後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔207〕演劇と教育の専門出版社、晩成書房創業40年、おめでとうございます。

2019年01月31日 | 図書案内
 2019年1月27、東京池袋のYRイベントホールで「晩成書房40年、お祝いと懇談のつどい」があり、この寒い季節のなかですが、60名近い人が参加していました。
 会の言い出しっぺは、日本演劇教育連盟(演教連)の元事務局長の市橋久生さんでした。昨年の早い時期に案内をいただき、しっかり手帳に書き込んでおきました。
 当日の司会も手慣れた市橋さんで、穏やかで落ち着いた、和気藹々とした雰囲気で会は進行していきました。水野久晩成書房代表の挨拶、劇団関係者、演劇教育関係者の乾杯音頭、お祝いのことば、スピーチなどが続きました。大井弘子さん、今泉修さん、三井基次さんなどと旧交を温めながら「晩成書房40年」に思いをめぐらせていました。

 こんなことをお祝いのことばとして書きました。
 「晩成創業40年、おめでとうございます。晩成の歴史と私の演劇教育の歩みは同一です。まさに同行二人といった感じでしょうか。数点の拙著も出版していただきました。これからもますます粘り強く、頑張ってほしいなと思っています。」

 1972年に東京の公立小学校の教師になった私は、日本生活教育連盟の『生活教育』や雑誌『ひと』の教育実践に強く刺激と励ましを受けました。
 そして、1977年、初めて日本演劇教育連盟の夏の全国演劇教育研究集会(全劇研)に参加します。会場は東京・よみうりランドホテルで320人の参加でした。谷川俊太郎さんの記念講演「詩の朗読のすすめ」や波瀬満子さんのパフォーマンスを楽しみにしていたのです。同時上演された、小学生による〈朗読のための構成詩の試み〉「栗の実」(湯山厚台本・指導)、玉川学園中学部による劇「おれは寂しいよう!」(菅吉信作・指導)に親しみを覚えました。
 集会後の2学期に、演教連の朗読の研究会に参加するようになりました。
 翌1978年の全劇研は大阪で開催され、竹内敏晴さんと吉岡たすくさんの講演を楽しみに参加しました。この集会後に常任委員に推薦され、長い演教連での活動が始まったのです。
 常任委員会では、1,2年目研究部や事業部などに携わりましたが、その後は一貫して「演劇と教育」の編集部に所属していました。私が入部してからは葛岡雄治さん編集代表2年、副島功さん10年、そして私が20年と続きました。現在は平林正男さんが編集代表で、数年経過したというところでしょうか。編集部在籍は33年、常任委員としては41年ということになります。

 晩成書房のスタートは、『演劇と教育』1978年4月号からです。ちょうど私が連盟の常任委員を引き受けた年です。まさに同行二人と書いたのはこのことでした。
 このつどいの最後に、晩成40年間で出版された単行本四百数十冊の一覧が配布されました。これは『演劇と教育』を除いたものだということを考えれば晩成よくやった! と賞賛するしかありません。

 私と連れ合いも単行本を数冊出版してもらっています。
・『ヨーロッパ2人旅、22日間』(私家版、福田緑との共著)1999年
・『いちねんせい-ドラマの教室』(福田三津夫)2005年
・『子どもっておもしろい』(福田緑)2005年
・『ぎゃんぐえいじ-ドラマの教室』(福田三津夫)2009年
・『実践的演劇教育論-ことばと心の受け渡し』(福田三津夫)2013年
・『地域演劇教育論-ラボ教育センターのテーマ活動』(福田三津夫)2018年

 難しい出版状況ですが、これからもいい本を作り続けてほしいなと思っています。
 水野久さん、高木孝吉さん、応援しています。頑張れ、晩成書房!! 


〔206〕憲法違反の集団的自衛権の強行採決に抗した19日行動は40回目、2800人の参加でした。

2019年01月23日 | 市民運動


  1月19日(土)、午前中は日本演劇教育連盟の常任委員会が事務所(大塚)であり、食事をしてから国会に急ぎました。永田町駅に着いたときはもう2時を回っていました。階段を上がると、元気なコールが聞こえてきます。なるべく中央演台に近づこうとしますが、コーンで仕切られた中は参加者でごった返していました。しかしそこは皆さん慣れたもの、植え込みに沿ってわずか1列ですが、通行人のスペースをしっかり確保しながら、参加者が列を作っているのです。私は話し手からわずか20メートル程度の距離に潜り込むことができました。連れ合いとは現地集合でしたが会うことはかないませんでした。
 
■『安倍9条改憲NO!辺野古新基地建設は断念を!安倍政権退陣!1・19国会議員会館前行動』
2019年1月19日(土)14:00~
場所:衆議院第2議員会館前を中心に
主催:安倍9条改憲NO!全国市民アクション
   戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会

 2015年9月19日、憲法違反の集団的自衛権容認の戦争法が国会で強行採決されました。翌月から毎月19日に抗議集会が開かれてきました。この日はなんと40回目ということで、2800人が駆けつけました。
 集会の内容は以下の通りです。名前を間違えると申し訳ないので、ユーチューブを見ながらひらがなで書き起こしてみました。

*コール 森さん
*司会 菱山南帆子さん

〔連帯発言〕
・菅直人さん(立憲民主党)
・吉良よし子さん(日本共産党)
・うちだまさとしさん(戦争させない1000人委員会)
・のひらしんさくさん(止めよう辺野古埋め立て、国会包囲実行委員会)
・おおえきょうこさん(法律家6団体)
・すずきあきらさん(戦争はいやだ 調布市民の会)
・清水雅彦さん(日本体育大学)
〔行動提起〕
・みやざわようこさん(行動センター)



https://www.youtube.com/watch?v=4NHyML2Y5r0

 話の内容を要約するのは至難の業なので、上記のユーチューブを覗いてください。臨場感が伝わってきます。どうやらこのビデオは定点撮影なので、私の姿は映っていません。
 憲法学者の清水さんがブログにこんなことを書いていますよ。

■清水雅彦さんのブログより
 昨日(1月19日)は、12月31日ブログでお知らせした、安倍9条改憲NO!全国市民アクションと戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会主催の「安倍9条改憲NO!辺野古新基地建設は断念を!安倍政権退陣!1・19国会議員会館前行動」(衆議院第2議員会館前を中心に)に参加してきました。昨日は国会閉会中の土曜の行動ということで、国会議員からの発言は2人だけ。そのため、当初発言を予定していた主催者・市民からの発言だけでは予定の時間に達しないので、急きょ、私も行動の途中で発言するよう言われ、発言してきました。したがって、内容が十分に練られていない発言になってしまいましたが。

私からの発言内容は、今年2019年の100年前の1919年でまず思い浮かべるのは、坂本龍一さんの「1919」という曲。この曲では1919年のレーニンの演説をバックに流しているが、1917年のロシア革命後、世界の支配層は革命の波及を恐れた。ドイツでは革命を防ぐために支配層が妥協して、生存権を保障するワイマール憲法を1919年に制定。また、1919年といえば、韓国では3.1独立運動が展開され、国際社会では国際連盟規約を作る。連盟規約は第1次世界大戦の経験から侵略戦争の制限をしたもので、その後、28年の不戦条約では侵略戦争を放棄し、第2次世界大戦を受けて国連憲章では自衛戦争の制限を行い、このような戦争違法化のさらに先にあるのが日本国憲法9条。こういった形で、100年前の取組が日本国憲法にも盛り込まれているが、安倍政権は憲法に生存権規定がありながら社会保障を後退させ、9条がありながら戦争法の制定などをしてきている。これは世界の歴史の流れを逆行させるもので、このような安倍政権を倒さなければならない、といった趣旨でした。


 最後に鎌田慧さんの新聞コラムを紹介しておきましょう。


◆「本土決戦」?
  「原発輸出政策破綻」のうっぷんを国民への挑戦で突破するつもりか
  中西経団連会長発言「再稼働をどんどんやるべきだ」

鎌田 慧(ルポライター)

 「再稼働をどんどんやるべきだ」。中西宏明経団連会長の進軍ラッパだ。
原発存廃の勝負はついた、あとは一日も早い終戦と撤退だ、とわたしは考え
ている。ところが日本財界の最高司令官は、まるでヤケのヤンパチ、玉砕
覚悟の突撃命令だ。
 そのわずか前、報道各社とのインタビューで中西会長は「国民が反対す
る(原発)はつくれない」と仰っていた。福島第一原発事故のあと、厭戦
(えんせん)気分が蔓延(まんえん)している市民と自治体にいらだち、むり
やり反対意見をねじ伏せたいこころ。
 しかし世界を見てほしい。賢明なるドイツ政府はすでに急速な脱原発を
すすめ、核からの脱却と自然エネルギーへの転換が、あらたな経済成長と
希望の道となっている。
 それにひきかえ、日本政府の原発輸出政策は、東芝、三菱重工業、日立
製作所ともに軒並み採算がとれず敗退、破綻。中西氏が会長の日立はアラ
ブ首長国連邦、リトアニア、台湾、そして英国と海外戦線は全滅。すでに
勝敗はあきらかなのに、敗北の鬱憤(うっぷん)を国民への挑戦で突破する
つもりか。
 経団連会長の再稼働至上主義は、かつての軍部の戦闘至上主義を思い起
こさせる。被爆地は疲弊し物資は欠乏。国民の戦意喪失は深い。が、どん
どん往け、と兵士を戦地に送り込んだ。その無謀、無責任のDNAが財界
指導者に残っているようだ。ついに本土決戦の悪夢か。
  (1月22日東京新聞朝刊27面「本音のコラム」より)


〔205〕市報で「私は幼児教育のプロ中のプロ」と自慢する清瀬市長は何に追い込まれているのでしょうか。

2019年01月15日 | 市民運動
 私が在住している東京・清瀬市の市長の不適任性については、このブログでもたびたび取り上げてきました。集団的自衛権問題について聞かれたときに、安保体制については自民党の議員や公明党に任せているからと言明を避けたり、原発の廃棄物についてはロケットで宇宙空間に飛ばせばいいと言ったり、ちょっと耳を疑うような発言が目立つのです。(〔35〕信じられない市長の発言! 可笑しいのは安倍首相だけではなかったのですね。)
彼は市報きよせに「3本の木とともに」というコラムを月に1回程度書いているのですが、これがまたいけません。神頼み、天皇頼みのようなことを平気で書いたりもしています。(〔119〕清瀬・現市長とは思えない「神頼み、後鳥羽上皇頼み」発言です。)
 そして、またまたびっくりするような文章を新年1月15日号に書き連ねました。あろうことか、自分で「私は幼児教育のプロ中のプロ」と書いているのです。
 そのうちに清瀬市のHPに掲載されると思うので全文を起こすことはやめますが、コラムは自分に来た年賀状を数点紹介するなかでこのことばが飛び出すのです。教え子が育ったのはひとえに幼稚園園長としての自分の力だと言わんばかりです。そして、彼が「ポンキッキニュース」の監修者の1人だったのが「プロ中のプロ」の根拠の1つでもあるようです。
 いやはや、何をか言わんや、です。

 この市長、昨年こんな問題を起こしました。

■朝日新聞、 2018年8月30日18時12分

○市長の運転手、残業年800時間超え 東京・清瀬
 東京都清瀬市の渋谷金太郎市長が、公用車の運転手に長時間の残業をさせていたと、市民団体「住みよい清瀬をつくる会」が30日、会見で明らかにした。2016年度の残業は年間800時間超えで、市は運転手の健康上、問題があるとして、今年度から公用車の使用を減らし、一部をタクシーに代替させている。
 公用車は専属の職員が一人で運転、深夜まで続く会合や土日のイベントにも付き添ってきた。16年度の残業は828時間、17年度は611時間だった。特に新年会などが多かった今年1月は79時間となった。
 民間企業は労働基準法により、労使が「36協定」を結べば、残業時間の上限を原則「月45時間、年360時間」まで延ばせる。一方、地方公務員には原則としてこの決まりが適用されないが、市は「年間800時間超えは健康上問題」として、今年度からタクシーチケットを予算化した。会合の帰りには市長が自分でタクシーを手配して、帰宅してもらうことにした。
 その結果、今年4月の残業は25時間、5月は45時間となり、前年度と比べて約4割の削減となった。同市は「労基法違反には当たらないが、残業が多いことは間違いない。運転手のワーク・ライフ・バランスを考慮した」という。(平岡妙子)


 この運転手超勤問題が12月議会で取り上げられ、「市長、減給3カ月」になりました。

■毎日新聞2018年12月21日 地方版
清瀬市
市長、減給3カ月 公用車私的使用で 議会可決 /東京
 清瀬市議会は19日、渋谷金太郎市長(67)が公用車を私的に使っていたとして、給与を10分の1(3カ月)減額する条例案を全会一致で可決した。来年1月から実施する。11月30日に開会した12月定例会で、公用車を私的に使った疑いがあると追及を受けていた。渋谷市長は本会議で「深く反省している」と謝罪した。
 市議の指摘で市が調べたところ、渋谷市長… (以下、有料記事)

 12月議会では、なんと「味方」であるはずの保守系の2議員から市長の様々な失態について一般質問で取り上げられました。このことを察知した革新系の市民団体が大挙して傍聴に訪れたというのです。その顛末について、朝日新聞の平岡妙子記者が地方版に記事にしたのですが、残念ながらネット上では見つかりませんでした。
 今年の4月に市長選が行われます。下掲の新聞記事にあるように、清瀬の市長選は革新系市民団体の動向もあり、予断を許さないようです。
 

■東京新聞 2019/01/05
【清瀬市長選】
 現職の渋谷金太郎さん(67)が三選出馬に意欲を示しているが、正式表明はしていない。市議会の与党自民会派は現職の公用車の私的利用問題などを追及し、亀裂が深刻化。候補者選びに影響しそうだ。