後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔98〕家族関係を問う映画「海よりもまだ深く」(是枝裕和作品)は、清瀬愛に溢れていました。

2016年06月29日 | 映画鑑賞
  カンヌ国際映画祭にある視点部門で出品した映画「海よりもまだ深く」が5月21日から公開されました。東京都清瀬市が舞台ということで私も興味を持っていましたが、ようやく昨日鑑賞することができました。映画館に足を運んでも、けして損はしないという映画でした。
  まずは映画の内容について紹介しておきましょう。

●ウイキィペディアより
〔物語〕
 良多は作家として文学賞を受賞した経歴を持つが、その後は鳴かず飛ばずでずっと興信所勤めを続けていた。出版社からは漫画の原作をやらないかと勧められてはいたが、純文学作家のプライドから二の足を踏んでいたのだった。そのくせギャンブルには目がなく、少し稼ぎがあればそこにつぎ込むばかりでいつも金欠状態であり、母親の淑子や姉の千奈津に金をせびる毎日を送っていた。そんな彼に愛想を尽かした妻の響子は離婚して久しく、一人息子の真吾のための養育費を求めるほかは接触を拒んでいた。だが、そんな良多にも父親としての意地があり、真吾と顔を合わせるときには金を都合してでもプレゼントを用意していた。
 台風が日本に接近しているある日、良多は月に一度の息子との接触を持った。響子はもと夫である彼が、彼女と恋人との接触を極秘調査していることに呆れ、冷たい態度を崩さない。それでも天気の崩れかたを危ぶみ、親子三人、淑子のアパートで一夜を過ごすこととなった。父親を心配して調子を合わせる真吾は、眠れずに父と一緒に嵐のなかを外出、公園の滑り台に籠って駄菓子を味わう。戯れに話し込む親子は、将来の夢について言葉を交わす。考え込む良多は、翌日からの自分のことを振り返ってみるのだった。翌日、晴れ渡った空のもと団地を出る親子の姿があった。
〔キャスト〕
良多:阿部寛
響子:真木よう子
千奈津:小林聡美
山辺:リリー・フランキー
  町田:池松壮亮
真吾:吉澤太陽
福住:小澤征悦
仁井田:橋爪功
淑子:樹木希林
原案・脚本・編集・監督、是枝裕和
*主演の阿部寛は映画『歩いても 歩いても』(2008年)、『奇跡』(2011年)、ドラマ『ゴーイング マイ ホーム』、本作と是枝作品には4度目の出演。(主演は3度目)。『歩いても 歩いても』以来の樹木希林と親子役を演じる。

  映画を見ながら嬉しくなったのは、私が住み始めて三十数年経つ清瀬が舞台になっていたということです。映し出される映像はいつも私が見慣れた風景でした。黄色い車体の西武池袋線、清瀬駅北口の踊り場にある立ち食い蕎麦屋(主人公の良多が蕎麦を食べるシーンが出てきます)、駅北口の階段前、数十の彫刻が並べられた清瀬ギャラリーのあるけやき並木、ある和菓子屋、旭が丘団地商店街、蛸型の滑り台(昨年暮れまで野塩団地に存在していた)…。
  そしてなによりも、樹木が演じる母・淑子が住んでいる団地は是枝監督が28歳まで実際に住んでいた清瀬市の旭が丘団地が使われたのです。
  この映画の公開に合わせて、清瀬市郷土博物館で企画展が開催されました。

●清瀬市郷土博物館 企画展「海よりもまだ深く×是枝裕和展」
2016年6月4日(土)~19日(日)
 映画監督 是枝裕和氏は9歳~28歳まで20年近くを清瀬市旭が丘団地に住まわれていました。この団地を撮影の舞台として製作された映画が現在公開されています。この公開に合わせて、映画の世界観や氏の清瀬市への思いなどを紹介する企画展を開催します。

  是枝監督は練馬区の北町に生まれ、清瀬に転居して清瀬五小から清瀬三中に進学したようです。私は結婚するまで練馬に住んでいたり、息子が是枝さんの高校の後輩だったりして、妙に親しみを感じてしまいます。さらに驚くべきことは、団地内ミニコンサートの場面が出てくるのですが、ロケ地に東久留米市の滝山団地(分譲)が使われたということです。私が教師として十数年勤めたところでした。
  映画は夫婦、親子関係、仕事と家庭のあやを丁寧に描くものになっています。そして、シナリオがユーモアを交えて実に無理なくできているだけでなく、どの出演者の演技も自然体です。演技のリアルさは是枝作品に共通のものです。このことは独特な映画作りに関係あるようです。子どもの出演者には台詞は口移しにするというようなことを聞いたことがあります。いわゆる口伝です。今回の真吾の台詞はどうなっていたのでしょうか。
  1つわからなかったことは「海よりもまだ深く」という題名がどこから由来しているかということでした。この謎は映画の終盤に解かれます。良多と淑子の会話のバックに流れていたのがテレサテンの歌「別れの予感」(1987年)でした。

「別れの予感」
              歌:テレサテン
              作曲:三木たかし
              作詞:荒木とよひさ
泣き出してしまいそう 痛いほど好きだから
どこへも行かないで 息を止めてそばにいて
身体からこの心 取り出してくれるなら
あなたに見せたいの この胸の想いを
教えて 悲しくなる その理由
あなたに触れていても
信じること それだけだから
海よりも まだ深く
空よりも まだ青く
あなたをこれ以上 愛するなんて
わたしには出来ない

もう少し奇麗なら 心配はしないけど
わたしのことだけを 見つめていて欲しいから
悲しさと引き換えに このいのち出来るなら
わたしの人生に あなたしかいらない
教えて 生きることの すべてを
あなたの言うがままに
ついてくこと それだけだから
海よりも まだ深く
空よりも まだ青く
あなたをこれ以上 愛するなんて
わたしには出来ない

あなたをこれ以上 愛するなんて
わたしには出来ない

  是枝さんは、BPOにおける放送倫理検証委員会の委員を務めています。こちらでの活躍にも注目したいと思います。

〔97〕やはり本会議では、「避難用住宅の長期無償提供を求める請願」一票差で否決でした。

2016年06月25日 | 市民運動
  ブログ〔95〕「避難用住宅の長期無償提供を国と福島県に求める請願」の続編です。
 やはり予想通りになってしまいました。総務文教委員会で4対3でこの請願は採択されたのですが、6月24日(金)の議会最終日の本会議では不採択になってしまいました。
 ここでの賛成討論は請願紹介者のふせ由女議員(共に生きる)と佐々木あつ子議員(日本共産党)でした。反対討論はありませんでした。採決の結果は、9対10で不採択です。
賛成は日本共産党4人、風・生活者ネット4人、共に生きる1人、反対は清瀬自民クラブ6人、公明党4人でした。
 反対の根拠も示さず不採択に荷担するというのは許せない行為ですね。問題の本質を探ることより、数の論理がまかり通る世界なのですね。
 
 以下の文章は請願者の連れ合いの簡単な報告です。

福田 緑です。
 昨日で本会議が終了し、不採択が決定しました。請願当日の傍聴など、ご協力ありがとうございました。

□福島原発事故による避難用住宅提供打ち切りの撤回と、避難用住宅の長期無償提供を国と福島県に求める請願

〔請願の趣旨〕
国と福島県は、福島原発事故による被災者への応急仮設住宅(公営住宅等を利用した「みなし仮設住宅」を含む。)の提供を2017年3月末で打ち切るという方針を示しました。しかし、被災者は故郷での平和な生活を原発事故によって破壊され、現在もやむをえず避難生活を続けているのです。『原発事故子ども・被災者支援法』の(基本理念)第二条2では、
「被災者生活支援等施策は、被災者一人一人が第八条第一項の支援対象地域における居住、他の地域への移動及び移動前の地域への帰還についての選択を自らの意思によって行うことができるよう、被災者がそのいずれを選択した場合であっても適切に支援するものでなければならない。」と定めています。従って、帰還を望んでいない家庭への無償住宅支援の打ち切りは、この基本理念を否定することになり、撤回するべきです。また、被災者が安心して故郷に帰れるようになるまでは、避難用住宅長期無償提供をするべきです。
 以上の2点について、国と福島県に意見書の提出を求めます。

●請願が不採択となって
  福島原発事故避難者は2016年5月16日現在、約16万人で、全国都道府県1,114の市区町村に所在しています(復興庁ホームページより)。そのうち、東京都には6,749名が避難しているとのこと。清瀬市には5月の段階で28世帯65名が所在し、帰りたくても帰れない強制避難の方々は18世帯45名とうかがいました。つまり、清瀬市内に住んでいる自主避難者は10世帯20名ということになります。
この清瀬市内に住んでいる自主避難の方々は、避難生活を続けたくても来年3月で住宅支援が打ち切られてしまうということになりますが、彼らは単なるわがままで避難生活を続けているわけではありません。多くの避難者は、避難すること自体に家族や親族の反対があったり、避難先で何か説明しなければならないような気持ちで肩身の狭い思いをしたりして生活しています。6月12日に、葛尾村の避難指示解除がなされましたが、その地域にはまだ放射線管理区域よりも高い放射能があるのです。放射線管理区域は、「人事院規則 職員の放射線障害の防止」で、年間に換算すると5.2ミリシーベルトとされていて、その地域内には防護服を着て入らなければなりません。中で飲食も禁止されているのです。それと同じか、もっと高い線量の地域に、「しっかり除染をしたのでもう安全ですから女性も子どもも戻って生活しなさい。来年3月で住宅支援は打ち切ります。」と言わているのです。一般の人々は年間1ミリシーベルト以内と決められているのに、何で事故で苦しい思いをした人たちがその何十倍もの放射線の中で「住み、料理をし、飲食をし、遊び、普通の生活をしなさい」と言われなければならないのでしょうか。とても納得できるものではありません。せめて事故前とほぼ同じ状態に戻るまで住宅支援を続けるべきです。
 ある被災者は、「住宅支援という言葉がそもそもおかしいんですよ。私たちは家も生活も事故によって奪われたのですから、これは本来なら東電が賠償すべきものです。それを勝手に打ち切ることは許されません。」と訴えていました。
 総務文教委員会では賛成4名で採択となりましたが、残念ながら本会議では右表(略)の通りの結果で不採択となりました。委員会の討論で、「国はできる限りの支援をしていく気持ちはあると思うし、切り捨てはしないと思う。現時点では賛成できない。」という発言がありました。この言葉の通りになるのか、今後しっかり見届けたいと思っています。

〔96〕一般紙はあまり伝えませんね。「怒りと悲しみの沖縄県民大会に呼応する『命と平和のための6・19大行動』」

2016年06月20日 | 市民運動
  2016年6月19日(日)、私にとって、もう何回目の国会包囲行動になるのでしょうか。
  今回の国会包囲行動は、元米兵による女子殺害に端を発した、沖縄県民に呼応する大集会です。スローガンとしては次の通りでした。

●米軍基地は大幅整理・縮小
●辺野古新基地断念
●地位協定は抜本改定
●戦争法はいますぐ廃止
●海兵隊は全面撤去
●安倍内閣は退陣
●参院選で野党は勝利

□怒りと悲しみの沖縄県民大会に呼応する『命と平和のための6・19大行動』
時間:14:00~15:30
場所:国会正門前+並木通り・南庭前・北庭前(歩道)
共催:戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会と「止めよう辺野古埋め立て」国会包囲実行委員会

  集会開始午後2時の1時間前に、地下鉄有楽町線、桜田門駅に着きました。かなり早いということもあってか、人はまばら、珍しくトイレもすきすきでした。
  清瀬・くらしと平和の会、清瀬・憲法九条を守る会から3人で参加ですが、他のグループでの参加の人もいたり、現地で清瀬の知人も見かけました。
  せっかくのチャンスなので、国会右側のメインステージが見渡せる、土手の植え込みの隙間を見つけて陣取りました。立ち上がれば何とか発言者の顔が見えるという絶好の位置でした。

13:45 プレコンサート(宮城善光)
14:00 開会
・オール沖縄会議代表
・国会議員:民進、共産、社民、生活から各5分
・市民団体から 落合恵子さん、清水雅彦さんなど。

  集会が始まってさすがに人がいっぱいになってきました。一時間半立ちっぱなし、私もしっかり体力が付いているようです。週2回のバドミントンの練習の成果でしょうか。
  落合恵子さんの熱いメッセージに心動かされました。それまでのスピーカーはマスコミを意識したのでしょうか、国会に向かっての演説でしたが、落合さんは、柵の向こうの公園にもいる大多数の参加者への訴えでした。話す対象をしっかり意識した「語り」でした。
  今回の集会で最も心動かされたのは、同時開催していた沖縄県民大会での翁長沖縄県知事のメッセージの中継でした。こちらの国会包囲は1万人に対して、なんと6万5千人の参加だったということです。自公の不参加にもかかわらずです。
  この時の様子を琉球新報は次のように伝えています。

●「全基地撤去を」 被害者の父親が沖縄県民大会にメッセージ(琉球新報)2016年6月20日

「米軍属女性暴行殺人 在沖米軍 米軍の犯罪・事件・事故 県民大会」

 米軍属による女性暴行殺人事件に抗議する沖縄県民大会の開催に際し、被害者の父親が「次の被害者を出さないためにも『全基地撤去』『辺野古新基地建設に反対』―」などと訴えるメッセージを大会主催者に寄せた。
 19日は被害女性が亡くなってから四十九日を迎える日。多くの県民が追悼のために集まることから父親から弁護士を通してメッセージが寄せられたという。父親の意向で式次第には明記されなかったが、1分間の黙とうを終えたあと、高里代表が読み上げた。
 「なぜ娘なのか。なぜ殺されなければならなかったのか―」。
 不条理な事件に巻き込まれ、娘を失ったやり場のない怒りや悲しみが会場全体に静かに染み渡った。
 大会で読み上げた高里鈴代共同代表は閉会後、記者団に対し「県民として、名護市民としてしっかりと明記されていたことに感動した」と語った。
 高里代表は「お父さんの悲しみはうかがい知れないほどのものだ。悲惨な事件を二度と起こさせないためにもしっかりと胸に刻みたい」と述べた。

 ◇父親のメッセージは以下。
 ご来場の皆さまへ。
 米軍人・軍属による事件、事故が多い中、私の娘も被害者の一人となりました。
 なぜ娘なのか、なぜ殺されなければならなかったのか。今まで被害に遭った遺族の思いも同じだと思います。
 被害者の無念は、計り知れない悲しみ、苦しみ、怒りとなっていくのです。
 それでも、遺族は、安らかに成仏してくれることだけを願っているのです。
 次の被害者を出さないためにも「全基地撤去」「辺野古新基地建設に反対」。県民が一つになれば、可能だと思っています。
 県民、名護市民として強く願っています。
 ご来場の皆さまには、心より感謝申し上げます。
                  平成28年6月19日
                       娘の父より

  「出ていけ海兵隊!」「許さん!女性殺害」シュプレヒコールが国会と沖縄、全国40数カ所で響き渡りました。

〔95〕清瀬市・総務文教委員会で「避難用住宅の長期無償提供を求める請願」が採択されましたよ!

2016年06月15日 | 市民運動
  国と福島県が、福島原発事故による被災者への応急仮設住宅の提供を2017年3月末で打ち切るという方針を出していることを知っていますか。被災者の皆さんが安心して帰る家もないのに、仮設住宅の立ち退きを迫られたら途方に暮れてしまうでしょう。
 そこで私の連れ合いは、本日(6月15日)「福島原発事故による避難用住宅提供打ち切りの撤回と、避難用住宅の長期無償提供を国と福島県に求める請願」を清瀬市・総務文教委員会に提出しました。
  そして、なんと、その請願が採択されたのです。
 その顛末に触れる前に、どんな請願なのか、目を通してください。

    福島原発事故による避難用住宅提供打ち切りの撤回と、
    避難用住宅の長期無償提供を国と福島県に求める請願

                        紹介議員 ふせ由女
<請願の趣旨>
国と福島県は、福島原発事故による被災者への応急仮設住宅(公営住宅等を利用した「みなし仮設住宅」を含む。)の提供を2017年3月末で打ち切るという方針を示しました。しかし、被災者は故郷での平和な生活を原発事故によって破壊され、現在もやむをえず避難生活を続けているのです。『原発事故子ども・被災者支援法』の(基本理念)第二条2では、
「被災者生活支援等施策は、被災者一人一人が第八条第一項の支援対象地域における居住、他の地域への移動及び移動前の地域への帰還についての選択を自らの意思によって行うことができるよう、被災者がそのいずれを選択した場合であっても適切に支援するものでなければならない。」と定めています。従って、帰還を望んでいない家庭への無償住宅支援の打ち切りは、この基本理念を否定することになり、撤回するべきです。また、被災者が安心して故郷に帰れるようになるまでは、避難用住宅長期無償提供をするべきです。
 以上の2点について、国と福島県に意見書の提出を求めます。

<請願の理由>
福島原発事故避難者は2016年4月14日現在、約16万5千人で、全国都道府県1,114の市区町村に所在しています(復興庁ホームページより)。そのうち、清瀬市には5月の段階で28世帯65名が所在し、帰りたくても帰れない強制避難の方々は18世帯45名とうかがいました。つまり、清瀬市内に住んでいる自主避難者は10世帯20名ということになります。
この清瀬市内に住んでいる自主避難の方々は、避難生活を続けたくても来年3月で住宅支援が打ち切られてしまうということになりますが、彼らは単なるわがままで肩身の狭い避難生活を続けているわけではありません。もし、私たちが、事故前には防護服を着て入らなければならなかった放射線管理区域(註1 この文面から年間に換算すると5.2ミリシーベルト)と同じ線量の地域に、「しっかり除染をしたのでもう安全ですから女性も子どもも戻って生活しなさい。来年3月で住宅支援は打ち切ります。」と言われたら一体どう思うでしょうか。事故前には法律で飲食も禁止されていたような場所に住み、料理をし、飲食をし、遊び、普通の生活をしなさいと言われても納得できるものではありません。せめて事故前とほぼ同じ状態に戻るまで住宅支援を続けるべきです。
 ある被災者は、「住宅支援という言葉がそもそもおかしいんですよ。私たちは家も生活も事故によって奪われたのですから、これは本来なら東電が賠償すべきものです。それを勝手に打ち切ることは許されません。」と訴えていました。

  以上の理由から、福島原発事故による避難者への無償住宅支援継続を求めるよう、国と福島県に意見書を提出していただくことを請願いたします。 
               2016年6月15日  
     清瀬市議会議長
       渋谷のぶゆき様
                 清瀬・憲法九条を守る会 
                    福田 緑
    (註1)人事院規則一〇―五(職員の放射線障害の防止)(略)

 委員会の様子について、清瀬・くらしと平和の会のメルマガで、連れ合いが次のように報告しています。

●福田 緑です。本日の「福島原発事故による避難用住宅提供打ち切りの撤回と、避難用住宅の長期無償提供を国と福島県に求める請願」に傍聴に来てくださった方、ありがとうございました。簡単にご報告しておきます。
 趣旨説明を4分、由女さんに「被災者についてもう少し詳しい説明をしてもらえませんか」と促してもらい、さらに4分ほど話をすることができました。会議に戻ってからは、佐々木さん、宮原さん、由女さんからは賛成意見を、鈴木市議は無発言、友野市議は「国はできる限りの支援をしていると思うので現段階で請願に沿った意見書を地方自治体に出すことに賛成はできない」とのことでした。結果は3名賛成、3名反対で石川委員長が賛成して総務文教委員会としては採択となりました。24日の本会議最終日にはどうなるかわかりませんが、また傍聴に行きたいと思っています。由女さん、都営住宅での圧力について意見していただき、ありがとうございました。

*賛成:ふせ由女(共に生きる)、佐々木あつ子(日本共産党)、宮原りえ(風・生活者ネット)、石川秀樹(風・生活者ネット)
*反対:友野ひろ子(清瀬自民クラブ)、渋谷けいし(清瀬自民クラブ)、鈴木たかし(公明党)

  6月24日(金)の本会議最終日でははたして採択されるでしょうか。10対9の僅差で否決なんてならないように、皆さん傍聴に来てください。

〔94〕2016・6・5全国総がかり大行動、「アベ政治を許さない」闘いは続きます。

2016年06月09日 | 市民運動
  2016年6月5日(日)、「明日を決めるのは私たち-6・5全国総がかり大行動」ということで、清瀬の仲間数人で、国会前行動に出かけました。午後2時開会ということでしたが、参加者の皆さん、血気盛んで、開始一時間前には桜田門駅の階段を上がっていました。
  多少すいているだろうということで、国会に向かって右側のメインステージに向かったところ、少し手前に多くの人が集まっていました。プレ集会ということで、シールズの奥田愛基君や、教育学者の佐藤学さんらが集会を開いていました。人がいっぱいで身動きがとれないくらいでした。
  プレ集会が終わって、さらにメインステージに向かいましたが、最前列までは到達できませんでした。一段高い植え込みに空間を見つけて開始を待ちました。
  この日は国会周辺3会場でステージが設けられ、4万人が集まりました。しかし、翌日の朝日新聞の扱いは、冷たいものでした。

●安保法反対デモ、全国各地で開催 参院選へ野党支持訴え(朝日新聞)佐藤恵子、千葉卓朗、水沢健一、2016年6月5日20時50分
 安全保障関連法の廃止を訴える市民団体が5日、全国各地で抗議行動をした。主催者によると、50カ所以上で開かれ、東京の国会周辺には約4万人が集まった。22日公示の参院選に向け、安保法に反対する野党への支持を呼びかけた。
 学生団体のSEALDs(シールズ)メンバーや学者らでつくる団体「市民連合」と、「戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動実行委員会」の主催。各地の団体にも開催を呼びかけた。
 国会前では、「ママの会@日野」の星野さなえさん(35)が「参院選で平和を願う国民の意思を示そう」と主張。1人区の全32選挙区で、民進や共産など野党4党の候補が一本化されたことを踏まえ、シールズの大学院生奥田愛基(あき)さん(23)は「選挙結果によっては憲法が変わってしまうかもしれない。1人区でそんなに勝てるかわからないけど、ひっくり返そう」と訴えた。
 野党の民進、共産、社民各党の幹部も参加し、「選挙に行こう」「政治を変えよう」などと声を上げた。
 国会前での抗議に参加した東京都渋谷区の大学教員海部(かいふ)健三さん(42)は、昨年夏のデモに比べて若者の参加が減ったように感じたという。「若い人が政治的な話を避けようとしているのでは」と話した。(残り:755文字/全文:1278文字)

  なぜか産経新聞が、この集会の詳細を伝えていたということです。保守側のある危機感からでしょうか。
  集会では、音楽評論家の湯川れい子さんの若々しいアピールがさわやかでした。ボイスは鮮明に聞こえるのですが、姿は見えないのです。
  最後に、平和フォーラムのブログを紹介させてもらいます。この日の様子を忠実に伝えてくれています。

●6・5全国総がかり大行動(東京)に4万人が参加(平和フォーラムのブログより)
2016年6月 5日
 6月5日に総がかり行動実行委員会と市民連合がよびかけた「明日を決めるのは私たち-6・5全国総がかり大行動」が国会周辺3会場で実施され、4万人が参加しました。また、全国100カ所以上で同様の集会等が開催され、参院選挙勝利、戦争法の廃止、安倍内閣の退陣を呼びかけました。
 国会正門前の集会では、最初に市民連合を代表して山口二郎さん(法政大学教授・学者の会)が「戦争する国になるのを食い止めるのは今を生きる私たちの最大の責務だ。参院選挙で改憲勢力の3分の2確保を阻止するばかりでなく与党を過半数割れに追い込み、安倍内閣を退陣させる、そのために力を合わせよう!」と呼びかけました。
 政党からは、民進党の枝野幹事長、共産党の山下副委員長、社民党の吉田党首が挨拶し、参院選の1人区すべてで野党共闘が成立したことに触れながら「市民と野党の力で参院選勝利を!」と、それぞれ訴えました。
 またアピールでは、湯川れい子さん(音楽評論家)が「子どもや孫のことを考えれば、安倍政権のやることは私の感性と合わない。参議院選挙では必ず勝ちましょう!」と述べ、高野孟さん(ジャーナリスト)は、「今度の選挙は安保が第一の争点だ。あらゆる知恵とエネルギーを使って安倍政治の流れを断ち切らなければならい」と強調しました。
 ママの会の星野さなえさんは、「すべての人はかけがえのない宝物だ。そんな命が戦争で奪われることは我慢できない。もう戦争で命を奪わないで!それは私の願いだ」と声をあげました。安保法違憲訴訟の会の古川健三さん(弁護士)は「東京・福島・高知で安保法の違憲訴訟を提訴した。憲法を遵守すべき内閣が勝手に憲法解釈を変えることはあり得ないことだ」と、違憲訴訟への支援を呼びかけました。
 田中宏さん(一橋大学名誉教授)は「安倍内閣は市民集会に参加予定だった中国からの参加者の入国を認めなかった。高校の無償化からの朝鮮学校の除外の不当を訴える裁判に勝利したい」と決意を表明。最後に総がかり行動実行委員会の高田健さんが「難しかった野党共闘も実現した。野党と市民が一緒に闘って安倍政権を倒す。その希望を実現しよう」と訴え、参加者全員でシュプレヒコールを行いました。
 集会は国会正門前のステージの他、霞ヶ関と日比谷公園でもステージが作られ、国会周辺の参加者とともに参院選挙に勝利し、戦争法の廃止と安倍内閣退陣の実現に向けて奮闘することを確認し合いました。
 なお、戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会は、「止めよう!辺野古埋め立て」国会包囲実行委員会と共催で、6月19日(日)14:00~15:30に、「いのちと平和のための6・19大行動」を国会正門前で行い、同時に沖縄県那覇市で開催される在日米軍属による女性殺害事件に抗議する「怒りと悲しみの沖縄県民大会」に連帯して行動します。




〔93〕オバマ氏の広島訪問に合わせて読む詩は「ヒロシマというとき」( 栗原貞子)が相応しいようです。

2016年06月02日 | 図書案内
 アメリカのオバマ大統領が、初めて被爆地広島を訪れました。アメリカ大統領として初めての訪問というだけでなく、核保有国の首脳が広島、長崎を訪れたことはないようです。かつてプラハで核廃絶を訴えて、ノーベル平和賞を受賞したリベラルなオバマ大統領を評価する一方で、残念なことも多くあったのは事実です。原爆資料館を10分足らずの駆け足で巡り、被爆者の話をじっくり聞くことも謝罪のことばもありませんでした。そして、なぜ広島だけで、長崎には行かないのか、「核のボタン」を広島に持ち込んでいたことなど、不満な点は多々あります。
  しかし、我々日本人ははたして彼に多くを要求することはできるのかと、考えるのです。
 ハワイのパール・ハーバーを奇襲して太平洋戦争が始まったわけですが、日本の総理大臣はここを訪れることもしていません。戦争の歴史は被害と加害を見ることによって初めて正しい判断ができるのです。
 まずは、栗原貞子さんの詩「ヒロシマというとき」をじっくり読んでみてください。

 ヒロシマというとき
        栗原貞子
 
〈ヒロシマ〉というとき
〈ああ ヒロシマ〉と
やさしくこたえてくれるだろうか
〈ヒロシマ〉といえば〈パール・ハーバー〉
〈ヒロシマ〉といえば〈南京虐殺〉
〈ヒロシマ〉といえば 女や子供を
壕のなかにとじこめ
ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑
〈ヒロシマ〉といえば
血と炎のこだまが 返って来るのだ

〈ヒロシマ〉といえば
〈ああ ヒロシマ〉とやさしくは
返ってこない
アジアの国々の死者たちや無告の民が
いっせいに犯されたものの怒りを
噴き出すのだ
〈ヒロシマ〉といえば
〈ああヒロシマ〉と
やさしくかえってくるためには
捨てた筈の武器を ほんとうに
捨てねばならない
異国の基地を撤去せねばならない
その日までヒロシマは
残酷と不信のにがい都市だ
私たちは潜在する放射能に
灼かれるパリアだ

〈ヒロシマ〉といえば
〈ああヒロシマ〉と
やさしいこたえが
かえって来るためには
わたしたちは
わたしたちの汚れた手を
きよめねばならない

  私は33年間の小学校教師として、3回の6年生を担任しました。つまり卒業生を3回出したということです。小学校では6年生の社会科で日本の歴史を学びます。3回歴史を教えたことになります。今思いだして教師として自分自身不十分だったことがあります。広島、長崎の原爆、東京大空襲、沖縄戦など被害の歴史については熱心に教えた記憶があります。しかし、南京大虐殺や日本軍「慰安婦」などについては教え方が不十分であったといわざるを得ません。
  今こそ、「ヒロシマというとき」を繰り返し読んでみたいものです。

 捨てた筈の武器を ほんとうに 
 捨てねばならない 
 異国の基地を撤去せねばならない
 …
 わたしたちの汚れた手を 
 きよめねばならない

 栗原さんの詩といえば、「生ましめんかな」です。
 吉永小百合さんばりに、声を出して読んでみるのも良いかもしれません。

 生ましめんかな
         栗原貞子
 
こわれたビルディングの地下室の夜だった。
原子爆弾の負傷者たちは
ローソク1本ない暗い地下室を
うずめて、いっぱいだった。
生ぐさい血の匂い、死臭。
汗くさい人いきれ、うめきごえ
その中から不思議な声が聞こえて来た。
「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
この地獄の底のような地下室で
今、若い女が産気づいているのだ。

マッチ1本ないくらがりで
どうしたらいいのだろう
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と、「私が産婆です。私が生ませましょう」
と言ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。

かくてくらがりの地獄の底で
新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも

 原爆を読んだ詩人といえば、栗原さんの他に峠三吉、原民喜などがいます。久しぶりに原爆詩集を紐解いてみるのも良いかもしれませんね。