47日間のドイツ・オーストリア中心の旅行の報告を何から始めようか考えていましたが、やはりファイト・シュトースの写真集をいただいたことと、その本によってその後の旅行行程が変わってしまったということを書かなければなりません。
ファイト・シュトースはご存じの人も多いと思いますが、ティルマン・リーメンシュナイダーのライバルとして高名で、常にこの二人は対比して取り上げられます。私たちが後期ゴシック彫刻のバイブルにしていたイギリスのマイケル・バクサンドールの著書の題名が『彫刻家の芸術-ティルマン・リーメンシュナイダー、ファイト・シュトースと同時代の作家たち』です。私たちの共著も『結・祈りの彫刻-リーメンシュナイダーからシュトース』という題名にして、リーメンシュナイダーとシュトースを彫刻家の代表格にしました。バクサンドールの本についてはこの本の109ページに取り上げました。
シュトースの作品は福田緑写真集Ⅲ巻に2作品、Ⅳ巻にも2作品、そして最新Ⅴ巻には祭壇画も含めて4作品、さらに「大罪を犯した巨匠」として福田緑が紹介しています。
日本ではシュトースについての単著はありませんが、ネットで調べたところドイツでは多くの写真集や評論集が発行されています。ただあまりに古い本でありながら高額になってしまうので今まで購入を見送ってきました。
ところが、今回の旅の中で予期せぬことが起こりました。ドイツの臍とも呼ばれるアイゼナッハにエルケさんを訪ねたのはお連れ合いのウヴェさんのお墓参りをすることが目的の1つでした。その後彼女の新居に招待されました。9月19日(月)のことでした。
エルケさんは世界遺産ヴァルトブルク城で来訪者を案内する仕事をしていました。そこで緑と出会うことになりました。リーメンシュナイダーの作品を撮影するためにエルケさんが便宜を図ってくれて、係の人・ミヒャエルがガラスケースから取り出してくれたのです。それ以来交流が続いているのです。
お茶を飲みながら話をしていたら彼女がおもむろにファイト・シュトースの写真集を私に差し出したのです。私がしばしばネットで見ていた本でした。
◆『ファイト・シュトース』(Gottfried Sello 文 Albert Hirmer写真、32×27㎝、前半文章39ページ、後半写真179ページ、1988年)
私が興味深げにページを繰っていると、彼女は本をくださるというのです。「古い本ですけど…」というのですが、とても綺麗な本でした。
内容を見てびっくりしました。シュトースの作品が網羅されているではありませんか。緑の写真集の掲載作品はもちろんすべて、今回写真集に苦労して掲載した祭壇画も未掲載の版画も掲載されていました。そしてなにより、シュトースの最高傑作といわれているクラクフのマリア祭壇(Ⅴ巻に掲載努力をしたのですが教会と連絡がとれませんでした)の細部まで実に鮮明に撮影されているのです。個性豊かな人物が彫り込まれていてその力量を改めて認めないわけにはいきませんでした。ここはリーメンシュナイダーとの対比を田川建三さんに伺いたいところです。私は1度、緑は2度クラクフに足を運んでいるのですが、教会内が薄暗かったり祭壇が遠かったりではっきりとは見えませんでした。
さらに磔刑像が5点網羅されていました。クラクフのマリア教会、ニュルンベルクのゲルマン博物館、聖ロレンツ教会、聖ゼバルドス教会、ブルクカペレとどれも個性的です。マリア教会と聖ロレンツ教会の作品が秀逸です。
この本の「出現」によって旅行の行程が若干変化しました。
9月22日(木)、私たちは世界遺産の都市バンベルクにいました。
最新写真集第Ⅴ巻の表紙は念願叶ってリーメンシュナイダーの代表作「皇帝ハインリッヒⅡ世と皇妃クニグンデの石棺彫刻」を掲載することを許されました。さらにリーメンシュナイダーと工房作「いわゆるリーメンシュナイダー祭壇」、シュトースの「マリア祭壇」なども同時掲載許可をいただきました。
しかし、今回最も期待していたのが初めてのドーム博物館見学でした。ここにシュトースの8人の聖人群像「マリア祭壇」が眠っていました。その存在はある資料で知っていてそれを見に赴いたのですが、どんな像かはわかっていませんでした。それがなんといただいたシュト-スの写真集に掲載されていたのです。博物館の一番奥にこの像がありました。小品ですがその彫りは素晴らしいものでした。
さらに9月29日(木)、ニュルンベルクのゲルマン国立博物館、聖ロレンツ教会、聖ゼバルドゥス教会と巡り、広大な聖ヨハニス墓地に向かいました。ここにはシュトースの墓があるのです。デューラーの墓はしっかり表示もされていたのですぐにわかったのですが、シュトースの墓を見つけるのに小1時間かかってしまいました。
さらにさらにこの墓地の一角に小さな教会があって、アダムクラフトの群像があるはずなのです。無人の教会をぐるっと外から巡ってみると、内部が見える小窓がありました。そこからしっかり作品が見えるではありませんか。
気をよくしてさらにカイザーブルクに足を伸ばしました。ここにシュトースの磔刑像があるはずなのです。ようやくブルクカペレを特定して磔刑像を発見し、綱の手前でルールを守って撮影していたのですが、職員になにやら大声で叱責されて不快な思いをさせられました。ドイツではあまりないことでしたので、その時は落ち込んでしまいました。
私たちのシュトースの旅はまだまだ続きそうです。クラクフでは墓碑とレリーフと磔刑像、フィレンツェでは聖ルーカス像とヨーロッパを縦横に巡ることになりそうです。