後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔121〕30数年を経て、レヴィ・ストロース「初めの一歩」です。

2016年12月28日 | 図書案内
 西部勇さんは私の新卒時の同僚で、数歳年上の「畏友」といってもいい存在です。1972年、北区の滝野川第六小学校の教師として赴任したとき、彼も同じ年に転勤してきた事務職員でした。博識・博学の彼とは妙に気が合い、事務室でコーヒーをごちそうになりながら、社会情勢を始め、哲学・文学・教育などの話を交わすことになるのです。
 私が4年で転任してからも、時々思い出したように電話をいただいたりして、かれこれ40年以上交流が続きました。11月の末に久しぶりに数時間に及ぶ「喫茶店対談」が実現しました。お互い数冊の図書を抱えての話しあいでした。その時に西部さんが持ってきた1冊が、『サンタクロースの秘密』(クロード・レヴィ=ストロース、中沢新一訳、解説、せりか書房、1995年)でした。この本は今年、『火あぶりにされたサンタクロース』(角川書店)として改訂版が出版されています。
  レヴィ・ストロースの本は恥ずかしながら1冊も読んだことがありませんでした。でも名前だけはかすかに記憶していたのです。西部さんからいただいた本の1冊がストロースの著作だったのです。そして、帰ってからさっそくこの本を読んだのです。
・『構造・神話・労働』クロード・レヴィ・ストロース日本講演集、大橋保夫編、みすず書房、1979年
 ちなみに、彼からは他にも何冊かいただいた本があるのです。その本は特に「教育」を考えるときに大いに役立ったものでした。

・『限界芸術』鶴見俊輔、講談社文庫、1976年
・『法廷にたつ言語』田中克彦、恒文社、1983年
・『資本制と家事労働』上野千鶴子、海鳴社、1985年

  こんな偶然があるのでしょうか。12月のNHK「100分de名著」は、ストロースの『野生の思考』でした。これは中沢新一さん解説で、とても充実した興味深い番組でした。内容とその趣旨についてはNHKHPから引いてみましょう。

□NHK「100分de名著」2016.12 「野生の思考」(HPより)
第1回 12月5日放送 「構造主義」の誕生
第2回 12月12日放送 野生の知財と「ブリコラージュ」
第3回 12月19日放送 神話の論理へ
第4回 12月26日放送 「野生の思考」は日本に生きている

●プロデューサーAのおもわく(NHK・HPより)
 「悲しき熱帯」「神話論理」等の著作で知られ、「二十世紀最大の人類学者」と呼ばれるフランスの文化人類学者レヴィ=ストロース(1908~2009)。構造主義という全く新しい方法を使って、未開社会にも文明社会に匹敵するような精緻で合理的な思考が存在することを論証した代表作が「野生の思考」です。しかし、これは単に文化人類学の研究書ではありません。現代人たちが陥っていた西欧文明を絶対視する自文化中心主義を厳しく批判し、「人間の根源的な思考」を明らかにしようとした野心的な著作でもあるのです。「100分de名著」では、この「野生の思考」から現代に通じるメッセージを引き出していきます。
 レヴィ=ストロースは、社会学教授として赴任したブラジルで人生を一変させるような出会いをしました。調査で出会ったアマゾン川流域の先住民族たち。そこには、想像もしなかった豊かな世界がありました。友人のヤコブソンに言語学を学ぶ中で、あらゆる現象を言語学的構造から解明する「構造主義」という方法を手にした彼は、先住民たちの習俗や儀礼、神話の数々が決して野蛮で未熟なものではなく、極めて精緻で論理的な思考に基づいていることを発見します。彼はそれを「野生の思考」と呼びました。
 それだけではありません。未開民族の思考を「前論理的」だとする見方は西洋近代の「科学」にのみ至上権を置く立場からの偏見でしかないといいます。幅広いフィールドワークと民俗誌の渉猟の果てに、「野生の思考」こそ科学的な思考よりも根源にある人類に普遍的な思考であり、近代科学のほうがむしろ特殊なものだと結論づけ、「精密自然科学より一万年も前に確立したその成果は、依然としてわれわれの文明の基層をなしている」と喝破したのです。
 人類学者の中沢新一さんは、この「野生の思考」が現代にあって、科学的思考と共存しながら、日常世界の中で作動し続けているといいます。あるいは芸術創造の中に、あるいはサブカルチャーの中に、あるいは最先端のIT技術の中に、生き生きと「野生の思考」は脈動しているのです。その思考の基本構造を目にみえる形で取り出した「野生の思考」は、私たちが自らの文化の可能性を切り開く上で示唆に富むといいます。
 西欧近代の科学や合理性に呪縛され、自然と文化の間を厳しく分離する思考法に慣らされてしまった私たち現代人。レヴィ=ストロースの著作を深く読み解くことで、自然と文化のインターフェイス上に働いているとされる「野性の思考」を復権し、私たちの社会のあり方や文明のあり方を見つめなおす方法を学んでいきます。

 さて、ストロースについて、手っ取り早く調べてみることにしました。

●クロード・レヴィ=ストロース(Claude Levi-Strauss、1908年11月28日 - 2009年10月30日)は、フランスの社会人類学者、民族学者。出身はベルギーの首都ブリュッセル。コレージュ・ド・フランスの社会人類学講座を1984年まで担当し、アメリカ先住民の神話研究を中心に研究を行った。アカデミー・フランセーズ会員。
 専門分野である人類学、神話学における評価もさることながら、一般的な意味における構造主義の祖とされ、彼の影響を受けた人類学以外の一連の研究者たち、ジャック・ラカン、ミシェル・フーコー、ロラン・バルト、ルイ・アルチュセールらとともに、1960年代から1980年代にかけて、現代思想としての構造主義を担った中心人物のひとり。
●著作
・ Les structures elementaires de la parente, (Paris, Presses Universitaires de France, 1949)
『親族の基本構造』 青弓社、2000年
・ Tristes tropiques (Paris, Plon(Terre humaine), 1955)
『悲しき熱帯』 中央公論新社、のち中公クラシックス、各・全2巻
『悲しき南回帰線』 講談社学術文庫、全2巻
・Anthropologie structurale (Paris, Plon, 1958)
『構造人類学』 みすず書房
・La pensee sauvage (Paris, Plon, 1962)
『野生の思考』 みすず書房、1976年→NHK「100分de名著」
・Les mythologiques (Paris, Plon, 1964 - 71)
   『神話論理』 みすず書房 全4巻、4巻目は2分冊につき全5冊、2006年-2010年
・Le regard eloigne (Paris, Plon, 1983)
『はるかなる視線』 みすず書房 全2巻
・ Paroles donnees (Paris, Plon, 1984)
『パロール・ドネ』 講談社選書メチエ
・ La potiere jalouse (Paris, Plon, 1985)
『やきもち焼きの土器作り』 みすず書房
・De pres et de loin (Paris, Odile Jacob, 1988)
『遠近の回想』(ディディエ・エリボンとの共著) みすず書房
・Saudades do Brasil (Paris, Plon, 1994)
『ブラジルへの郷愁』 みすず書房/普及版・中央公論新社。写真が主
・Saudades de Sao Paulo (Sao Paulo, Companhia das letras, 1996)
『サンパウロへのサウダージ』 みすず書房、2008年。写真が主
・ L'autre face de la lune. Ecrits sur le Japon (Paris, Seuil, 2011)
『月の裏側 日本文化への視角』 中央公論新社、2014年
・Nous sommes tous des cannibales (Paris, Seuil, 2013)
『大山猫の物語』みすず書房、2016年 (以上、ウイキィペディア)

  ところで、『野生の思考』は、ストロースの著作の中でも最も難解であるという評判の本ですが、5000円以上の大枚をはたいて購入してしまいました。確かに難しい本でした。でも、中沢さんのNHKテキストがとてもわかりやすいので助かりました。

■『野生の思考』クロード・レヴィ=ストロース 訳者:大橋保夫、みすず書房
●端書き(みすず書房HP)
 野生の思考La Pensee sauvageは、1960年代に始まったいわゆる構造主義ブームの発火点となり、フランスにおける戦後思想史最大の転換をひきおこした著作である。
 Sauvage(野蛮人)は、西欧文化の偏見の凝集ともいえる用語である。しかし植物に使えば「野生の」という意味になり、悪条件に屈せぬたくましさを暗示する。著者は、人類学のデータの広い渉猟とその科学的検討をつうじて未開人観にコペルニクス的転換を与えsauvageの両義性を利用してそれを表現する。
 野生の思考とは未開野蛮の思考ではない。野生状態の思考は古今遠近を問わずすべての人間の精神のうちに花咲いている。文字のない社会、機械を用いぬ社会のうちにとくに、その実例を豊かに見出すことができる。しかしそれはいわゆる文明社会にも見出され、とりわけ日常思考の分野に重要な役割を果たす。
 野生の思考には無秩序も混乱もないのである。しばしば人を驚嘆させるほどの微細さ・精密さをもった観察に始まって、それが分析・区別・分類・連結・対比……とつづく。自然のつくり出した動植鉱物の無数の形態と同じように、人間のつくった神話・儀礼・親族組織などの文化現象は、野生の思考のはたらきとして特徴的なのである。
 この新しい人類学Anthropologieへの寄与が同時に、人間学Anthropologieの革命である点に本書の独創的意味があり、また著者の神話論序説をなすものである。
 著者は1959年以来、コレージュ・ド・フランス社会人類学の教授である。

第一章 具体の科学
第二章 トーテム的分類の論理
第三章 変換の体系
第四章 トーテムとカースト
第五章 範疇、元素、種、数
第六章 普遍化と特殊化
第七章 種としての個体
第八章 再び見出された時
第九章 歴史と弁証法

  昨日再び西部さんに時間を作ってもらいました。どうしても話がしたくなったのです。彼への質問をまとめてみました。

*なぜストロースに注目したのか。(『構造・神話・労働』)
*マルクスとサルトルの関係(マルクス主義と実存主義、大杉榮の「生の拡充」、村田栄一の当事者性)
*実存主義とプラグマティズム
*サルトルのストロース批判、ストロースの反批判
*なぜ、いま『火あぶりにされたサンタクロース』なのか。
*野生の思考とラスコー展(国立科学博物館)
*ブリコラージュ(器用仕事、アンリ・ルソー、レシピ料理と冷蔵庫料理…)
*構造主義の現在(親族、トーテミズム、儀礼と神話、労働…)

 この日の「喫茶店対談」も3時間半に及びました。
 次回の日程も決めました。今度は私のリクエストとして下掲のように、再び西部さんにいっぱい語ってもらうつもりです。

●マルクス・ホイジンガ・カイヨワ・吉本隆明・ストロース・鶴見俊輔・上野千鶴子・柄谷行人・田中克彦・廣松渉…すべては「生き方」に繋がっている!

 最後に、いまストロースの著作で一番気になっているのは次の本です。でも高価だからなあ。
*『みる きく よむ』クロード・レヴィ=ストロース (著), 竹内 信夫 (翻訳)、みすず書房、 2005・12


〔120〕日本初のクラーナハ展はなかなか充実していましたよ。

2016年12月22日 | 美術鑑賞
 私たち3人がドイツに飛んだのは、10月12日(水)のことでした。そのわずか3日後の15日(土)から東京上野の国立西洋美術館で開催されたのが、「クラーナハ―500年後の誘惑」という展覧会でした。パンフレットには「日本初、クラーナハの大回顧展。」という字が躍っています。さらに続けて、「ローマ、ロンドン、パリ、ブリュッセルでのクラーナハ展を超える展覧会、ついに日本で開催決定!世界10カ国以上から、クラーナハ作品が日本へ。」となっています。
 数えてみたら12回目のドイツ訪問の私にとって、ドイツのクラーナハはお馴染みの画家なのです。クラーナハは大工房を構えたということもあって、その作品数は数千に上るといわれています。ドイツ国内ではほとんどどこの美術館にもクラーナハ作品は複数存在するのです。
 しかしながら、日本ではこの作家のことはあまり知られていません。紹介のされ方は同時代のデューラーに比べたら雲泥の差です。美術書に登場することも本当に少ない作家です。ドイツの画家は概してそのようなことが言えるようです。フランスの印象派などと比較すれば、その格差は歴然としているのです。
 この展覧会は日本初の回顧展というだけではなく、外国の展覧会をも凌駕するというのですから、本当に嬉しくなりました。
  まずはこの展覧会の概要を見ておきましょう。

■クラーナハ展―500年後の誘惑(国立西洋美術館HP、パンフより)
 ルカス・クラーナハ(父、1472-1553年)は、ヴィッテンベルクの宮廷画家として名を馳せた、ドイツ・ルネサンスを代表する芸術家です。大型の工房を運営して絵画の大量生産を行うなど、先駆的なビジネス感覚を備えていた彼は、一方でマルティン・ルターにはじまる宗教改革にも、きわめて深く関与しました。けれども、この画家の名を何よりも忘れがたいものにしているのは、ユディトやサロメ、ヴィーナスやルクレティアといった物語上のヒロインたちを、特異というほかないエロティシズムで描きだしたイメージの数々でしょう。艶っぽくも醒めた、蠱惑的でありながら軽妙なそれらの女性像は、当時の鑑賞者だけでなく、遠く後世の人々をも強く魅了してきました。
 日本初のクラーナハ展となる本展では、そうした画家の芸術の全貌を明らかにすると同時に、彼の死後、近現代におけるその影響にも迫ります。1517年に開始された宗教改革から、ちょうど500年を数える2016-17年に開催されるこの展覧会は、クラーナハの絵画が時を超えて放つ「誘惑」を体感する、またとない場になるはずです。

 展覧会の構成は以下の通りです。

1蛇の紋章とともに─宮廷画家としてのクラーナハ
2時代の相貌─肖像画家としてのクラーナハ
3グラフィズムの実験─版画家としてのクラーナハ
4時を超えるアンビヴァレンス─裸体表現の諸相
5誘惑する絵─「女のちから」というテーマ
6宗教改革の「顔」たち─ルターを超えて

 さて、「ホロフェルネスの首を持つユディト」(ウイーン美術史美術館)はクラーナハの最高傑作と言われていますが、これも3度ぐらいは見ています。でも帰国してからこの展覧会にはどうしても行きたかったのです。ドイツでも、これだけの作品(91までカウントされています)をまとめて鑑賞できる機会は今までありませんでした。
 かなりの人出だったのは、テレビなどの影響でしょうか。
 テレビでは、NHK「日曜美術館」、BS日テレ「ぶらぶら美術・博物館」、BS TBS(下掲、未見)、などで放送したようです。雑誌では「芸術新潮」(2016,11月号)で取り上げられました。さらに、この展覧会に合わせて2冊の本も出版されました。

・『ルカス・クラーナハ 流行服を纏った聖女たちの誘惑』伊藤 直子、 八坂書房 2016/8/25
・『ドイツ・ルネサンスの挑戦 デューラーとクラーナハ』田辺 幹之助, 新藤 淳, 岩谷 秋美、東京美術 2016/10/19 〔リーメンシュナイダーやグリューネヴァルト、ショーン・ガウアー、ファイト・シュトス、アルトドルファーなども珍しく登場するのですが、顔見世的な感じがしました。〕

●クラーナハ展 特別番組
「 阿川佐和子と奥田瑛二のウィーン美術紀行 ~ ルネサンスの巨匠 クラーナハ500年後の誘惑 」
放送日:TBSチャンネル2
2016年12月30日(金)午前9時~10時15分
2017年1月2日(月)午後10時10分~11時
ナレーション:近藤サト

 クラーナハの生まれ故郷はクローナハで、名前はそこに由来します。ドイツ中部のこの街に私たち夫婦は2人のドイツ人に車で案内してもらいました。リーメンシュナイダーの作品があったからです。
 この展覧会で一番嬉しかったのは、もちろん一堂に会したクラーナハ作品を見られたこともありますが、その図録が手に入ったことです。大判で300頁ほどのものですが、日本ではこれだけしっかりクラーナハについて書かれたものにお目にかかったことはありません。ウイーン美術史美術館の学芸員の原稿もあり、これから読むのを楽しみにしています。

 この日、国立西洋美術館のお隣の国立科学博物館にも足を伸ばしました。西洋美術館に劣らずかなりの人出でした。どちらかの半券を提示すれば100円引きになりますよ。私たちは後で気づいたのですが、まさに後の祭りでした。

■ 世界遺産 ラスコー展 ~クロマニョン人が残した洞窟壁画~(国立科学博物館PHより)
●開催要旨
 今から2万年ほど前、フランス南西部のヴェゼール渓谷にある洞窟に、躍動感溢れる動物たちの彩色画が描かれました。そこはラスコー洞窟、壁画を描いたのはクロマニョン人です。ラスコー洞窟の壁画は、彼らが描いた数ある壁画の中でも色彩の豊かさや、技法、そして600頭とも言われる描かれた動物の数と大きさなどが格別に素晴らしいと言われており、1979年に世界遺産にも登録されました。壁画を保存するため、洞窟は現在非公開となっていますが、その魅力を広く人々に知ってもらうべく、フランス政府公認のもと制作された展覧会が「LASCAUXINTERNATIONALEXHIBITION」です。
 2016年秋、世界各国で人気を博しているこの巡回展に日本独自のコンテンツを加えた特別展「世界遺産 ラスコー展 ~クロマニョン人が残した洞窟壁画~」を開催いたします。
 本展では、謎に包まれたラスコー洞窟の全貌を紹介するとともに、1ミリ以下の精度で再現した実物大の洞窟壁画展示によって、普段研究者ですら入ることができない洞窟内部の世界を体験することができます。また、クロマニョン人が残した芸術的な彫刻や多彩な道具にも焦点をあて、2万年前の人類の豊かな創造性や芸術のはじまりを知る旅にご案内いたします。

〔119〕清瀬・現市長とは思えない「神頼み、後鳥羽上皇頼み」発言です。

2016年12月14日 | 市民運動
 私の住む清瀬市が発行している「市報きよせ」が2,3日前に届いてびっくりしたり呆れたりしています。月2回発行の市報には、毎回「3本の木とともに」という市長のコラムが掲載されています。まずは皆さんにそのままの文章を読んでもらいたいと思います。

■3本の木とともに(2016.12.15、市報きよせ)
 来年は酉年、ご縁をいただいている「トリ」は白鷺です。今から26年前のことです。幼稚園での子ども達のあるトラブルが、父親同士の大きな対立を生み出してしまい、園長室で父親達との話し合いの場を設けました。
 午後6時でしたが「どうしたらいいのか」と異常な緊張状態のなか、私は当時大好きだった池上本門寺のお坊さん、中島教之さんの墨詩集の「前向きに生きる人には天と大地が味方する」を見つめて心を落ち着かせていました。
 そこに午後4時ごろ突然、親友の蕎麦屋甚五郎の喜久さんから電話が入りました。「渋谷さん、今時間取れるかな?」「ええ、30分くらいなら」。そして、喜久さんが大きな風呂敷包みを下げて幼稚園に来ました。
 「渋谷さんに前々から陶芸家の飯能焼きをプレゼントしたいと思っていて、1か月くらい前に届いていたけど、今持っていこうと思って持ってきたよ。渋谷さんは子ども達の夢や希望を育てる仕事をしている。だから、心にしみこむ夢を訴えていってほしいし、渋谷さん自身にも人の心にしみこむ成長、飛躍をしていってもらいたい。だから、鷹や鷲の飛び方ではなく、白鷺が舞うが如く飛躍をしてもらいたいと思い、焼いてもらった」と、白鷺を描いた大きな壷を取り出しました。
 天と大地が味方してくれ、対立は回避できました。以来、白鷺の壷は卒園式の壇上から子ども達を見守っています。
 もうひとつのご縁は、極めて畏れ多いことですが、「後鳥羽上皇」です。実は7年前にある人に頼まれて、後鳥羽上皇の扇をご神体とする島根県吉田町の吉田八幡宮の神主一族が創立した板橋にある「稚竹幼稚園」を後継者がいないため引き継いだのです。以来毎年、吉田八幡宮に参拝しています。
 そして上皇の御霊は大阪の「水無瀬神宮」に祭られていますので、お参りしてきます。今年、柳瀬川氾濫が迫り、初めて避難勧告を発令しました。水無瀬ですから柳瀬川が氾濫しないよう畏れ多いですが後鳥羽上皇にお願いしてきます。
 さて、渡り鳥はV字飛行によって単独よりも長距離を飛べます。まさに「手をつなぎ 心をつむぐ みどりの清瀬」です。酉年、皆で飛躍を目指しましよう。
                     清瀬市長 渋谷金太郎

 いかがですか。
 まず、「親友の蕎麦屋甚五郎の喜久さん」に注目してください。蕎麦屋甚五郎というのは、清瀬市に隣接する所沢にある地元ではけっこう有名な蕎麦屋さんで、私も母親などを連れて行ったことのあるところです。ここで問題にしたいのは、市報のコラムに特定のお店の人の話を書くというのはある意味、宣伝の要素が含まれるのではないか、という疑念が生じることです。
 さらなる問題は、「柳瀬川が氾濫しないよう畏れ多いですが後鳥羽上皇にお願いしてきます。」という箇所です。市長が個人的信条として、神道を信仰しても天皇制を肯定してもかまいませんが、この文脈からすると、水害が起こらないように神頼み、後鳥羽上皇頼みするということのように読めるのではないでしょうか。あなたは卑弥呼か、と言いたくもなるのです。

〔118〕「通販生活」の矜持を断固支持したいと思います。

2016年12月11日 | 図書案内
 ドイツから帰国してすぐに郵便物をざっと点検しました。時差ぼけの頭で「通販生活」2016年冬号を眺めると、あれあれ、〔夏号の「参院選特集」に172人の読者からご批判とご質問」〕という頁があるではありませんか。急いでその箇所をめくってみたら、次のような見出しがついていました。

〔ご報告 前号(16年夏号)の参院選特集に関して、172人の読者から ご批判、ご質問をいただきました。〕

 前号というのは、「自民党支持の読者の皆さん、今回ばかりは野党に一票、考えていただけませんか。」と表紙に書かれたときのものです。この号を最初に手にしたとき私は、なかなかやるな、と思ったものでした。戦争法強行採決、原発再稼働、沖縄基地問題などを考えたとき、「アベ政治を許さない」というのはまっとうな庶民感覚であり、それは日本国憲法を守ることに繋がります。ごく普通の生活者の感性ではないかと思うのです。
特集批判の手紙は、例えば次のようなものでした。

 「貴誌は全国的に幅広い読者(利用者)を有していると思われ、紹介の商品も安心安全に利用できるものが多く、妻も貴誌の紹介した商品が安心できることで少しばかり利用していようですが、今回届いた貴誌をみて驚きました。共産党や社民党の機関紙あるいは反日でしょうか。現政権反対の記事だらけ、どこかの国が喜ぶ記事が満載。仮に公平を謳うのであれば、反論記事も掲載してもいいのではないかと思いますが如何でしょうか。貴誌を利用している多くの善良な読者を反政権に導くための記事の数々でしょうか。平和を願う一市民として素朴な疑問を呈します(念のため私は自民党とは何の関係もありません)」                         (兵庫県・男性・80歳)

 最初に特集は2頁だけと勘違いして、慌てて編集部支持の手紙を書いて投函しましたが、じっくり目を通したら4頁でした。そこには16人の批判文と「編集部からのお答え」が掲載されていました。この「編集部からのお答え」が秀逸で、編集部の矜持を感じるものでした。

 172人の読者のご批判は、おおむね次の3つに集中していました。
⑴買い物雑誌は商品の情報だけで、政治的な主張はのせるべきではない。
⑵政治的記事をのせるのなら両論併記型でのせるべきだ。
⑶通販生活は左翼雑誌になったのか。 

 ⑴について申しますと、「買い物カタログに政治を持ち込むな」というご意見は「音楽に政治を持ち込むな」と同じ意見になるかなと思いました。
たとえば福島第一原発のメルトダウンがいい例ですが、日々の暮らしは政治に直接、影響を受けます。したがって、「お金儲けだけを考えて、政治の話には口をつぐむ企業」にはなりたくないと小社は考えています。「政治の話は別にやれ」という使い分けもしたくありません。 企業の理念と行動をありのまま読者の皆さんにお見せしたいと考えています。 
 ⑵の両論併記は、「対立する異論を理解し合う形式」の一つと考えて実行してきました。これからも実行していきます。しかし、憲法学者の約9割が違憲としたほどの「安倍内閣の集団的自衛権の行使容認に関する決め方」は両論併記以前の問題と考えた次第です。
 ⑶についてお答えします。
戦争、まっぴら御免。
原発、まっぴら御免。
言論圧力、まっぴら御免。
沖縄差別、⊃まっぴら御免。
 通販生活の政治的主張は、ざっとこんなところですが、こんな「まっぴら」を左翼だとおっしゃるのなら、左翼でけっこうです。

「良質の商品を買いたいだけなのに、政治信条の違いで買えなくなるのが残念」と今後の購読を中止された方には、心から おわびいたします。永年のお買い物、本当にありがとうございました。


  どうですか。なかなかやるでしょう。わたしはますます「通販生活」が好きになりました。