後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔37〕特集「グリューネヴァルト」(『芸術新潮』」2015年8月号)は心躍る企画でした!

2015年07月31日 | 図書案内
 新聞広告で『芸術新潮』」の特集「グリューネヴァルト」を知りました。最近の私は新刊書を買うことには禁欲的だということは前に触れました。でもこの雑誌だけはどうしても買いたかったのです。それは私がここ数年、グリューネヴァルト(ドイツ語で緑の森の意)の追っかけをしているからです。正確に言えば、作品の完全「踏破」が終了したため、追っかけは一段落したというところです。
 追っかけのきっかけは妻の影響です。妻はドイツ、中世最後(イタリアではルネッサンス時代)の彫刻家といわれるティルマン・リーメンシュナイダーの追っかけをしていて、日本で初めての彼の写真集『祈りの彫刻リーメンシュナイダーを歩く』(丸善プラネット)を2冊出しました。ドイツ国内、ヨーロッパ各地、アメリカ、カナダまで訪ねた作品は400点あまり。全作品の9割方は見たと言っていいでしょう。
 彼女のリーメンシュナイダー作品巡礼の旅に荷物運び、ボディガードとして付き添ったのが私です。リーメンシュナイダーの作品を巡礼するうちに、同時代の画家や彫刻家に対する興味がむくむくと湧き上がってきました。そのうちのひとりがグリューネヴァルトでした。リーメンシュナイダー・グリューネヴァルト巡礼がふたりの旅の目的になっていきました。
  説明していると膨大な文章になりそうなのでこれくらいにして、グリューネヴァルトの話をします。

■グリューネヴァルト(Matthias Grünewald,1477~1528)=本名マティス・ゴートハルト・ナイトハルト(又はニトハルト),ヴュルツブルク出身

 グリューネヴァルトに関する本はリーメンシュナイダーよりははるかに多く出版されています。ただ、芸術雑誌に特集として取りあげられることはほとんどありません。私の知る限りでは以下の特集だけです。『芸術新潮』では30年ぶりくらいの特集ということになるのです。
*『みずゑ』特集「グリューネヴァルト」1975.12月号
*『芸術新潮』特集「グリューネヴァルトの全貌」1983.2月号
 写真集といえる物もほとんどなく、下記のものが唯一私が重宝しているものです。
*『グリューネヴァルト・北方ルネッサンス』(グリューネヴァルト画、朝日新聞社、1996)

 さて、今回の『芸術新潮』の特集は「史上最強の宗教画はこれだ! 謎の巨匠 グリューネヴァルト」です。「最強」とはなんでしょうか、ちょっと引っかかるものもありますが、まあ、写真を見てください、と言うところでしょうか。リアルで凄惨なキリストの磔刑図が有名ですが、描写力は群を抜いていて、ある面ユーモアも兼ね備えていて、一度見たら忘れられないという感じといえばいいのでしょうか。
 グリューネヴァルト特集は「《イーゼンハイム祭壇画》を読み解く」、「謎の生涯と黄金時代の仲間たち」から構成されていて、解説を小池寿子氏(國學院大学)が務めています。

 グリューネヴァルトの絵画は十数点、素描が40点ほどのようです。
 さて、ここで自慢話です。グリューネヴァルトの現存する絵画は全踏破しました。日本で1番の「グリューネヴァルト追っかけ人」と自認しています。なにせ、失われたグリューネヴァルトの絵の模写(『芸術新潮』31頁)もシュベービッシュハルで見ているし、普段見られないキリスト磔刑図(素描、同頁掲載)も見ることができました。
  ところで、私が調べたところ<絵画(タブロー)>⑪箇所は以下の通りです。

*「最後の晩餐」フェステ・コーブルク美術館①(ゲオルク・シェーファー・コレクション)1500~2制作 〔2011,9鑑賞〕
*「聖女アグネス」「聖女ドロテア」(最後の晩餐の裏面)フェステ・コーブルク美術館(ゲオルク・シェーファー・コレクション)1500~2 〔2011,9鑑〕
*「リンデンハルトの祭壇画」左右「救護聖人」・中央厨子背面、「苦しみの人としてのキリスト」バイロイト近郊リンデンハルト、教区聖堂②、1503〔2011,9鑑〕
*「キリスト磔刑図」バーゼル国立美術館③、1505~10 〔2011,9鑑〕
*「キリスト磔刑図」(小磔刑)ワシントンナショナルギャラリー④、1511 〔2011,2鑑〕
*「イーゼンハイム祭壇画」ウンターリンデン美術館(コルマール)⑤1512~16〔2011,9鑑〕
*「聖エラスムスと聖マウリティウス」1525以前「キリスト嘲弄」アルテ・ピナコ テーク⑥(ミュンヒェン)1504~5 〔2012,3鑑〕
*「雪の奇蹟」(「マリア・シュニー祭壇」翼画)フライブルク・イム・ブライスガウ、アウグスティナー美術館⑦ 1517~19 〔2011,9鑑〕
*「聖ラウレンティウス」「聖キリアクス」(「ヘラー祭壇画」「四聖人」)シュテーデル美術研究所⑧(フランクフルト)1509~10 〔2012,3鑑〕
*「聖エリザベート」「聖ルチア」(「ヘラー祭壇画」「四聖人」)カールスルーエ、州立美術館⑨1509~10 〔2011,9鑑〕
*「キリスト磔刑図」「キリストの十字架荷い」(「タウバービショフスハイム祭壇画」) カールスルーエ、州立美術館、1523~25 〔2011,9鑑〕
*「聖母子」(「マリア・シュニー祭壇」中央画?)バート・メルゲントハイム近郊シュトゥパッハ、教区聖堂⑩、1517~20 〔2013,2鑑〕
*「キリストの哀悼」アシャッフェンブルク⑪、参事会聖堂、1923~25 〔2011,9鑑〕

  ⑩のシュトゥパッハの「聖母子」は、1回目の訪問では他の美術館に貸し出し中、2回目は修復中、3回目でようやく拝観できました。ドイツ人の友人の協力でした。
  ⑨の「キリストの十字架荷い」は修復中のため、妻がドイツ語で連絡を取って掛け合ってくれてようやく見ることができました。現在もカールスルーエ州立美術館の修復室にあるはずです。
   「イーゼンハイム祭壇画」のあるウンターリンデン美術館は現在改装中とのこと、近いうちにもう1度「再会」を果たしたいと思っています。

〔36〕映画「ジョン・ラーベ」は、日本人が目を背けてはいけない南京大虐殺・加害の記憶です。

2015年07月22日 | 映画鑑賞
 2015.7.20(月)、猛暑の続くなか、東京・日本教育会館一ツ橋ホールに足を運びました。映画「ジョン・ラーベ-南京のシンドラー」を見るためです。3階のホールは満席でした。ここは日本演劇教育連盟主催の全国演劇教育研究集会が長く行われたところで、800席のはずです。ここだけでは収容しきれないというので、8階にも鑑賞席を設けていました。私も数人の仲間ともにこれを鑑賞しました。
 この映画はドイツ・フランス・中国の合作です。2009年につくられてドイツ映画祭などで高い評価を得たものですが、日本ではようやく昨年あたりから自主上映が始まったようです。日本にとっては加害の歴史が描かれているものですから、上演に対してはさまざまな抵抗があったもののようです。
 
 まずは、映画の概要を知ってもらいたいと思います。

〔公式ウェブサイト「ストーリー」より〕
 日中戦争が始まって間もない1937年12月。日本軍は中華民国(蒋介石)の首都南京へ侵攻し陥落させた。首都機能はすでに重慶へ移転しており、数十万の市民と中国兵士、そして十数人の欧米人が南京に残留した。残った欧米人たちは、迫りくる日本軍から市民を保護する為、南京安全区国際委員会を設立、その委員長に選ばれたのがシーメンス南京支社長のジョン・ラーベだった。本作品は、ラーベと国際委員会メンバーの人道的活動を史実を基に描く。
 ドイツ映画賞で主演男優賞・作品賞・美術賞・衣装賞を受賞、バイエルン映画賞では最優秀男優賞・最優秀作品賞を受賞した傑作。日本では上映不可能とまで言われた本作品がついに日本初公開!

 見終わっての感想は、確かに日本人として決して見やすい映画ではないということです。でも虐殺の実際はこの程度ではなかったでしょう。
 あるサイトには次のような加害シーンが描かれていたことを指摘しています。DVDをしっかり見て、書き込んだのでしょうか。

●カナザワ映画祭主宰者のメモ帳
『ジョン・ラーベ ~南京のシンドラー~』の10大ショック!!シーン
南京の街を日本軍機が無差別爆撃!! 日本軍が中国人捕虜を虐殺!! 避難民が乗った大型船を日本軍機が攻撃! 病院に日本兵が乱入し、医者と患者を射殺! 大記録!支那人100人斬り! 日本兵が一般家庭に乱入しレイプ! 日本軍が死体を使って道路工事! 日本兵が女子校の寮に乱入!強制身体検査! 安全区も安全じゃない! 当時の記録映像や写真で本物の死体がたくさん出てくる!

 この映画はジョン・ラーベの日記をもとに映画監督が脚本を書いたということです。さまざまな事実を映画に盛り込んだのでしょう。
 こうした映画に日本人はきちんと向きあわなければならないと思います。加害の歴史もドイツのようにしっかり教える中で、これからの日本を担う子どもたちを育てる必要があると思うのです。


〔35〕信じられない市長の発言! 可笑しいのは安倍首相だけではなかったのですね。

2015年07月17日 | 市民運動
 今年の清瀬市議会選挙で、無所属市民派の布施由女さんを当選させたことはブログ〔26〕で紹介しました。当選して次に考えたことは、できるかぎり、本会議や特別委員会を傍聴するということでした。仲間を議会に送り出して、後は知らない、というのではあまりに無責任です。むしろこれからが正念場です。「清瀬・くらしと平和の会」の多くの仲間が傍聴に出かけました。私自身も数回足を運びました。
 そんな中で、ちょっとびっくりするような「発言」が聞こえてきました。とりわけ、渋谷金太郎市長の発言は見過ごすわけにはいきません。「失言」ということで笑っていられません。だって、20名ほどの市民の前での発言なのですから、ある責任をとってもらう必要がありそうです。
 その時のやりとりを会のメンバーが記録にとってくれました。清瀬では録音は厳禁です。

          信じられない市長の発言!

 2015年6月16日火曜日の清瀬市・総務文教常任委員会において「『安全保障』関連法案の拙速な国会審議に反対する請願」を「清瀬・くらしと平和の会」の仲間が提出したときの討論の一部です。

佐々木あつ子議員(共産党):安保法制の問題が連日取りあげられている。政府は地球の裏側まで自衛隊を送り出そうとしている。清瀬市では自衛隊員になる若者の激励会をしているが、この若者たちが戦地に行くことをどう考えているのか。
渋谷金太郎市長:戦地に行くということは全く考えていない。公明党は世界の192ヶ国で支援をしている。皆さんが責任者を批判するのは結構だが、私は清瀬市民の命を守るのが勤め。清瀬で何かあったときは全員退避してから最後に出る。国の責任者は国を守る、 国民の命を守っていくということを要求する。
佐々木議員:市長はいつもこうして開き直るが止めていただきたい。立憲主義は「憲法九条を解釈だけで変えて若者を戦地送ること」を許さない。市長は立憲主義をどう考えているのか。
渋谷市長:もちろん憲法をしっかり守っていくべきだと考えている。清瀬では清瀬のことをしっかりやっていて、そこまでエネルギーが回らない。だから公明党が食い込んでがんばってもらう。
佐々木議員:現職の自衛官が「リスクは増えない」という政府の答弁に対して「兵站なしには戦争はできない。敵はこの兵站を一番に狙う。『活動を中止できる』というが、敵は、攻撃すれば反撃する相手と、逃げる相手のどちらを狙うか。逃げる方に決まっている。」と言っている。この問題に対して安倍首相は逃げ回っているが、市長もきちんと意見を述べて欲しい。
渋谷市長:何遍も答弁しているが、(国会議員の)木原(誠二)さんに充分憲法問題を勉強してもらい、若者を絶対に戦地に送り出さないようにと言っている。自民党が応えてもらいたい。

 私たち「清瀬・くらしと平和の会」の会員は傍聴していて驚きました。どこの市長が市民の傍聴している面前でこのように愚かな発言をするでしょうか。渋谷市長(自民党系)の考えは、「世界については公明党に、憲法については衆議院議員・木原誠二議員(自民党)に任せて自分は清瀬のことだけでエネルギーが手一杯だ」と、他党と個人名を挙げての責任の押しつけをしているのですから。しかも24日の本議会最終日には、冒頭で市長が挙手、発言したのですが、「委員会で一部誤解を招く発言をしたので削除していただきたい。議員の個人名、政党名を出したことについて、十分注意をしていく」とのこと。本当でしょうか? 本来なら議会に懲罰か辞任問題を動議として出すぐらいの大変な発言内容だったのではないかと思われます。私たちの記憶まで削除することは不可能ですから、今後も市長の発言と姿勢をしっかりと見守っていくつもりです。

 いかがでしょうか。笑っちゃいますよね。でも笑って済ませられませんよね。

〔34〕みなさん、『おどる詩 あそぶ詩 きこえる詩』(はせみつこ 編 飯野和好 絵、冨山房)が出ましたよ!

2015年07月12日 | 図書案内
 はせみつこさん編集の『おどる詩 あそぶ詩 きこえる詩』が出版されると新聞か何かで読んで、やったねと思いました。
 『しゃべる詩 あそぶ詩 きこえる詩』(1995年)、『みえる詩 あそぶ詩 きこえる詩』(1997年)の2冊は私の愛読書で、この中の詩や絵を年賀状などで紹介させてもらったりしていたのです。
 でも、はせみつこ(波瀬満子)さんは2012年に亡くなったはずです。なぜ今年(2015年4月)に出版されたのでしょう。出版元の冨山房のサイトに次のように出ていて納得しました。

声に出して読んで楽しく
心おどる詩と、パワフルな
挿し絵のコラボレーション!!

読んで楽しく心おどる詩を、ことばの魔術師・故はせみつこ氏が存命中に膨大な詩のなかから六十余篇を選出し、これに飯野和好氏が渾身の絵を描いた珠玉のアンソロジーがここに誕生いたしました! 本書は、『しゃべる詩 あそぶ詩 きこえる詩』、『みえる詩 あそぶ詩 きこえる詩』(いずれも冨山房刊)に次いで、待望の第三集となるものですが、その内容は、子どもによる作詩から中原中也・萩原朔太郎・谷川俊太郎など近・現代の名詩にいたるまで、じつに多彩なラインナップと多様なテーマで一・二集をはるかにしのぎ、長年、詩の朗読をライフワークとしてきた編者の集大成にふさわしい作品集と言えましょう。

 年金生活が始まってから、アマゾンやブックオフで安い古本を求めるだけで、最近新刊書はほとんど買いませんでしたが、昨日ついに、池袋ジュンク堂で我慢できずにこれを買ってしまったのです。帰りの電車の中で早速ページを繰ってみました。私にとってはやはり第1集が一番おもしろかったですね。
 今回の第3集は、子どもの詩が7編、はせみつこさん自身の作品も4編収録されていました。あとがきは谷川俊太郎さんです。
  ちょっとびっくりしたのは、私が「ことばと心の受け渡し」ワークショップで取りあげている詩がとても多かったことです。まさか私のレジュメを見たわけでもあるまいし。次の詩は私のワークショップの定番「メニュー」です。

「じこしょうかい」「はひふへほは」 まど・みちお
「ドレミファかえうた」「アンケート おとうさんをなんとよびますか?」阪田寛夫

 そもそも私が演劇教育と出合ったのは1977年の全国演劇教育研究集会(日本演劇教育連盟主催)でのことでした。私はこの時の谷川俊太郎さんの記念講演「詩の朗読のすすめ」を聞くために参加したのです。東京のよみうりランドホテルが会場で、320人集まりました。谷川さんの話の後、波瀬満子さんによる朗読コンサート「谷川俊太郎の世界をうたう」がありました。ここで初めて波瀬さんとも出会ったのです。
 それ以来38年、演劇教育の道をひたすら歩いてきたことになるのです。