈思実行(66) 鎌田 慧
8月は傷痕と希望の月。大量虐殺の極限として原発投下と遅すぎた
敗北宣言。傷だらけの平和だったが、希望の出発の月でもあった。
国民学校(小学校)一年生だった私は、その日の眩しい青空の記憶
を、平和憲法の記憶を、平和憲法の精神として生きてきた。
いま、「敗戦の誓い」を自民党は地に捨てようと執拗な攻撃を加えて
いる。自衛隊の海外派遣と武器使用基準の緩和。集団的自衛権に
よって、日本は米軍の戦争に引きずり込まれそうだ。米軍の支配下に
ある米日合同訓練が、活発化している。
戦争の最前線にいるのが、、海軍労働者である。海員組合の人たち
は、安保法制は違憲として裁判をつづけている。戦争に巻き込まれた
り、海賊にねらわれたりしながらも、「平和愛好国」の船として攻撃を
免れてきた。
「1980年代のイラン・イラク戦争の只中、日本の船は中立国の証
として甲板と船側に大きく日の丸を描いてペルシャ湾の奥深く入り、
両当事国から原油や貨物を積み出しました。日本政府は、各国の政府・
現地大使館・商社・代理店と綿密な連絡をとりながら、一隻ごとに
進路や通過時間の決定に協力しました」
(竹中正陽「海軍は平和な海なくして成り立たない」『羅針盤』を
発行する会、2021年7月20日号)。
この結果、無法な爆弾によって世界中で407隻が被弾し、333名が死亡
したのだが、日本船の被害は12隻、死者は2名にとどまった。日本が
イラン・イラク両国ともに友好国だったからだ。
戦争はしない、という海外にむけての外交努力が、船員労働者の命を
守ってきた、と竹中さんは書いている。
しかし、集団的自衛権によって「紛争国」になると、どうなるか。
日本が運航する2500隻以上の外航船、2千人弱の日本人船員と日本
企業に雇用されている6万人の外国人船員の命が危うくなる。
まして、海外からの物質の輸入に依存している日本社会は、立ち
行かない。
それでも、米軍とともにまた戦争をはじめるつもりなのか。
自民、公明共謀政府は。
(8月17日「週刊新社会」8面(沈思実行)より)
◆カジノ政治の終焉 鎌田 慧(ルポライター)
東京五輪がコロナ感染者を激増させたのはまちがいない。地域の
ひとびとの年に1回、伝統的な古里の祝祭を「健康と命を守る」ために
涙をのんで中止し続けているのを尻目に、菅首相は「世界の国々に
対する義務」と嘯(うそぶ)いて決行。終わってみれば日夜、全国2万人
の感染者。そして今日、パラリンピックの開会式。
コロナ陽性、症状が悪化しても自宅療養。まるで無医村の医療逼迫。
救急車も来ず、死の淵での自助努力を強いられるひとがふえている。
20、30代に感染者が続出したのは、オリンピックという名の「国家的
祝祭」を、NHKはすべてのチャンネルで、朝から深夜まで垂れ流し、
コロナウイルスの警戒心を緩めたからだ。民放、一部の新聞も又
無反省だった。
さらにパラリンピックでは、東京都と近郊の小中高校生の集団観戦が
おこなわれるという。信じがたい教育委員会の決定、まるで学徒動員だ。
「オリ・パラ」は安倍前首相の福島原発事故払拭の野望から始まり、
菅首相のGOTOトラベルと東京五輪強行で感染爆発。それでも懲り
ないパラリンピックの強行。小池都政の「観戦プログラム」は、さらに
感染者を拡大させる政策だ。
現実を直視しない、希望的観測を専(もっぱ)らとする政治は危険だ。
自己チュウ、賭博性、カジノ政治。
菅首相は自己本位で、あまりにも人の命に無頓着だ。
(8月24日東京新聞朝刊25面「本音のコラム」より)